<9>
執事から呼び出されて、リッツは応接室へ向かっていた。急なお客とのことだったが、ここへ来る客などアンナとリラしか思いつかない。
だが昨日の今日でここに来る用事など無かったはずだ。だとしたらどういう事なのか……。悪い予感が当たっていなければいいのだが。
多少急ぎ足で応接室へ向かい扉を開けると、そこにはリラがいた。不安そうな表情で、だがしっかり俯かずに座っているリラに、一抹の不安を感じた。
そこにいるはずのもう一人がいない。
「リラ……アンナは?」
尋ねるとリラの顔が曇った。イヤな予感が当たらないことを祈っていたが、ここにリラがいると言うことはやはり予感が当たってしまったようだ。
「リッツさん、アンナ……」
リラがどういおうか迷うように言葉を切った。だが、それだけでリッツには、何が起きたか察するのに充分だった。
「捕まったんだな、シグレットに」
リラはこくりと頷いた。
「やっぱりアンナの奴、水竜使ったな……」
リッツのつぶやきに、リラの目はまん丸くなってしまった。
「何で知ってるんですか?」
苦笑しながらもリッツはリラに話した。
「目立てばフランツの場所が分かるっていってただろ? あいつの使える精霊魔法の中で、目立のは水竜だけだ」
一番使って欲しくない手だったが、アンナが使うだろうと分かっていた。だから使わないでくれと心の中で祈っていたのだ。
リッツには本当に苦笑するしかない。
「あいつは最高位の精霊使い、竜使いなんだ。だから下位の技も使えるはずなんだよなぁ……」
リッツは呻くしかない。この件が無事に済んだら、精霊使いではないリッツだが、アンナに色々と精霊を使う技について教えてやらねばならないようだ。
まずはフランツと同じ初級の初級、水の球からやり直しだ。
「リッツさん?」
「悪い悪い、ちょっと考え事してた」
苦笑しつつもリッツは再びため息をつく。もっと他の手を考えてみればいいのに、思いついたら即実行してしまう彼女の性格は、時と場合によってはかなり悪い。
小さなたき火をしてみるとか、石を壁にぶつけるとか、手はあっただろうに、それを思いつかないのだろうか。
まあ、こうなった以上考えても詮無きことだ。
「リッツさん、私たちどうしたらいいんですか?」
リラの一言にリッツは考え込んだ。一体アンナはどんな手を使っただろう。多分、フランツの仲間です、という一番やばい手は使ってはいないはずだ。
それほど馬鹿じゃない……だろう。
そんなこと言ったら、疑り深いというその男に、フランツ共々牢獄へ入れられてしまう。となると、彼女は多分、ルサーンの手の物だといった可能性が高い。
だとしたらフランツだけでも、見逃される可能性がある。それならこの作戦を、何とか決行に移すことが出来るはずだ。
「多分、アンナは俺の仲間だといっただろうな」
そしてフランツもそれに乗ったに違いない。その方が方向修正しやすい。そう信じよう。というよりもそれしか打てる手がないから、信じるしかないのだ。
そうなると、向こうのシグレットの方から、決闘を申し込んでくる可能性もある。それなら話は早い。こちらが準備するといって、その日を王都からの査察官が到着しているだろう日に設定すればいいのだ。
「それにしても、今度はアンナまでも連絡が取れないとはなぁ……」
リッツはがあきれ果てて頭をかくと、しばし考え込んだ。そんなリッツにリラが、遠慮がちに話しかける。
「あの……」
「ん? なんだリラ」
言いにくそうにもじもじするリラを、リッツは根気よく待った。やがてリラが顔を上げた。
「アンナかフランツさんと、連絡が取れるかも知れないです。でも、こちらからの手紙しか渡せないと思いますけど」
ぽかんとリラを見つめてから、リッツは顔を引き締めて真剣にリラに尋ねた。
「どうやるんだ?」
また少し困ったようにうつむいたリラは、先ほどよりは早く顔を上げた。
「ディルが……忍び込むって言ってました」
「ディルが?」
驚きと呆れが混じった口調でそういうと、リラはディルの決意の程を伝えた。ネットの、男ならやらなきゃ行けないときもあるという言葉に、リッツは力が抜けた。
「ははははは、またおっさん……」
そういう時は止めろといいたいが、こうなれば仕方ない。ディルの決意を翻させることは本人と話すことなしでは出来そうにないだろう。それに止めようとしたら、盛り上がっているだろう彼は勝手に屋敷に忍び込んでしまいそうだ。
となると、知った上で何とかアドバイスを送った方がいいだろう。
「分かった、ディルに賭けてみよう。リラは女の子だ、これ以上危険なことをしなくていいからな」
「でも、アンナも女の子ですよ」
不平そうに口をとがらせたリラの頭に、リッツは優しく手を置いた。
「リラもアンナもがんばってくれた。だから今度は男の出番だ。ここからは、ディルと君のお父さんとヘレボア隊長、それから俺とフランツに任せてくれ」
リラは、不安そうな顔をしたまま頷いた。
「じゃあ手紙でも書くか!」
リッツはそういって応接室のボードにしまってあった羽ペンを勝手に取りだした。それから懐の燃えない紙を取り出そうと手を突っ込む。
その時、応接間の扉がものすごい勢いで開かれた。
一瞬今までの会話が聞かれて、誰かが彼らに危害を加えようとしているのかと緊張したが、そうではなかったようだ。
「りっりっりっリッツ君! た、た、た、大変だ!」
丸い体で転がるように飛び込んできたのは、ルサーンだった。彼はいつも偉そうにしているが、自分に危害を加えられるのが怖いのだろう。そんな男だから力があるものを好む。
この彼がこんなに慌てていると言うことは、きっとシグレットが、手の物をつれて乗り込んできたのだろう。この家できちんと戦って勝てそうな人間は、今リッツしかいない。
「シグレットだ! シグレットが来たぞ!」
やはり。それにしても、門番は何をしていたのだろう。敵対する人物をあっさり招き入れるのでは、全く門番としての用をなさないではないか。
でもそんなルサーンの、ずさんな危機管理のことを考えていても仕方ない。
リラはおびえて家具の裏に隠れた。この場にいてはいけないと言うことを、どこかで感じ取ったのだろう。
「貴様に呼び捨てにされる覚えはないな」
そういって図々しくも入り込んできたのは、目の鋭い、やせぎすの男だった。口は皮肉の笑みに歪んでいる。彼はリッツを見て、小馬鹿にしたように笑った。
「ほう。ここにいたか、傭兵さんは」
「……あんたがシグレットか?」
低く尋ねたものの、内心これはフランツ苦労したなと、フランツに同情してしまった。配下のものをつれてきていたが、残念ながらその中にフランツはいなかった。
「おまえがルサーンに雇われたんだな?」
「そうだ」
短く答えると、シグレットは低く笑った。
「自分の娘を偵察に使うのは、どんな奴かと見に来てみれば、大したことはなさそうだな」
「娘だと?」
あまりの言葉にリッツが心底驚くと、シグレットの目が鋭く光った。
「しらばっくれるな! アンナとかいう娘だ!」
「あのやろう……」
人を勝手に子持ちにしてくれて。そういわれると年を喰ったような気がして嫌だといってるのに。無事戻ってきたらお仕置きしてやる。
だがシグレットは、その言葉を別の意味にとったようだった。
「自分の娘の心配もしないとは、冷たい男だな、お前は」
「貴様におまえ呼ばわりされる覚えはないがな」
リッツは頭をフル回転させた。やはりアンナは、自分をルサーンの手のものだといったようだ。それはそれで一安心だ。アンナにもぎりぎりのところで考える力はあるようだ。
この男はアンナを人質に取っている。それを取り返すために、この男にリッツが決闘を仕掛ける。そうなると多分出てくるのはフランツだ。
考えが固まって、それをリッツが口にする前に、シグレットは、リッツとルサーンを睨み付けながら怒鳴った。
「宝を頂く前に、おまえとの決着を付けなければならないようだな、ルサーン!」
売り言葉に買い言葉、リッツの陰に隠れながらルサーンはシグレットに怒鳴り返した。
「望むところだ! 私の雇った傭兵に勝てるもんなら勝ってみろ」
戦うのはルサーンではなくリッツだ。人の威を借る狐とはまさにこのことだろう。
だが、考えてみるとこれはかなりのチャンスだ。このまま行けばこちらの言う日に決闘が行える。
「そっちで戦うのは、誰だ? あんたか?」
リッツの分かり切った皮肉な問いに、シグレットは再び皮肉で笑返した。皮肉と皮肉のぶつかり合い。周りには一瞬凍り付いたような空気が流れた。
「ふふふ、この間までお前の仲間だった精霊使いさ」
リッツは顔をしかめた。精霊魔法のことまでシグレットに話してしまっているということは、彼は本気でリッツと戦うつもりなのだろうか?
もしかしたら、アンナで脅迫されているのかもしれない。だがアンナがリッツの娘だと思っている男に、一体何故脅迫される必要があるのだろう。一体フランツは何をしようというのだろうか?
頭の中は分からないことでいっぱいだ。
「あいつが俺と戦うといったんだな?」
リッツが何気なく聞く風を装って、シグレットに言うと、シグレットは分かっているかのような顔で答えた。
「おまえの娘と私が雇った男……あの二人はきっと特別の関係にあるのだろう? 特に私が雇った方の男にな」
フランツが聞いたら、卒倒するかも知れない。いや、心底嫌そうに顔をしかめるだけだろうか。シグレットは、フランツがアンナに思いを寄せていると勘違いしているのだ。
「案外おまえ達が仲違いした理由もそれか?」
笑いたくなるのを必死でこらえて、リッツは不機嫌な表情を取り繕った。
抑えきれずに、眉のあたりがピクピクと動いてしまったが、シグレットはそれを、怒りのあまりの表情だと思いこんでくれたらしかった。
「まあそんなことはどうでもいい。お前が勝ったなら、娘は帰してやろう。そしてルサーン、宝はお前にくれてやる。もし私が勝ったなら……分かっているな?」
ルサーンは頷いた。
「宝は、おまえにやる。二度と手を出さない! これでいいんだな?」
シグレットは低く響くような声で笑うと頷いた。
状況が飲み込めた。多分フランツは、本気でリッツと戦うつもりだ。炎に対抗する手段を講じなければ、それよりもフランツを殺すことなく、倒す手段を考えねばならない。
いや、それ以前に、ヒースの連れてくるユリスラ軍査察団が間に合ってくれれば……。
だがここは最悪のシナリオをとりあえず考えなくてはならないだろう。
フランツと戦う……実戦経験もないフランツと。剣士として、傭兵として戦場で沢山の命を奪った自分が……。
それを考えると背筋が冷たくなった。
防御に回って仕掛けないか……でもそれでは怪しまれる。
かといって打ちかかればフランツは大打撃を受ける。
リッツは本気で眉をしかめた。これは難問だ。
「……あいつと戦うなら、時間がいる。あと三日後なら」
だがシグレットは頷かなかった。三日あればもしかしたら査察団が間に合うかもしれない。二日ではどう計算しても間に合わない。だが、シグレットはそんなに待てないようだった。
「三日の間、君の娘に何もないと思うのか?」
「くっ……」
アンナは娘ではないが、アントンから預かった大切な庇護者で、精霊族のリッツにとって自分に近しい存在である、楽しい同行者だ。そのアンナに怪我を負わせるわけにはいかない。
リッツは唇を噛んだ。
決闘の決着が付くのが先か、査察団が来るのが先か……。
多分査察団の方が遅い。
「最高でも二日……まあそのぐらいなら待ってやる」
せせら笑いながらそう言い残すと、シグレットは配下のものを部屋から出し、後に続こうとする。その途中で彼は振り返った。
「二日後の早朝だ、場所はサラディオ中央広場。あそこでこの街の人々にも、どちらに宝を奪う権利があるのか、はっきり見て貰おうじゃないか。楽しいショーになりそうだな」
そう言い残すと、シグレットは出ていった。たった一人のアンナという人質を使って、フランツとリッツ二人を脅迫して戦わせるとは……。
事情を知らない振りをしているだけで、本当は状況の見えているリッツには、シグレットの手段の汚さがよく分かった。
「リッツ君、勝ってくれよ!」
ルサーンはリッツの手を握りしめた。
「あ、ああ」
頷いてみたものの、もう彼の心はすでにここにはなかった。どうすればフランツに大打撃を与えず、倒せるか……。
「ルサーンさんよ、しばらく俺を一人にしてくれないか? 考えたいことがあるんだよ」
「勝つためか?」
希望に輝く目で彼をみるルサーンに少々腹が立ったが、この際仕方ない。
「無論だ」
「頼んだぞ! 報酬は弾むからな!」
ルサーンはそういうと、応接間を出ていった。あまりに興奮して、アンナのことを聞かずに出ていってくれたのは不幸中の幸いだった。
リッツは一人になった気楽さからため息をついた。
「フランツを殺すのは簡単だけどなぁ……」
リッツは頭を抱えた。多分フランツは全力で立ち向かってくる。
流石にまだ火竜を操ることは出来ないだろうが、彼なりの精一杯で向かってくる。その場合はかなり注意を要する。注意というのはリッツの側の注意だ。
体の条件反射で切ってしまわないように最大限の注意を払わなければならない。しかも、本気で戦っている振りをしながら。
今回は鞘を付けたまま戦う、という手は使えない。ルサーンとシグレットの手前、大剣を抜かざるを得ないのだ。
「難題だ……」
お互いが芝居で戦うならなんてことはないが、片方が本気では手こずる。しかも集中すると周りが見えないフランツ相手だ。
天井を仰いだリッツの耳に、震える小さな声が聞こえた。
「戦うの?」
「うわっ、リラ!」
そうだリラがいることをすっかり忘れていた。そういえば彼は、ディルに手紙を運んで貰おうとしていたのだ。
「フランツさんを、殺しちゃうの?」
リラは小刻みに震えている。しまった、子供には衝撃的すぎた。リラは怖いものを見るようにリッツを見つめている。
「その剣で……リッツさん、フランツさんを……」
「馬鹿、殺さないよ。大丈夫」
リッツが一歩踏み出すと、リラが一歩下がった。相当怯えさせてしまったようだ。
「リラ……」
リッツはしゃがみ込んで、リラと視線を合わせた。怯えながらもリラはリッツを見つめる。
「もしもだ、もしもリラがディルと、嫌なのに本気で戦うことになっちゃったら、リラは友達を本気で殴るかい?」
リラはぶんぶんと首を横に振った。
「ううん」
「だろう」
リッツはゆっくりとした動作で、自分を指さした。
「じゃあ、俺はそうなった時、友達を殺すように見えるか?」
リラはまたぶんぶんと首を横に振った。
「そうだろ。大丈夫、アンナもフランツも助け出してみせるよ。約束だ、な?」
「約束……」
「な?」
リッツのほほえみに、やっとリラは笑顔を見せた。
「うん」
ほっとしながら、リッツは応接間のソファーに倒れ込んだ。何だか今日はつかれる日だ。でもうっかりリラの存在を忘れて、フランツのことを口にしてしまった自分が悪い。
「よし、じゃあディルに伝えて貰う、手紙の内容を考えるかな」
「うん」
二人っきりの作戦会議が始まった。
「駄目か……」
その頃、フランツはシグレット邸の中庭に立っていた。彼の片手には一降りの槍がある。それはシグレットの部下に言って買ってきて貰ったものだ。その部下は今、彼の後ろで彼を見張っている。
リッツ相手に接近戦は完全に不利だ。近づくと斬られる。
リッツはフランツに、本気を出してかかってくることは絶対にないだろうと思われる。傭兵部隊の隊長まで務めた男に、本気でかかってこられると、一瞬で未経験者フランツの首が落ちる。
でも、条件反射というものがある。もし懐に飛び込んで無茶をしたら、絶対に剣で一凪されて一貫の終わりだ。
だからフランツは、リッツにあまり接近しないですむ槍を選んだ。最初は弓かとも思ったが、すぐに弓は一対一の戦いには相当不向きであるし、リッツが芝居してくれる暇がない事に気づいた。
彼が走って突っ込んできたら、弓を引く時間がないのだ。そうなれば芝居どころか、リッツはフランツを切るしかなくなってしまうではないか。
槍なら、合わせる振りをして時間を稼いでくれる事だってあり得るだろう。
しかも、槍は普通の槍では駄目だ。切って落とされたらおしまいだ。だから彼は一計を案じた。
「これも駄目か……」
フランツは槍を投げ捨てた。足下にはもうたくさんの焼けこげた槍が転がっている。
「難しいな……僕ではだめか……」
先ほどから自分に対して自問自答している。だが時間がない。フランツはうずたかく積まれた槍の山から、また槍を持ち上げた。
「炎よ、槍に宿り我を助けよ!」
炎は一瞬にして槍全体を包みこんだ。持っていられるはずもなく投げ捨てる。
どうしても槍の刃の部分のみに、炎を宿らせることが出来ない。柄まで燃えてしまう。これでは持っていられない。
そう、彼がやろうとしていることは、付与魔法なのだ。付与魔法とは、武器や防具に自分の持つ精霊を宿らせて使うことで、武器と炎の力を協調させて攻撃できる、という代物なのだ。
そもそも特殊なもので作られた武器にしか出来ないらしいのだが、師匠オルフェは、これを巧みに操っていた。だが本来の使い道である武器に宿らせているのを、見たことがない。
彼の師匠はよくフライパンに炎の精霊を宿らせ、目玉焼きを作ってみたり、ハムを焼いてみたり、ブラシに水の精霊を宿らせて、流しの掃除をしたりしていた。
自分でやると滅茶苦茶になるくせに、精霊を使うとやけに上手い。だがハタキに風の精霊を宿らせて、家をめちゃくちゃにしたこともあった。
師匠にとっては付与魔法は、便利な家庭用魔法だったが、実際にやってみると全くうまくいかない。
本来の使い方である武器に、炎を宿らせようとしているだけなのに。
「時間がない、後二日しかない……」
焦ればあれるほどうまくいかない。フランツはジレンマに陥った。
いらいらして残りの槍の山を蹴飛ばすと、一本のシンプルで美しい、宝石がくっついた細身の槍がころりと転がり落ちてきた。
「赤い宝石?」
綺麗な宝石は、槍の返しで深紅に輝いていた。槍の刃先はおおよそ三十センチ。柄は金属で出来ている。
燃やしてしまうのはもったいないか、と一瞬考えたフランツだったが、そもそもこの槍を買ってきた金は、自分のものではないのだ。構いはしない。
フランツはその槍を手に取った。
「なんだ、軽い……」
ヘレボアに貰ったレイピアのような軽さだ。こんなに長いのに。
その槍は長さがフランツの身長以上あった。下手するとリッツの身長より長いのではないだろうか。
「これだけ長いと、間が持つな……」
呟きつつよく槍を見てみると、その槍は縮むようになっているのが分かった。
なんとか縮めてみようとしたが、どうやって縮めていいのか分からずに、あちこちをガチャガチャ言わせていると、どこでどうなったのか槍が音を立てて曲がった。
「……何これ」
曲がると槍は簡単に縮めることが出来た。縮めるととそれは長さほんの八〇センチほどになってしまう。
「?」
よくよく見ると、槍は一本の鉄で出来ているのではなかった。数十枚の薄くて強い銀色の金属が、重なり合うようにして出来ているのだ。フランツはもう一回伸ばしてみようと試みた。
だが今度はどうしても伸びない。再びガチャガチャと槍をいじくり回すが、やはり伸びない。
「くそっ」
呟いて振り回すと、槍がシャララララと音を立てて伸び、カチっという音とともに止まった。
「伸びた……?」
じっくりと観察してみると、槍の上部、柄との分かれ目にある返しに、金属で出来たストッパーのようなものがあることに気がついた。それを上に持ち上げると、槍は曲がって縮んだ。そして伸ばすときは勢いよく振り回す。すると金属が小気味よい音を立てて伸びるのだ。
「使える……これに炎を宿らせれば」
だがもしここで失敗してしまったら、この槍は燃えて使い物にならなくなってしまうかもしれない。
しばらく悩んだが、フランツは意を決して槍を伸ばした。
意識を集中して槍を構え、フランツは心の中に燃えさかる炎をイメージする。この槍だけが頼りだと思っている彼は、いつも以上の長い時間をかけ、鮮明な炎のイメージを作り上げた。
心配が大丈夫だという確信に変わった。こんな事は初めてだ。絶対にうまくいく。
「炎よ、槍に宿り我を助けよ」
炎がゆっくりと、槍の刃に宿った。下から燃え上がっていくように広がる。柄は……全然問題ない。
「……出来た……」
槍は炎を緩やかにあげつつ燃えさかる。大成功だ。惚けたようにそれを見ていたフランツは、この槍の不思議な点にあと二つ気がついた。
一つは、炎に呼応して宝石が揺らめくように輝きを放っていること、もう一つは宝石の反対側に掘られた紋章だった。
「ユニコーン……王室?」
この間リッツに聞いたから間違いない、ユニコーンはユリスラ王国王家の紋章のはず。そしてあの時説明してくれた他の紋章が何も入っていない。これだけと言うことは、それは王家の紋章であることを示すのだ。
「何故こんなものがここに?」
フランツは、彼が成功させた魔法を呆然と見守っていたシグレットの部下に声をかけた。
「この槍は、どこで手に入れたんだ」
自分に話しかけられたことに気がついた男は、ふと我に返って答えた。
「あちこちを廻って槍を買い占めてきた。何処かは知らんな」
「そう……」
燃えない紙があったり、王室の武器があったり、とこの街の武器屋は謎だらけだ。
でもこれが本当に王室のものだとしたら、どうしてここにあるのだろう。全く理解できない。
だが今は、これからのリッツとの決闘の事を考えなければならない。
「この槍以外はいい。これは僕にくれる?」
フランツは男に確認した。
もし全てのことが片づいた後で取られることになったら悔しい。もしかしたら、彼に扱える唯一の武器かもしれないからだ。
「ああ、お前にやる。どうせ使わねぇんだ」
退屈そうに欠伸をする男に、フランツは服のポケットから紙とペンを取りだした。
「あぁ? 何だぁ?」
戸惑う男にフランツはきっぱりと言った。
「この槍は僕に無償でくれるものだということを、きちんと明記してくれ」
フランツの強引な物言いに、少々男は怯んだが、文句を言いながらも紙に『この石付きの槍は何があろうとお前にやった』と書き、サインした。
「これでいいか?」
「いい」
紙を受け取り、サインまで確認したフランツは、紙を懐にしまい、そのまま元の位置に戻って炎を消し、槍を伸ばしたり曲げたりする練習を始めた。
そんなフランツに、男が呆れたようにいう。
「お前、商人みたいだな」
「……そうか」
こんなところにいても証書を取ってしまう根っからの商人な自分に、フランツはあきれてしまった。無意識にそれをやっているのだから世話ない。
子供の頃から身に付いた習慣で、オルフェとの約束事も全て、紙に署名させていたからくせになっているのだ。オルフェの場合、書いて張っておかないと綺麗さっぱり忘れてしまうのである。
オルフェとの約束事とは『もう本を散らかしません』とか『がらくたを増やしません』というった子供のようなことだ。
「………契約は大事なんだ」
他に言うことが見つからずに、フランツはぶっきらぼうに言い捨てた。
リッツとの決闘まで後二日。これからの練習は、槍をいかに早く伸ばし、それにいかに早く付与魔法を掛けられるかということだけになった。
「よし、いける」
フランツは小さく呟いた。
閉じ込められたアンナは、暇をもてあましていた。
「うわ~ん、サラちゃん暇だよぉ」
アンナは、屋敷の最上部にある小部屋に監禁されていた。もうどのくらいの時間が過ぎたのか分からない。窓の外が真っ暗になったから夜なのだろう、という事だけは分かるが、いったい何時なのだろう。
唯一の救いは一人ではなく、サラちゃんと二人というところだろうか。
だがサラちゃんはランプの中にいるし、出しても撫でることも出来ない。アンナが火傷してしまう。
「ねぇサラちゃん、どうなったのかなぁ、リッツとフランツ。いつ戦うのかなぁ~」
「フラきーっ、リッきーっ」
「サラちゃん、アンナって言ってみて、ア・ン・ナ」
「アンきーっ」
「ア・ン・ナ、はい!」
「アンっアンっきーっ」
「ああ、駄目かぁ~」
暇だと、意味もないことに力を注いでしまうアンナだった。
「ねぇサラちゃん、私たちいつ出られると思う?」
「いつきーっ」
アンナはため息をついた。人質って暇なんだと初めて知った。
普通は身の危険を感じたりするものだろうが、アンナは決闘が行われれば、何とか解放されるのを知っているから、命の危機が薄いのだ。
危機なら、前の村で感じている。毒で死にかけたあのときの方が危険だった。自分が本当に生と死の狭間にいたことは身にしみて分かっている。そこから考えると、今は気楽な囚われ人なのだった。
「ふぇ~、腐っちゃいそう」
アンナは粗末なベッドに転がった。板の間ではなくベットがあることにはとりあえず感謝だ。
「暇、暇、暇、ひ~ま~!」
「うるさい!」
扉が外側から乱暴にドンと叩かれる。この部屋の前には、監視がついているのだ。その監視が初めて中のアンナに口を利いてくれた。
「えへへへへ、怒られちゃった」
アンナは、それが嬉しくて扉の方に静かににじり寄った。気配のするあたりを思い切り叩いてみた。
「うわっ!」
監視が飛び上がるのが分かった。
「こ、このガキ! おとなしくしていやがれ! お前は人質なんだぞ、分かってんのか?」
監視は扉を開けずに怒鳴った。
「だって暇暇だよ~」
アンナは外に向かって文句を言ってみる。
「じゃあ寝ろ! もう遅いんだぞ!」
アンナは監視相手に多少の暇つぶしを楽しんだが、怒られて渋々扉から離れると、また暇になってしまう。
「ひま~っ!」
「やかましい!」
見張り役でも彼女の相手をしてくれるのは救いだった。アンナには、リッツやフランツのように、準備することもなければ、決闘することもない。ただひたすら囚われるのみ。
だけど、後何日こうしていればいいのだろう。分からないのが不安だ。
「あ~あ、何かないかなぁ」
アンナが呟いたとき、窓の外を何かが横切った。
「何?」
ここは家の最上階。この窓を人が横切るわけがないのだ。目の錯覚かともう一度じっと外を見つめてみると、また何かが横切った。揺れているようだ。
「人? まさかね」
揺れが収まるとその人影らしきものはアンナの窓の近くに降りたようだった。
「え、やっぱり人?」
アンナは小さな声で呟いて、音を立てないようにそーっと窓を開けた。
「!!」
窓から顔を出して、アンナは絶句した。屋根の突っかかりにしっかりと巻き付いたロープを伝って、小さな人影が動いていた。
その人影には見覚えがあった。でもまさか、そんなことはあり得ない。その人物なわけがないのだ。
確信が持てないまま、ハラハラとその人影を見つめていたアンナだったが、人影がゆっくりアンナの方に上ってくるのを見て、一瞬身を隠すべきか悩んだ。
でももし、万が一にもあり得ないけど、その人影が彼だったら……。
必死でよじ登ってくる陰が、だんだんくっきりしてくる。アンナはサラちゃんの入ったランプをそっと掲げてみた。くすんだ金髪。まさか……。
明かりに気がついた人影は緊張しながらそちらを見上げた。目があった。
「ディ……」
思わず大声を上げそうになってアンナは口を押さえた。幸いなことに監視は気がつかなかったようだ。今度は慎重に小さな声で語りかける。
「ディル?」
人影はどんどん大きくなって、やがてアンナのいる窓までやって来て止まった。
「アンナ、良かった、会えないかと思った」
やはりディルだった。小声でアンナに語りかけたディルは、緊張と興奮で頬が紅潮している。
「何してるの、危ないでしょ」
アンナも小声でいう。
「大丈夫、ネットおじさんとヘレボア隊長さんも一緒だから」
「え?」
よく見るとディルの体には、伝っているロープ以外にもう一本のロープが括り付けられている。
窓から身を乗り出して見てみると、そのロープは屋根の出っ張りを起点として、ピンと下まで張られていた。
「ロープの端をおじさんとヘレボア隊長さんが持ってくれてるんだ」
「でも危ないよ」
アンナの心配をよそに、ディルは得意げに笑った。
「僕ね、崖登りが一番得意なんだ。家の裏で毎日やってるんだもん」
「そうなの?」
「うん」
まだどきどきする心臓を押さえながら、アンナはディルに尋ねた。
「何でこんなところにいるの?」
するとディルは再びにっこり笑った。
「僕、郵便配達の仕事を任されたんだ」
ディルの話によると、リラ、ヘレボア、ネットとの相談の結果、適任者のディルがこの一番危険な仕事を任せられたのだという。
「何でディルが引き受けたの?」
アンナの当然の疑問に、ディルは困ったように笑った。
「僕が頼んでやらせて貰ったんだよ」
「頼んだ? ディルが?」
ディルは小さく頷いた。
「リッツさんとフランツさんは僕をいじめっ子から助けてくれた。アンナは僕に色々教えてくれた。僕にも出来ることがあるって、初めて僕に教えてくれたんだよ。だから今度は僕が手助けしたかったんだ」
もう一つの理由は、彼以外の人がここに上ると、下で支える人間が足りなかったということだった。
「はい、アンナ。リッツさんから」
アンナは頷いて手紙を受け取った。リッツのあの意外に綺麗な字が書いてあった。
「ありがとう」
照れて笑うディルは、本来の目的を思い出して真剣にアンナに尋ねた。
「ところでアンナ、フランツさんはどこの部屋?」
アンナは窓の外に身を乗り出して、下を眺めた。
「う~んと、確かね、この下の階のむこうのはじっこだったよ」
聞いたディルは、にこやかに笑って、再びロープを伝い始めた。ハラハラしながら見ていたアンナだったが、数分後に彼は簡単にフランツの部屋にたどり着いてしまった。
「うわぁ、本当に上手だ」
きっとアンナがやったら即落ちるだろう。きっと人には取り柄というものが、生まれながらに一つは与えられているに違いない。
アンナのところからも、フランツの金髪が窓から覗いて、手紙を受け取っているのが見えた。これで安心だ。
ディルは数分後に、再びアンナのところにやって来て、アンナを励まし降りていった。
ディルが無事に地面に降りた頃に、上にからみついていたロープが生き物のようにクルクルと奇妙な動きを見せてのたうち、しばらくして落ちていった。
多分結びつけたのはヘレボアだろう。アンナには分からないが、特殊な結び方があるに違いない。
再び何事もなく静まりかえった邸内で、ほっとしたアンナは、手紙を開いた。サラちゃんランプがあるから、読むのは簡単だった。
『アンナへ
よくも人を子持ちにしやがったな。覚えてろよ』
「あれ、ばれてる?」
『まあこんな事はどうでもいい、決闘は明後日だ。多分お前は、人質として決闘会場に連れてこられる事になるだろう。その場合のお前の仕事は、治癒魔法を掛けることだ。それ以上も以下もない。言わなくとも分かっていると思うが、その治癒魔法は俺じゃなくてフランツに掛けろ。俺は全てが終わってから治して貰えばいい。
一応言っておくが、フランツは本気で俺に挑んでくるだろうと思う。俺も手加減はするが、もしかしたらフランツを怪我させるかもしれない。その場合はお芝居は中止だ。お前を解放するから速攻でフランツを治すんだ。じゃ、当日に リッツ』
「うっひゃ~、本当に決闘するんだ」
あまりにも責任重大だ。フランツが傷つくたびに治癒魔法をかける。
でも近づけないじゃないか。気がついて溜息が出た。
どうしよう……難しすぎる。
「でも、やってみないとならないよね」
アンナは決意を固めた。あの弱虫だったディルがここまで運んできてくれた手紙だ。アンナもそれに報いるほどの努力をしなければならない。
ともあれ、とらわれの身であるアンナには、現在できることが何もない。こうなったらアンナにできることはただ一つ。よく寝て、よく食べて、元気に当日を迎えることだけだろう。
「サラちゃん、お休みなさい」
一方、いじめられっこで弱虫のディルが壁を伝って手紙を届けに来たことに、今までの成り行きを知らないフランツはただひたすらびっくりした。
「作戦の仲間にして貰ったんです」
ディルはそういうと笑った。ヘレボアとネットがロープを握っている話も聞いた。でも彼がこうして変わった理由が分からない。
「アンナが教えてくれたから」
ディルはそれだけ言うと、手紙をフランツに渡してまた壁を伝い始めた。壁の終わりに来ると、今度はロープを上り始める。
やがて彼は一つの部屋の窓の前で止まった。屋根裏の部屋だ。見上げていたフランツは、そこがアンナの閉じこめられている部屋だと分かった。
ディルはその部屋の主としばらく会話をした後、下に降りていった。三つ編みの陰がちらりと見える。
アンナは無事なようだ。
フランツは安心して窓を閉めると、リッツの手紙を開いた。
『フランツへ
この間シグレットが乗り込んできた。あの男の話だと、お前は本気で戦わなければならない羽目に陥ってるらしいな。俺は怪しまれない程度に戦うつもりだ。そこで、お前に俺の剣を繰り出す方向を教えておくからな。
俺は、決まった順序で剣を繰り出すことにする。お前は避けろ。俺には本気で打ち込んで構わない。死なない自信は十二分にある』
「そうだろうね」
フランツ如きに殺されてくれるようなリッツではないだろう。
『必ずお前から見て右・右・左・右・左の順に俺の剣を避けろ。受け止めても構わない。それで合間合間に打ち込んでこい。
結果は必ず、引き分けにして、再戦。これしかない。これで査察官を待つ。他に方法が無い。
お前がどういう手を使うか分からないが、実はちょっと楽しみにしている。じゃ、会場で リッツ』
「なるほどこれなら僕にもよけられる……かな?」
どんな状況に陥っても、必ず冷静に避ける方向を覚えておかなければならない。だが、彼は熱くなると周りが見えないところがある。それは自覚している。
とにかく舞い上がらないように落ち着いて戦わなければならない。
「右・右・左・右・左……右・右・左・右・左……」
フランツは呪文のように唱えた。冷静に、そして落ち着いて。フランツは頭の中で段取りを繰り返しおさらいした。
まず、槍を伸ばしながら神経を集中させて付与魔法をかける。リッツが打ち込んできたら順によける。その間に打ち返せれば打ち返す。
打ち返しても、順番を忘れないように冷静でいなければならない。
「忘れたら……斬られる……」
一瞬ぞくっとしたが、忘れなければいいだけの話だと自分に言い聞かせた。窓の外の星空を眺めながら、フランツは明日一日は、付与魔法の練習と、順番を覚えることに費やさねばならないと、心に決めた。
彼はこんなところで折角作戦を考えてくれた仲間に、自分のミスで殺されるのだけはごめんだった。
翌日の一日を、お互いの思い思いの練習時間に費やした三人は、ついに勝負の日を迎える。