<7>
なんだかんだで、いつも通りよく寝てしまったアンナは目を覚まして首をかしげた。おかしい。大変でどうしようと思っていたはずなのに、明日リッツに相談すればいいやと思ったら、あっさりと眠れてしまったのだ。
孤児院時代は責任感ある世話係だったはずなのに、旅に出てからは何だかものすごくリッツに頼りっぱなしで、こんな事でいいのかなという気がしてきた。
トゥシルで薬草を取り戻す時にも思ったけれど、アンナはリッツやフランツの役に立ちたいのだ。なのにいつも失敗ばかりで、何だか上手くいかない。
立ち上がって窓のそとを見ると、隣の隊舎にはもう人がいた。協力して仕事をしているんだろうな、と思うと、何だか少し羨ましくなった。アンナはため息をつく。やっぱり一人は心細い。リラたちも友達だけど、仲間は特別だ。
無口で無愛想なフランツがいないのも寂しいけれど、でもヴィシヌからずっとアンナの面倒を見てくれているリッツがいないのはもっと寂しい。
「元気出せ、アンナ。世話役の私は、もっとしっかりしてたぞ!」
一人気合いを入れて、頬を両手でパチンと叩いた。とにかく今できることをするしかないのだ。
階下に降りると、目を異様にギラギラさせているリラがいた。緊張してよく眠れなかったらしい。この街にずっと住んでいるといっても、街の権力者の家に何て乗り込んだことがないのだから、当たり前だろう。
よく見れば、朝食にもろくに手を付けていない様子だった。これではアンナが動揺してなんていられない。落ち着いてリラを助けなければ。
こんなに神経を張りつめていては、駄目だよといってみたのだが、頷きはするものの簡単には緊張が消えないらしい。だがリラにはいて貰わないと困るので、家で休んでいてとも言えず、アンナは困ってしまった。
朝食を終えて一段落したところで、アンナとリラはネット達に見送られて宿を出た。
緊張でガチガチのリラを連れてこのままルサーンのところにいったら、何をしに来たのか怪しまれそうだ。何か落ち着かせる手は無いのだろうか?
アンナは、懐から『ユリスラ王国観光ガイド』を取り出した。観光が出来なくなった寂しさを、この本を持ち歩くことで紛らわせているのだ。
そういえばここにいい物が載っていた。
アンナはページを捲った。幾度も見たからよれているそのページには、沢山のレストランやカフェの事が描かれているのだ。
「ねぇねぇリラ、私まだ観光してないんだ。この本に載ってるこのカフェに行ってケーキ食べたいんだけど、先に行っとかない?」
アンナの緊張は食べ物でほぐれる。とにかく甘い物を一口食べると、ちょっと落ち着くのだ。だからもしかしたらリラもそうじゃないか、と考えたのである。
「でもアンナ、早く行かないとならないよね?」
リラは困惑した表情を浮かべたが、アンナの満面の笑顔を見て、小さく頷いた。何となく自分の緊張が良くないと理解してくれたようだ。
「よし、行こう!」
二人が歩いて向かったのは、ルサーンの屋敷から徒歩数分のところにある喫茶店だった。ガイドブックによると、ここのケーキと紅茶が美味しいらしい。特に花の蜜を使ったミルクティが、絶品とのことだった。
リラの緊張を解くためといったのに、いつの間にか本当にケーキが食べたくて仕方なくなるのだから、アンナの食い意地はかなり張っている。
店員は、二人の小さな客に怪訝そうな顔をしたが、きちんとテラス席へ案内してくれた。
「やっぱり甘いものが一番の活力源だよねぇ~」
すっかり夢中のアンナは、早速ケーキの盛り合わせを注文した。これなら、リラと二人で食べても十分ある。
朝食を食べた直後でも、ケーキは別腹なのだ。
フランツに貰った貴重なお金をこうやっておやつ代にしてしまうのはちょっと躊躇われるけれど、今日だけは大目に見て貰おう。これもフランツがよく口にする『必要経費』だ。
全て注文の品が出そろったところで、通りを眺めていたアンナがリラに話しかけた。
「この街広いね」
「そうかな、私はずっとここに住んでるから、そう考えたこともなかったな」
「そっかぁ」
「アンナはどんなところで育ったの?」
アンナは窓の外に広がる街の上の空を見上げた。離れていても空だけは代わらない。
懐かしくて思い出すと暖かいふるさとを、アンナは丁寧に話した。
山の果樹園のこと、村の外の牧場のこと、村人と収穫祭のこと、孤児院のこと等々……。
二人のおしゃべりは、ケーキを食べながらも続いた。リラは、しきりにヴィシヌを見てみたいと相づちを打っている。この街の中にいたら、きっと田舎の景色は珍しいものに聞こえるのだろう。
注文の品をすっかりお腹に納めてしまうと、リラはいつも通りの明るい表情を見せた。それを見てアンナは安心する。自分も含めた女の子の緊張を取るには、おしゃべりと甘いものが一番だ。
「さ、いこう、リラ」
アンナが手を差し出すと、リラは笑顔でアンナの手を握った。
「うん!」
ようやく本来の目的に戻った二人は、ルサーンの屋敷に向かって歩き出した。歩いてみて分かったのだが、彼女たちは本当にすぐ近くまで来ていた。
喫茶店の目の前から続いているのは、高さ三メートルはあろうかという煉瓦塀で、それを辿っていくと、正門があったのだ。となると、喫茶店の前から全てルサーンの家の壁が続いていたことになる。
「わぁ……」
門の目の前に立ったアンナは、言葉を失ってしまった。彼女の背の三倍はあるかという、青銅の門扉は、美しい細工がしてある格子戸で、所々金で彩られている。上の方がアーチ状にかたどられていて、中央で左右に分かれている。
門扉片方の幅もアンナとリラが手を繋がなければならないほど広い。
きっと扉を開けて馬車が出入りするんだろうな、ということぐらいアンナにも分かる大きさだ。その門の左右には、屈強そうな男が一人づつ立っている。きっと門番だろう。
そっと覗いてみると門越しに見える庭は、中央に噴水がでんと鎮座し、四方に煉瓦で出来た道が走っている。四つの分けられた区域は、全て違う花が咲き乱れており、そこだけ春満開といった風情である。
門のせいで奥の方までは見渡せないが、きっと奥まですごいのだろう。
「私が一生働いても、この門一つ買えないだろうな」
リラがやけに生活じみた感想を口にした。流石働く一二歳、現実的だ。現実を知らないけれど、貧乏暮らしなら負けないアンナもそう思っていたので頷いた。
トゥシルの村で、商人から全てのお金を貰っていれば、この門くらい買えるだけの金額になっただろう。
でもこんなものに大金をかけるという考えが、アンナには浮かばない。どうせ金をかけるなら、彼女は広くて立派な畑を購入する。
「……どうやって入るの?」
リラに聞かれて、アンナは考え込んだ。リッツが中にいて会いに来たのだから、堂々としていた方が変じゃない気がする。
「門番さんに声をかけよう」
それが一番手っ取り早い。
アンナはリラの目を見て頷き、手を繋いだ二人は槍を手にして直立不動で立つ門番の前に立った。
「すみません。『緑の森亭』です」
声を揃えてそう言うと、門番は目を丸くした。
「なんだい、お嬢ちゃんたち」
「『緑の森亭』のものです。私たち、昨日宿泊したお客さんの忘れ物を届けに来ました」
男達は一瞬、何をいわれているのか分からないように顔を見合わせたが、男の一人が深々と頷いた。
「ああ、傭兵さんの忘れ物か」
「はい、そうです!」
アンナが元気に頷くと、門番が手を差し伸べてきた。
「ありがとう、預かるよ」
「え、あ、ええっと……」
アンナは困ってしまった。何とか誤魔化さないとと思ったのだが、嘘をつくことをよしとしないアンナだからとっさの言い訳が何も思いつかないのだ。
軽く混乱するアンナの手が、不意にギュッと握りしめられた。見るとリラがアンナを見上げていた。リラはにっこりと微笑む。その表情には『私に任せて』と書かれている。アンナは黙って頷いた。
「おじさん、宿にはね『守秘義務』っていうのがあるの」
リラがきっぱりと言った。宿の守秘義務ってなんだろうと、アンナは首をかしげる。守秘義務ぐらいアンナだって知っている。孤児院の子の素性を誰にも話してはいけないということだ。
「守秘義務?」
「そう。お客様の忘れ物は、お客様ご本人にお渡ししないといけないんだから!」
じっと門番を見つめて宣言したリラに、アンナは感心してしまった。しっかりした子だなと思っていたけれど、本当にすごい。もしかしたらアンナより世間を知っているかも知れない。
「だからお客さんに会わせてください」
リラがそう言うとアンナを見上げた。
「ね?」
同意を求められてアンナは力強く頷く。
「うん!」
それから言葉のない門番を、アンナはじっと見つめた。リラも同じように見上げている。男達は困ったように顔を見合わせている。しばらくじっと見つめていると、ついに門番が折れた。
「分かったよ。『緑の森亭』だね?」
「はい!」
「ルサーンさんに頼んでみるから」
「お願いします!」
一人が奥に消え、もう一人はまた直立不動に戻った。アンナは小声でリラを褒めた。
「すごいね、リラ。難しいこと色々知ってるんだ」
「そんなことないよ。全部お父さんからの請け売り。宿屋だもん、お客さんのことをあんまり詮索できないんだ」
「そっかぁ……」
やはり毎日のように他人を相手に商売している人は違う。のんびりと毎日を暮らしていたアンナには、リラのように機転を利かせることなんて無理だ。リッツが言う嘘も方便が、ちょっとでも使えたらなと思うけれど、アンナには到底無理な気がする。
でもこれでリッツが出てくれば、万事解決だ。
しばらく待たされた後、先ほどの門番がやって来て通用門を開いてくれた。
「さあ、入っていいよ」
アンナとリラは顔を見合わせてにっこりと笑い合う。上手くいってよかった。
「あそこの扉まで行きなさい。傭兵さんが出てくるそうだよ」
「ありがとう」
頷き合うと、二人は豪邸の庭へ足を踏み入れた。外からは見えなかった庭の全貌が明らかになる。
「すごい庭……」
ため息混じりに呟いてしまった。するとリラが物知り顔で胸を張る。
「庭園っていうんだよ」
「庭園かぁ……」
「うん。街の高級ホテルには、庭付きのもあるよ。あっちの高台とかね」
リラが指さしたのは、少し先の高台だった。確かに立派な建物が建っている。
「あれ?」
「そう貴族の人とか、王族とかが泊まれるホテルだけどね」
「貴族と王族?」
アンナはどちらも会ったことがない。少なくともヴィシヌには来たこともない。
「早い話がお金持ちが泊まるホテルだよね。うちみたいな宿屋とは違うよ」
「……ふうん……」
じゃあきっとアンナたちには、一生関係ない場所だ。旅路は節約の連続だし、旅が終わってヴィシヌに戻ったとしても農業従事者だ。
アンナは改めて庭園を眺めた。あちこちに青銅の彫刻が立っている。大部分がスタイル抜群の女性の裸体像だ。綺麗だけどアンナには、こんなにスタイルのいい女性像は、別次元の人間に見える。
もう三十歳で人間でいえば十五歳のアンナは、どう考えても自分がああいう風にはならないことを、実感として分かっている。
ため息混じりに庭を見ていると、沢山の裸体像総てを従えるように神々しい輝きを放っていたのは、見事なまでに美しい女神像だった。
女神エネノア。この大陸を作り上げたという、全ての存在を司る太陽の女神だ。長くうねる金の髪、暖かな微笑みを浮かべる口元、そして柔らかく微笑む瞳。
「綺麗だねぇ……」
ため息混じりの二人は、女神像の前で庭園を見渡して立ちつくしてしまった。
「もっと時間をかけて見てみたいね」
リラの呟きに、アンナも頷く。庭木の手入れも行き届いており、全てが瑞々しい緑色に輝いている。建物がひしめき合っていた街の中で、ここだけが緑の匂いに満ちている。
「きっといっぱい庭師を雇ってるんだろうね」
リラがポツリとつぶやいた。やはり現実的なリラの言葉に、アンナは苦笑しながら頷く。リラはネットの後を継いで、素敵な宿屋さんになるんだろう。
思わずくすりと笑ってしまったアンナの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「アンナ、リラ」
「リッツ!」
正真正銘本物のリッツが、手をヒラヒラと振りつつ、玄関からこちらに向かってゆっくり歩いてきた。普段から背の大きい人だけど、今日はより一層大きく、頼りがいがある人物に見える。
下草を踏んで悠々と歩いてきたリッツは、二人の前で足を止めた。何だかちょっと会ってないだけなのに会えたことがすごく嬉しくて安心した。
「どうしたアンナ、妙な顔して」
リッツが苦笑している。どんな顔をしているのか自分では分からなくてリッツをじっと見つめる。するとリッツはいつものように明るい笑みを浮かべてアンナを見返してきた。
「俺がいい男で見とれてるのか?」
冗談交じりの言葉に、アンナは口を尖らせた。
「違うもん!」
「じゃあなんだ? お、分かったぞ。俺がいなくて寂しかったんだろう?」
そう言いながら細められたリッツの目に、緊張の糸がぷつりと切れた。アンナはリッツに歩み寄ると、リッツにギュッと抱きついた。
「アンナ?」
戸惑ったような声で尋ねられて、アンナはしがみついたまま告げる。
「ごめんなさい、リッツ」
「? 何が?」
なんと言ったらいいのか言葉が続かない。そんなアンナの状態を分かってくれたのか、リッツは優しくアンナを抱きしめ返して頭を撫でてくれた。
しばし言葉もなくリッツにしがみついていたのだが、アンナは小さく息をついた。少し落ち着いてきた。リッツ出会って一月も経っていないのに、こうしているとものすごく落ち着くのは何でだろう。
しばらく黙ってアンナを撫でてくれていたリッツが、やがて声を潜めて尋ねてきた。
「何かあったのか?」
言葉が出ずにコクコクと頷くと、それだけでリッツは何事かを察したようだった。
「お~い、この子達庭園が珍しいんだってよ、見せてやってもいいか?」
リッツが大声で誰かにそう尋ねた。すると落ち着いた老人の声がそれに答える。他にも誰かいたのだ。顔を上げると、建物の入り口に、見慣れない頭の禿げた男が立っていた。
「構いませんとも」
「サンキュ!」
男に軽く手を上げると、リッツがアンナの目線に合わせるために軽く膝を折る。
「離れないと歩けねえんだけど」
分かっているけれど、リッツから離れがたい。自分でも気がついていなかったけれど、リッツに会ったら分かった。アンナはとっても心細かったのだ。
それに申し訳なかった。自分がいてもどうすることも出来なかっただろうけれど、フランツをひとりぼっちにして、シグレットに連れ去られたことにも責任を感じていたのだ。
アンナは一人ではあまりに無力だ。リッツの顔を見てそれを実感する。
涙を堪えたら垂れてしまった鼻をグシグシとすすったアンナを、リッツは苦笑しながら、ひょいっと横抱きに抱き上げた。恥ずかしくて顔が上げられなくて、そのままリッツの胸に顔を埋めてしまう。
まるでリッツが本当にお父さんみたいに感じてしまって、恥ずかしいやら嬉しいやら、ちょっと複雑だ。
「ったく、父親気分だぜ」
リッツがおちゃらけてそう言って笑った。
「子供だろ、こいつ。な、リラ?」
リッツのからかうような言葉に、アンナは反論できない。こんな事をしているのは実に子供っぽいし、それにここへ入るのだって、リラがいなければ上手くいかなかっただろう。
でもリラは笑いながらも首を横に振った。
「そんなことないよ。アンナは格好いいもん」
「格好いい?」
「うん。私、アンナを尊敬しているよ」
そう言われると、何だか急に気恥ずかしくなってきた。リラは歩きながら、昨日のアンナの活躍をずいぶんと脚色しながら話した。笑顔で聞いていたリッツが、時折アンナをからかうけれど、そのお陰でかなり落ち着いてきた。
しばらく散策した後、リッツは大きなベンチに腰をかけ、アンナをそこに降ろして座らせてくれた。どのベンチからも美しい庭が目にはいるよう計算されているようだ。
「ありがとう、リッツ……」
ちょっと気恥ずかしくて顔が見られなかったのだが、リッツは肩をすくめて笑った。
「いいって。敵情視察してる俺に出来る事はこんぐらいだしな」
「このぐらいじゃないよ! すっごく落ち着いたもん!」
「そっか? そりゃあよかった」
リッツが笑いながらアンナの頭を叩いた。出会った時からリッツはこうしてアンナの頭を優しくポンポンとよく叩く。最初は子供扱いされているみたいだなと思ったけれど、今はその大きな手に落ち着かされている。
リラもベンチに座ったところで、ここまでの状況の情報交換が始まった。リッツの状況はおおむね上手く言っているようだ。だがフランツの状況を聞いてリッツは苦笑した。
「やっぱりなぁ……」
リッツが独り言のようにそう呟いた。でも厄介だとは思っていないような顔をしている。
「リッツ、落ち着いてるね」
「おう。フランツが連れて行かれるかもしれない確率は、五分五分だったからな」
「そうなの?」
「そ。あいつ、口が立たないからな」
どこまでも軽いリッツの口調に、アンナは落ち着きを取り戻してきた。どうやらリッツにとってそれは一大事ではないらしい。フランツのことにそれなりの責任をアンナは感じていたのだが、リッツにそういって貰うと、ホッと一安心だ。
アンナが顔を上げると、リッツは余裕たっぷりといった自信ありげな笑みを浮かべた。
「大丈夫、俺が何とかこっちの金持ちを動かしてみるさ。でも連絡を取れないのは不便だな」
そこでアンナは、武器屋の主人からもう燃えない紙を貰っていることと、ディルが仲間になって、一緒に働いてくれることも話した。これにはリッツも驚いたようだった。
「へぇ。良かったな」
「うん! しばらくリラのところに泊まるみたい」
「そうか。その方が安全かもな。なにせ正面には大佐がいるし」
リッツに言われて納得した。ディルの母もそれを分かってリラのところに行かせたのかも知れない。確かにこれ以上安全な場所は無いだろう。
「で、土地持ちはどんな奴だ?」
リッツに問われてアンナはリッツを見上げた。
「シグレットっていう名前でね、性格悪いってネットさんが言ってたよ。だよね、リラ」
「うん、すっごく目が怖いの。笑ってるのみたことがないよ」
リッツは頷くと、なにやら考え込んでいた。何だか分からないけれど真剣な表情だから、アンナは黙ってリッツの横顔を見上げる。こういう顔をしている時は、話しかけない方がいい。しばらくしてリッツは顔を上げて口を開いた。
「サラはフランツに手紙を持って行けるか?」
尋ねられたアンナは、考え込んでしまった。そういえば相手方の家に様子を見に行っていない。これでは分からない。
「見に行ってないから分からないや」
「そっか……」
リッツは再び考え込んでしまった。その姿を見ると、アンナは安心した。アンナがいくら考えても何も出てこないけど、リッツなら何とかしてくれそうな気がするのだ。
フランツから見るとリッツは行き当たりばったりの、出たとこまかせ男であるらしい。でもアンナから見ればリッツは、いつも頼りになる大きな存在だ。
「その燃えない紙持ってきてくれたか?」
「うん」
言われるまで当初の目的を忘れていた。アンナは急いでリッツに燃えない紙の束を渡した。
「これが半分だよ」
受け取った紙を眺めていたリッツが、アンナをまじまじと見つめた。
「これ、よく手に入ったなぁ。王都ぐらいでしか売ってないと思ったけど言ってみるもんだ」
「王都でしか売ってないの?」
リッツが燃えない紙を買ってきてくれと言ったのは、本当にあくまでも思いつきで、手にはいるとは思っても見なかったらしい。
「あの親父、ただもんじゃないぞ」
リッツの言葉に、あることを思い出したリラが口を開いた。
「リッツさん。そういえば武器屋のおじさん、ディルのお父さんのこと先生って呼んでたって」
「先生……燃えない紙……引っかかるな」
腕を組んでリッツが首を捻るが、しばらくして苦笑した。思い出せずに諦めたようだ。
「よし、今フランツへのメッセージを書くからな。アンナ、ペン持ってるか?」
「ない」
「だよなぁ~」
いつも通りの間抜けな会話を交わして、二人はため息をついた。
「あるよ」
「え?」
驚いて二人同時に声を上げリラを振り向いた。リラはニコニコ笑っている。
「だって、紙を持ってくならペンがいるでしょ?」
リラの手には小さなペン軸と、持ち運びようの小さなインク壺があった。
「さすが接客業。リラ、気が利くな」
リッツはそう言うと、リラの頭を撫でた。褒められたリラが照れくさそうに笑う。
「そんなことないよ」
照れるリラをほほえましく見ていると、矛先がこちらに向いた。
「アンナ、見習えよ」
「うん」
リッツにからかい口調で言われると、ちょっと気が利かなかった自分が悔しい。リラのように気がつく女の子になりたい。
「どうした?」
「何でもないよ」
慌ててアンナは笑顔を作った。そんなことでいじけている場合じゃない。だがリッツはそんなアンナに気がついたのか、アンナの頭もついでに撫でてくれ、リラに差し出されたペンを手にした。
「じゃあ、借りるな」
「はい」
受け取ったリッツは、流れるように素早く何かを書き込んでいく。アンナはリッツが文字を書くのをじっと見つめた。
ペンを持つ姿も、その滑るようになめらかな動きも、何だか妙にリッツっぽくない。いつもの適当でちょっと乱雑なリッツとは思えないような文字の書き方をするのだ。
しばらくしてリッツがようやく何かを書き上げて顔を上げた。
「まあ、こんなところでいいか」
書き上がった紙を、アンナとリラに渡す。
「読んでいいの?」
思わず尋ねたアンナにリッツが笑った。
「お前が内容知らなきゃしょうがないだろ、それにリラにも読んで貰って、二人でディルに説明する必要もあるしな」
言われてみればその通りだ。紙に目を落とすと、リッツの字は、文字を書くその姿同様に綺麗で、美しく整った字だった。思わずリッツの顔を見てしまう。この性格だしこの口調だから、この文字はまったく予想外だ。
「字が上手いんだねリッツ、意外~」
ちなみにフランツはものすごく字が汚い。他人が読むことを考えて書いたことがなかったから、仕方がないのかもしれない。
以前アンナは、記号のような字といって、彼にはたかれた事がある。
「うるせぇよ、さっさと読め」
照れたように頭を掻くリッツの横で、アンナとリラは手紙を読み始めた。
内容は、不思議だった。
『フランツへ
何だか、相手は手強いらしいな、とにかく粘れるだけ粘れ。まずこちらのことだが、御しやすい男だ。
こっちで何とか作戦に持ち込むようにしてみる。交渉ごとは、俺の担当だ。作戦決行の日は五日後にしておこうと思う。そうすれば戦うまでもなく査察官が来るだろう。
お前はとにかくなんだかんだ文句を付けて、サバティエリ夫人の元へ赴く時間を引き延ばせ。とにかく焦りを悟られるな。
それからもし、万が一にも査察官の到着が遅れて俺とお前が戦うことになったりした場合、査察官が来るまで引き延ばすことになる。引き分けの方法はそうなったときに考えて、サラで知らせる。
もしすぐにでもサバティエリ夫人の元に行く羽目になりそうなら、炎を上手く使って相手を脅迫するんだ。
それでも駄目なら、窓から炎を投げろ。アンナ達がそれをきっかけに俺の元へすぐ駆けつける。そうしたら、俺はすぐに作戦を決行する。そっちへ乗り込むからな。じゃ、健闘を祈る』
読み終わった二人は、リッツの顔を見上げた。
「作戦決行って?」
アンナが尋ねると、リッツは苦笑した。
「俺とフランツのお芝居をする日さ。派手に街人を集めて決闘騒ぎを起こす日」
「うまくいくの?」
リラが不安そうに口を挟んだ。
「上手く行くもなにも、そうやって街の連中を引きつけるだけで、実際には決闘なんて起こらないさ。五日もたちゃあ、嫌でも王都から査察官が来る。そういう仕組みになってんだ」
「そうしたらどうなるの?」
「査察官が、防衛部のヘレボアの元へ行く、ヘレボアが事情を説明して、ルサーンとシグレットの元に押しかける、俺たちが晴れて解放されるってことさ」
「……ふうん」
騒ぐだけ騒ぐけど、何も起こらないうちに査察官がやってきて総て片付くと、こういうことらしい。それならちょっと安心だ。
「じゃあ、窓から炎を投げろっていうのは?」
「多分、人が寝静まる時間には彼らは動かない、だから三人組で、順繰りにシグレットの屋敷を見張っていて欲しいんだ」
リッツの提案に、アンナ達は思わず黙ってしまった。アンナ、リラ、ディルの三人で出来るのだろうかと不安になったのだ。だが、リッツは真剣な顔で二人を見つめた。
「動けるのは、お前達三人だけだ。頼むぞ」
アンナとリラは、じっとリッツの目を見つめていたが、やがて決意したかのようにお互いの顔を見つめて頷いた。
「やってみる!」
「よし、頼んだぞ。それからネットさんには、通常通りに店を開けて貰ってくれ。ネットさんまで店を閉めて応援に来たりしたら、宿屋が怪しいっていう噂が立っちまう。そうなるとリラとディルも動けなくなるからな」
二人は真剣に頷いた。自信ありげなリッツの顔が、一瞬曇ったのをアンナは見た。もしかしたら何か不安要素があるのだろうか。
「リッツ……」
呼びかける声に、不安が混じってしまった。それを感じ取ったリッツが陽気な笑顔でアンナの頭をグリグリと撫でた。
「やって駄目なら力ずくでも活路を開く。大丈夫だ。どんなことになっても何とかなる。俺を信じろ」
リッツが何とかなるというなら、大丈夫なのだろう。アンナは心から信じ込んだ。アンナは一緒に旅を始めた時から、リッツを無条件に信頼している。
そのリッツに頭を引き寄せられた。リッツの手紙に気を取られているリラに気がつかれぬように、リッツが小声でアンナの耳元に囁いた。
「お前が一番年上だ。子供たちに危険が及ばないように、一応注意しておけよ」
そうだ。リラとディルがしっかりしていても、二人はまだ十二歳だ。三十歳のアンナがしっかりしていないといけない。
「……うん!」
「よし、いい子だ。頼んだぜ」
そういうとリッツはアンナの頭にまた手を置き、リラに気がつかれる前に離れた。リラにまで気を配っているようだ。やっぱりすごいなと、アンナは正直に感心した。
これで全部大丈夫、と思ったとき、あることに気がついた。まだ解決していない悩みが一つあった。
「フランツにどうやって手紙届けたらいいかな」
「あ……」
リッツが思い切り、しまったという顔をした。考えていなかったようだ。
「……どうすっかなぁ~」
三度考え込んでしまったリッツを見て、アンナは瞬間的に閃いた。その閃きをこっそり提案する。
「あのね、窓に面したほうの場所で、どかんと派手なことしたらフランツ、出てくるよね」
「……出てくるだろうな」
考え込んでいるリッツは、おざなりにアンナにそう言葉を返した。
「だよね、頑張るね!」
「おう……ってなにを?」
やっとアンナの言葉が耳に入って顔を上げたリッツに、アンナは笑顔で言った。
「じゃあ、私が見つからないように、派手なことしてフランツに手紙届けてみる!」
決意を込めてそう宣言して立ち上がると、アンナはリラに頷いて見せた。リラも立ち上がり二人は手を取った。
「お、おいアンナ?」
訳が分からず、二人を止めようとしたリッツに、アンナは力を込めて宣言する。
「私頑張る! また来るね!」
「アンナ、ちょっと待て! 何だ派手な事って!」
リッツが慌てて引き留めようとしたが、アンナとリラはすでに立ち上がって、手を振りながら全力で走り出していった。
「ありがとうございました!」
リッツがぼんやりしている間に、二人は門番にお礼を言って敷地から出ていってしまった。
「まったく、嵐のようなやつ……」
残されたリッツは、ため息をついて秋の高い空を仰いだ。まったくアンナときたら、怒濤のような少女だ。
でもあんな風に頼りない顔で涙ぐむのを、初めて見てしまった。あの表情は子供と違って、不安をじっと堪えられる大人の顔だ。きっと親公認の保護者であるリッツがいなければ、あの顔を表に出すこともしないのだろう。
思い出してみれば孤児院にいたときのアンナは、もっと大人びていたっけ。
いつもリッツの予想外の事を言い出すけれど、意外と色々なことに責任を感じているのだなと思うと、ほほえましい。
予想外のこと……?
自分の言葉から、ふと思いついてしまった。
まさか……派手な事をするって……。
「水竜か? はははは、まさかな……」
乾いた笑いを浮かべたリッツだったが、リッツは最近、アンナの考えが読めるようになってきたことに気がついている。
「おいおい、大丈夫なのか、アンナ」
リッツは額に手を当てた。だがしかし、リッツの当たって欲しくない予想はしっかり当たってしまったりするのである。




