<8>
そんなことになっているとはつゆしらず、一人で決断せざるを得ない状況に追い込まれていたフランツは深いため息をついていた。
「用意か……」
フランツはぼんやりとベットに寝転がって、考え込んでいた。
暇でしょうがない。だからフランツの暇つぶし『リッツを何とか倒す方法』が結構完成に近づいてきてしまった。そのくらい暇だったのである。
時折この部屋を尋ねてくるシグレットは、準備には何が必要かや、いつ出かけられるのかと尋ねてくるが、フランツはその度に無愛想に『まだだ』と言い続けている。
彼がここに来てまだ一日しかたっていないのだから、そんなに急がなくてもと思うのだが、彼は彼なりにルサーンに先を越されたくないと、焦っているのだろう。
「どうしたらいいんだ、僕は」
リッツやアンナと話がしたい。せめて状況がどうなっているのか知りたい、このままで何とかする手段はあるのか、それが全く分からない。
心細さなど生まれてこの方感じなかったはずなのに、何故かこのときばかりは心細さを感じた。
二人がいることが、当たり前になりすぎていたのだろうか? 今までは、一人でいることが普通だったのに。
いい加減な手でも、行き当たりばったりでもいい。この状況を打破する何かを与えて欲しかった。だが無理な相談であることを彼は分かっている。分かっているが考えずにはいられない。
「はぁ……」
何度目かのため息をついて、フランツは気分を変えようと、窓に面しておいてある立派書斎机に腰掛け、頬杖をついた。
「晴れてるな……」
外に出られないせいか、外が天気なのが恨めしい。せめて雨か曇りなら、出られなくてよかったと負け惜しみを言って落ち着くのだが。
「はぁ……」
再びため息をついたその時、窓の外を水柱が通り過ぎた。
「水?」
フランツが首を傾げると、廊下がざわめきだした。この家にいる召使いやその他従業員がなにやらわめいて走り回っているのだ。
フランツはドアに耳を付けて召使い達の声を聞いた。口々に騒ぎ立てる声は、『竜』『水柱』『化け物』と叫んでいるようだった。
「竜……水柱……まさか!!」
フランツは慌てて窓に走り寄り、思い切り開いた。直後そこを水の竜が、横切っていく。
「水竜! 馬鹿アンナ……何やってるんだ」
呆れて口が利けない。こんなに派手なことやらかして、いったいどうするつもりだ。
必死でフランツは、屋敷の裏の林に目を凝らした。勿論水竜を操っている張本人、アンナを見つけるためだ。
「……いた」
だが大声を出して止めるわけにも行かない。いったいどうしたらいいんだろう……。
よく見るとアンナは一人ではないようだ。多分あれは宿屋の娘リラだ。旅もしたことのないような子供を巻き込むなんて、信じられない。
すると向こうでフランツに気がついたようだった。小さく手を振る。勿論フランツには振り返すことが出来ない。もしそんなところをシグレットのやつに見られでもしたら大変なのだ。
するとアンナは、唐突に水竜を呼び戻した。こんなにも目立っていたというのにだ。
「馬鹿っ! 呼び戻したりしたら居場所を教えてるようなものだろ!」
歯がゆさでフランツは、髪をグルグルかき回してしまった。竜を呼び出せるのは最高位の精霊使いだ。一国にも数人しかいないと言われている最高位の精霊使いが、どうしてこんなに馬鹿なんだろう。
フランツはこめかみを押さえる。何だか頭痛がしてきた。
だが騒動のさなかだというのに、何にも動じることなくこちらに向かってくる生き物を見て、フランツは頭を掻きむしることをやめた。
「サラ……」
そう、そこにいたのはサラマンダーのサラだった。小さい炎ながら、何かを咥えて歩いてきているのだから間違いない。サラがゆっくりフランツを見つけて、嬉しそうに歩いてきた。
「というと、水竜は陽動、こっちが本物ってことか」
考えたことは分かった。分かったが……
「やりすぎだ」
案の定、シグレットはすぐに操っていた人間の存在に気がついて、自分の部下達を差し向けた。当然のことながら、水竜が戻った林の中だ。シグレットの部下達が数人でアンナの方へと走り込んでいくのが見えた。
「逃げてくれアンナ、リラ」
フランツにできることと言えば小さく祈ることぐらいだ。だが当然ながら願いは叶わないようだった。あれだけ派手なことを下のだから、当然だろう。
必死で逃げ惑う子供に、大人が数人。どんどん大人の人数ばかりが増えていく。息を詰めてみていると、一人は捕まったようだった。
「……アンナの方だ」
リラではなくてほっとした反面、暗澹たる気分でフランツは頭を抱えた。
「どうするんだよ本当に」
そんなフランツの苦悩などどこ吹く風と、サラは器用に壁を上って彼の元へやって来た。
「フラきーっ、てがきーっ」
サラは異常に盛り上がっているが、フランツからすればもう頭痛しかしない事態だ。
「ありがとうサラ」
一応礼を言い、頭を抱えながらサラから手紙を受け取った。当然、手紙はリッツからで、今後の指示が書いてあった。だが問題がある。とてつもなく大きな問題が。手紙を開いてため息をつく。
アンナがシグレットの手に落ちた今、もうこの手紙、役に立たない。状況は全く変わってしまった。
アンナの派手な行動のお陰で、色々とシグレットに難癖をつけてサバティエリ夫人のところに行く日を延ばすのは無理だし、リッツが交渉して五日後に決闘を設定しても、掴まったアンナが何らかを白状してしまえば決闘に意味が無くなる。
というよりも、暴動が誘発されかねない。
このまま街の住民対街の住民で全面対決になったらどうするつもりだ……?
しかもここにサラが来てしまって、アンナが捕まったら、精霊使いはもういない。メッセンジャーになる人物など、もういないのだ。
いったいアンナはどうするつもりだろう。
本当はフランツには分かっていたのだ。アンナは何も考えていないであろう事に。
「……頭、痛い……」
フランツは再びこめかみを押さえた。
その頃あっさり掴まったアンナは、男たちに引き立てられていた。
「いたたたたっ痛いよ、放してよぉ」
大きく一つにまとめた三つ編みを引っ張られながらアンナは騒いだ。手は縄で括られてしまっていて自由にならない。三つ編みの根本を押さえれば相当痛くなくなるだろうが、それも許されなかった。
うっかり捕まってしまった。失敗だった。リラが恐怖で固まってしまったのがそもそもの失敗だったのだが、元を正せばアンナがこの場所にリラを連れてきたのが悪いのだ。
リラを逃がす前に、フランツの部屋のことを教えられたのだけはよかった。これでサラを連絡係に使えるだろう。
そう考えてアンナようやく気がついた。フランツが掴まってて、アンナが掴まったら、誰がサラを使えるんだろう?
初めてアンナは血の気が引いた。これって、アンナが掴まったら何の意味もないのだ。つまりはアンナが自分で作戦を潰したと言うことになる。
アンナは青ざめた。せめてなんとか状況を最悪にならないようにしないとならない。
頭をフル回転させて考える。とにかくここは誤魔化さなければ。でもウソを付くことになってしまう。だけど今は人助けのために頑張っているのだから、これは良い嘘だ。大丈夫、問題ない。
自分をそう納得させてから、アンナは問題を考え始めた。フランツはこの家から出ることが出来ない、連れ去られたぐらいだから、きっと誰かと会うことも禁じられているに違いない。
だとしたらアンナは、そんなフランツに会いに来たなんて言ったらいけないだろう。フランツが怒られたりひどい目に合うのは、年上の立場として非常に悪い。年上は年下を助けてあげなければいけないのだから。
そうすると、どうしたらいいんだろう。こんな風に人を偽る事なんて考えたこともないから、頭がプディングになりそうだ。
リッツなら、どうするだろう?
そう考えたとき、ふとアンナは今朝抱き上げてくれた時の、リッツの暖かな腕の中を思い出した。
まるでお養父さんみたいに、リッツの腕の中は暖かくて、そして安らげる。
お父さん?
アンナの頭に閃く物があった。
そうだ。リッツをお父さんにしよう。そうすればここに来たのは、フランツに会いに来たわけではなくなるかもしれない。そうすればフランツをひどい目に会わせないですむし、リッツなら多少ひどい目にあっても全然大丈夫な気がする。
リッツがお父さんだとするなら……どうしてアンナがここに? ルサーンに雇われた傭兵の娘がここにいる理由は何だろう。
考えろ、考えるんだアンナ。
焦りつつも自分に言い聞かせ、一生懸命考えに考えていると、不意にアンナを掴んでいた手が緩む。楽になったと思ったのもつかの間で、次の瞬間には突き飛ばされていた。
「痛いっ!」
アンナは、急に誰かの足下に投げ出されて転がった。床はふかふかの絨毯だが、勢いを付けられれば顔がこすれて痛い。
「ほぉ何者かと思えば、可愛い女の子じゃありませんか」
冷たい声に顔を上げると、目つきの悪い痩せぎすの男がアンナを見下ろしていた。
「……」
この男がシグレットだと、アンナは直感で分かった。リラの言葉を借りると、ひねくれている人ということだが、確かにそんな印象を受ける。いやいや、人を見た目で判断してはいけない。本当に悪い人などこの夜にはいないはずなんだから。
「女の子に乱暴したらいけないんだよ」
アンナが不平を口にしても、男は薄ら笑いを浮かべているだけだった。
「おい、客人を呼んでこい」
シグレットのひと言で、数人の男がでていった。客人とはおそらくフランツのことだろう。フランツがくるまでに何とか、フランツの仲間ではないと言い切るためのいいわけを考えなければならない。
シグレットは彼女を起きあがらせてさえくれなかったから、これ幸いに痛みを堪えるような顔で、アンナは頭を必死で動かした。
そして一つだけ思いついた。何とかフランツを巻き込まずに言い逃れる方法を。
「君は随分すごいものを操るね」
待っている間の暇つぶしか、シグレットが薄ら笑いを浮かべてアンナに語りかける。顔を上げると、馬鹿にしたような表情でシグレットはアンナを見下ろしている。
ディルのお母さんもこうやって脅そうとしているのだろうか。それは許せない。
「……」
「だんまりかい?」
アンナは転がされたままシグレットを睨みつけた。罪を憎んで人を憎まずがモットーのアンナだったが、この男に腹を立ててしまった。そんな自分に思わず心の中で懺悔する。
しばらく無言のにらみ合いが続いていたが、扉が開いたことでそれが中断した。
「連れてきました」
やはりフランツだった。男によって床に押しつけられているアンナの姿をみて、一瞬彼が息をのんだのが分かる。
「ほう、知り合いかね?」
シグレットが冷酷な笑みを浮かべた。無表情のフランツが、両拳をきつく握るのが分かった。表情を一瞬でも表に出してしまったことに後悔しているのだろう。声が出せるなら『ごめ~ん』といいたいところだが、言ったらますます怒られるだろう。
「こんな奴は、知らない」
フランツが固い声でそういった。だがシグレットは信じたりしない。
「やはり、ルサーンの息がかかっていたようだな。だが丁度いい、私の命令を聞かねばこの娘を痛い目に遭わせるが、どうだね?」
フランツは言葉に詰まった。突然の事態にフランツは混乱しているようだ。このままではフランツに危害が加わるかも知れない。アンナは小さく息を吸い、必死で考えたことを実行に移した。
転がされたままゴロゴロと蓑虫のように床を転がっていき、二人の間に割り込んだのだ。
「ちょっと待って!」
「! 何をしているんだ?」
唐突に割り込まれて、シグレットが焦っている。その顔を見つめながら紳士に語りかけた。
「違うよ」
「何?」
「フランツはこの街に、一緒に来ただけだもん」
「?」
突然アンナの言い出したことに、その場にいた全員の目がこちらを向く。こんな事をしたことがないから、緊張して心臓が口から出そうだ。
「違うよ、もう仲間じゃないから関係ないもん」
アンナも必死だ。自分のことで脅迫されてしまうなんて冗談ではない。
「ではお前は何のためにあんな事をした?」
やはり来たこの質問に、アンナは呼吸を整えた。ごめんさい女神様、嘘つきますと、心の中で謝ってから、眉を寄せるシグレットを睨みつけ、アンナは凛と相手の目を見た。
「決まってるでしょ、パパの邪魔をするやつの顔を見に来たの!」
「パパ?」
フランツまでもが声を上げた。その言葉に相当驚いたらしいが、アンナの必死の表情から何かに気が付いてくれたらしい。
ちなみにリッツのことをお父さんではなくパパといったのは、リラの影響である。その方がこの年頃の女の子っぽいかなと考えたのだ。
「ほう、パパとは?」
シグレットの冷たい視線にもめげずに、アンナは言った。
「私のパパはね、今ルサーンさんのところに雇われてるの、敵はおじさんだっていってたもん!」
必死のアンナの嘘に、シグレットは不審な表情を崩さぬまま、そして何かに納得したような顔で頷いた。思い当たることがあるらしい。これ以上のいいわけを考えていなかったから助かった。
「ふふふふ、まぁいい。フランツ君の友達でも、ルサーンのところに雇われた男の娘でもな。どちらにしても君は人質だ」
「……パパ、強いんだから! 本当に怒ったら、おじさんなんてあっさりやつけてくれるもん!」
リッツをパパと言い換えただけで、ほぼアンナは本気だ。嘘なんてこれっぽっちもついていない。リッツなら何とかしてくれると、アンナは心から信じている。
「……冗談を言っている顔ではないようだな」
シグレットはそう言うと、腹立たしげにアンナを見据えた。アンナも負けじとにらみ返す。悪いことをする人をアンナは許せない。
「まあよい。こんなスパイを送り込んでくる汚いルサーンとは、近いうちに決着を付けねばならんと思っていた。それが早まっただけだ」
「それならその子を解放してくれ。その子は争いには関係ないだろ」
絞り出すようなフランツの一言に、シグレットは薄笑いを浮かべた。
「娘を放すわけにはいかんな、フランツ。君の動揺は本物だった。この娘がルサーンの元にいる傭兵の娘だったとしても、君にとって大切な娘であることには変わりないらしいな」
「……アンナをどうする気だ」
知らないとは言えなくなったのか、フランツがアンナの名前を呼んだ。これでよかったのかアンナには分からないけれど、もう他にどうしようもない。
「ルサーンの奴と決着を付ける。宝の交渉はそれからだ。君には命をかけてあちらの男と戦って貰おう。私は乱暴が好きな方ではないが、もし負けたらこの娘の顔を、二目と見られぬようにしてやろう」
シグレットの言葉に、一人の男が懐からナイフを取り出して、アンナの顔に当てた。
「やめろ!」
いつも無表情のフランツが叫ぶ。動揺しているようだ。怖いけれど、申し訳ない気持ちが勝った。よくよく考えると、これってアンナのせいだし。
心の中で『ごめん、フランツ』と謝った。
アンナはリッツとフランツが本気で戦うことになれば、フランツが一瞬にして斬られてお終いだと分かっている。しかもここでアンナが掴まっているのだから、万が一のための土の矢も風の矢も使えない。
「戦うさ。僕が勝てばアンナを放すんだな」
「もちろんだ」
「その言葉に偽りはないな?」
「ないさ。どうだね?」
「フランツ……」
フランツは、アンナに黙ったまま深く頷いた。本当にリッツとフランツが戦うことになってしまった。
「ただし、相手は手強い。準備がいる。買いに行って欲しいものがある」
シグレットは唇の端を軽くあげて、頷いた。
一方、宿に帰ったリラは、父親ネットに抱きついて、泣きながら事の次第を語っていた。何が起こったのか最初は分からなかったネットが、事の次第を理解すると紙のように青ざめてしまった。
この決闘を仕組んだ首謀者三人ともが動けない状態になってしまったのだから、動揺して当たり前だ。
「リラ、本当か?」
ネットが何度確認して来たのに、リラは頷くことしかできない。しばらくの間パニックを起こして泣きじゃくってしまうと、少しだけ落ち着いてきた。
「喉渇いた……」
しゃくり上げながらボソッと呟くと、涙を拭き取る。落ち着かないと駄目だ。アンナは掴まる前に、もし何かあったら、リッツに伝えて欲しいといっていたのだ。
アンナとの約束は絶対に守らないと、アンナもアンナの大事な人たちも、ディルの母も大変なことになってしまう。
「はい」
リラは目の前に突き付けられた水を、反射的に受け取って飲み干す。
「はぁ~」
「落ち着いた?」
「うん。ありがと」
水をくれたのはネットではなく、ディルだった。少し青ざめていたものの、今までよりは格段に落ち着いた表情で、ディルはそこにいた。何だかちょっと頼もしく見えてしまう。
何故なら、父親のネットまだ完全に立ち直ったわけではない。こんな状況に置かれたことはなかったし、本来ならこれ以後もないはずだったのだから。
どうしたらいいか分からずにリラが再び考え込むと、ディルがきっぱりとした口調で言った。
「ヘレボア隊長に連絡した方がいいよね」
「ディル……」
驚いてディルを見ると、ディルは真っ直ぐにリラとネットを見ていた。
「アンナも動けないなら、僕が頑張らないとダメだよね」
驚いて見た二人の目に、いつもとは違う彼の表情が映った。彼は決意していながらも、心なしか声が震えていた。リラがよく見ると、彼の握りしめた拳もかすかに震えている。
だがディルは言葉を続けた。
「だって全部、僕のお母さんのためにやってくれてるんだもん。それなら危険なことだってやらなくちゃならないんだよ、きっと」
そういったディルに、リラは武器屋の二階で聞いたアンナの言葉を思い出す。もし危険だと禁じられていても、やらなければ後悔するときがある……。アンナはそういったのだ。
「僕は自分でお母さんを守りたい」
「ディル」
「だってお父さんが言ったんだ。男の子なんだから、お母さんを守ってあげろって」
言い切ったディルにリラも奮起した。きっと今が間違いなくその時だ。だから頑張るしかない。泣いてる場合じゃない。今度はリラとディルが頑張る番だ。だって元々三人はこの街のごたごたに巻き込まれただけで、当事者はファルディナに住む二人の方なのだから。
「でもディル、どうするの?」
リラが、尋ねると、ディルは自信を持って答えた。
「僕はね、喧嘩は強くないし、口だって巧くない。でも木登りとか山登りは得意なんだ」
リラしか友達のいない彼は、一人の時いつも自宅の裏にある山で遊んでいた。リラはその事を知っていた。商売をしていて他の子と遊ぶ時間が乏しいリラも、ディルと遊ぶことが多々あった。
彼の家は、裕福ではなかったので、彼の遊び道具は、おおよそ普通の子供の持たない物……家の倉庫にあったロープや古い鉈だったのだ。
そのせいか遊ぶことといったら、もっぱら山登りや木登り、崖登りなどに限定されてしまう。
でもそれがどうしたのだろう? 首を傾げていると、ディルはきっぱりと言い切った。
「僕はシグレットさんの家に忍び込む」
「え~!?」
「何だって?」
リラとネットは同時に驚きの声を上げてしまった。今まで臆病だとばかり思っていたディルの口から、そんな言葉が出るとは夢にも思わなかったのだ。
「待ってよディル、そんなの無茶だよ! あの家には怖い人たち沢山いるよ? 捕まったらどうなるか分かんないんだから!」
叫ぶようにいったリラの一言に、彼も一瞬怯んだが、しばらくしてまた顔を上げた。
「じゃあ、沢山砂袋を持っていくよ。小さいの。それで怖いやつの顔に向かって投げてやるんだ。僕石投げも得意だから」
リラが救いを求めてネットを見た。ネットは相変わらず戸惑った顔をするだけだった。
「アンナは、僕に何も出来ない子じゃないって言ってくれたんだ。それに助けて貰ったら今度はその人を助けるんだっていった。僕は行く」
まだかすかに震える声で、彼はそう決意を語った。リラにはもう何と言っていいのか分からない。それはネットも同じだろう。
「分かったよディル、俺も行こう」
ついに折れたネットが、そう言ってディルを見つめた。でもリラはそれを遮る。
「駄目だよ! リッツさんが、この宿が怪しいって思われないようにお父さんは普通に店を開けていて欲しいっていてたもん!」
「……そうか……」
ネットは考え込んでしまった。
「やはりディルの言うとおり、ヘレボア隊長に話をしておこう。ディルいいかい、もしも捕まってしまったら、こういうんだ『お母さんをいじめようとしたやつに仕返ししてやろうと思ったんだ』ってね」
訳が分からず首を傾げるディルとリラに、ネットは更に細くして説明した。
「もしもディルが捕まった二人の仲間だとばれたら、どうなる? 余計二人が追い込まれるだろ?」
ディルは小さく頷いた。リラも頷く。そうだ、そうなると三人にかえって迷惑をかけかねない。納得した二人を見て、ネットは説明を続けた。
「ディルがそう言えば、アンナちゃんやフランツ君の仲間だと思われずに出てこれるはずだ。もし出られなかったら、ヘレボア隊長にシグレットさんの家まで迎えに行って貰う」
「じゃあ、おじさん、僕行っていいの?」
話を聞き終えたディルが、ネットに恐る恐る尋ねると、ネットは真剣な顔で頷いた。
「俺はな、男には行かないといけないことがあるのをちゃんと分かっているぞ。リラの母ちゃんは、そういう男が大好きだった」
リラとディルは目を丸くした。
「お父さんもそういうことあったの?」
意外と気の小さい今の父親からは到底信じられないが、ネットは重々しく頷いた。
「勿論だ。逃げてはいけない戦いが、男には絶対にある」
それからネットはディルになにやら耳打ちした。するとディルはみるみる真っ赤になって、モジモジとうつむいた。
「男同士何を内緒話してるのよ」
何となくムッとしてリラが言うと、ネットは咳払いをして何事もなかったように話を続けた。
「いいか、忍び込むのはリッツ君が何か案を持ってきてくれてからだ」
「うん。分かってるよ」
「それまで時間がある。とりあえず忍び込む準備と、店の手伝いをしてくれ」
「うん」
素直に頷いたディルに満足したように、ネットは自分のつるつる頭をなで上げた。さっきの内緒話が気になるが、リラはそれをあえて聞く気にはなれなかった。
絶対にくだらないことに決まってる。
ようやく落ち着いたのか調理場に向かっていた、ネットが、ふと立ち止まった。そしていたずらを思いついた子供のようにニンマリと笑う。
「ディル、俺が爆弾袋をつくっておいてやる」
「ば、爆弾袋?」
驚くディルに、ネットは髭をしごきながらにやりと笑った。
「胡椒やらなにやら、とにかく辛い粉をたっぷりブレンドして袋に詰めるのさ」
「うん!」
ディルも、にっこりと微笑んだ。
「さぁ、今日はもう遅い、動くにしても明日じゃないとだめだ。今日はとにかく休もう」
「え~!」
思いがけないネットの言葉に、ディルとリラは不満そうに口を尖らせる。
「文句は聞かないぞぉ。さぁ飯を喰って寝よう。全て明日だ」
言われてみればリラはお腹が空いている。ディルを見ると彼もそうらしい。アンナのことは心配だが、慌てても仕方ないことも確かだ。商売人の娘リラは、ある言葉を思い出した。
『せっかちな大道芸人は上がりが少ない』
「うん。分かった」
力が抜けて椅子に座り込んだリラの肩に、ネットは手を置いた。
「大丈夫だよ。アンナはあのリッツくんとフランツくんの仲間さ。俺たちよりよっぽど強いんだから」
ネットの言葉にリラは大きくため息を付いた。
「そうだね。そうだったよね……」
「おう」
この日は、それぞれ不安と心配を抱えて、夜が更けていった。




