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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
呑気者旅に出る。
2/224

リッツ・アルスターの場合<2>


 今から約二百八十年ほど前の話だ。

 二十歳になったカールは、光の一族の森を出て人間の世界を見に行こうと考えた。二十歳は人間の年なら大人といえるが、一族の見た目は人間の六、七歳でしかない。当然ながら見た目と同じく、カールの頭の中も幼い子供のままだった。

 長く生きていても、一族の中で子供として過ごしていれば、心身の成長は同じく緩やかなのである。

 生まれながらにして他種族に興味を示さない一族の中ではかなり珍しく、彼は好奇心の強い子供だった。噂話にしか効いたことのない人間に一度会って、話をしてみたいと彼は常々思っていた。大人たちの話だけではなくて、自分の目で確かめたかった。自分の目で見ないと納得できない頑固な一面を持った子供だったのだ。

 そんな彼の思いは、大人達はだけではなく、周りの子供達にも理解されなかった。彼はやがて少々変わった子供扱いされるようになっていき、友達も彼と少しづつ距離を開けるようになっていった。

 そんなある日、カールにとっては絶好のチャンスが訪れた。集落で神事が行われる前日の夜、大人達の目が子供から離れることが分かったのだ。

 カールは大人たちがいなくなってすぐに、考えを実行に移した。大人たちの隙を突いて、村を抜け出したのである。

 誰も彼を見とがめるものはなかった。子供達は眠りについていたし、大人達は長老の元に集っていた。今までにない興奮を胸に、誰もいない森を駆け抜ける。何度も通ったはずの道さえ全く知らない冒険の道へ続いているようで新鮮だった。

 そしてカールは自分でも気が付かないまま、シーデナの結界をくぐり抜け森を出た。

 集落に戻る方法を知らないまま。

 光の一族は百歳で成人してから森の入口の目印を教えて貰う。出る時は全く障害なく出られるが、入るためには目印を知らねばならない。カールはちょっとした冒険のつもりだったが、大変な大冒険になってしまった。

 ……月が綺麗な夜だった。

 森を出て目の前に広がる大草原を目にした時、初めて彼は一人でいる寂しさに気が付いた。心細くなって森に引き返した時には、もう手遅れだった。どんなに一族の集落へ入ろうとしても、森の中で迷うばかり。目印の木が彼には分からなかったし、もし分かったとしても、使い方を知らなかった。

 途方に暮れ、泣きながら歩き続けたカールは、何処をどう歩いたのか森に一番近い人間の家までたどり着いた。あまり長時間歩いたことのないカールの足は豆だらけで、もうここから他の場所へと歩き出すことは出来そうにない。

 その家の庭に入り扉の前に立ったが、なかなかノックをする勇気が出ない。大人達には人間の悪い話しか聞いていなかったから怖かったし、何をされるのか分からない不安が頭に渦巻いた。

 幾度も手を伸ばしては引っ込めることを繰り返しながら、カールは家を観察した。その家は広いけどボロボロ、見るからに古そうだった。だが人が住んでいない荒廃した雰囲気ではない。どこか暖かそうな印象を受けた。

 誰かが助けてくれるかもしれない、光の一族であっても意地悪しない人が住んでいるかもしれない、そう信じてカールは扉を叩いた。

 するとすぐに中から反応があった。玄関の明かりがパッと灯されて、中から大柄で朗らかな印象の女性が扉を開けたのだ。初めて見る人間にどう接したらいいか分からず、ただ震えているカールを玄関の中に入れ、彼女は大声で怒鳴った。

「全員起きな!」

 驚いて目を見開くカールの前に、ぞろぞろと眠そうな沢山の顔があらわれた。大柄な女性に促されるままおずおずと事情を話すと、彼を取り囲んでいた人々は一様に心配そうな顔をする。大人から聞いていたような恐ろしい人はそこにはいなかった。みんな親切そうな人ばかりだ。

 あの時の安心感を、たとえ何百年経とうと、忘れたことはない。

 彼らはメリート家といった。彼らの会話から、光の一族とは、家族という関係が少し違うのだとも分かった。

 それからはカールの想像とは全く違った方向で話がどんどん進んでいく。勿論いい方向にである。

 暖かいスープとパンが、すぐにカールの所に運ばれた。黙ったまま口に運ぶ。何時間も彷徨っていたのでお腹も空いていたことに、ようやく気が付いた。寂しさがカールの空腹さえも奪っていたのだ。気がつくと目の前に並んだ食事をむさぼるように口に運んでいた。人間の食べ物が一族の物とは違うかもしれないという、そんな恐れを思い出す暇も無かった。

 そんなカールを、メリート家一同は一緒のテーブルに全員が腰掛け、優しい目で見守ってくれた。そのせいか、夜中に押しかけて食事を食べさせて貰っているという、気まずい思いをした記憶は無い。

 食事を終えて一息ついたカールは、ようやく自分の状況を少しずつ彼らに伝えることができた。途切れ途切れに語られるカールのつたない話を聞いて、彼らは初めて彼が光の一族であることを知り、驚きはしたもののカールを差別したりしなかった。

 光の一族として育ち、人間を恐れていたカールはそれが不思議で仕方なかった。恐る恐る差別されない理由を尋ねたのだが、彼らは別に種族が違っても、子供は子供だろうと笑っただけだった。

 自分の感じた物をだけを信用する、噂や伝聞に左右されない。それがメリート家の掟なのだという。そこでカールは光の一族を人間たちは精霊族と呼んでいることを初めて知り、以後、一族を人間に倣ってそう呼ぶようになった。

 カールが全てを語り追えた時、もう東の空がうっすらと明るくなりかけていた。話の継ぎ目を失い、もう言うべき言葉も無いカールは途方に暮れた。これから自分はどうなるのか、どうしたらいいのか、全く見当が付かなかったからだ。

 そんな茫然自失状態のカールに、お人好しの父トマスは、心配そうに訊ねてきた。

「帰ることはできないのかい?」

「うん……」

「じゃあ行く当ては?」

 黙ったまま首を振ることしかできないカールに、トマスは笑顔を浮かべた。

「それじゃあ、帰れるまでうちの子として暮らすかい?」

「え?」

「貧乏な大家族だけど、君がよければここに居ていいんだよ」

 その言葉に一番面を食らったのはカールだった。困惑して他の面々の顔を見回してみても、他の家族もトマスと同じようにニコニコとしているだけなのだ。誰もカールの存在を疎ましがってなどいない。光の一族の子なのに、人間ではないのに。

 戸惑いつつしばらく考えた末、カールは遠慮しながら尋ねた。

「いいの? 僕シーデナの子だよ?」

 不安いっぱいのカールにトマスは柔らかな笑顔をつくり頷いた。。

「いっただろう? 人間だって精霊族だって子供であることに変わりない。子供には大人になるまで家族が必要さ。そうだろう、母さん?」

 問いかけられたサラは、太めの腹をポンと叩いて豪快に笑った。

「勿論さ。子供が一人増えようと二人増えようと、うちの貧乏は変わんないよ。ねぇみんな?」

 サラの言葉にどっと笑いが巻き起こる。

「そりゃそうだ。違いない」

 その時カールは、心から納得した。やはり人間を嫌ってるのは光の一族の方だった。他の人間はどうなのか知らないが、こんな人間もいる。やはり自分の目で見ないと、真実は分からない。

「僕は、ここにいていいの?」

「いいさ。これからは、ここが君の家だ」

 それからカールは、メリート家の一員となった。本名はカール・アルスターであるが、これ以後カール・A・メリートを名乗り、人間として暮らすことになったのである。

 メリート家は、親子三代十人家族で、祖父、祖母、父トマス、母サラ、そして六人もの子供達で構成された大家族だった。そこにカールが入り、十一人目の家族になったのである。

 これがカールの養い家族、メリート家との出会いだった。こうしてカールは、森に帰れるまでとの約束で、メリート家の子供として育てられた。まさか八十年も帰れないとは思いもよらずに。

 カールがメリート家の人間になってから、平和な時が静かに流れていった。光の一族の集落にいたときには全く経験したことがないことも沢山あったから、全てが新鮮だった。

 トマスに手を引かれて訪れた沢山の人で溢れる市場、広い牧草地に放された牛を追いかけること、畑を作って作物を育てること。全てが楽しく珍しい。

 時には近くも村の子から貰われっ子だと、いじめられることもあったが、そんな時は決まって兄や姉が助けてくれた。本当の兄弟のように優しくて心強かった。こんな暖かい場所で過ごせることが、カールには嬉しくて幸せだった。

 本当の父や母を思い出さなかったといえば嘘になる。だが精霊族の両親は、日々を思索にくれる典型的な一族の人たちで、人間のような温かな交流に欠けていたから、すぐにその存在が、夢か幻のようにその存在が遠くなるのを感じた。元々精霊族には馴染めない子供だったから、人間に馴染むのは苦でもなかったのだ。

 だが時がたつのは早く、思っていたよりも人間は成長するのが早かった。

 当時見た目が幼かったカールは、下から三人目の兄弟とされた。下に弟と妹が出来たのだ。だが瞬く間に年下の妹や弟に追い抜かれてしまった。

 一番上の兄はあっという間に結婚してしまったし、姉は家を出てしまった。一番下の妹は、一歳になったばかりだったのに、気が付いたらカールの年を追い越していた。

 だがカールは幼い子供のままだった。小さかった妹が彼より遙かに年上の姿になり、幼い外見の彼をお兄ちゃんと呼ぶ。不思議で、切ない光景だった。

 人間とは何と生き急ぐ生き物だろう……。

 この家に来て三十年後トマスが死に、それから五年後、サラが死んだ。兄弟達はみんな立派な大人になったが、カールだけは、一人少年のままだった。兄や姉、妹や弟は優しかった。誰も彼の見た目のに何も言わなかったし、妹たちはお兄ちゃんと呼んで敬ってくれていた。

 一人苦悩する中で、時は無情に過ぎていく。

 やがて兄たちが白髪となり、そして年を経ていなくなっていった。ひしひしと孤独の影が忍び寄ってくる中で、気が付くと八十年の月日が流れていた。二十の年で森をさまよい出てしまったカールは、百歳となり、いつの間にか精霊族の成人を迎えていた。

 草原の中の一軒家だったメリート家は、いつの間にか数十件の家が建つ、小さな小さな集落になっていた。住んでいるのはみな、メリート家に連なる親戚たちだった。周辺の小さな集落から妻を迎えたり、移住してきたりと、時間の流れの中でメリート家はやがてメリートという名の集落に育っていたのだ。

 人も、集落さえも見違えるほどに成長するというのにカールはようやく少年から青年になったくらいの年だった。だが兄弟達の大半が逝き、残ったのは一番下の妹エリだけだった。彼女はカールが来た時、一歳過ぎたくらいだった。

 そしてそのエリも彼を置いて逝こうとしている。

「カール兄さん、結局森に帰らなかったんだね」

 命の火が燃え尽きそうな妹の、枕元に座っていたカールは、その声でハッと目を上げた。今まで意識の無かったエリの声だった。

 やはり月の綺麗な夜だった。

 彼女の娘と孫は眠っていた。変わりにカールが看病していたのだ。

「エリ……気分はどうだい?」

 泣きたいのを必死でこらえていると、そんな当たり前のことしか聞くことが出来ない。そんな自分がカールはとてつもなく歯がゆく、情けなかった。

「気分はだいぶいいわ」

 外はよく晴れていて、窓の外を見た兄妹の目に冴え冴えと輝く月が見えた。

「兄さんありがとうね。これからも私の子供達、孫達を遠くからでいいから見守ってね」

「……エリ……」

「兄さんはもう森に帰らないといけないわ。だってこんなに辛そうなんですもの」

 悲しげなエリの言葉に、カールはエリの手を取って絞り出すように叫んだ。笑っていようと思ったのに、それにも限界があったのだ。

「辛くなんてない! 僕はみんなと一緒で幸せだよ。いっぱいいっぱいみんなの子供達がいるじゃないか、だから……だから僕は大丈夫だ!」

 苦しそうな息の下で、エリはありがとうと呟いて目を閉じた。そのまま独り言のような小さい声で呟いた言葉を聞き取ろうと、エリの口元に耳を寄せる。

「ごめんなさい、兄さんだけを残してみんな逝ってしまって……私ももう駄目みたい……」

「駄目って、そんな気弱なこと言うなよ」

 声が震える。何となくカールには分かった。これがお別れなのだと。

「ありがとう、兄さん」

 そのままエリは大きく息をひとつはいた。

「エリ?」

 答えがカールの耳に聞こえることは二度となかった。

「……エリ!」

 彼女はメリート一家が待つ天へと還っていってしまった。もう動くことのない妹に縋って、カールは森から迷い出たあの時のように、一人になってしまったことを悟った。

 カールの大声で駆けつけたエリの家族が、後ろで泣き崩れているのを背中全部で感じる。カールはそっとその部屋から離れ、家族のために席を空けた。もうここにはいられない。これ以上の哀しみを背負うことは出来そうにない。

 エリの最後の言葉を噛みしめて、彼は一人シーデナの森に入った。たった一人で、カールは声をあげていつまでも泣き続けた。彼の場所は、もうあの家のどこにもなかった。

 何日か泣き暮らした後、彼は耳元で不思議な声を聞いた。懐かしいような暖かい声だった。幻のようなその声は、カールを精霊族の森の入口まで導き、その入口を示した。それこそは彼が八十年もの長きに渡って忘れていた、精霊の声だったのだ。そして彼はようやく、ふるさとに帰ることが出来たのである。

 光の一族の森は、彼が出ていった八十年前と全く変わることがなくそこに存在していた。彼を迎えたのも、森を出てしまった時と全く変わることのない姿をしていた両親だった。懐かしさを感じたのも一瞬で、すぐそれは彼の中に違和感を感じさせた。

 カールの中の時計は、もう巻き戻すことが出来ないくらい進んでしまっていた。本当の両親の人間に対する嫌悪、多種族への閉鎖的な気持ちを、もう彼は理解できなくなってしまったのだ。

 よく遊んだ友達も、村の人々も……彼にとっては全員が理解できない他人(ヽヽ)でしかなかった。村人達も人間と長く暮らした彼を、もう仲間としては受け入れがたくなっていたのだろう。だから彼に人間との交渉役と、森に迷い込んできた人間を外に帰す役を与えた。彼も甘んじてそれを受け、一族の集落からかなり離れた、森の入口の湖畔に自分の居を構え、住むことになった。

 その方が、メリート家の子孫に会いに行くにも都合が良かったし、光の一族と無駄な軋轢を生むことがないから正直、楽だった。

 それにカールは孤独ではなかった。メリート集落では、エリの家族たちから暖かく迎え入れられて、カールはそこで集落を守護する精霊使いとして暮らすことができた。

 人間としてのカールと、光の一族としてのカール。

 結婚し、リッツが生まれてからもその生活は続き、アルスター家は、年の半分はこの湖畔で、半分はメリートの村で暮らしていた。二つの立場の生活がその時から始まったのだ。

 それから二百年。今も彼のその立場に変わりはない。



 長い話が終わってから、再び二人の間に沈黙が降りた。父親の過ごした長い日々を、リッツは同じような悩みを抱えて、だが違う生き方をしようとしている。それがどんな結果をもたらすのかは、全く分からない。

「俺、外では親父から見れば嫌なことして生きてた」

 カールを見るでもなく、リッツはポツリと呟いた。同じように湖に反射する月明かりを見たままカールが答える。

「君のことは新聞で読んで知ってたよ。それに僕もシエラも君が森に入った時点で分かった。君からは血の匂いがする」

「……ああ、そっか」

「それに大剣背負ってるじゃないか。分からない方がどうかと思うけどね」

「そりゃそうだ」

 リッツは小さく息をついた。自分の過去を恥じたり、後悔したりしない。だが、この平和そのものの森の中では自分は場違いな気がした。

 ひたすらに養ってくれた家族の幸せを見守り続けたカール。それに反して戦乱を生き、その後も傭兵なんて仕事をして戦場を駆けたリッツ。親子だというのに、何と違う人生だろう。同じように外の世界に出ただけなのに。

 自分は、これからどう生きるのか、何をすべきなのか、それが未だ分からずにリッツは暗闇で手探りしている状態だ。恐ろしい勢いで流れていく人間との時間の中で、どうやってこれから先も生きていける、何かを見つけ出せばいいのか、それを考えると未来は途方もなくて、戸惑うばかりだ。

 そんなリッツの方へ向き直り、カールは真剣な眼差しで息子を見つめた。その目に思わず圧倒される。

「僕は八十年という時間を人間の世界で過ごした。それは楽しく、かけがえのない時間だったけどその分辛い記憶も多い。だがリッツ、君は僕よりも長く、そして辛い時間を過ごすことになるのかもしれない」

「……」

 彼は初めて、リッツに父親として語っていた。 

「それでも後悔することがないように生きて欲しいと思うんだよ。きっと君が帰って来たのは、何か重い荷をその肩に乗せてしまったからだろう?」

「そう……かもしれない」

 過ぎてゆく時間取り残される自分への疑問。それは重い荷なのか、足かせなのか。

 リッツは立ち上がって大きく伸びをし、深呼吸した。きっと、その答えはまだでない。ここで悩んでいても仕方ないだろう。答えは外の世界のどこかにあるかもしれない。まだまだ先が見えない未来ではあるが、リッツの世界観を変え、生きることが楽になるような何かを見つけることが出来るかも知れない。

「俺さ、今度はのんびりと旅しようと思ってんだよ。今までは流されるままに駆け足で過ごしてたから、何にも見えてなかった気がするし。目的もなくこの国を歩くのもいいかなって。それに……会いたい人たちもいることだし」

「それがいいさ」

 カールは座っていた岩の上で豪快に大あくびをした。そう言えば随分時間が過ぎている。

「おっといけない、こんなに遅くなったらシエラが心配するぞ。そろそろ帰ろう」

「俺はもう少しいるよ」

「そうか。じゃ、風邪引くなよ」

 カールはのんびりと立ち上がり、リッツの肩を叩いた。

「いいかいリッツ、これだけは忘れるな。時間が君を置いていったとしても、この森には君の時間が流れているんだ」

「……俺の時間?」

 不思議な風が心の中に吹いた。自分が場違いだと思ったこの場所に、自分の時間が流れている?

「そうさ。僕とシエラはこの永遠にも近い時間を、ここで過ごしている。そして君は僕らの息子だ」

「親父……」

「別に何を忘れたって構わないさ。でもそれだけは忘れないでくれよ」

 もう一度肩を叩くと、一瞬寒そうに肩をすくめてからカールは帰途についた。その姿が見えなくなってからリッツは力が抜けたように再び座り込み、月の冴え渡る空を見つめた。

 まだ帰るところがある、自分は取り残されていない。その事が分かっただけでも、帰ってきたかいがあったと言うものだろう。自分には何も無いのではないか、空っぽなのではないかと、空虚な気持ちになりそうなリッツに、父親はそれを伝えたかったのだろう。

 リッツは師であった男の墓で拾った不思議な球体を取りだして、見つめた。この珠は確かにリッツへこう言った。

『……答えを探せ。お前の答えを……』と。

 その珠が何のためにあるものかは分からない。だがリッツの所へ、自らの意志でやって来たことは間違いなさそうだった。

「答えが見つかったら……もう一度墓参り行くかな。ま、何十年後になるかわからねえけど」

 そう晴れやかな口調で呟くと、リッツは立ち上がった。だいぶ遅くなった。そろそろ家に帰らなくては。

 新しく旅立つまでの数日間だけ、同じ時間を生きる家族と共に過ごす家に。


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