<8>
あくる朝、アンナは窓に何かがこつんこつんと当たる音で目を覚ました。
「何の音ぉ……」
寝ぼけまなこで呟いてから、ようやく自分が今いる場所に気が付いた。
「あ、ベットだ」
昨日は自分で歩いて帰った記憶がない。覚えている最後の記憶は、気を張って周りが見えなかったフランツの肩を叩いたところだ。どうやらあそこで倒れてしまったらしい。
そういえば、あの時は、無性に眠たかったような気がする。
それなのに時刻は夕方をとっくに通り過ぎて翌朝。まだまた空白の時間が出来てしまった。その上ここは『女神のてのひら亭』のベットの上だ。
ということは、またリッツに運んで貰ったらしい。我が儘に下ろせとか手伝うとか言ったくせに、最後は結局リッツに助けて貰っているなんて、口だけもいいところだ。
しかも悔しいことに美味しいフェリアの食事を一食、食べそびれている。
「駄目だなぁ、私」
これではリッツに、またお荷物だと思われてしまうかも知れない。役に立ちたいと思っているのに、何だか上手くいかない。
とはいえ、今は心身共にかなりすっきりしているし、昨日のように力が出ないということもない。きっとよく眠ったからだろう。やはり睡眠は何にも勝る。
手足を軽く動かしてみると、昨日は微かに残っていた、あの痺れるような感触が消えている。持ち上げてみても全く固いところがない。毒はもう体内に残っていないようだ。
これで本当に動けるようになった。役に立つなら、今日からだ。
ベットの中でこっそり気合いを入れていると、再び窓を叩く音が聞こえた。この音で目が醒めたのを思い出し、音の正体を探ろうと部屋を見渡す。
まず目に入ったのは、隣で死んだように爆睡しているフランツだった。慣れないことをやったものだから、大変だっただろうなと思う。もしアンナだけじゃなくてフランツまで倒れていたら、リッツはどうしたんだろう。大変だったろう。
いくら力持ちでも、アンナとフランツ二人を抱えるのは重労働だ。
「リッツ平気かなぁ……」
独り言を言うと、フランツを起こさないように慎重にベットから抜け出したそっと忍び足で窓に近寄る。これから始まる冬への支度なのか、重たいカーテンが掛かっていて、未だ部屋は薄暗い。アンナはそのカーテンを両手で開いた。
眩しい朝の光が、レースのカーテン越しに室内に溢れる。
「わぁ……眩しい……」
思わず眼を細めたアンナは、レースのカーテンがゆらゆらと揺れていることに気がついた。窓はきっちりと閉まっているのに、そのカーテンは風に揺れているみたいだ。
注意してみると、そのカーテンの中で何かが動いている事に気がついた。それがガラスにぶつかって、先ほどからの物音を立てているのだ。
その小さなものが動く度に、カーテンが風吹かれたように揺れている。小さなものは、外に出ようと何度もガラスに体当たりを繰り返しているらしい。
アンナはその正体に気がついた。
「エアリアル!」
アンナはレースのカーテンも引き開けた。そこには、透明な薄緑に輝く、エアリアルの姿があった。朝の光に解けて消えそうな透き通った体は、触れられそうで触れられない。だけど、指先はエアリアルに触れると微かな風を感じる。
エアリアルはアンナの目の前で、くるりと輪を描いて宙を舞った。小さなつむじ風が、アンナの前髪を揺らす。
「わぁ、元気になったんだね!」
こんな風に間近でエアリアルを見る事なんてそうそう無い。エアリアルは元来自由気ままな風の精霊で、アンナも遠くから見守ることはあっても、近づくことなど出来ないのだ。
エアリアルよりも上級のシルフに至っては、近づく事すら出来ない。風の精霊は水の精霊使いのアンナにとって、そういう存在なのだ。
アンナのことをじっと透明な瞳を見開いていたエアリアルだったが、やがてアンナを見て何かを語りかけてきた。
「エアリアル、たすけた、あなた、いいひと」
そよ風のようなささやきがたどたどしく、そうアンナに告げる。どうやら昨日助けた事を覚えていてくれたらしい。
「いい人なんて照れるなぁ~」
アンナは照れくさくて笑ってしまった。
精霊たちには人間の精霊使いによって階級が定められていて、エアリアルは下位に属する。ちなみに人間の三歳児ぐらいの知能と言われているらしい。数も数えられず、基本的にひとつ、ふたつ、いっぱいというように認識する。
そんな精霊でも、アンナはまともに会話が出来る。だてに孤児院の子供の世話をしてきた訳じゃない。言葉を覚えたての幼子とも会話が出来るのが、自慢なのだ。
「うっ……眩しい……」
今まで爆睡中だったフランツがうめき声を上げた。彼はあまり寝起きが良くない。寝起きはいつもにまして仏頂面で、不機嫌だ。
「アンナ、カーテン開けるときは一言いって……」
起きあがる気力もなく、ただ不機嫌に髪をかきむしり、抗議するフランツの声など、アンナの耳には入らない。
「フランツ! ねぇねぇ、エアリアル元気になったよ!」
アンナは不機嫌なフランツのベットに飛び乗った。不機嫌丸出しでフランツが毛布を被ってしまった。
「フランツ、フランツってば!」
どうしても元気になった精霊を見て欲しくて、ベットの上に乗って、フランツの寝間着の首元を掴んで揺すぶった。
「起きてるよ」
思い切り低い声で、フランツが唸った。それから、むっくりと起きあがる。顔には不機嫌の三文字しかない。でも精霊が元気になったことを確認して喜べるのはフランツしかいないから、フランツに見て欲しいのだ。
「フランツ、エアリアルがね、元気になったよ! 見て見て!」
興味を示さないフランツに、多少やきもきして、襟首を掴んだままの揺さぶった。フランツの首と頭がががくがくと揺れる。
「アンナ、とにかく放して……」
呻きながらフランツにそういわれたから素直に放し、アンナは今度はフランツの布団を思いっきりめくりあげた。これで完璧に目覚めるに違いない。
アンナの考えは見事に当たり、フランツはようやくベットの上に座り込んだ。だがこちらを見るでもなく、呻きながら額を抑えている。
「フランツ、エアリアルがね!」
喜び勇んでそういうと、フランツがそんなアンナを制して小声で言った。
「リッツを呼んできなよ……」
「あ、そうだね!」
すっかり忘れてた。精霊が見えないからと、この場に呼ばないのは間違いだ。この喜びをちゃんとリッツにも伝えなければならない。何しろリッツのアドバイス無しでは、エアリアルを救えなかったのだから。
「じゃあ起こしてくるね!」
フランツにそう告げると同時に、アンナは部屋を飛び出した。そのままの勢いで隣の部屋の扉を思い切り開け放つ。
「ん? なんだぁ……」
その騒音で目を覚ましたらしいリッツが、寝ぼけたような低い声で呻くが、布団を顔まで引き上げてしまった。
リッツは旅路では異常に寝起きがよくて、いつ寝ていつ起きているのかアンナには分からないぐらいなのだが、教会にいた時や宿に泊まっている時は、妙に寝起きが悪い。
「おはようってば、リッツ!」
なかなかベットから出ようとしないリッツに、アンナは勢いよく飛び乗った。
「うぇっ! お前!」
リッツが焦ったように叫んだ。何だかすごく驚かせてしまったみたいだ。でも嬉しいことがあったのだから、早く報告しなくては。
布団越しにリッツに跨がって、ぴょんぴょんと跳びはねる。昨日死にかけていたエアリアルが元気になっているのだ、こんなに嬉しいことはない。
「おはようリッツ! あのね、エアリアルがね、エアリアルがね!」
アンナがそう勢い込んで話し始めると、リッツが布団から顔を出して、不機嫌な顔で怒鳴った。
「どこに乗ってるんだお前は!」
「え? お腹だよ?」
「お前、朝に男の部屋にはいるときは、飛び乗るなって、前に言っただろう!」
「あ、そうだったね。えへへ。忘れてた」
「お前な……しかも人の上で何をしてるんだよ」
「え? 何って?」
「……いいか、言っておくぞ。女の子が寝起きの男の上に寝間着で馬乗りになって、はしゃぐんじゃない。妙な誤解をされても知らねえぞ」
「誤解?」
何のことかさっぱり分からない。首をかしげると、リッツは深い深いため息をついて呟いた。
「お子ちゃまにはわからねえか」
「お子様通り越してお子ちゃまってひどいよ!」
「だーもうっ! とにかくそれははしたないからやめろ。いいな?」
「?……うん」
「そんで俺を起こすときは普通に声をかけろ。俺はフランツじゃねえからちゃんと起きる」
リッツは跨がったままのアンナをベットの上に転がすと、そのままベットから出て着替え始めた。着替えるリッツの後ろ姿を見ながらアンナはしみじみと呟いてしまった。
「リッツって、やっぱりお父さんみたい」
その一言にリッツはがっくりとうなだれた。その丸まった背中が更に年を感じさせる。
「だから、お父さんはやめろ。すっげえ年喰った気になるんだよ」
「えへへ。ごめん」
ぶつぶつと文句を言いながらも、リッツはいつものごとく素早く支度をして、アンナと共に部屋に来てくれた。そこ時にはすでにフランツも着替えている。
支度が出来ていないのは、一人で騒いでいたアンナだけという本末転倒な事になった。
「支度をしてから呼びに来い。女の子だろ」
寝間着のままで、しかも髪の毛も下ろしたままというアンナに、リッツはしみじみと説教をする。
いくらアントンにアンナを頼まれたからって、そんなに子供扱いしなくてもな、と内心思ったけれど、孤児院の子がもし自分と同じ事をしたら、アンナは絶対に怒るだろう。
よくよく考えたら自分が悪い。大慌てで部屋の片隅に行って着替えた。リッツとフランツはそんなアンナに目もくれず、エアリアルを眺めている。やがて支度が出来たアンナは、二人の元に駆け寄った。フランツを見上げているエアリアルがくるりと舞うと、カーテンが揺れる。
本当に元気になったみたいだ。
「よかったね、エアリアル。本当に元気だ」
アンナがエアリアルに笑いかけると、エアリアルは再びくるりと舞った。カーテンがふわりと揺れる。
「げんき」
「心配したんだよ」
アンナがエアリアルと会話をしていると、ベットサイドの椅子を引き寄せて腰を下ろしたリッツが、小さくため息を付いた。
「水竜とか火竜なら見えるんだがな」
その残念そうな口調に気が付いて、リッツを振り返り、じっとその目を見つめてしまった。そのダークブラウンの瞳は、少し寂しげだ。そういえばリッツは精霊力を全く持たない精霊族なのだ。
「エアリアルは全然駄目?」
「気配すら感じないな。精霊を見ることが出来ない奴にとって風の精霊は、いないのと同じなんだ」
「そうなの?」
「ああ。精霊力を持たない俺たちは、風が吹いていることを、風を感じることや、木々が揺れていること、そしてその音で気がつく。風を見る事は出来ない」
「……うん」
アンナは風が強く吹くとき、その中にシルフやエアリアルが混じって、吹き荒れる風の先頭に立って舞っているのを見る事がある。当然普通に吹く風に精霊がいないことだってあるけれど、それでも生命の息吹を感じ取れた。
「水竜や火竜、土竜なんかは、俺の目にも見える。実体を伴っているからな。でも実体の伴っていな精霊は俺には見えない」
「うん」
確かに水竜は水、火竜は炎の塊だ。他の竜にはまだ遭遇したことがないけれど、リッツが言うように土の竜なら見えるだろう。
「精霊を見えない奴からするとシルフが満ちて暴れているとしても、風が強いぐらいの認識しかない」
「そうなんだ」
精霊が見えて普通のアンナには、見えないというリッツの視界の方が不思議なぐらいだ。だけどリッツは精霊が見えないことに何らかの寂しさがあるのだろうか。
少し気になったが、リッツの目を見返したとき、そこにはあの微かに漂っていた寂しげな気配は微塵もなかった。アンナの気のせいだったのだろうか。
「悪い。エアリアルとの話を続けてくれ」
無駄話をしたといった顔で、リッツは苦笑しながら肩をすくめてアンナを促した。素直にその言葉に従う。
「あのね、エアリアルはどこからきたの?」
「山」
「山かぁ……山っていってもいっぱいあるよぉ?」
「山、たかい、たかい、たかい山」
「そっかぁ……山かぁ」
なかなか前に進まない会話に痺れを切らしたのか、フランツがアンナと質問者の役を交替した。
「君は何故この村にきたんだい?」
エアリアルは首を傾げた。
「なかま、いっぱいつれてこられた、エアリアル、きたくなかった」
「どうやって連れてこられたの?」
「びんにいれられた、エアリアル、こわい、にげられない」
「何だ? 何を言ってるんだ?」
リッツに聞かれたフランツが、口を開いた。
「瓶に入れられて、山からここへ連れてこられたらしい」
「瓶に詰められて……?」
「ああ」
「なるほど、村長が言っていた、男たちがいちいち杭に乗せていたと言う瓶がそれか」
「おそらく」
「つうことは、男たちはシアーズから来たってのは嘘だな。シアーズにある山は、それなりに高いが、かなり高い山じゃない」
「そうなの?」
「ああ。高い山なら、たぶん中央山脈だろうよ。山脈から吹き下ろす風は日によって結構強い。ここから街道を歩いて山岳地域に向かえばエアリアルを捕らえるのは可能だろうな」
リッツの言う中央山脈は、ヴィシヌの更に先、シーデナの森のある場所よりも北にそびえる巨大な山脈だ。この山脈はエネノア大陸中央にそびえ立ち、大陸を北と南に分断してしまっているのである。
この巨大な山脈の裾に広がる広大な高原地帯に、ヴィシヌもシーデナも属しているのだ。そこから下った高原よりも南にサラディオがある。
「じゃあなんで王都の名を出したんだろう?」
フランツの疑問に、リッツが肩をすくめた。
「ここまで王都から離れりゃ、多少怪しいことをしていても、シアーズの最新技術ですと言えば済んじまうとふんだんだろ。現に村長はすっかり欺されたしな」
「ひっど~いっ!」
アンナが憤ると、フランツが小声で呟いた。
「だけど本当に最新技術で、国王の命でやったらどうする? 何らかの意図があって薬草を奪ったとしたら、僕らの手じゃどうにもならない」
確かにそうだ。国王はアンナにとって、雲の上の存在で、どんな人かも知らない。もしかして国王が理由があってやったなら、その理由なんて計り知れない。
考え込んでしまったアンナと深刻な顔をするフランツに、リッツが可笑しそうに笑った。
「んなわけねえだろ。国王はそんな奴じゃねえよ」
「だってだって、王様だよ? 本当だったら困っちゃうよね?」
「だから大丈夫なんだって。あいつなら、こんなことするぐらいなら、自分で出張ってくるよ」
「え……?」
国王に対して妙に親しげな口調のリッツに、アンナは首をかしげた。リッツは確か傭兵という仕事をしていて、この国にあまりいないと言っていたような気がする。
だがフランツは妙に納得したように頷いた。
「リッツがそう言うならそうなんだね」
「え? 何で?」
「今の国王は、リッツの知り合いだってさ」
「ええっ!? 本当!?」
思わず大声を出すと、リッツは苦笑しながら頭を掻いた。
「まあな。三十五年も会って無いけど、まあ性格ってのは変わらないだろ」
「うわぁ……」
何だかリッツ、すごい人みたいだ。感心していると、リッツは肩をすくめた。
「俺の事は置いとけ。とりあえず、薬草を盗った奴の言ったことは全部嘘だ。で、シアーズから来たのではない限り、奴らは街道をサラディオかその隣のグレインに出るだろう」
「うん」
グレイン自治領区は、サラディオの隣にある自治領区だ。名前は知っているけれどアンナはどんなところか知らない。サラディオが商業が盛んな自治領区だとしたら、農業と畜産が盛んな場所だとは聞いている。
「でもサラディオにもグレインにも行っていない。街道は商人たちが張っているから、南のシアーズに出られるわけもない。一昨日集まっていたどちらの商人も薬草を目にしていないしな」
リッツが見えていないエアリアルの方へ目を向けながら淡々と説明する。アンナが知っているリッツはこう見ると一部分なのだなと思う。まだまだリッツは色々な事を知っていて、色々な事を黙っているのかも知れない。
「つまり薬草はまだこの周辺にある可能性が高い」
リッツはそういうとフランツとアンナを交互に見た。
「あとはエアリアルに、手がかりがないかお前たちが聞いてくれ」
「うん!」
「分かった」
本題はここからだ。どうやってこの村のアーリエだけを持ち去ったのか。
「エアリアル、君はアーリエの葉をどうやって取ったんだい?」
フランツの問いかけに、エアリアルが体を震わせた。
「せまい、いれられた、こわい、こわい」
思い出したのかエアリアルは脅えだした。怯えながらもアンナがなだめすかして聞きだした話をまとめると、彼女らは瓶から、透明な杭に移し替えられたらしい。その数は不明だ。
エアリアルは数を数えることが出来ないのである。
男がいちいち瓶を杭に載せていたのは、そういうことだったのだ。
ひとことひとこと聞き出す毎に、三人で意見をすりあわせていく。エアリアルの声が聞こえないリッツが、その意見の摺り合わせを上手に行う。
さすが年の功である。
「それでどうしたんだい?」
「でたい、あばれた、はっぱ、うずまき、とんだ」
そこから出ようとしたとき、無意識に力を爆発させてしまったのだろう。その力は杭の内側ではなく、外側に影響を及ぼした。その杭は、精霊力を外に向けて拡大する力があるのかもしれない。
「それで、葉はどうなったんだ?」
フランツの言葉に、エアリアルは、いやいやするように首を横に振った。脅えてしまって話せないようだ。アンナが間に割って入った。とにかくエアリアルを安心させなくてはならない。
「大丈夫。もう怖くないから。私たちがいるもん」
「こわい、こわい」
なおも脅える彼女に、アンナは一生懸命分かって貰おうと話す。
「あのね、もし怖い奴がきても、私たち本当は強いんだから、やっつけちゃうよ! だからね、怖がることないよ」
「こわい、つよい、わからない」
「大丈夫! 力だけは強い人もいるから!」
精霊が見えないリッツを、思わずそういってしまった。アンナの言葉に、リッツが不本意そうに口を尖らせる。
「力だけって……だけが余計だよ」
一生懸命説得するうちに、エアリアルは落ち着いてきたようだ。
「うずまき、はっぱ、とんだ。はっぱ、きえた、わからない」
「葉が飛んでいった?」
「ちから、とられた」
「あの杭から精霊力だけを精霊から取り出して、その力を利用して葉を飛ばした……」
フランツが呟く。
「つまりエアリアルはあの杭の中に入れられて、精霊力を搾り取られてたんだ。あの杭は、精霊力を表に向かって拡大させるものらしい。杭の中でエアリアルは、暴走してその力が外に出てアーリエの畑で竜巻を発生させた。その竜巻はエアリアルの精霊力とともに、アーリエを巻き込んだままと何処かに消えていった……そういうことらしい」
「なるほどなぁ……」
リッツは納得したように頷くと、考え込んだ。黙り込んだリッツが口を開くのを、アンナとフランツはじっと待つ。やがてリッツが顔を上げた。
「エアリアルが入っていたクリスタルの瓶と杭に、何らかの繋がりは無いか?」
「繋がりって?」
「考えても見ろ。ただ単にエアリアルを暴走させるためなら、始めから空の杭にエアリアルを捕らえればいい。瓶に詰めた事に、なんの意味があるんだ?」
「う~ん。なんでだろ」
「そもそも風はどこに向かったんだ? 好き勝手な方向に飛んで行っちまったら、アーリエを盗めないぞ」
「そうだよねぇ……」
アンナは腕を組んで首をかしげた。飛んでいくところが決められないと、盗る意味なんて無い。
「そういや杭の中で力が暴走したっていったよな?じゃあ瓶の中では何故平気だったんだ?」
リッツの言葉に、アンナは目をしばたいた。そういえば山から瓶に詰められて運ばれていたって行っていた。もし杭と同じような仕組みなら、暴走して死んでしまいそうな物なのに。
「無事にここまで来たって事は、瓶は違う役割をしている?」
フランツが呟いた。
「暴走しても、消えなかった……。エアリアル、ここへ来る途中、瓶の中で暴れた?」
「こんらんした、あばれた、つかれなかった」
エアリアルの答えに、フランツは考え込んだ。
「力を使っても、力が減らない……つまり力は外部に出ない……か」
呟きにも似たフランツの言葉リッツが頷いている。二人だけで分かっているようだ。仲間はずれにされたアンナは考え込む二人に尋ねた。
「よく分からないよ。詳しく教えて」
「力を使うほど、精霊は消耗して弱るのに、瓶の中ではそれが起こらなかったってことだ。現に瓶から杭に移されて一度暴走しただけで、このエアリアルは瀕死だったのにな」
考え込んでいるフランツに変わって、リッツが説明してくれた。精霊使いではないリッツが納得しているのに、精霊使いのアンナが理解出来ないのが少し寂しい。でも落ち込んでいる場合じゃない。
そんな時ふと疑問が浮かんだ。
「杭と瓶がふたつでひとつのセットなんだよね。一緒に使う方法があるのかな?」
「一緒に使えば相乗効果を生む方法ねぇ……」
アンナの疑問にリッツが唸った。同時にフランツも小さく吐息を漏らして考え込んだ。疑問を口にしたアンナは更に頭が混乱してきた。
それにどうやってアーリエが絡むんだろう?
アンナが悩み、フランツが頭を抱えたとき、リッツが口を開いた。何やら思いついたようだ。
「中で働いた精霊力を外へと増幅して送り出す杭がある、中の力を蓄える瓶がある……」
「え?」
「もし、杭と瓶が呼び合っていたら?」
「呼び合っている?」
じっとリッツを見ていると、リッツは分かり易く説明をしてくれた。
「杭には精霊力を増幅させる効果があり、瓶には精霊力を集める性質がある。杭と瓶は魔法の力で繋がっていて、杭で増幅された魔法は、瓶に集まり蓄えられるのんじゃねえか? すなわち、エアリアルの力と共に巻き上げられたアーリエの葉は、魔法を吸い込む瓶に吸い寄せられるように、確実にそこへ向かう。つまり犯人は瓶の口を開いて待っていれば、勝手に暴走したエアリアルの集めたアーリエが、自分たちの元へと降ってくるって算段だ」
そう言いきったリッツに、アンナは言葉が出ない。フランツも同様に言葉が出ないようだった。
「……理解したか、お前ら?」
リッツに聞かれてアンナは大きく頷いた。
「すご~い。よく思いつくね、リッツ」
ただただ感心してそういうと、リッツは苦笑した。
「だてに百五十年生きてねえし、精霊族出身じゃねえ。でもな、全部推測だぞ? まぁ今の時点じゃこれしか考えられねえけど」
長生きするって、すごいことだなとアンナは心から感心した。アンナも長生きするだろうから、リッツぐらい色々な知識を得られるのだろうか。感心していると、隣のフランツがため息をついた。
「まるで師匠が持ってる、魔法付与の道具みたいだ。師匠のは出来損ないばかりだけど」
朝市で売ったがらくたのことだろう。確かに魔法の道具と表示してあった。たしかオルフェはあれをあちこちで売り買いして、どんどんコレクションを増やしていたらしい。
考え込むフランツとは対照的に、リッツは気楽な笑みを浮かべた。
「俺の推測が正しいかどうかは、犯人のアジトを調べれば分かることだ」
確かにその通りだなとアンナも頷きかけ、ふと重要なことを思い出した。
「リッツ、アジトってどう探すの?」
「しまった……そうだよな」
魔法の道具を解明することに夢中なあまり、すっかりそちらを忘れていたらしいリッツとフランツが、思い切り脱力してあらかた片づいたテーブルに突っ伏した。
「振り出しに戻っちゃったね」
三人がため息をついたとき、今まで黙って遠くを見ていたエアリアルが、唐突に言った。
「エアリアル、においわかる、いやなやつわかる」
顔を見合わせた三人に、エアリアルは決意したようにいった。
「なかま、いない、きえた、てつだう」
「本当に?」
フランツが目を丸くした。精霊が自分から手伝わせて欲しいというのが意外だったのだろう。聞こえないリッツはエアリアルがいそうな所に見当を付けてフランツかアンナの説明を待っている。
「エアリアルが協力してくれるって! 匂いが分かるから犯人が分かるみたいだよ」
エアリアルを見つめたままのフランツに変わってアンナが答えた。ようやく事件を解決出来そうな気配に、思わずウキウキしてしまった。
これで即行動だと、張り切って立ち上がろうとしたアンナは、先に立ち上がったリッツに優しく頭を叩かれる。
何だろうと見上げると、リッツは大きく伸びをしてからこちらを見て、余裕の笑みを浮かべている。
「じゃあ今日は一日ゆっくりして、明日朝早くから探すか」
「え?」
予想外の言葉に、アンナはリッツを見つめてしまった。まだ朝食前だから、今日が始まったばかりだ。折角何らかの手がかりが得られそうなのに明日に持ち越しなんて納得がいかない。
「今から行かないの?」
アンナと同じ気持ちなのか、不服そうにフランツがリッツを見る。だがリッツは苦笑しながらも頑として首を縦に振らない。
「でもリッツ、一日でも早く解決したいよ! みんな困ってるんだもん!」
「そりゃあ俺も分かってるさ」
「だったら!」
食い下がるアンナに、リッツは深々とため息をついた。
「よく考えて見ろ。もしもアーリエを盗んだ犯人が手強い窃盗団だったらどうするんだ?」
「頑張って取り返すよ! だって泥棒はいけない事でしょ?」
そうしないとみんなが幸せになれないし、ルーベイ夫妻にも恩返しできない。村長さんだって困っているのだ。
「お前の言っていることは正しい。確かに泥棒が悪いし取り返すに決まってるさ。でもな、相手はベテランかも知れない。そんなところに完全に体力を回復していないお前たちが行ってどうする?」
アンナは言葉を失った。そうだ。アーリエがある先には間違いなく盗んだ人がいる。でも戦うとは限らないじゃないか。
アンナはリッツを見上げた。
「話合ったら分かってくれるかも知れないよ?」
「……は?」
「一生懸命説得したら、分かってくれて、薬草を返してくれるかも知れないもん」
「……本気か……?」
リッツがあきれ顔で呻いた。
「本気だよ! ね、フランツもそう思わない?」
力を込めてフランツに尋ねたが、フランツはため息をついて小さく首を振った。どうやら同意してくれそうにない。
「だって世の中には本当に悪い人なんていないんだよ? きっと何らかの事情があって、説得したら分かってくれると思うもん」
力説したのに、リッツもフランツも呆れた顔で黙り込んでしまった。確かに薬草を盗んだのは悪いことだけど、でも何か理由があったのかも知れないし、村の人たちに、心から反省してちゃんと謝ってアーリエを返してくれたら、それで万事解決じゃないのだろうか。
じっとリッツとフランツを見つめていると、リッツが大きくため息をついて頭を掻いた。
「お前の真っ直ぐなところは得難いと思うがな、世の中には、それでは片付かないって事もあるんだぞ?」
フランツがリッツの言葉に小さく頷いてアンナを見た。どうやら二人とも同意見らしい。
「でも、本当に悪い人何ていないって、お養父さんが言ってたもん……」
二人に見つめられてアンナの抗議の声も小さくなる。アンナは今までそう信じてきたし、これからもそう信じたい。でもリッツの目は結構厳しくて、まるで全部否定されている気分になる。
時折リッツは、怖いぐらい逆らえない威圧感のような物を覗かせる。
気まずい沈黙の中で、エアリアルだけが舞い、小さなつむじ風を起こしている。その風が時折、アンナの前髪を揺らしている。
長い沈黙を破ったのは、リッツだった。
「よし、分かった。じゃあこうしよう。窃盗団と遭遇したら、お前が説得できる相手かどうか判断しろ。もし説得に応じず、身勝手に村人の大切にしてきたアーリエを奪う奴だったら、俺が片を付ける」
「……片を付ける?」
「ああ」
それって傭兵であるリッツに任せたら、怖いことになるのではないだろうか。
「あの、リッツ……怖いことにならないよね?」
アンナはリッツの目を真っ直ぐに見つめた。でもリッツの目は、柔らかく笑みを浮かべていてホッとした。
「ま、そのつもりだ。お前ならどうしたい?」
「え……?」
「人のことも考えず身勝手な窃盗団が人の注意を無視したら、どうするんだ?」
それならば、アンナのとる方法は決まっている。
「言っても分からない悪い子は、お仕置きするよ。ちゃんと分かるまで教え込まないとならないもん」
孤児院の子たちもそうだ。ごくたまに人を傷つけることを何とも思わない子がいる。そんな子には、時間をかけても、ちゃんと人の痛みを教え込んでいくしかない。
「それじゃ、決まりだな。今日はゆっくり寝とけ」
「え、ええっ!?」
何故かその話に戻っていて、アンナは絶句した。違う話をしていたような気がしていたのにどうしてここに戻ったんだろう。
「昨日みたいに大技使ったら倒れたじゃ、駄目だ。敵は倒れたお前を気遣ってくれないぞ。お前がお仕置きするってんなら、お前の体力を十分に温存しとくべきだろうが」
「う~」
反論する言葉もない。確かに今までの流れから考えても完全に理にかなっている。アンナにはもう反論すべきところがないのだ。
「でもでも、早くフィリアさんたちの笑顔が見たいし……」
「じゃあ俺が片を付けてこようか? あっという間に終わるぜ?」
リッツはそういうと、いつも背中に背負っている剣を抜く真似をした。アンナは黙ったまま首を振る。そんな怖いことになったら、やっぱり嫌だ。
「アンナ、リッツの言うとおりだ。僕らは完全に体力を元に戻したほうがいい」
フランツは肩をすくめてそういった。アンナも渋々ながら頷く。
それに万が一説得が聞かないような人たちだったら、人間相手に戦うことになってしまう。人対人の戦いは初めてだから、何があるのかどういう状況になるのかなど、アンナにはさっぱり分からない。
経験者のリッツの邪魔をしないためにも、アンナとフランツに出来ることは、リッツに迷惑をかけないように元気になることだろう。
「じゃ、俺は寝直すから、起こさないよーに」
話が付いたと思ったのか、リッツは片手をヒラヒラ振り、振り返りもせずに自室へとあっさり戻って行ってしまった。
今までどことなくリッツと同等な気分になっていたアンナだったが、きっぱりとしたリッツの態度にはとりつく島もない。
扉が閉まる直前に見たリッツの後ろ姿に、あの大剣が重なり、一つの恐怖感がじわりと湧いてきた。
人間と戦う。相手が人間ということは、怪我をさせる可能性がある。
もしかしたらもっと最悪のことも……。
「フランツ……傭兵って……どんな仕事なの? サラディオにいた私設傭兵部隊とは違うんだよね?」
アンナはまだそれを知らない。
でもリッツは大陸内で唯一の戦争をしているところで傭兵隊長をしていた人なのだ。
「……傭兵って言うのは、お金で人の命をやりとりする仕事だよ」
「人の命を……?」
「そう。金を貰って戦場に行って戦うんだ」
「戦場……」
人の命のやりとりって……人を殺す事だ。
そしてリッツもまた、いつ殺されても仕方ない状況にいたということになる。
「リッツ、全然そういう人に見えないよ?」
「そうだね。どちらかと言えば、どこかぬけてる旅の冒険者っていう感じだ」
フランツの言うとおり、アンナにはリッツがそんな仕事をしていた人にはとても見えなかった。特にリッツが子供たちと遊んでいたり、農作業をしているのを見ているからなおさらだ。
その時の陽気な笑顔と軽口は、とてもそんな状況に身を置いた人には見えないのだけれど……。
「フランツ。出来れば人を傷付けたくないね」
思わずそうこぼしていた。思った以上に固い声になってしまう。
傷つけたくないではないのだ。本音を言うと、人を殺すようなことになって欲しくないのだ。
伝わったはずだけど、あえてフランツもアンナと同じように堅い口調で呟くように言った。
「そうだな、僕もそう思うよ」
「リッツも……そう思ってくれるといいけど……」
リッツはどう考えているんだろう……先ほどリッツが消えていった扉の向こうに、アンナはふと思いを馳せた。