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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
消えた薬草を追え
15/224

<7>

 翌朝、リッツは妙な気配で目を覚ました。元々戦闘職種だから、妙な気配には敏感だ。窓の外から聞こえてくる大勢の人々のざわめきに耳を澄ませてみたが、敵意を感じられない。

 そっと窓の外を見ると、この宿を取り囲むように黒山の人だかりが出来ていた。

「……何だこりゃ」

 呟きながらじっと外の様子を窺う。これがまさに押すな押すなの人だかりというやつだろう。三角巾をかぶった女性、長靴をはいた中年男性、意味もなく駆け回る子供達……。これらの人々は、見るからに商人達ではない。

 ということは、そこにいるのは間違いなく初めて見る、トゥシルの村人達だ。

 昨日までゴーストタウンのようだったこの村に、一晩にして何が起こったのか理解に苦しむ。首をかしげたまま素早く身支度を調え、隣室に移動する。そこは手っ取り早く怪我人二人を投げ込んだままになっているアンナとフランツの部屋だ。

 遠慮無く扉を開けると、よろよろしながらベットの上で身支度に悪戦苦闘するアンナの姿があった。見ていると、体が曲がらず、どうしても靴下がはけないらしかった。

「また無理してるな? 出来なかったらいえっていってんだろ」

 靴下をはかせてやると、アンナは照れくさそうに笑った。

「ありがとうリッツ。おはよう」

「おう」

「何だか外が騒がしいよね?」

 やはりアンナもこの外の気配に気がついて起きたようだ。だが隣のベットに目をやると、頭からすっぽりと布団をかぶったフランツは、身動き一つしない。フランツは寝起きがかなり悪いのである。

 仕方なくフランツを揺り起こしてから、リッツは窓辺に立った。

 やはり大群衆はまだ店の前にいる。

「なになに? 私も見たい!」

 アンナが立ち上がろうともがく。

「お前まだ立てないだろ?」

「大丈夫だもん!」

 アンナの空元気に、リッツは頭を掻く。そんなに無理しなくてもいいと思うのだが、アンナは気になることを自分で見なくては気が済まないたちらしい。

 仕方なくリッツはため息混じりにアンナを横抱きに抱き上げ窓際に立った。

「わぁ……すごいねぇ……」

 アンナが感嘆の声を上げると、ふらつきながらもフランツが隣に立った。

「何、これ……?」

「……なんだろうな」

 みんながみんな、何故か宿の周りにたむろい、がやがやと顔を輝かせながら声高に話し合っている。彼らが商人達を追い払ったことが、ばれたのだろうか?

 でも、ばれる事自体があり得ない。誰かが村人に話したとしか思えないのだ。

「モリスさんかな……」

 アンナが呟いた。

「それしか考えられねえよなぁ……」

 相づちを打つと、後ろでノックの音がした。遠慮がちに扉が開かれ、モリスが顔を出す。

「おはよう。すまないけど大事になってるんだよ」

 申し訳なさそうにモリスが頬を掻いた。

「この人混みですか?」

「ああ。取り囲まれてしまってる。すまないね」

「村人に話したんですか?」

 静かに無表情に問うフランツに、モリスは慌てて手を振る。

「違う違う! 私じゃない。村長さ」

「村長?」

「ほら、昨日あの中に村長が混じってたっていっただろ? その村長が今朝、ここに来たんだよ」

 モリスによれば、やはり昨日彼らが集めた商人の中に、変装した村長が紛れ込んでいたのだという。

 村長は他の村人と違い、商人にこれ以上村を荒らさないよう何度も忠告に行っており、それ故に家の外を出歩いていることが多かった。勿論商人の住む村外へも出かけている。

 それに脅える村人を勇気づけたり、励ましたりすることも重要な役割だ。村がこんな状況に置かれたのだからなおさらである。小さな村の小さな共同体だからこそ、村人達を繋ぐこういう人物が必要なのだ。

 そんな行動派の村長が、昨日の商人大移動に気が付かないわけがない。たまたま村人達を訪問しているときに、声をひそめて団体で歩いていく商人達を目撃したのだ。

 隠れながら付いていくと、彼らの行き先はすぐに分かった。この宿だ。

 ぞろぞろと『女神のてのひら亭』に入っていく彼らをいぶかしみ、村長はとっさに自分の家に駆け戻った。驚く妻に見向きもせずにチェストをひっくり返して中身をぶちまけ、洋服をあさる。

 何をするつもりか分からない妻は、ただひたすらおたおたしていたという。

 そして村長は、商人に見えるように変装し『女神のてのひら亭』入口付近に陣取っていたということだった。

「そして今朝、村長はみんなを集めて、君たちのことを話したらしいんだ。サラディオの領主様の子と、強そうな傭兵が、薬草を取り戻してくれるから、安心しなさいってね」

「……うわぁ……」

「大事になっちまったなぁ……」

 リッツは頭を掻いた。商人たちに知られる分には構わなかったが、村人にまで知られてしまうと面倒だ。だがこうして大群衆が押し寄せてしまう状況になった今、投げ出すことは出来なくなったのは確実だ。

 もとより恩義を返すための事だから、投げ出すつもりはないが、何だか面倒だ。

 頭を抱えたリッツに、モリスが紙を差し出した。受け取って広げると、綺麗な字が書いてある。

『領主様のご子息に話を伺いたいので、是非とも、我が屋敷へご足労頂きたい。 トゥシル村長ノルス・グライブ』

「簡略な手紙だな」

 読み終わってフランツに渡すと、フランツは一瞥してため息をついた。

「だからルシナ家の人間だって言いたくなかったんだ」

「しゃあねえだろ。元々村長に会うつもりだったんだ。招待された方が行きやすいじぇねえか」

 これで堂々と村長の家に押しかけられるというものだ。だがその前に考えねばならないことがある。

「この群衆をどうするか、だよな……」

 まさか正面切って出て行って、囲まれるのは得策ではない。

「それに関しては私から提案があるわ」

 穏やかにフィリアが口を挟んできた。その手には編み籠が提げられている。

「モリスが正面から村人を中に入れるわ。だから私と一緒に村長のところに行きましょう。申し訳ないのだけれど、朝食はこれで勘弁してね」

 フィリアは手にしていた籠を軽く掲げた。確かにこの群衆に囲まれて、食堂で朝食を取るのは無理だ。

フィリアの提案が一番いいだろう。リッツはまだほとんど身支度が調っていないフランツを振り帰返った。

「よし、じゃあ行くか、フランツ」

「分かった。少し待って」

 のろのろとフランツが着替え始める。夜着はモリスに借りているのだ。

「待って! 私も行く!」

 アンナがきっぱりと宣言した。リッツはため息をつきながら、腕の中でじっとリッツを見上げるアンナを見つめ返した。

「……お前は動けねえだろ?」

「動けるよ! 自分で支度も出来たもん!」

「靴下、履けなかったじゃねえか」

「もっと時間をかけたらきっと履けたよ!」

「お前な、まだ体調が悪いだろうが」

「悪くないよ! ばっちり元気!」

 その目には、諦めるという感情が一欠片も無い。黙って置いて行ったら、本気で這ってでも付いてきそうで怖い。仕方なくリッツは折れた。

「分かった。連れて行ってやる。でも歩かせねえからな」

 もし歩かせて、体調をくずされたら困る。リッツはアンナのことをアントンに任されているのだ。任された以上、ちゃんと大人として面倒を見なければ、駄目だろう。

「じゃあ、このままだっこしてくれるの?」

「……剣の上からで悪いが、背負うぞ」

 さすがのリッツでも、アンナをずっと抱えて歩くのはきつい。

「うん! じゃあ痛くないようにクッション持っていこーっと」

 脳天気なアンナに、リッツはため息をつくしかない。しばらくしてリッツは、アンナを背負い、身支度を調えたフランツと共にこっそりと裏口へと廻った。それを確認したモリスが、食堂をあけて村人を中に招き入れた。

「さあさあ、詳しいことを聞きたい人は中に入ってくれ! 外じゃ話せないだろ!」

 モリスが全員に聞こえるように大声でそういうと、村人達が我先にと、次々に宿の中に吸い込まれていく。その瞬間を見計らって、宿の外に抜け出した。しばらく様子を窺っていたが、誰にも気がつかれなかったらしい。

 先ほどまであれほど賑わっていたというのに、通りにはまたもや誰もいない。ただし、今回は全員が宿の中にいる。

「さあ、行きましょうか?」

 フィリアに促されて三人は歩き出した。村は広々としていた。宿がある場所はメインストリートに属しており、住宅はこの通り沿いに密集している。

 そこから少し離れると、一面に畑が広がっていた。かなりの広さだ。これが共同農場だろう。ただその畑には葉のない背の低い樹木が並んでいるだけで、事態の深刻さが見て取れる。

 フィリアが三人を案内したのは、その巨大な農場の脇に立っている、大きな平屋の建物だった。

 少し広めの庭と、名も知らない木で出来た背の高い生け垣が、その質素な家を囲んでいる。見張りやら、門番は存在しないし、大きな門もない。あるのは生け垣の中央に存在する木戸のみ。

「ここが村長の家よ」

 フィリアに言われて、リッツは目の前の家を眺める。確かに大きい家だが、作りはごく一般的な農家の家だ。ただ厩舎があったり、非常時を知らせる鐘撞き台があるから、ここが村の中心なのだと分かる。

「結構小さいんだね」

 背中のアンナが、ポツリとつぶやいた。

「ヴィシヌみたい。ヴィシヌが貧しいから村長さんの家が小さいってわけじゃなかったんだね~。これが普通なんだぁ」

「村長なのに質素だよなぁ……誰かさんの家と違って……」

「リッツ!」

「冗談だよ、冗談」

 フランツが不快そうに顔をしかめた。自分の家を引き合いに出されて、腹を立てているのだろう。冗談の通じない奴だ。

 苦笑いしていると、穏やかなフィリアが穏やかに言った。

「私は、もう帰るわ。村長さんは気さくな方だから安心してね」

「え? いいんですか俺らだけで」

 聞き返すリッツに、フィリアは頷いた。

「本当に気さくなの。会えば分かるわ」

 とはいうものの、商人達を丸め込んだあの晩の横柄な態度を見られているだけに、自分が突態度に迷う。

 まあ相対するのは商人ではなく村長だ。あの態度はやめておいた方がいいだろう。村人に親しまれているのに、フランツの父親のような人物でもないだろうし。

 やはり宿の様子が気にかかっているらしく、フィリアは早足で帰っていった。

「とりあえず、中に入るか」

 フランツを促すと、フランツは小さくため息をついて一歩踏み出した。フランツもリッツ同様、思い切り領主の息子を演じていたので気まずいのだろう。だがこんなところで立ち尽くしているのもおかしい。

 三人は、意を決して入口へ続く木戸を押し開けた。木戸を開けて驚いたのは、庭のほとんどが、畑になっており、野菜を育てていることだった。

「すごいね! 家に畑だよ!」

 確かに外にも薬草畑、家には菜園では、世話が大変だろう。

「やっぱりちゃんと土地があったら耕さなきゃ!」

 農民のアンナがしみじみと頷いている。フランツの家の庭は、綺麗な庭園になっていたが、アンナからすればこちらの方が庭の正しい使い方になるのだろう。

 のんびりと庭を散策して歩くと、秋らしい花が咲く小道越しに色々な作物が見えた。その度に背中のアンナが野菜の名前を教えてくれる。食材になれば分かるが、畑に生えている葉だけでは、リッツにはまるで区別がつかない。

 世間知らずのアンナだが、専門分野に関しては、恐ろしいぐらい詳しい。きっと野菜だけではなく、畜産や子育てに関しても詳しいのだろう。

 門を入っているからもう村長の敷地内のはずなのに、誰も彼らに声をかけてこないのが不思議だった。このまま歩いていると、不法侵入した気分になる。責めて使用人でもいないかと周りを見渡してみるのだが、いるのは畑作業に没頭する麦わら帽子の老人だけだ。

 このまま黙って奥まで行くのに気が引けたリッツは、その男に案内を頼むことにした。

「すみません、村長にお会いしたいんですが……」

 丁寧に頼んでみたが、仕事に没頭する男には届かない。アンナがリッツの背中の上からさらに大声で男に呼びかけた。

「おじさ~ん! 村長さんに会いに来たの!」

「そんなに大声出したら中に聞こえる」

 小声でフランツが注意したが、畑の男はやっと三人に気が付いたようだった。

「どうされましたかな?」

 年齢は六〇前後だろうか? 日に焼けた人の良さそうな顔、麦わら帽子、首に巻いた手ぬぐい、そして長靴。どこからどう見ても農民で。屋敷の使用人ではないらしい。

「村長に会いに来たんですが」

 リッツが言うと、男は三人をまじまじと見つめ、ポンと手を打った。

「ああ、そうか。じゃあ、付いてきなさい」

 男はそういうと、麦わら帽子を取り、手ぬぐいで薄くなった頭を拭いて、そのまま家に向かっていく。麦わらを取ったら、なお一層と人が良さそうだ。

「大丈夫かな?」

 フランツが男に聞こえないように話しかけてきた。村長宅に案内するには男はあまりにも気軽過ぎるから心配になったのだろう。

「来いっていうんだからいいだろ」

「でも……」

「大丈夫だって。お前んちみたいに、礼儀を重んじないと斬りかかられることもないだろうよ」

 軽くルシナ家の私兵集団のことを漂わせると、フランツは不機嫌そうに黙った。

「とにかく行くぞ」

 リッツははそれだけ言うと、男の後に続いた。眉を寄せながら、フランツもため息を付いて歩き出す。

 玄関まで来ると、男はノックも何もせずに、いきなり扉を開いた。沢山の人が集まれるように一段高い長いすが取り付けられている玄関に、手にしていた農具をドサリと下ろす。

 これでようやく使用人を呼んでくれるのかと思いきや、男はそのまま家の中に上がり込んでしまった。

「本当に大丈夫?」

 改めてフランツが聞いてきたが、リッツは肩をすくめるしかない。

「付いてきなさい」

 足を止めた三人を男は少し先で手招きしている。何だか妙な感じだが、男の後に続いた。誰に会うでもなく、男はある部屋の前に辿り着き、そのまま再びノックもせずに扉を開ける。

「さあ、ここで待っていなされ」

 そこは応接間のようだった。

「勝手に入っていいんですか?」

 一応リッツはそう聞いてみたのだが、男は穏やかに笑った。

「いいから、座って待っていなさい」

 仕方なく言われるままにソファーにアンナを降ろしてから、どっかりと座り込んだ。ゆっくりと数度肩を回す。重くはないアンナだが、長時間背負っているとさすがに肩が凝る。

 アンナも背負われていたせいで体のあちこちが凝ったらしく、大きく伸びをしていた。

 その様子を確認してから、男が扉を閉めて出て行った。 

 肩をほぐし終えてから、リッツは少々固めのソファーの背もたれにもたれ掛かって、部屋の中を見渡した。広さ的には、『女神のてのひら亭』の食堂、半分くらいの大きさだ。

 ソファーセットの向こうには、窓に背を向けた形で大きな書斎机が置いてあり、書類が積まれている。部屋の大半を占めているのは、なにやら書類と本だった。壁の一面が本棚になっているのだ。

 目を凝らして読んでみると背表紙には『住民台帳』『薬草出荷記録』『薬草畑台帳』などの記入があった。本は、薬草関係がほとんどだ。

「重要な書類がこんなにあるのに……」

 フランツの呟きは、そのままリッツとアンナの疑問である。

「悪い人がここに来たら、読まれちゃうよね」

 アンナが首を傾げながら呟いた。世間知らずなアンナにも、そのぐらいの常識があったらしい。

「この村は、それだけ平和って事だろ」

 リッツがそういって再び大きく伸びをしたとき、ノックもなく唐突に扉が開いた。振り返ると、お茶を載せたトレーを手にした、先ほどの男が立っていた。流石にもう農作業用の格好はしていない。

 すっきりした茶色のシャツに、麻色のズボンを穿いている。代わり映えはしないが、少ない髪も一応直して来たようだ。

「待たせてしまったね、さあ、飲んでくれ」

 そういうと、男はお茶を三人に出し、自分は向かいにどっかりと腰をおろした。そのまま出て行くでもなく、三人がお茶を飲んでいるのを見ている。

 何となく変な気分だが、しばらくそのまま黙ってお茶を飲む。しばらくしてからたまりかねてリッツは口を開いた。

「おじさん、悪いが俺たちノルス・グライブ村長に会いに来たんだ。村長がいたら呼んでくれ」

 すると男は、ゆっくり立ち上がり、応接室の机に座った。

「いらっしゃい、わしが村長のノルス・グライブだ」

「え~!!」 

 アンナが驚きのあまり大声を上げた。リッツは呆れて声も出ない。フランツはただただ呆然としている。まさかこの男が村長とは思ってもみなかった。

「驚くかね、やっぱり」

 村長が不思議そうに首を傾げた。

「村長だって、始めに言ってくれればいいのに……」

 フランツがぼそりと小声で不服をいったが、村長は意にもかえしていない。立ち上がって、再びソファーの正面に座ると、穏やかに微笑んだ。

「聞かれなかったからね」

 確かにそうだ。彼らは村長に会いにきたといっただけであって、男に村長はどこかも、男が村長かも聞かなかった。フランツに目をやると、返す言葉を失ったらしく、絶句していた。

「偉い人なのに、使用人とかいないんですか?」

 アンナが尋ねると、やはり村長は笑った。

「使用人がいても仕事がないしな」

 徹底的な倹約家らしい。だから村人に好かれるのだろう。

「偉いんですね!」

 働かざるもの喰うべからずの貧乏生活を送っていたアンナは素直に感動したようだ。

「じゃあ、村長さんが野菜畑も全部手入れしてるんですか?」

「勿論だ」

「働き者ですね! 私も農業してたんですよ!」

「そりゃあ偉いねぇ」

 ほのぼのとアンナと村長が畑について語り始めた。収穫時期や作物の作付けの話を始めてしまう。このまま行くと、話がどんどん違う方向に流れていきそうだ。

「おい、アンナ」

 小声で名前を呼びながら小脇をつつくと、まだ話し足りないのか、アンナはちょっと不満げではあるが、当初の予定を思い出したらしく黙った。

「俺は、リッツ・アルスター、この小さいのはアンナ・マイヤース、そしてこれが……」

「しっとるよ、サラディオ領主の息子のフランツ・ルシナ君だろう?」

 フランツが納得いかないような顔で、渋々頷いた。村長の口調からは、きちんと昨日の出来事を記憶しているよ、という感じが受け取れる。その目は、すぐにフランツからリッツに向けられた。

 やりにくい。だが言い淀んでいても仕方ない。リッツは咳払いして、やっと本題に入る。

「グライブ村長、モリスさんに聞きましたが、昨夜いらしていたそうですね?」

 村長は、ようやく真剣な顔になり頷いた。だが、目がいつも笑っているように見えるのだから、完全にしかめしい顔にはならない。

「ああ、行ったよ。リッツ君とやらは相当怖い人物のように見えたが、人が良さそうじゃないか」

 そういわれると気恥ずかしい。全く知らない人間の前であの態度を取っても、別に恥ずかしくもないが、地の自分で接していてそれをいわれると身の置き所がない気分になる。

「あははははは」

 意味もなく笑って頭を掻いた。こういうときはごまかすに限る。そんなリッツの後を引き受けたのは、フランツだった。とりあえずまず最初にしなくてはならないのは、契約の解除と返金である。これはフランツの担当だ。

「僕らは、あの契約を商人達と結び、この村を出て行かせようとしましたが建前です。村人のサインはいりません」

「何故だね?」

「これは商人との契約だからです。村人とは関係がない」

「だが薬草を取り戻してくれるという約束に代わりはあるまい?」

 村長は丁寧だが頑として譲らぬ口調で、フランツにそう告げた。説得しているのはフランツのはずなのに、端から見ているとフランツの方が押されていて、相当分が悪い。

「僕らはルーベイ夫妻に命を救って貰いました。そのお礼に無償で村を助けるつもりです。だから村長から依頼金を頂く必要はない。契約を解除してください」

 フランツが無表情ではあるが、一生懸命に告げたのだが、村長は首を横に振っただけだった。

「いやいや、契約は解除せんよ。わしがこの村人達を救いたい気持ちは本当だからな」

 村長は固い決意を秘めた瞳で、フランツを見つめかえした。フランツは押されたように顔を引く。これは頑固者だ、とリッツは苦笑した。

「わしには何も出来ないから、せめてお前さん達に投資した……それじゃいかんかね?」

「でもそれでは……」

 完全に言い負けたフランツが、口の中でなにやら呟く。人との対話が苦手なフランツにしては頑張っているが村長の方が一役も二役も上だった。

 再び何か言おうとするフランツを制して、黙ったまま考えこんだ後、村長が柔らかく微笑みながら口を開いた。

「それじゃ、契約を解除しよう」

 フランツは、安堵の表情で契約書を取り出した。

「じゃあ、この名前を、ペンで二本線を引いて消してください」

 村長は素直にそれに応じた。契約書から名前が外されたのを確認すると、フランツは持ってきた契約金を袋に入れたまま返却した。

「これで契約が解除されたわけだな」

 村長はその袋を手に取ってしげしげと眺め、そこに何かを書き始めた。何だか長いこと書いていたようだが、その間にフランツが契約書を鞄にしまうのを多少手こずっていたから、誰も気にしなかった。

 しまい終えるのと同時に何かを書き終えた村長も、満足げに頷いた。全員が見守る中、村長の口から出たのは驚く言葉だった。

「ではいいかね、改めて契約しよう」

「え?」

 ようやく向き直ったフランツが、驚きに目を見開いて村長に聞き返した。

「何をです?」

 村長は契約金の入った袋をそのままテーブルに置きリッツの方に滑らせた。落ちそうな封筒をリッツが片手で押さえる。

「わしは君たちを雇う、個人でな」

 フランツが、額に手を当てて大きなため息をつく。

「だから無償でいいんです」

「いいからその袋を見てごらん」

 村長が指さした封筒に全員の視線が集まる。手にしていたリッツが受け取った袋を手に取ってみた。そこには村長の流暢な文字が書かれていた。

『私ことトゥシル村長ノルス・グライブはアーリエ盗難事件に関しての捜査・解決一切を、リッツ君・アンナ君・フランツ君の三人に委ねる。事件解決の際は、この封筒を村営薬草店に持ち込むこと。薬草をサービス価格で、金額分提供する』

「簡単だがな、わしのサインはちゃんとある。契約書になるだろ?」

「でも……」

 さらに何か言おうとするフランツを制して、村長は首を振った。

「わしは契約を結んだぞ。君らがその金を返したとしても、わしは薬草店に君らの分を取り置いておく。それを持っていこうが腐らそうが……君たちの自由だ。でも腐らすのは勿体なくはあるまいかね、フランツ君」

 フランツが困惑してリッツを振り返る。リッツは苦笑するしかない。こうなれば依頼を受けるのみだ。

「分かりました、村長の依頼を受けましょう。実際俺たちは、薬草を持たないで旅するわけにも行かないし」

 リッツの言葉に、村長は明らかにホッとしたようだった。彼の考え得る最大の作戦だったのだろう。ここまでされて断るのはかえって気が引けるし、かえって失礼かもしれない。

「いやいや、リッツ君は昨日の話の中でも相当経験豊富なようだからな、逃しちゃいかんと思って。じじいの浅い考えで引き受けてくれるか、心臓ばくばくだったぞ」

村長は笑いながら立ち上がり、リッツに向かって右手を差し出した。

「持てないほどの薬草にしないでくださいよ。俺たち行商やるわけじゃないんだから」

 リッツも立ち上がって軽口を叩きながらその手を右手で握りかえす。フランツ、アンナも交代に村長と握手した。契約成立である。

「それじゃあ、契約も決まったところですし、早速本題に入りましょうか」

 リッツ達は再びソファーに座り直して、話を聞く態勢に戻った。契約解除はここに来る名目の大前提だったが、本当の目的は、村長から情報を収集することだったのだ。村長も真顔で姿勢を正す。

「まず、この村のアーリエが無くなった晩について聞きたいんですが」

 リッツの問いに村長考え込むように上を見つめた。

「それが全く気が付かなかったんだ。わしの知るところでは、突風、竜巻の類は全く起きていない」

 これは、ルーベイ夫妻を同じだ。

「では、怪しい人物がを見ませんでしたか?」

「当日は見なかった。でもな、あれはアーリエが消える一週間ほど前のことだった。わしのところに測量士なるものがやってきたんだ」

 村長の話はこうだった。

 刈り入れ日の一週間程前、良く晴れた日の事、村長の元に三人の男が現れた。彼らは一人づつ手に、なにやら変わった物を携えていた。

 一人は、小柄な男で透明なガラスの瓶を持ち、それを大事そうに両手に抱えていた。もう一人は細身の男で、手に長さ三〇センチほどの沢山の透明な杭と、それを打ち込む槌を持っていた。もう一人は、がたいのいい男で測量に使うという、三脚のようなものと、筆記用具を持っていたという。

「王都シアーズからきました。今年の薬草の出来を調べて、国王に報告せねばなりません。薬草畑の広さを測らせてください」

 三脚のような物を持ったがたいのいい男は、人の良さそうな顔でそう言った。村長も国王の命ならそう言うこともあるのだろうと、気楽に請け負ってしまい、男達を畑へ案内した。

 すると男達は、その透明な杭を打ち込み、瓶をいちいち開いて載せていたという。勿論その横で測量の道具で測っているような事もしていたそうだ。村長も奇妙だと思ったが、きっと王都は進んだ測量法を使い始めたのだろうと思いこんでしまったため、聞くこともしなかったという。

 男達が村から去った後はそのまま、綺麗さっぱり測量士達のことを忘れてしまっていた。透明な杭は、男達が去った後も、そこに残されていたらしい。

「あの男達がおかしかったと気が付いたのは最近だよ。良く思い出してみると、彼らは薬草の測量といいながら、葉の方には一つも興味を示さなかったんでな」

 村長は、一気にそう言った。確かにおかしい。全体の薬草収穫量を調べるなら、測量の他に葉の質を確かめるはずだ。それに測量のために必要な物が使われていない。

「村長、その男達はかなり長い棒を持ってはいなかったんですね?」

 リッツの問いに村長は頷く。

「偽物だ、やられたな」

 リッツの呟きの意味が分からないフランツとアンナは、困惑したように顔を見合わせた。

「リッツ、分からないよ?」

 アンナにリッツは説明する。

「あ~つまりだ、三脚みたいのに、覗くところが付いてて、測りたいところに棒を立ててそこがどう見えるか測るんだよ……多分……」

 一気に早口でまくりたてたものの、土木屋でも測量士でもないリッツも勿論、そんなことに詳しくない。でも測量風景は、この国に限らず、あちこちで目にしている。自分の背より大きな棒を持った男を、三脚の男が覗くというやりかただ。それ以外のやり方など旅慣れたリッツも知らなかった。

「……やはりそうか。わしもようやく気が付いて、数日前にガラスの杭を抜いて持ってこようと畑に行ってみたんだが、その透明な杭は何故か一本残らず粉々になっていたよ」

「粉々に……?」

 ガラスの杭……それがもしもアーリエの葉をもぎ取るような風を起こす物だとしたら、なんだろう。ガラスではないはずだ。

「透明で風を起こすもの……ねぇ」

 顎の下に手を当てて、リッツが考え込んだ。そう言えばどこかで最近見たような……。

「あ!」

 リッツとアンナが同時に声を挙げた。

「アンナ、あれ出せ、弓矢!」

 そう、アンナの持っている、クリスタルの弓矢。天空に打ち上げると、風の力の防御壁が築ける。アンナの弱い風の力を、何倍にも高める魔法付与の弓矢だ。

「持ってきてないよ!」

「だよな!」

 怪我人だし、動かない前提のアンナにそんなものを背負わせるはずがない。二人で惚けていると、フランツがため息をついて立ち上がった。

「僕が取ってくる」

「お前が? 俺が行った方が早いぞ?」

 いつもなら体を動かすのはリッツだ。フランツは動きたがらない。だがフランツは首を横に振ると、さっさと部屋を出て行ってしまった。

「何だあいつ?」 

 首をかしげて室内に目を向けると、話は終わったと踏んだのか、アンナと村長が楽しげに話を始めていた。

「この庭にあるの、人参ですよね? ここなら結構雪が降りますよね。雪下人参になるんですか?」

「おおっ、よく知っているね」

「はい。ここよりもヴィシヌの方が寒いから、冬野菜の雪下保存は当たり前なんですよ」

「なるほど。君はヴィシヌ出身か! ヴィシヌの作物状況はどうなんかね?」

「ええっと、ヴィシヌでは葉物野菜として……」

 二人は農業で異常に盛り上がっている。この雰囲気にリッツはとてもついて行けそうにない。無理に話に加わる必要もないから、遠巻きに見ていると、フランツがさっさと道具を取りに戻った理由が分かったような気がした。

 この怒濤のような圧倒的農業トークに、絶えられないだろうと踏んだに違いない。急いでもフランツが戻ってくるのは三十分以上後になるはずだ。

 その間こうしてこの二人の間に取り残されるのは、大変だ。リッツはカブの栽培だの、氷室の利用法だの、水路の凍結防止法だの、牛舎の藁の保存法などには興味がない。しかもそれがまるで最高に楽しいことのようにかなりのハイテンションで語られているのである。

 二人の話に、普通より耳が大きくてよく聞こえる耳でうんざりしてきた頃、息を切らせてフランツが戻ってきた。その手にはアンナの矢がある。

「はい!」

 息を切らせながらアンナに矢筒を手渡す。

「ありがとう」

 アンナはお礼をいうと、矢筒から風の矢を取り出した。透明でガラスのようだが、クリスタルで出来ているのでどことなく輝きを帯びている。

「そう、これだ。これと同じような感じだった!」

 村長がそういって弓矢を受け取った。間違いない、犯人はそのクリスタルの杭を使って、風を起こしたのだ。多分風の精霊を使ったのだろう。でもどうやって? 

「なるほど、こういう物が世間にはあるんだなぁ。誰にでも使えるのかい?」

 村長が尋ねると、アンナはかぶりを振った。

「精霊使いにしか使えないそうです。もしかしたらフランツも使えるかもだよ?」

 楽しげにフランツに矢を渡したアンナに、フランツは首を振った。

「自分の炎だけで精一杯だ。アンナに任せる」

「そう?」

 アンナが矢をしまうと、ノルスが目を見開いた。

「君は精霊使いかね?」

「はい」

 村長は何度も頷くと、アンナの顔を見た。

「こんなに若いのにすごいねぇ」

 しみじみと感心するノルスに、アンナは笑った。

「若いって言っても、もう三〇歳なんですよ」

「なんだって?」

「私、なんかの種族らしいです。何だか知らないんですけど」

 照れ笑いするアンナに、ノルスは益々驚いたようだった。しみじみと不快ため息をついてから、ノルスは懐かしそうに目を細め、感慨深げに呟いた。

「そういえばわしは昔、精霊族に会ったことがある」

「精霊族?」

 アンナがリッツを見たが、リッツは首をかしげた。精霊族は森を出てくることがない。特に今シーデナの森から出てくる精霊族と言えば、リッツと、父のカール、母シエラぐらいなものだ。それを考えると、おそらく村長が出会ったのは、リッツの父カールだろう。

「四十年ほど前だったな。わしはほんのちっこい子供だった」

 何か思い出でもあるのか、ノルスは更に眼を細めた。リッツが精霊族なのを知られたら、余計感動されそうなので、リッツは黙っていた。アンナにも目で黙っていろと命じる。珍しく通じたのか、アンナは一言も言わなかった。

 リッツは村長に、男達が怪しげな仕掛けをしていた村長の畑を教えて貰った。これで何か掴めるといいのだが……。

「村長、ありがとうございました。これから畑行って見てきます」

 リッツはアンナを背負って立ち上がった。

「よし、現場にいくぞ!」

「うん! 行こうフランツ!」

 元気な二人に比べて、今全力疾走してきたばかりのフランツは、一人ため息をついた。

「……少しは、こっちの身になってくれ……」

 勿論その呟きは、無視させて貰う。商人たちを黙らせたと行っても、日がたってしまえば彼らの不平不満が高まってしまう。

 そうなれば元の木阿弥だ。出来るだけ素早く犯人を捕まえ、まだ無事ならアーリエを取り返さねばならない。

 ノルスの家を出て、先ほど横を歩いてきた共同農場が全体的に見える場所を探して歩いた。共同農場は川が二股に分かれている高台から、段々畑になって全体的に村の方へと広がっていた。

 そのほとんどが荒らされていて、酷い状況になっているのは、素人のリッツにだって分かった。 

「こりゃあ、聞きしに勝る酷さだなぁ」

 話に聞いていたとおり、畑は無茶苦茶に荒れている。確かにこれは、突風が吹いた後としか思えない。

「一生懸命育ててるのに、こんなことするなんて許せないね!」

 農業人アンナは怒り心頭に発すというところだ。もしアンナの畑が誰かの悪意によって。こんな目にあったら、犯人はただでは済まされないだろう。

「他の畑は何ともないみたいだ」

 フランツはまだ息を切らせながらも、淡々とそういった。荒れ果てた畑の周りでは、自然のままの姿で成長した薬草が、刈り入れられる事無く穏やかな風に揺れている。

 配合するアーリエがないから、刈り取れずに放置されてしまったのだろう。アーリエだけではなく、薬草まで使えなくなってしまっては、大変な損失だ。

「とにかく畑の周りを探して見ようぜ」

 リッツが提案すると、フランツが頷いてうつむき加減に歩き出した。杭が打たれた跡を見つけるためだ。とにかくこうして立っているだけでは何にもならない。

「さてお前をどうするかだよな」

 リッツは背中のアンナに声をかけた。毒がまだ体に残っているアンナには、出来ることならここで大人しくしていて欲しい。だがそんな願いなど聞いてくれるわけがないと言うことも重々分かってきた。案の定、リッツの背中でアンナは暴れ出した。

「降ろして! 私も探す~!」

「お前ね、自分が怪我人だって事忘れてないか?」

 背中を蹴られながらリッツが苦情を申し立てると、アンナが首筋に片腕だけで抱きついて、半身を浮かして顔を覗き込んでくる。

「元気だよ! 元気に見えるでしょ!?」

「危ねえな! 落とすだろ!」

「落としてくれてもいいよ! 私も探したいの!」

 その瞳は真剣で、とてもリッツの説得など受け入れてくれそうにない。トゥシルで事件に遭遇してから気がついたのだが、アンナはかなり頑固な方で、こうと決めたらてこでも動かない。

「頑固者……」

 ボソッと言ったのだが、アンナにはちゃんと聞こえている。とにかく距離が近い。

「頑固者じゃないよ! 困っている人がいて、その人たちに助けて貰ったのに、何もしないのって間違ってるよ!」

「確かにそうだけどな、お前は動かねえ方がいいって俺が判断してるんだよ」

「自分で自分の体は判断できるよ! 子供じゃないんだから!」

 孤児院の世話役をやっていた頃のような口調でアンナが断言する。確かに年齢的には子供じゃないだろう。でもアンナの五倍生きているリッツから見れば子供だ。

「俺から見りゃ十分子供だ」

「リッツから見たら村長さんだって子供だもん!」

「お前な……」

 こりゃあ、本気で説得できる相手じゃない。今更ながらにリッツはアンナの頑固さに舌を巻く。これはいままでみたいにどうなだめすかしても納得してくれそうにない。

 ため息をつくと、アンナがリッツの背中から無理矢理に滑り降りてリッツの正面に立った。真っ直ぐにリッツを見上げる瞳には一点の曇りも迷いもなく、どこまでも澄んで迷いがない。

「私が出来る事は、私がしたいんだもん! こんなひどいことをする人を、絶対に許さないんだから」

 正義感に満ちた真っ直ぐな瞳の力強さに、リッツは懐かしい友を思い出して押し黙った。

 子供であっても、世間知らずであっても、真っ直ぐに自分の信じる道を走れる人は、リッツにとって眩しい存在だ。

 どう足掻いてもリッツは、そちらの側にたどり着くことが出来ない自分を知っている。

 それにどうしてもこういう瞳を持つ人物には、リッツは敵わないのだ。

 それならばここは折れるしかないだろう。リッツは大きく息を吐き出すと頭を掻いた。

「わかったわかった。お前にも手伝って貰うよ」

「本当!?」

「おう。その代わり、無理だけは絶対にするな。お前が倒れたら、フランツがまた責任を感じちまうし、俺も薬草を忘れた責任を感じるんだ。特に俺はアントン神官にお前を頼まれてるんだぞ?」

「あ~……そっか」

「だからきつくなったら、適当に昼寝でもしてろ。宿に帰るとき俺が背負ってやるから」

「ありがとうリッツ!」

 嬉しそうにアンナは目を輝かせた。光に輝くとエメラルドの瞳はまるで陽光を照り返したようにきらきらと輝く。旅に出たばかりのリッツと比べると、世間知らずは共通だが、この前向きで真っ直ぐなところは正反対だ。

 リッツは苦笑しながら頭を掻いた。面倒を引き受けてしまったと思ったけど、これはこれで少し面白い存在かも知れない。自分とは正反対のこういう奴を見ているのも面白いものだ。

「絶対に犯人を見付けるんだから! 農業人の誇りにかけて!」

「農業人の誇りね……」

「うん! 私はこっちに行くね」

 一見元気そうなアンナが一歩踏み出そうとして、不意によろけた。二日ぶりに立ったのだから無理もない。とっさにリッツは手を差し伸べる。

 だがアンナはリッツの手を取らずにこらえた。今ここで転んだりしたら、またリッツに背負われる事ぐらい分かっているのだろう。

 しばらくじっと必死で足を踏ん張っていたアンナは、小さく息をついた。どうやら体のしびれをこらえているようだ。

「ほら、大丈夫でしょ?」

 自信満々といった感じに、アンナが笑顔を浮かべた。アンナの根性はとてつもない。それでも一応気を配ってやっていた方がいいだろう。

「そんじゃ、探すか」

 アンナを気にしないような口調で、リッツはアンナに背を向けた。フランツが少し先を腰を深く曲げたままゆっくりと歩いている。透明な杭は砕けたというから、そのかけらを探すしかないのだ。

 アンナが出来るだけ歩かないですむように、リッツは早足で遠くまで歩く。こうすれば残ったアンナはその周辺を探すしかないだろう。こういう気の使い方なら、アンナは気がつかないだろう。

 リッツはかなり丘を下ったところで振り返り、アンナとフランツの姿を確認してため息をついた。この広い畑で、長さ三十センチの粉々になった透明の杭を探すのは並大抵ではない。

 とりあえずノルスが『畑の周り』と限定してくれていたから中に入らずにすむ事だけはありがたい。

 かなりの時間を費やしたものの、全くその破片が発見されない。よくよく考えて見ればそれが砕けてから今まで二週間以上が経過している。その間も風は吹くだろうし、土も巻き上がるだろうから、透明な破片が目に見えるとは限らないのだ。

 日も傾き、秋の風が冷たく三人を撫でるころ、リッツはついに音を上げた。背が高いから、身をかがめるのは大変な重労働なのだ。

「休憩~」

 腰をトントンと手で叩き、最初の場所へ戻ってくると、リッツ同様疲れ切った顔でフランツが戻ってきた。アンナも戻ってきて、草の上に座り込む。

「見つからないね」

 先ほどの元気も半減してしまったアンナがポツリとつぶやいた。

「何か手がかりになるものがあればね」

 草の上に座り、足を投げ出したままフランツがぼんやりと呟いた。

「手がかりかぁ……」

 リッツもアンナとフランツの隣に座って空を見上げた。東の空が暗くなり始めている。今日はこれで諦めるしかないだろう。そう思ったとき、ふと気がついた。

「そういやさ、お前の矢、風の精霊の力を使えるようになってるんだよな?」

 何気なく思いつきをアンナに尋ねる。

「うん。風の精霊が大好きな素材で作られているから、ちょっと力を貸してくれるの。私は水の精霊使いで風の力なんて使えないから、ちょっと便利だよ」

「だよな。でもさ、その矢で、風の精霊の痕跡を探すのって無理か?」

 一瞬虚をつかれたような顔で、アンナが口をポカンと開けた。全く考えても見なかったようだ。

「え? どういう意味?」

「お前、前にこの矢は精霊にとっておやつみたいなもんだって言っただろ? もしこの事件の裏にこれを使った精霊使いがいたなら、ここにいたのは風の精霊って事になる」

「うん」

「なら、その矢で風の精霊に何らかの働きかけを出来ないか? もしまだ風の精霊がいるなら、反応を示すと思うぞ」

 リッツが提案した事にアンナも、フランツも口を開けてポカンとしている。二人とも見習い精霊使いみたいなものだから、精霊魔法の事をよく知らないのかも知れない。

 かくいうリッツは精霊魔法を操るスペシャリストである、精霊族出身だ。自分では精霊を使うことはおろか、見る事すら出来ないが、父と母を見ているから知識だけは豊富にある。

「そんなこと出来るの?」

 アンナが大きな目を更に見開いてこちらを見た。

「さあな。駄目なら今日は終了だ。夕飯までに宿に戻るだけさ。でも試すだけならタダだろ?」

 明るく笑みを浮かべて軽く言い切ると、アンナもにっこりと笑みを浮かべた。

「だよね! もしかしたら見つかるかも知れないもん、試してみたいよね!」

「おう。駄目で元々さ」

「うん!」

 元気を取り戻したアンナが、立ち上がって眼下を見下ろしている。何気なくリッツもそちらを見ると、ここからなら畑全体が見渡せることが分かった。

「え~っと、まずこの風の矢を用意して……」

 呟きながら矢筒から風の矢を取り出すと、アンナはそれを両手で地面に突き刺し、静かに胸の前で手を組んだ。深呼吸をすると、静かに祈る。

「歌と協調……そして自由を司る風の精霊よ、その姿を我の前に現せ」

 いつもの省略した祈りとは大分違うようだ。

「『風の精霊さん、何処にいるか教えて!』とは言わねえんだな」

 いつもとは違う祈りに、思わずリッツは呟いてしまった。それが耳に入ったらしく、フランツが肩をすくめた。

「アンナは水の精霊使いだ。風の精霊は本来使えないから、正式にならざるを得ない」

「なるほどな」

「僕だって……炎しか使えないし……」

 フランツが小さく呟いた。最近のフランツは、ランプなどの炎を媒介するものがあれば、小さな炎の球を作り出すことが出来るようになっている。

 それに念じれば松明に火を着けられるくらいになっていた。小さな炎を掌から出し、飛ばすことも出来るが、笑えるほどコントロールが悪い。

 旅路でそんなフランツの技が役に立つかといえば、料理だの火を起こすだの、ランプに火を灯すなどと、色々便利ではある。

 簡単に言えば、人間発火装置というところだろう。それでも実家に火を着けるよりも、有効だといえば有効だ。

「悔しいな」

 ふと呟いたフランツの言葉が耳に入った。微かにそちらを伺うと、羨ましげにアンナを見ているのが分かった。

 リッツもアンナを伺う。地面に突き立てた矢を前にして、祈りを捧げるその姿は、こうしてみれば立派な精霊使いだ。

 だがしばらく待ってみたものの、肝心の反応は何も無い。

「やっぱり無理だったか」

 リッツがフランツに小声で言ったまさにその瞬間、小さなつむじ風が起きた。その風が通った方向に薄ぼんやりとではあるが、光が見える。

 だがその光は、瞬いており、今にも消えそうだ。

「あそこだフランツ」

「え? 僕?」

「当たり前だろ。もし精霊がいたって俺には見えねえし」

「……そうだね」

 フランツが小さく息をいて立ち上がり、光の方へ早足で向かう。その姿を見送りつつも、リッツは額にうっすら汗が浮かべて賢明に精神を研ぎ澄ませるアンナの様子を確かめた。

 かなりきつそうだ。やはりまだ無理があったかも知れない。だが薄明かりを発する場所に着いたフランツが、大きく声を上げた。

「死にかけたエアリアルだ!」

 フランツが掌の何かをこちらに掲げて見せている。だがリッツの目には、薄暗くなってきた夜に溶け込むぐらい微かな淡い光しか見えない。

 知識として、エアリアルは少女のような外見を持ち、両手で持てそうな華奢な体は、透明でやや緑がかっている事を知っている。母親のシエラが好んで使う精霊で、子供の頃リッツは自分の髪を巻き上げられたり、手元のものを吹き飛ばされたりと色々いたずらをされた覚えがある。

 少し興奮気味なのか、フランツは小走りでこちらに戻ってきた。その手の中には薄い光がある。エアリアルだろう。

「リッツ、アンナ。動かないんだ」

 フランツは、気遣わしげに掌を見つめている。本来エアリアルは、四大精霊の一つ、風のシルフより下位にある風の精霊で、少女のような外見を持ち自由を愛する活発な性格である。

 なのに動かないとはただ事ではない。本来精霊は消えてしまう事はあっても、死ぬことはない。それほどに弱っているなら、よくここまで消えないで残っていたものだ。

「大丈夫かな……」

「俺には分からねえからな。アンナ、見つけたぞ。エアリアルだ」

 リッツが呼ぶと、アンナは矢を手にとって先ほどよりやや不安定な足取りで、エアリアルの側にやってきた。アンナもエアリアルを見つめて、心配そうに顔を曇らせる。

「フランツ、この子死んでないよね。どうしたら元気になるかなぁ……」

 困惑して顔を見合わせる精霊使い二人には、どうしたらいいのか手段が全く思い浮かばないらしい。だがリッツは解決方法を知っていた。

「多分力を使い果たしそうなんだ。精霊は死なないが、力を全て使い果たしたら消えちまう」

「じゃあ、どうしたらいいの?」

 エアリアルを助けようと必死なアンナに、リッツは簡単に答えた。

「力を分けてやるしかないさ」

 フランツとアンナは返事を聞いて余計困惑してしまった。

「どうやって?」

「一種の治癒魔法だ。精霊を扱う力をこの精霊に分けてやるんだよ」

「分けるの?」

「ああ。精霊を扱う時に使う力を、精霊自体に注ぎ込んでやるらしいぞ」

 自分で説明しながらも、リッツは苦笑してしまった。言葉には出来るが、精霊も見えないリッツにはまったく出来ない事だからだ。

「まあ出来るのはアンナぐらいだろ。元々お前が一番得意なのは、治癒魔法だ」

「うん!」

「でも傷を治すのとは違う。同じような風の力を与えてやらなくてはならないんだ。で、この矢を使ってみるってわけさ」

 リッツはアンナの矢を再び取り出した。この矢は風の力を使うことが出来る。自分が使う精霊が何であれ、その力を風に変えてしまうのだ。それならば、この矢をエアリアルに触れさせて、治癒魔法をかけてやればいい。

 説明を聞いたアンナは、嬉しそうに弓矢を手に取った。

「やってみるね!」

 自信満々にアンナは弓矢の先をエアリアルに触れさせて、自分は後ろを掴んだ。いつものように治癒魔法を唱えていく。

 風の矢は微かな輝きを放つものの、その光はエアリアルの中に流れ込んでいる様子はない。そして術者であるアンナの額には、大粒の汗が浮かんでいる。

 限界だろう。だがこのままではエアリアルが消える。微かではあるが、証拠になるものを失うのは惜しい。

「フランツ、お前の精霊力をアンナに分けてやれよ。それをアンナが利用するしかない」

「え……?」

「風の矢は、精霊使いの属性を選ばない、それならお前だって精霊力をエアリアルに分けてやれるはずだ」

「……でも僕は治癒魔法が使えない」

「そこんとこはアンナがやればいい」

「え?」

 困惑するフランツとアンナに、リッツは説明をする。

「お前は風の矢の上からとにかく精霊を操る力を、エアリアルに流し込むことだけ考えろ。アンナは矢の中心を持って、その力を治癒魔法に振り分けるんだ」

「そんなこと出来るの?」

 アンナがまじまじとリッツを見て尋ねてきた。そんなアンナにして上げられる事は、自信ありげに頷くことぐらいだ。なんと言ってもリッツは精霊使いの知識はあっても実力派皆無なのだから。

「フランツ、やってみようよ!」

 立つ気力すら残っていなそうなアンナが、力強くフランツを促す。フランツも頷いて風の矢に手を伸ばした。

「事件の日から今まで消えないで存在してるんだ、生命力は強い。やってみる価値はある」

 自分は何もしていないから言うだけだが、、言われた方の二人は堅苦しい顔で頷いた。それを実行してみる以外方法がない事を、二人とも十分に分かっている。

 二人の手が矢に添えられ、アンナの祈りが始まる。フランツは必死で矢を握り、口の中で祈っている。

 二人の額には必死の汗が滲んでいる。精霊力を持たないリッツには、二人がどのように力を込めているのか分からない。

 でも大変であることだけは感じ取れる。

 精霊力があったなら手助けできるのに、とふと考えてしまった。精霊族に生まれつつも精霊魔法を使えないリッツに取って、それは心に深く根付いたコンプレックスなのだ。

 後ろに結った黒髪も、凄腕の精霊使いである母にあやかって、精霊を見られたらいいのにという、いわばおまじないのようなものだ。

 しばらくしてフランツが、何かに気がついたように顔を上げた。微かに視線を巡らせている。そしてフランツは自分の胸に手を当てて何かを取り出した。それはフランツの手の中で光っている。大きさから見ると、それはフランツの宝玉のようだった。

 とたんにフランツの集中力が増した。落ち着かなかった瞳がすっと閉じられ、風の矢に光が満ち始めたのだ。自然と溢れる力は、触れた手を通してアンナの方に流れているようだ。

 やがて目を開けたアンナが、ゆっくりと祈りを捧げる。

「癒しを司る水の精霊よ。我の中に流れる精霊の力をエアリアルに分け与え、癒し賜え」

 淡く光っていた光が、ポッと灯った。アンナは、必死に自分を支えつつ、力を送り込み、フランツはひたすらに集中し続けている。

 やがてアンナはエアリアルから手を離し、フランツの手を優しく叩いた。フランツはそれで我に返った。

「もう大丈夫みたい……」

 アンナが笑顔でそういいながら、その笑顔のままばったりと前のめりに倒れた。昨日まで病床にいたものが使うのには、大技すぎたのだろう。

 完全に地面に衝突する前に、リッツはアンナを抱き留める。その顔は満足げで、術が上手くいったことが分かる。頑固な上に、それをやり遂げる実力。リッツはそんなアンナに舌を巻いた。

 こいつは大物になりそうだ。

「お疲れさん」

 意識を失ってしまったアンナを、リッツは抱き上げた。背負ったら落ちてしまいそうだ。

「お前もお疲れ。よくできたな」

「……なんとかね……」

 フランツはその場に仰向けに倒れ込んだ。しばし休憩が必要だろう。リッツもアンナを抱いたままその場に腰を下ろす。

 寝転がったフランツがポツリとつぶやいた。

「いたんだ……」

「ん?」

「僕の中にいたんだ……火竜が……」

 フランツは腕で顔を覆った。

「宝玉を握ったら、自分の中にえ上がる炎のイメージが湧いてきた。火竜はそれを僕の力の源だって言った。僕も炎の力を初めて感じ取れたんだ。炎は、自分の中にある。外にあるものに命じるものじゃないんだ……」

 一息にそう言いきったフランツはまた黙った。秋風が冷たく頬を撫でる。フランツの金の髪も風になびいて揺れていた。

「よかった。僕はちゃんと精霊を使える……」

 フランツのその一言で気がついた。火竜で家を燃やしてからのフランツは、マッチと同じように小さな火を灯すことがやっとだった。自分はやはり精霊使いの才能が無いのではないかと不安を感じていたのだろう。

 でもこうして精霊使いとして、エアリアルを助けることが出来た。それが精霊使いとしての自信と成長に繋がっていくだろう。

 リッツは未だ腕を顔に乗せたまま放心しているフランツと、意識のないアンナを見て眼を細めた。二人とも自分の目指すものに向かって、ちゃんと前を向いていこうとしている。その真っ直ぐさは、今のリッツにはないから、まばゆく感じた。

 この二人と比べると、いかに自分が怠惰であるかが分かる。前を向くことをリッツは拒否してしまっていたのだ。

 友と分かれたあの時から。

 だがこの二人を見ていると、何だかもう少し前を向きたくなる。もう少し気を抜いてもいいような気さえする。

 目的のない旅、先の長い旅。でもこの旅の間は、自分も楽しめる旅になるといい。

「とりあえず、宿に帰るか?」

「そうだね」

 よろめきながらフランツが立ち上がった。小さく輝きを放つ光を大事そうに抱え上げたフランツは、リッツの方に頷いた。

「エアリアルも連れて帰るよ」

「そうだな。エアリアルに会えただけでも大収穫だ」

 リッツはアンナを抱きかかえたまま立ち上がった。すっかり意識がない。このまま悪化させても困るし、さっさと宿のベットに放り込んでしまうに限る。ふとフランツを見ると、フランツは手の中にある光に、そっと触れているところだった。

「何ぼんやりしてるんだよ、置いてくぞ」

「今行くよ!」

 丁度日が沈み始め、西の方に綺麗な夕焼けが広がっていた。どうやら日暮れにはぎりぎり間に合ったようだ。明日からは、ようやく手にしたこの手がかりを元にした犯人探しだ。

『女神のてのひら亭』に戻る道を歩いていたリッツは、ふと思いついてフランツを見た。

「何?」

「実をいうとな、フランツが本当にアンナに力を送れるとは思ってなかったんだよな」

 静かにいうと、フランツは深刻な顔で頷いた。

「……僕も思わなかった」

 妙にしおらしい態度だったが、リッツはそれが少し誇らしいのだと感じ取った。

「それにアンナだ。エアリアルに力送れたもんな。あれって結構高度な技らしいからな、正直駄目かと思ってた。お前ら、すげえな」

 精霊使いの見習いに出来る事じゃない。でもこうして実戦を積み、諦めずにいることで二人とも大きく成長していくだろう。保護者としてそれは嬉しい限りだし、共に旅をする仲間ならば、なお嬉しい。

「腹減ったよなぁ~今日の夕飯なんだろう」

 真剣な自分言葉を誤魔化すようにリッツは、いつもの軽口を叩いた。

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