<6>
そしてまた少し時間を遡る。
フランツを言いくるめて宿を出てきたアンナは、街の中程である人物と再会を果たしてた。いじめられっこのディルだ。
「ディル、その後はどう?」
リラの問いかけに、ディルは照れたように微笑んだ。苛められず、平穏に過ごしているようだ。おそらくいじめられっ子たちは、リッツに怒られたのが怖かったに違いない。仲間のアンナから見ても見上げてしまうような長身だし、あの大剣だ。きっと子供たちからすればリッツは未知の生き物に違いない。
「リラ達は、どこに行くの?」
ディルは、アンナの手にあるランプとリラを交互に眺めつつ、不思議そうに尋ねた。太陽の光がまた上りたてのこの時間にランプを持って歩いているのは、普通はおかしいだろう。リラがアンナの方を伺うように振り返る。
「アンナ、話してもいいかな?」
「勿論!」
アンナは笑顔で頷いた。そこでリラは周りをきょろきょろと見渡す。まるで何かの秘密ごっこをしているようで、ちょっと可愛い。リッツのように頼れる年上と一緒にいるとついつい子供返りしてしまうアンナだが、子供と一緒にいるとどうしても孤児院の世話役に戻ってしまう。
リラは二人をあまり人気のない広場の片隅に誘って、ベンチに座った。
「これで聞いてる人いないよね」
「いないね」
アンナも頷く。リラの中で彼女たちは今秘密の仕事の真っ最中なのだ。気分は特殊任務部隊である。そんな雰囲気に飲まれるように、ディルも周りの様子を窺った。
「あのね、実はね……」
声を潜めながら、リラがディルに耳打ちした。
「えーっ!」
「しーっ!」
リラは慌ててディルの口を塞いだ。塞がれたディルはリラを凝視し、次いでアンナの顔を、目を白黒させながら交互に見つめた。やっと解放されると、ディルは自然と小声になり、二人に尋ねる。
「シグレットさんとルサーンさんを騙すって、どうするの?」
「騙すわけじゃないよ、ちょっと懲らしめるだけ」
騙すという言葉を、アンナは笑顔で否定した。これは人助けだ。人を助ける嘘はいい嘘で、それを相互扶助というのだとリッツが言っていた。騙すなんてとんでもない。
リラは、アンナに代わってこの計画のことを小声で一生懸命話した。言葉が足りないところはアンナが付け足す。二人がかりで補いながら話すと不思議なぐらいあっさりと正しく話すことが出来た。
「そうなんだ……ありがとう」
ようやく納得したのか、ディルは少々面を食らいながら頷いた。まさか彼の母親が街の人々に狙われているなんて夢にも思っていなかったらしい。色々と細かいことに敏感な女の子と違って、男の子は回りの雰囲気に鈍感だ。
ディルは子供らしからぬ深い深いため息をついてから、膝に頬杖をついた。
「お母さん、お父さんが生きていた頃はこうじゃなかったんだよ。どうしてあんな風に冷たくなっちゃったんだろう」
「そうなの?」
まだ母親のことを聞いていなかったアンナは、身を乗り出した。
「そうだよ。お父さんが病気がちだったから、いつも家の中でにこにこして。お母さん声を出して笑うと、まるでお花が咲いたみたいにぱーっと家の中が明るくなるんだ」
「そうそう。私が遊びに行った時もそうだった。リーフパイ、凄く美味しかったよ」
「そっかあ」
となるとヒースが言っていたように、けちで偏屈な女性ではないらしい。やはり何らかの理由があるのだ。
「なのに家にいる間も、お母さん、笑わないんだ。どうしてだか分からない」
悲しそうなディルは、母親の変化に戸惑い、未だそれを受け入れられずにいるようだ。ならば彼は宝のことを知っているのだろうか。
「ディルはお母さんの隠している物が何だか知ってるの?」
よりいっそう声を潜めて尋ねたアンナに、ディルは困ったような顔で首を横に振った。
「知らないよ。僕にも教えてくれないんだ」
「そうか~」
落胆が声に出てしまったのか、ディルは慌てて言った。
「でも何か大事なものだと思うよ! だってお父さんが隠したんだもん」
「お父さん?」
リラが不思議そうに首を傾げた。彼の幼なじみのリラは、彼の父親を知っているようだった。
「ディルのお父さん、気むずかしそうだし、着ている服もボロボロだったし、宝物を隠しているようには見えなかったよ?」
「でもお父さんには秘密があった。お父さんは毎日夜食を食べた後、必ず洞窟に出かけて行ってたんだ」
「洞窟って、今宝物が隠されている洞窟?」
アンナが問うとディルは神妙に頷いた。彼の話によると、父親はディルの起きている時間に帰ってくることはほとんどなく、彼が朝目を覚ますと、すでに寝室で眠っていたと言うことだった。
「不思議だね、リラ」
「うん」
リラと頷き合う。いったい宝とは何なのか。ディルの両親の秘密って何なのか。ヒースが王都から査察団という人をたちを連れてくれば全て分かるのだろうか。でもそれが何なのか興味を持たずにはいられない。
かといって、悲しい思いをしている人の秘密を暴くなんて、聖職者の娘であるアンナにできるわけなどない。好奇心と聖職者の努め。秤にかけるとやはり聖職者の努めが勝つ。
「ところで、リラとアンナは何をしにいくの?」
ディルに尋ねられて、アンナ達はやっと本来の目的を思い出した。それと同時にいい考えを思いつく。
「そうだ、買い物に行くの! ディルも一緒に行こうよ」
もしディルがまたいじめられても離れてしまえば助けられないが、一緒に来れば助けられる。
面食らったような顔をしたディルに、畳みかけるようにリラがいった。
「だって話聞いちゃったじゃない。もう私たちは仲間だからね。それにディルのお母さんを助ける話だよ? 男の子のディルが一緒にお母さん助けてあげなきゃ駄目じゃない」
大人顔負けのリラの口調に、ディルはしばらくもじもじと悩んでいたが、やがて二人の視線から逃れられないのを感じ取ったのか、小さく頷いた。
「分かったよ、僕もいく」
それはディルにとって、かなり大きな決心だろう。普段はいじめられないかびくびくしているだけの彼が、たとえ女の子二人に無理矢理引っ張られてのこととはいえ、自ら何かを手伝う気になったのだ。
そんなわけで、単なる成り行きと、不幸な偶然によってこの計画の加担者がもう一人増えた。
三人は連れだって武器屋へ向かった。途中で街にいじめっ子がじろじろディルを見ていたが、あえてこちらに向かってくることはなかった。
リッツの威光だけではないその不思議な雰囲気に、小声でリラに尋ねてみた。
「ねぇ、私とリラがいるから来ないのかなぁ」
するとリラは真っ赤になって黙ってしまった。代わりにディルが答える。
「前にリラが、いじめっ子達を一人で伸しちゃったんだよ。すごかったよ。武道家みたいだった!」
ディルが自慢げに言う言葉に、リラは益々顔を赤くした。
「どうしてリラは恥ずかしそうなの?」
答えてくれそうにないリラには聞かずに、アンナはディルに尋ねた。
「その時ね、リラいじめっ子に一発顔に食らわされて、鼻血吹いたんだよ。それに気がつかないで戦ってたんだ。でもそれがみんなには怖かったみたい」
「もう! やめてよディル! 恥ずかしいでしょ!」
真っ赤な顔のリラは、思い切りディルを突き飛ばした。見事にディルが転がる。その見事な転げっぷりにアンナはつい吹き出してしまった。
だが、リラは真っ赤で目を潤ませている。いくら喧嘩に勝っても、公衆の面前で鼻血を吹いたことは、リラの純真な乙女心を大きく傷つけたようだ。
ここで泣かれたらまずい。アンナは孤児院時代に覚えた、泣きそうな子の気を逸らす技を使った。それは単純かもしれないが、大げさに感動することである。
「リラ……すごいね!」
アンナに単純に感動されてしまうと、一瞬きょとんとした後に、リラも照れて笑うしかなかった。
「えへへへへへへ……喧嘩ちょっと得意だから」
「すごいねぇ!」
アンナは今度は本心から感心した後に、ディルを見た。
「僕は弱虫で何も出来ないから」
見られて困ったような顔をする彼に、アンナは諭すように話しかけた。
「助けて貰ったら、今度は守ってあげなきゃ駄目なんだよ。だってディル男の子だもんね。私ね、いっつも怒られるけど、リッツもフランツも助けてくれるよ。だからね、私も二人を助けたいんだ」
それはリッツ達の前では語れない、アンナの本音だった。フランツはああだけど、結構真面目に考えてくれてるし、リッツはすぐに怒るけど、いつも父親のように優しい。
アンナはそんな二人が大好きだ。でも今まで一度も口に出したことがない。
だがアンナは、少なくともリッツだけは、口に出さずともそれを分かっているだろうと、何となく思っている。何故だかアンナは、リッツには色々な事が通じているといいなと思うのだ。
どうしてもフランツを弟にしか思えないから、年上のリッツに甘えているのだろうか。
そうこうしているうちに、三人は目的地の武器屋兼道具屋にたどり着いていた。
「入るよ?」
アンナが二人を振り返ると、二人も緊張の面持ちでこくりと頷いた。気分はまだまだ特殊部隊の人なのだろう。
「こんにちは~」
アンナが何の気負いもなく呑気にそういって扉を叩いた。
「開いとるよ」
こちらも何の疑問もない男の声を聞いてから、武器屋の扉をくぐる。
「わぁ……」
ヴィシヌの村にあった雑貨屋とは違って、どことなく物騒な物が多い店だ。
始めて入る店が物珍しく、アンナはあちらこちらを見渡した。重たそうな盾、古そうな金属の鎧があるかと思えば、旅人が来ているような軽装の防具もある。
剣に至っては、壁一面に天井から床までずらりと横向きに無数に掛けられていた。リッツが持っているように極端に巨大な大剣はないが、似たような形の剣があるし、昨日フランツがヘレボアに借りたレイピアも数種類ある。もちろん普通に駐留部隊の人たちが帯剣している剣もあった。
その隣の壁には、綺麗に数種類の弓が吊されていた。見た事もない形の巨大な物から、連射が可能な小さな物まで種類は限りなく多い。近くには大量のナイフが掛けられた一角もあった。
武器ばかりなのかと思えば、その片隅には何故か大量の花瓶が無造作に置かれていたり、ペン軸だけが数十本も突き刺さった瓶もある。よく見るとあちらこちらの武器に紛れて生活雑貨が紛れ込んでいた。弓矢の近くに糸の紬車が置いてあるのは、形状が近いからだろうか。
不意に視線を感じてそちらを見ると、中年から老年に差し掛かった男と目が合った。しばし見つめ合ってからようやく自分の役割と、この人物が誰なのかを思い出す。
「こんにちは。あの、欲しいものがあるんですけど」
武器屋の店主は、目を丸くした。
「ここは武器屋だよ?」
「はい。知ってます」
頷いてから、改めて自分たちのことを見てみる。そういえば一番年上に見えるアンナも十代半ば西か見えないだろうし、一緒に来た二人は十二歳。普通は武器屋に来るには異色だろう。きっと、こんな取り合わせの珍客は滅多にいないに違いない。
しかもそのうち一人が、あのいじめられっこディルなのである。
「ええっと……」
どう話をしようかと考えていると、店主が目を丸くした。
「おお、サバティエリさんとこの坊主じゃないか!」
「こんにちは、おじさん」
名指しされたディルはちょこんと頭を下げる。
「知り合い?」
「うん。お父さん、よくこの店で買い物してたから」
「そうなんだ~」
アンナはリラと同時に声を上げていた。武器やとディルにこんな繋がりがあったなんて思ってもみなかった。それにしても武器と道具の店でよく買い物するとは、やはり彼の父は謎が多い。
「今日はどうしたんだい、坊主に嬢ちゃん達」
ひとくくりにされてしまったアンナは、心の中で私年上なんですけど、と思っただけでやめておいた。いっても信じて貰えないのが関の山だ。旅に出てからそれは身に染みている。
それに若く見られる方が、何かと嬉しい。リッツみたいにガキ扱いは嫌だけど、三十代の人扱いされたら、やはり釈然としないだろう。複雑な女心である。
目の前の店主の視線を感じてアンナは我に返った。いけないいけない。ぼんやりしてしまった。
「あの、燃えない紙ありますか?」
アンナは思い切りストレートに尋ねた。
「は?」
店主は驚いたように目を見張っていたが、やがてゆっくりと、アンナが手に持つランプへと視線を移した。
「そのランプの火でかい?」
「はい」
店主はしばらく考え込んだ後、積み上げられたよく分からない荷物をかきわけ始めた。そこいら中に埃が舞い上がる。いったいどれだけ掃除していないのだろう。
「け、けむい」
三人が咳き込んでいるというのに、そんなことにお構いなしに店主は立ち上がった。
「う~ん、倉庫かもしれないな。来るかい?」
店主が指し示したのは、店の奥だった。リラとディルを見ると、行く気は満々のようだ。アンナも当然ここで断る気は無い。
「行きます」
「よし、今日は閉店だ」
そういうと店主は迷い無く店の外に『本日閉店』という札をつり下げてしまった。商売をこんなに簡単に休んでいいのだろうか。前にサラディオ商人を見ているアンナには不思議で仕方ない。
「いいんですか? 休みにしちゃって」
気遣うアンナに店主は笑った。
「お嬢ちゃんが気にすることはないさ。どうせ開けててもろくな客が来ねぇ店だ」
とすると、この前ここに来たリッツやフランツもろくな客じゃないのだろうか? そう思ったりしたが、聞かなかった。
店主は三人の心配もどこ吹く風と、すたすた奥へ入っていく。急いで後を追うと、店主は三人を促すでもなく、狭い階段を二階へ上がっていった。こんなにもあっさり人の家には行っていいのかなと逡巡したアンナに店主の声が振ってくる。
「こねぇと店んなかに置き去りにするぞ」
それも少し困る。アンナは二人を振り返る。二人も頷き帰した。こうなったら紙を貰うまで帰らないことにしよう。
「行きます!」
慌てて階段を駆け上がると、そこは主人の自宅らしかった。男一人の所帯らしく、生活する場所以外はとても散らばっていた。店主に呼ばれるまま足を踏み入れると、テーブルに大量のクッキーと窓の外で冷やされていた冷たいジュースを出してくれた。
「子供が遠慮するもんじゃないぞ」
分からないままに三人が席に着くと、店主はにやりと笑う。
「お前達はそこで菓子でも食って待ってな」
そう言い残すと、店主は軽快に三階へ上っていってしまった。三階というより、この作りだと屋根裏というのが正しいだろうか? どうやらそこが倉庫らしい。
取り残された三人は、訳が分からない顔でお互いを見つめていたが、やがてアンナは思いついた。
「そうか、あのおじさんきっと、私たちが店にいると目立っちゃうから二階に上げてくれたんだよ」
そういえばサバティエリ夫人を気遣って、ファルディナ駐留部隊に駆け込んでくれたのも、ここの店主だったとヘレボアに聞いている。
「もしかしておじさんとディルのお父さん、親しかったの?」
アンナが聞くと、ディルは少々考え込んでから頷いた。
「うん、友達と言うより、何だかおじさん、お父さんを尊敬しているみたいだった」
尊敬ってどういう事だろう? なおもディルは続ける。
「おじさん、お父さんのこと先生って呼んでた。お父さんは嫌がってたけど」
「先生?」
益々持って分からない。
「ディルのお父さんに何か教わってたのかなぁ」
アンナは首を傾げた。横を見てみるとリラも首を傾げている。
「街の人でディルのお父さんを先生なんて呼んでた人、他にいないよ」
「じゃあ、ここのおじさんにだけ先生だったんだね」
いったい武器屋の店主は何者で、ディルのお父さんは何者だったのだろう。聞けば聞くほど謎ばかりが現れる。しばらくの間、考え込みながら神妙にお菓子を食べていると、頭上から本当に突然、何かが崩れる大きな音がした。
その音は連鎖するようにしばらく続き、やがて怖いぐらいに静かになった。店主が歩く音さえしない。
「今の何かな?」
アンナは呟きながら腰を浮かせた。リラとディルも不安そうに顔を見合わせてアンナを見る。耳を澄ますも、やはり店主の気配を感じることはできない。
「おじさん、大丈夫かな」
不安そうなディルの呟きに、アンナは立ち上がった。
「行ってみよう!」
「そうだね!」
リラも元気に頷く。だがディルだけは反応が違った。
「でもここで待ってろって……」
ディルの困ったような声に、リラは口を尖らした。確かにディルの言い分も分かる。大人の言いつけには従った方がいい、ということは重々承知している。
だが、アンナは孤児院にいた時のように、そんな二人を諭すように言った。
「リラ、ディル、確かに言いつけを守る事って大切だよ。でもね、もしかしたら相手が大変なことになっているかもしれないってことあるよね?」
二人は顔を上げた。アンナ同様、店主を心配しているのがよく分かる。それでもやはり店主の言いつけを守った方がいいのか迷っているのである。
そんな二人にアンナは言葉を続けた。
「その時は、言いつけを守って相手をただ心配してるって方法と、怒られてもいいからとにかく助けに行くっていう方法があるの。私なら、後悔しないように助けに行きたいんだけど、どうかな?」
笑みを浮かべて見ると、二人は決意したように顔を上げた。
「行く!」
「じゃあ、行ってみよう!」
急いで階段を駆け上ると、開け放たれた扉からは、もうもうと埃の煙が流れ出していた。その煙はゆっくりとまるで粘りけのある液体のように階段を徐々に下っている。いったい何が起こったのだろう。
戸惑うアンナの耳に、微かに人が咳き込む音が聞こえた。間違いない、店主だ。
その部屋に入ろうとして、アンナの息が詰まる。埃が酷い。口元を袖で押さえながら、中へと声を掛けた。
「大丈夫ですか!」
アンナの声に誰からの返答もない。いや、微かに声が聞こえた。
「ごふっごほっ……嬢ちゃん達か……」
「おじさんどこ?」
声は聞こえたがこう埃がひどくては何も見えない。それに何かざらりとした物が目に入り涙が出てきた。これでは何がどうなったのか全く理解できない。
店主がどこにいるかだけ確認するためには、この埃を外に出す必要がある。埃を出すのならば、まず窓を開ける。掃除の常識だ。
「窓を開けてくる!」
呆然とする二人に言うなり、アンナは大きく息を吸って息を止め、光が漏れてくる方向を頼りにその部屋に突入した。
目が痛い。でもどうしようもない。目を瞑ったら、窓にたどり着けない。
明かりの高さを見る限り、そんなに高いところに窓はないようだ。
「アンナ!」
リラの叫び声が聞こえたが、この際店主を助ける方が先だ。それに返事をしたくても息を止めているから出来ない。やむを得ず無視させて貰う。
窓にたどり着いたものの、鍵がなかなか開かない。少しさび付いているのだ。苦しくなってきたがアンナは必死で息を止めて鍵と格闘し続けていた。
こんな時に力のあるリッツがいれば、と思ったりもしたが、そんな場合じゃないことは、よく分かっている。今は自分の力でこの状況を、何とかしなければならない。
必死で堅い錆びた鍵と格闘していると、誰かがアンナにとなりに立ち、鍵を開けるのを手伝い始めた。リラだろうと思ってアンナが横を見ると、そこにいたのは意外にもディルだった。ディルも真剣な顔で鍵を開けようと格闘している。
二人で協力してようやく鍵が開いた。呼吸の限界に来ているアンナは、必死で窓を全開にした。窓の外にすぐさま顔を出し、必死で肺の中に空気を取り込んだ。もう少し遅ければ、思い切り埃を吸ってしまっただろう。
窓を開けた効果はすぐに現れた。予想通り外の空気が流れ込み、埃が外へと逃げていく。もうもうと立ち上った埃が窓から流れていく光景に、街の人々が何事かと足を止めるが、それが火事による煙ではないと分かると、すぐに静かになった。
部屋の空気が澄んできて、ようやく呼吸が出来るようになったアンナは、店主の姿を探した。ゆっくりと霧のような埃が薄れて、ものの輪郭が見え始めた。
「おじさん!」
店主はうつぶせで、たくさんの大きな板のようなものの下敷きになっていた。アンナには分からないが、布と紙が貼られた巨大な板だった。
「おお、悪いな……挾まっちまった」
弱々しい声に、アンナはすぐ店主の下に駆けつけた。
「大丈夫ですか?」
「ああ。死んではおらんようだ。だが、腰から下がかなり痛む」
「そこが挟まってるんですね?」
「多分な」
「分かりました」
アンナが状況確認を終えて振り返ると、リラとディルは凍り付いたように動けなくなっていた。こんな風になった怪我人を見た事がないので、動揺しているのだろう。だがここでぼんやりしていられたら、助かる命が助からなくなる。
「二人とも、突っ立ってないで手伝う!」
動揺している時は、テキパキと指示をするしかない。村で事故があると、アントンはいつもの温和さを捨てて、毅然と振る舞う。それが人を救う道なのだとアンナはよくアントンに聞いていた。
アンナの必死の檄が通じたのか、二人は我に返りアンナの横にやってきた。
「アンナ、どうしたらいいの?」
不安そうなリラが店主の元に座り込む。彼女の目を見てきっぱりと指示を出す。
「ディルと一緒に長い棒があるか探して!」
リラとディルが、ようやく見つけ出したのは、古ぼけた剣だった。もうさびて抜けなくなっている。
「これしかないよ!」
「いいよ、十分」
アンナはその剣を板と床の隙間に差し込んだ。そしてその剣と床の間に、丁度転がっていた壺のようなものを挟んだ。剣は、斜め上を向いて固定された。
「リラとディルでその剣をゆっくりと下げていって」
アンナがやろうとしていることは、テコの原理を使ったものだ。リラがいち早くそれに気がついて、剣に両手をかけた。
「ディル、早く!」
リラにせかされてディルも剣に手をかける。
「せいのでいくよ」
「分かった」
ディルとリラが二人で剣に力を掛ける。
「アンナいくよ!」
「いつでもいいよ!」
「せ~の」
ぎりぎりと音を立てて、大きな板が少しづつ持ち上がった。思った以上にこの木の板は重たい。一瞬剣の強度が気になったが、持つと信じるしかない。
「もう少し! 頑張って二人とも!」
店主の両手を両手で掴み、アンナは力を込める二人を励ます。その声に押されるかのように、二人はなおも剣に力を込めた。
「くっ~アンナ、まだ?」
「もう少し! 頑張って!」
板と床の隙間が少しずつ開く。ふっと、店主の身体にかかる重みが消えた。その一瞬を狙って、アンナは、力を込めて店主を僅かな隙間から引きずり出す。少しずつではあるが、ずるずると店主の小柄とは言い難い体が板の下から抜け出してくる。埃のおかげか、滑りが良くて助かる。
でもまだ足りない。どこかが引っかかっている。
「だめ! もう少しあげて!」
引っ張りながら叫ぶアンナに答えるように、二人は力を込めて剣を押し続けた。
必死で引っ張るアンナの腕に、店主の体から引っかかりがとれ、軽くなった感触が伝わってきた。抜けそうだ。
「え~い、出て!」
アンナの気合いの一発で、ようやく店主の体が解放された。急に取れた引っかかりで、アンナは思い切り尻餅をついてしまった。
「アンナ!」
「大丈夫! 二人ともありがとう!」
痛む尻を気にせず、アンナは崩れてきても安全なところまで店主を引きずっていった
「放して大丈夫だよ」
アンナが声をかけると、二人は、力が抜けたように手を離した。ガラガラガラッと音を立てて、今まで持ち上がっていた板が倒れる。本当にぎりぎりの力で持ち上がっていたのだ。
「おじさん、大丈夫?」
リラとディルが息を切らせて店主の下に駆け寄ってきた。二人の声に店主は弱々しく笑う。顔色が悪く、ズボンの上から両足に血がにじんでいる。もしかしたら折れているかもしれない。
「アンナ! 僕を治したように治して!」
「勿論!」
ディルに言われなくても、アンナはそのつもりだった。リラも、すがるような目でアンナを見ている。
店主は苦痛に顔をゆがめている。痛みのため、三人の声も聞こえていない状態だ。だったら申し訳ないけれど、ちょっと治療させて貰おう。
アンナは迷い無く店主のズボンに手をかけた。
「え……?」
「リラ、ディル、反対の裾、引っ張って」
「え?」
「脱がさなきゃ怪我の具合が分かんないでしょ!」
「あ……」
リラとディルが愕然としている。だが迷っている時間は無い。それはアンナだって店主が命に関わりそうな怪我をしていなければ、立派な大人のズボンを下ろすなんて申し訳ないが、こうなれば仕方ない。二人もも決意したのか、ズボンの裾を手をかけた。三人で合図して一気にズボンをむしり取る。
怪我は主に太ももの上だった。大量の出血が見られる。傷口から覗く骨の部分は折れているが、見えている傷ならアンナの手当の範囲内だ。
アンナは静かに両手へ意識を集中させた。ほんのりと柔らかな冷たさが集まってくる。それを静かに店主の怪我へと当てた。
「癒しを司る水の精霊よ、この傷を癒し給え」
掌を包みこむ冷たい感覚のあと、やがてほんのりその冷たさが人の体温のような暖かい感覚に変わった。折れていた骨が繋がってから、上部の怪我を埋めていく作業だ。これはいつも使っている簡単な治癒魔法よりもかなり気を遣うし、神経を集中させねばならない。
どれぐらい怪我と睨み合っていたのか分からないが、気がつくと店主の皮膚は少しづつ元の色味を取り戻していた。そのままではいたたまれなくて、三人で急いでズボンを戻そうとすると、店主が気恥ずかしそうに顔を赤く染めながら立ち上がりつつズボンをはき直す。
やがて気を取り直して店主はアンナに向き直った。
「いや、すまないね、助けて貰って」
「いえ、いいんです」
照れるアンナに、店主が尋ねた。
「君は水の精霊使いだね?」
「はい」
はにかみながらアンナは答えた。精霊使いという言葉に、驚いていたのはリラとディルの方だった。
「精霊使いって、魔法が使えるんだよね!」
リラが感動したようにアンナを見つめる。
「うん、一応ね」
困ったアンナは、照れて頬を人差し指でぽりぽり掻いた。そういえばこの二人にそんな話をしていなかった。でもアンナからすればそんなに感動されることでもない。
「しかも君は見かけより年が上だね。経験がだいぶ豊富なようだ。いったい幾つなんだい?」
子供達と一緒に行動するんだから、それはいまいち感づかれたくなかったのだが仕方ない。アンナは人に物を聞かれたら嘘は付きたくない。
「はい。三十歳です」
「三十歳!」
リラとディルが驚いて大声を上げた。見た目は彼らよりもちょっとだけ上だ。なのに実際には彼ら二人の二倍以上年上なのだから、驚くのも当然だろう。
「たぶん人間以外の、何かの種族だと思うんだ」
照れ笑いしながら告白すると、二人はますます分からないといった顔をした。
「えっと、半分精霊族とか、そんなのが入ってるかもって……」
ぽかんとする二人に、アンナは益々困ってしまったが、すぐにリラが感動した声を上げた。
「すごい! すごいねアンナ! すごい友達出来ちゃった」
リラはアンナの年齢や種族にそんなに緊張することがないようだったので、安心した。
「いいんだよね、友達だもんね?」
「当たり前だよ」
ほっとすると、口元が綻んだ。せっかく仲良くなったのに、ここで距離を置かれてしまっては寂しい。
長く孤児院で育った彼女には、友達と呼べる子がいなかった。いつも保護者の立場に立っていたからだ。思えばリラは、初めて出来たアンナの友達なのである。
「すごいね」
面食らったようだが、ディルもどうやら態度を変えないでいてくれるらしい。一安心だ。
そうこうしているうちに、元通りに動ける店主は箱を持ってきた。
「はいよ、燃えない紙」
店主の差し出した箱を開けてみると、中には、少しだけ光を放っている薄い紙が入っていた。
「うわぁ……本当にあったんだ……」
普通の紙に見えるけれど、どうやって作られているんだろう。まったく分からない。
「ずっと奥の棚の上にあったからうっかり荷物を倒しちまって大変だったがな」
アンナは一枚を手にしてみた。軽い。薄布のような軽さだ。本当に燃えないのだろうか?
その考えが表情に出てしまったのか、店主はにやりと笑った。
「とにかく、わしの部屋に戻って、試してみようじゃないか。埃まみれだから着替えたいしな」
よくよく見ればアンナ達三人も埃まみれである。
「さあ、ジュースでも飲むか?」
親父は機嫌よさげに階下へ降りていった。リラもその後を追う。続こうとするディルをアンナは呼び止めた。怪訝そうな顔で振り向いたディルに、笑顔を向ける。
「ディル、僕は何も出来ないなんて、もう言っちゃ駄目だよ。だってディル私を助けてくれたし、おじさんを助けたんだからね」
ディルは顔に満面の笑みを浮かべた。初めて見る晴れ渡った笑顔だった。自分に自信を持てば、こういう顔をできるのだ。きっとディルもいい子に違いない。
「さ、ジュース飲みにいこ!」
「うん!」
二人もゆっくりと階段を降り始めた。
階下に降りて、体についた埃をはたいて人心地ついてから、アンナは紙に文字を書いた。
「実験中……だけでいいかな?」
独り言のように呟くと、アンナはそれをサラのランプに入れた。サラは食べ物の炎が入ってきたと思って喜んだが、紙だと知って不服そうな顔をした。
「サラちゃん、これね、手紙!」
「てがき~っ」
サラは何だか分からないくせに喜んでいる。初めて見るものは何でも興味津々なのだ。それ故にリッツとフランツからは、アンナとサラは似たもの同士扱いされている。
「それ、生き物なの?」
初めて声を発したサラに驚きながら、リラはランプを覗き込んだ。
「うん、炎の精霊で、サラマンダーって言うんだよ」
「だからサラちゃん?」
「そう!」
アンナがそっと手紙をランプの中に入れると、サラは体の割に小さな手で受け取った。
「てがきーっ、てがきーっ」
それが何だか、サラにもさっぱり分からないらしいが、サラは喜んでその手紙を持って振り回している。
「……本当に燃えないんだ」
サラがあんなにがっしりと掴んでいるのに、紙は煙一つあげなかった。
「すっごいね、おじさんこれいくら?」
買う気満々でアンナが財布をとりだした。フランツからは全所持金の三分の一を持たされているから、高くても手が出るのだ。
これはフランツに何かあって、お金が使えなくなった場合に備えて、彼女に分けられた分である。
フランツは全体の三分の二を持っているが、リッツは持っていない。リッツは金がなくても、自力で何とか出来るからいいと、自信満々だったからいいのだろう。
「おじさん、高い?」
財布の中を確認してからアンナが親父に尋ねると、店主は笑った。
「そりゃあ高いさ。その中の金じゃ、ちと足りん。これは特殊な紙でね。東国タルニエンから取り寄せた紙に、特殊な溶液を塗って干してある輸入品なんだよ」
「そんなぁ……」
ここまで来たリラとアンナは、がっかりしてテーブルにうつっぷしてしまった。燃えない紙はやはり魔法の品、そう簡単に庶民の手に入るものではないのだ。
「そうがっかりするな、大丈夫だ」
店主の言葉に、アンナとリラはテーブルから顔を上げた。
「君たちはわしの命の恩人だ。この紙をやろう」
思いもかけない店主の言葉に、アンナは目を瞠った。人助けは、アンナの趣味のようなものなのだ。なのにこんなに高いものを貰っては、何だかとても申し訳ない気がする。
「本当にいいんですか?」
恐る恐る聞くと、店主が楽しげに口元を緩めた。
「だが、一つだけ条件がある。この紙を持つ人物は、わしに決めさせて貰う」
アンナは、微笑んだ。そのくらいの条件なら全然問題ないだろう。だが意外にも店主がこの紙を託した相手は、アンナでもリラでもなかった。
店主は、真剣にディルに向き合った。
「この紙はお前に預けよう。お前は男だ。あのサバティエリ先生の血を引いた立派な男だ。君らが何をしようとしておるのかは知らん。でも一緒に頑張っておいで」
受け取ったディルは、緊張した面もちで頷いた。この紙を託された今、彼はもうアンナやリラの計画から無関係でいられないのだ。
「ディル、がんばろう!」
アンナとリラの励ましに、ディルははにかみながらも笑顔を作った。おどおどと落ち込んでいるよりもその方がずっといい。アンナは少し成長したディルの姿に喜びを感じた。もう彼は何も出来ない子ではない。人と協力して人を助けることが出来たのだ。
「僕頑張るよ、アンナ、リラ、おじさん!」
ディルの初めての決意表明だった。
お茶とお菓子を全部平らげてから、三人は武器屋の店主の下を辞した。
時刻はお昼。もうすぐ昼ご飯だ。
先ほど相談して、ディルはしばらく『緑の森亭』に泊まることになったので、武器屋を出た三人は、まっすぐにディルの家の前に来ていた。
「じゃあ、お母さんに頼んでくるね」
アンナ達を置いて、ディルが家に駆け込んでいく。きっともめるのだろうなと、アンナとリラは話しながら近くにあった石に腰掛けて待つ。だが予想に反して、待つことなくディルが家からかけ出てきた。
「しばらく泊まっててもいいって!」
嬉しそうにそういった彼の肩には、小さな鞄が一つ背負われていた。
「お母さんが、僕の荷物まとめてくれてたんだ」
それだけが不思議だ、と言わんばかりのディルだったが、アンナはディルの母親がどうして彼の荷物をまとめていたのか察した。
たぶん彼女は自分に危害を加えるべく動き始めた一団があることに気がついているのだろう。だから一人息子である彼を、安全なところに避難させようとしていたのかもしれない。
やっぱり優しい母親に違いない。
それとも他の理由があるのか?
気にはなるが、アンナは気になる全てを助けることなど出来ない。今彼女の手に抱えられるのは、たった一つの仕事だけなのだ。そのことはよくわかっていた。
とにかく彼女が今すべき事は、宿に戻ってフランツと一緒にリッツへの伝達事項と、行動開始日時を決めることだった。彼女の動き方次第で、ディルのお母さんが助かるのである。
「さ、宿に戻ろ」
アンナに促されて、ディルとリラも宿へ向かって歩き始めた。
ところが事態はアンナが想像するよりも遙かに早く動いてしまっていた。
宿に戻って開口一番にアンナは叫んでしまった。
「え~~~~」
いるはずの宿の中には、不機嫌なフランツの姿はなく、呆然としたネットが机にうつぶせているだけだったのだ。ネットによれば、フランツは土地持ちの家に連れて行かれたらしい。なんだか当初の予定とは大幅に違ってしまっている。
「何で? これからフランツと今後の対策を話し合う予定だったのに!」
「アンナちゃん、だからフランツ君が買い物行くの止めただろう?」
「うっ……」
確かにフランツが連れ去られたことに関して、アンナの責任も大きい。
「わ~ん、フランツ絶対怒ってるよぉ」
「いや、そうじゃなくて……何でディルが?」
荷物を抱えてきたディルの姿に、ネットは困惑気味だ。とりあえず、双方落ち着いてお茶でも飲んでから話をしようということになった。
「さあとりあえず落ち着こう」
ネットの入れたお茶を座って飲むと、四人は同時に大きく息を吐いた。
ようやく話を出来る状態になった。
「ええっと、まず買い物に出かけた話ね」
アンナとリラとディルは、三人で足りないところを補い合いながら、大体のことをネットに伝えた。
彼は店主が大きな板のようなものの下敷きになった下りで、流石に驚きを隠せないようだった。
「そうか、リラ、ディルよくやった! アンナちゃん、的確な指示のおかげで人助け出来た。ありがとう」
ネットの感動が収まるのを待って、ディルがこの宿に来たところまでまでを、相当な時間をかけてようやく話し終えた。
「そうか、分かった。しばらくうちにいたらいいぞ」
「ありがとう」
ディルが笑顔で頷く。店主を助けた一件以来、彼はアンナ達に、笑顔をちょくちょく見せるようになっていた。
「じゃあ、次はネットおじさんの番だよ。どうしてフランツは連れてかれちゃったの?」
アンナに向かって大きなため息をついてから、ネットは事の成り行きを話し始めた。
聞いていると、とてつもなくアンナは悪いことをした気分になってくる。やはりフランツがいったとおり、もう少し買い物を待つべきだったのだろうか?
でもアンナがいたからといって事態が好転したとは、とうてい思えない。聞いている限り、シグレットはアンナの手には全く負えないだろう。多分アンナがその場にいて、二人の話に口を挟んだりしたら、余計こじれていたに違いない。
「うん、分かった。私いなくて良かったかもしれないけど、多分私のせいだよねぇ」
頬杖をついて呟くアンナに、他の三人は黙り込んでしまった。どうもよろしくない。このままでは連絡の取りようがないから計画が頓挫してしまう。
「どうしたらいいかなぁ」
こんな時はいつもなら、リッツが何か案を出してくれるのだが、今はいない。適当に何かを言うだけのフランツもいない。
初めて置かれたこんな状況に、アンナは途方に暮れた。人の命が掛かっているかも知れないという状態なのに、何から手を付けていいものか……。
「アンナ、大丈夫?」
リラが心配そうに尋ねる。ふと周りを見ると、三人がアンナをじっと見つめているのに気がついた。どうやら考え事に没頭していたらしい。
「うん、大丈夫だよ。考えてただけ」
心細い。こんな事は初めてだ。ヴィシヌではアントンがいたし旅に出てからは、リッツがいた。アンナが迷うときいつも彼らは助言をくれる。
なのに一人で考えなければならないなんて、難しすぎる。
特に良い案も浮かばぬままだったが、アンナはふと聞いておいた方がいい事を思い出した。土地持ちと金持ち、どちらに行く方が仲間に会える確率が高いのだろう。
「おじさん、フランツを連れて行った方と、リッツがいった方のどっちがいい人?」
二人とも宝を巻き上げようとしている人なのだから、いい人もなにもあったものではないが、どちらがまだ隙があるか知りたかった。
「シグレットさんは、底意地が悪い。到底いい人とはいえないな。抜け目のなさではこの街一番さ。ルサーンさんは我が儘だけど、抜けてるなぁ」
「そっかぁ……」
それならルサーンの方にいる、リッツの方に会いやすいだろう。
「ええっと、リッツがこの宿に忘れ物をして、届けに来たっていえば、リッツに会わせてくれるかなぁ」
「う~ん……」
ネットはしばらく考えていたが、頷いた。
「アンナちゃん一人じゃ多分無理だな。リラが一緒なら何とかなるかもしれない」
アンナがリラを見ると、リラは真剣に頷いた。やる気は十分のようだ。
「じゃあ、とにかくリッツに会って話をするね! もしかしたら話せないかもしれないから、手紙も書いていくよ」
とりあえずこの全員で途方に暮れる状況は打破できた。後は実行に移すだけだ。
でっち上げる忘れ物は、燃えない紙に決定した。
リッツがかなり自由に振る舞えるなら会うことも可能だが、そうでない場合、これからの連絡をもっとも確実にとる方法は、手紙に託すしかない。
リッツが部屋の外に出ることが出来る状況なら、そこに向かってサラちゃんを放せば、手紙のやりとりが出来るだろう。
とりあえず手紙を書き終わり、支度が全て整ったのは、夜だった。これからいったのでは、いくら少女二人連れでも怪しまれるだろう。
はやる気持ちを抑えて、アンナは明日の朝までリッツに会いに行くのを延期することにした。多分一日二日で状況が変わることもないだろう。
「明日の朝、出発するよ。リラ、よろしくね!」
アンナの決定により、とりあえずこの日は休むことになった。
一人になると、張りつめていた気持ちが緩んで、大きなため息が出た。今まで自分がどれだけリッツやフランツに頼っていたかが分かる。
ベットに入ってからも、アンナ浅い眠りで何度か起きた。こんな事は生まれて初めてだ。
「何とか無事にすみますように。女神様、私たちをお導き下さい……」
今彼女に出来る精一杯は、祈ることだけだった。祈り終えると段々に眠くなってきて、知らず知らずのうちのアンナは眠りに落ちていた。




