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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
大天幕に響く哀歌
145/224

<2>

 王国暦一五七三年九月上旬。

 ユリスラ王国特別自治区シーデナを出てから早二週間。一行は農業国であるユリスラ王国の隣国フォルヌ内にある、特別自治区ロシューズに辿り着いていた。

 山々に囲まれた広大な盆地の広がる光景は、見たこともないような不思議な世界である。

 高い山に囲まれているから圧迫感があるだろうと想像していたが、草丈の低い牧草地帯は思いの外広大で清々しい。

 その所々から覗く岩たちはみな一様に黒くて、ごつごつとした荒々しい姿をした火山岩だ。

 この盆地は中央に行けばいくほど高度が低くなっており、盆地の中央にはどれだけ深いのか分からない湖がある。ほとりから中心に向かって黄色から青へと色を変えていく、美しく澄んだ湖は自然にできたとは思えない色の変化を見せており、一種の芸術作品のようだ。

 早い話が特別自治区ロシューズとは、火山の火口という天然の絶壁に守られた、湖を中心とした巨大なすり鉢状の草原地帯なのである。

 聞くところによるとこの土地は、神話の頃ほどの昔に火山の噴火で出来たという。かくいうリッツもフォルヌに来ることは度々あっても、ロシューズに来るのは初めてだった。

 フォルヌはユリスラ王国と同じように王国制の国だが、地方に自治を認めるユリスラとは違い、全ての地区に執政官を派遣する、完全な王権制を敷く国である。

 国土の半数が森林と火山に覆われており、火山から出土する宝石類と鉄鉱石類による金属工業中心の国だ。

 のんびりとした農業国であるユリスラと違い、執政官と市民の間に争いが起こることが度々ある国で、全て平穏に収められているわけではない。

 だから傭兵であるリッツは時折、小遣い稼ぎにこの国を訪れていたのである。

 そんな中においても特別自治区ロシューズは、シーデナと同じように自由自治を認められている。

 エネノア大陸内にある亜人種の住まう地は、程度の差はあれども全ての国で特別自治が成り立っているから当然だが、その中でも彼らは特殊な地位にあるといえる。

 彼らは特別自治区に住まう亜人種たちの中で、最も国の命運を左右することが出来る一族なのだ。

 フォルヌ王室は、彼ら火の一族に対して忠実である。何故なら彼らの反感を買うと、最も重要な流通品を手にすることが出来なくなるからだ。

 その流通品とは白銀以上の強度を誇り、武器や防具に使えば無敵の強度を誇るといわれる、黄金に近い金属、黄銀と、全ての宝石の中で最も堅く、美しく輝く金剛石(ダイヤモンド)だ。

 ならば攻め落としてしまおうと、過去の王族の多くはロシューズ攻撃を試みたらしいが、その全てが徒労に終わり、攻撃をしかけた王は惨めな末路を辿ったといわれる。

 国家の軍が無惨に破れたその理由の一つは、ロシューズの立地条件にある。

 火の一族の住まう土地ロシューズは、高い山脈に囲まれた地域にあり、そこへ辿り着くのには崖に挟まれた細い道一本しかない。

 そしてその道にはロシューズに住む火の一族が天然の岩をくりぬいて作った砦があり、あらゆる防御手段を備えて巨大な壁のように外部からの侵入者を阻んでいる。

 当然侵入者はこの砦を突破する必要があるのだが、この砦は過去に落ちたことなど一度もない強固な代物だ。

 つまり彼らは国家の経済を左右する資源があり、外部からの攻撃に対して難攻不落の土地に住んでいるのだ。

 もう一つの強さは勇猛果敢な火の一族の戦士たちによる。火の一族の戦士たちは炎の戦士と呼ばれ、命より名誉を重要視する誉れ高い人々だ。

 彼らの土地から生成された、黄銀で出来た薄くて軽い上に強度の高い防具を素肌に身につけ、同じく黄銀で作った武器で敵とやり合うその姿は、まさに戦うため生まれてきた勇士なのである。

 実をいうとその勇士たちと戦うことが、リッツはものすごく不得手だ。

 赤い髪、赤銅の肌、そして輝く琥珀色の瞳を持った炎の戦士たちは、みな豊かな肢体をもった女性たちなのだ。それがみな例外なく純粋で美しいのである。

 そんな美女の叩き落とした防具の下から、豊かな乳房がポロリ……なんて事になったら、リッツとしては天国なんだか地獄なんだか、という状況だ。

 だからこの土地は、リッツが傭兵としてやってくる場合には相当な鬼門で、今まで近づくことすら敬遠してきた苦手な土地なのだ。

 ちなみにこの土地の男性たちはみな、ロシューズ内にある鉱山での作業に従事している。美しい女性たちとは異なり、背が低くずんぐりむっくりとしたその体は、鋼のように硬くて逞しい。

 しかも女たちと同じく綺麗な琥珀色の瞳は、暗闇でもよく見える特殊な瞳なのだ。

 そんな特殊な場所であるから、ロシューズに入るのは一苦労だった。

 それは今を遡ること一週間前の話になる。

 どうすればロシューズに入れるのか、解決策を見つけ出すより先に彼らはロシューズと最も近く大きな街、モティアナにたどり着いてしまった。

 サラディオ護衛団の馬車を操る馭者も、元はサラディオ商人専門の馬車を操っていて、その都合でここまでの道のりに詳しかったのだ。

 おかげで馬車と馬を中心とした旅路は思った以上に歩みが早く、当初の予想を上回る早さで目的地モティアナに辿り着いたのだが、そこからが長かった。

 何しろ彼らには、ロシューズに入る許可が降りなかったのだ。

 ロシューズから出る黄銀と金剛石を市場の中心としているモティアナは、他国からの買い付け人も多く、驚くほど人々で満ちていた。歓楽街もここまで来る途中に通った街とは較べ物にならないぐらい大きい。

 今までの旅路でたまった欲求不満を解消し、アンナの安全な保護者でいられるようにとの立前の元、リッツがきらびやかな女性たちが溢れかえる歓楽街で遊んでいられたのもたった一日で、それ以外はロシューズへ入る手段探しに奔走する羽目になった。

 なんで俺が……と文句の一つもいいたかったが、旅を共にしてきた一行を振り返るとき、自分しか適任者がいないことを知って愕然とする。

 最初のうちは、正面からの交渉ルートをエドワードに探して貰ったのだが、ここモティアナの執政官たちは融通が一切利かなかった。

 何と言ってもこの街はフォルヌ王室直轄地なのである。正面からのルートはこの王国フォルヌの王都まで行かないと貰えないようで、抜け道は無かった。

 この国の王都も海に近い場所にあり、山側から抜けてきたリッツ達にとって遙かに遠い。ユリスラ王都シアーズから船でも一週間かかるルートなのだ。

 このままフォルヌの王都まで往復するとなると、どれだけの時間が掛かるか想像するだけでもため息が出る。しかも王都へ行ったって正当な理由がない限りロシューズへの許可など降りない。

 例えユリスラの元国王としてエドワードが許可を得に行ったとしても、軍事的に重要な拠点であるロシューズを他国の元国王にあっさり見せるほど、フォルヌの王は甘くないだろう。

 となると、裏ルートから何らかの方法を得る以外無い。そうなればエドワードの出番ではなくなり、リッツが矢面に立つこととなる。

 エドワードは交渉する立場としては有能なのだが、裏ルートとなれば話は別である。それからフランツはあの性格だ。裏の意味をお互いに常に探り合い、妥協点を見つけ出すような交渉自体が無理である。

 自覚はないようだが、フランツは正義感が強く不正を許せない性格なのだ、そのあたりはアンナやシャスタと近い。

 そしてアンナ。彼女に裏ルートを探させるぐらいなら、自分が足を棒にしても裏ルートを見つけ出す方がいい。

 アンナは自分の可愛らしさに自覚がないのだ。なのに裏になんて関わらせたら危険すぎる。彼女を危険にさらすのは二度とごめんだ。もうこりごりした。

 それに裏の連中のルートを辿ってロシューズへの道を見付けるとなると、それ相応の駆け引きが必要になってくる。それが出来るのは、はったりで世間を渡ってきたリッツ以外にいなかった。

 裏ルートを探るとなるとそれ相応の危険がある。だから交渉に行くときにフランツやアンナを連れて行くのは不可能だ。

 そんな理由からアンナとフランツ、コンスタンツェの三人を、エドワードをいう保護者付きで移動遊園地と曲芸団の興行に放り込んだ。これなら安全だ。

 そしてリッツは裏ルートで自分の箔をつける目的で、スミスを連れあちこちの居酒屋や娼館などを回った。歓楽街の大きなこの街で、裏の情報を経ることは難しいことではない。

 だが全てが芳しくない。

 フォルヌという国で裏稼業を始められるのでは? というぐらいの情報量を集めたにもかかわらず、ロシューズに潜入する手段が一つもないのだ。

 ロシューズという街は、国家とロシューズに住まう者たちによって鉄壁ともいう強固な守りに固められていた。裏ルートなど、あり得なかったのである。

 途方に暮れたその時、活路は思いも寄らないところから開かれることとなった。ロシューズへ入る方法を見つけ出してきたのは、正式なルートからの撤退を強いられ、子供三人のお守りを担当していたエドワードだったのだ。

 その方法を見つけ出してきたエドワードの第一声は「リッツ、お前何か芸は出来るか?」であった。

「芸だと?」

 宿のベットでつぶれていたリッツは、扉を開けるなりそう言ったエドワードの思いも寄らないひとことに、疲れ切った体を起こした。

「そうだ。私は剣舞、アンナは水芸、フランツは計算がある。お前は何か一芸があるか?」

「一芸……」

 剣一本とはったりを人生の糧としてきたリッツに、そんな物があるわけがない。あるとすれば……。

「力……か?」

「まあ、そんなところだろうな」

 含み笑いを浮かべながら、エドワードは扉を閉めた。部屋に二人きりになると今までの威厳はどこへやら、ずかずかとリッツがつぶれている向かいのベットに腰を降ろして足を組み、雑な口調で尋ねてきた。

「お前の方はどうだ? ロシューズへの何らかのルートは掴めたか?」

「いや、無理。難攻不落だな、ありゃ」

「難攻不落だと?」

「そ。ネズミの入れる隙間もねぇって感じだ。扉が頑丈すぎて歯が立たねえよ」

 リッツがあまりに情けないことをいうと思ったのか、エドワードの目がスッと細くなった。口元には笑みが浮かんでいるくせに、この表情はちょっと意地悪くからからかってやろうという表情だ。

 案の定エドワードは小さく笑ってから呟いた。

「ほぉ。俺の裏の顔を担当した男にしては情けないことをいう」

「うるせぇ、俺は担当なんぞしてねぇ。担当はギルだ」

「だがその一番弟子はお前だろう?」

「けっ……」

 あまりに懐かしい人物を引き合いに出されたから、リッツは仰向けになりベットの上に再び寝転がって天井を見上げた。

 ギルとは当時エドワードの元で大軍を指揮した将軍、ジェラルド・モーガンが信頼を置き、若き日から親交を暖めたというギルバート・ダグラスという名の傭兵隊長のことである。

 大柄な男で片目をとある事情で無くしてはいたものの驚くべき力を持ち、軽々と片手で十キロ以上はあろうかという大剣を扱った豪快な男だった。

 性格もその容姿と何ら変わらず豪快で剛胆、そして女好きで酒好きで陽気で明るく、当時はまだ駆け出しで口ばかり達者だったリッツにとっては、軍における最も尊敬する大人であった。

 その上その男の持ち味は戦闘能力だけではなく、裏社会までも動かす恐れ知らずの知性と度胸だった。

 若かりし日のリッツはそんな交渉の場に幾度も連れ出され、空気までもが凍ったかのように張り詰めた場面にどれだけ冷や汗を掻いたか、すでに覚えてすらいない。

 戦争が終わりエドワードの元から去った時、リッツはこの男と、彼の従える傭兵部隊と共にあった。それから数年の間彼らと行動を共にしたが、やがてリッツは一人で放浪し始める事となる。

 その後もリッツは幾度と無く、その傭兵隊長率いる部隊と共に仕事をしてきた。戦闘区域で稼ごうとしたら、大体彼らの部隊は先に乗り込んでおり、しばらく間が空いたとしてもリッツをあっさり仲間として引き入れてしまうのだ。

 つまりはったりといい加減な駆け引きは、彼に習ったといってよく、しかも今現在使っている得物である大剣は、その隊長が傭兵を引退する際に餞別として譲り受けたものを、鍛え直したり、作り替えたりしたものなのである。

 その傭兵隊長が死んだのは随分前になる。自然と大剣を譲り受けていたリッツがほとんどの人員が当時とは入れ替わってしまっている傭兵部隊を引き受けたような形にはなったのだ。

 だが当然放浪癖のあるリッツは、その部隊をずっと率いていくつもりはなく、使えそう人間を数人、徹底的に鍛え上げて後継者にしてしまった。

 だが大剣を託して、ギルバートの心意気まで全てを預けられそうな男はまた出てこない。

 必要に迫られて幾度か傭兵隊長を歴任したものの、基本的にリッツは放浪者なのである。一所に数年いると、もうたまらなくどこかへ行きたくなってしまう。

 その放浪が数ヶ月なのか数年なのかはリッツ自身ですら分からない。

 今戦乱が起こっている北の地へ行き、後継者に預けてきたいくつかの傭兵部隊に顔を出したなら、隊長として再び遇されるのは分かっている。彼が傭兵部隊を離れてから、まだ一年しかたっていないから、率いていた部隊は未だ健在であろう。

 でもアンナという相棒を得た今、完全に自身の過去と未来を切り離すために彼らと話をする以外は、もう二度と戻れない事が分かっていた。

 そんな放浪するリッツに、現在の旅を始めるきっかけを作ってくれたのも、いってみればこの男だったのかもしれない。

 戦闘と駆け引きを教えてくれたその男の墓所を、リッツは旅に出る傍ら幾度も訪ねていた。

 昨年の春、傭兵部隊を抜けて放浪の旅に出ようとしていたリッツは、いつもの習い性で酒と煙草を手に、男の墓を訪れた。

 そこで『お前の答えを探せ』と語りかけてくる不思議な珠を拾ったのである。

 それが全ての始まりだった。

「寝たのか、リッツ?」

 過去のことに思いを馳せてしばし黙っていると、エドワードが眉を寄せ不信な口調で尋ねてきた。

「起きてる。お前が異常に懐かしいことをいうから、思い出しちまったぜ」

「過去を懐かしむとは、リッツ・アルスターも年を喰ったものだな」

「うるせぇ」

 ふて腐れてそういったところで、この話のそもそものきっかけを思い出す。

「で、一芸って何だよ?」

「一芸とは一芸だ」

「それがロシューズに入ることと関係あるのかよ」

「大ありだ。リッツ、曲芸団に入らないか?」

「……は?」

 あまりに意表を突いた言葉に、リッツは体を起こした。確かにリッツは職を模索中だが、何が悲しくて曲芸団なのだろう。

 呆れたため息を漏らしつつ、エドワードと反対側へ体を向けたが、次のひとことで飛び起きた。

「ロシューズで興行があるそうだ。それに我々数人を同行させて貰うことになった」

「マジかよ!」

 お先真っ暗だったロシューズへの道へ、初めて光明が差した。表のルートでも裏のルートでも駄目だったのに、こいつは幸運だ。

 だがエドワードは不思議な笑みを浮かべつつ、片手を広げてリッツの前に突き付ける。

「ああ。一応約束を取り付けたのは、五人だ」

「五人……?」

 指折り数ぞえてみながら首を傾げる。自分たち一行は四人だったはずだ。だがあっさりとそのもう一人が誰であるか分かった。

 エドワードはサーカスに三人の子供たちを引率していっていたのだった。子供扱いしたら、フランツとアンナは怒るだろうが、残る一人は確実に子供だ。

「……コンツェも連れて行くんだな?」

「ああ。何しろこの話を掴んできたのはコンツェとアンナだからな」

「コンツェとアンナぁ!?」

 予想外だった。何らかの手段でエドワードが掴んできた話だと思っていたからだ。

「サーカスを見に行っただろう? その時にコンツェがどうしてもテントの裏が見たいと言い張ってな」

 苦笑しながらエドワードが語り始めた。テントの裏にある猛獣を見たいと、コンツェが言い張ったのだそうだ。

 その目的がただ『動物が見たい』だとしたら可愛いのだがそうではなく、『この曲芸団が素晴らしい芸をするからサラディオに招待しようと思うが、猛獣の管理はどうなっているのか知りたい』だったというのだから恐れ入る。

 止めても聞かない様子のコンツェに同意したのはいつもの如くアンナで、渋るフランツと苦笑するエドワードを振り切って二人はさっさとテントの中へ向かってしまった。

 仕方なく保護者たるエドワードが先頭に立ち、いつものように気のいい老人のふりで猛獣を見せて貰うべく頼もうとしたところ、曲芸団の人々の争いを耳にしたという。

「花形の女曲芸師が、裏方の男と逃げたんだそうだ」

「……はは。ありそうな話だな」

「ありそうな話だ。だがこの女曲芸師は、この曲芸団で唯一無二の精霊使いで、しかも美しい歌の歌い手だったそうで、後釜が見つからんということだった」

「精霊使い……」

 嫌な予感がする。

「興行を行うためにロシューズに入るのは明日の夜。翌日の朝から仕度を初めて、次の日の夜に興行を開始するそうで、二日間の猶予がある。それを聞いたアンナが……」

 やはり来たかと、リッツは小さくため息を付いた。予測が付いている分、もう言葉も出ない。そんなリッツの様子を面白そうに眺めてから、エドワードは楽しそうに笑う。

「何と言ったか、当ててみろ」

 からかわれているのを知っているが、思わずリッツはアンナがよくやるように、両手を胸の前の高さで握りしめた。

「私精霊使いなんです! お手伝いします! ……だろ?」

「その通りだ。いなくなった精霊使いは、アンナと同じく水の精霊使いだったが、アンナと違って相当に力は弱かったようだな」

「で、俺たちはアンナの付き添いに雇われたわけか?」

「イエスでもあり、ノーでもあるな」

「なんだよそれ」

 これ以上何かあるのかと眉を寄せると、エドワードは楽しげに頬を緩めた。

「知っていたかな? あのサラディオ領主は、お前同様、大層な遊び人だと言うことを」

「知ってるけど、俺とあのガマガエルを一緒にするな」

 フランツの愚痴から察するに、ヴィル・ルシナは女相手にも金をケチるそうである。リッツの場合、女相手にケチったことはない……はずだ。

 不機嫌にそういったのだが、聞こえなかったふりであっさり流され、エドワードが続きを話す。

「では彼が個人で後宮を持っていることは?」

「男のロマンだな」

「フランツに言ってやれ、燃やされるぞ」

「いわねぇよ。俺だって命が惜しい」

 そういって黙ると、エドワードは微かに笑う。

「続けるぞ。ヴィル・ルシナの後宮には現在の正妻と、見初めてきた将来の正妻候補たちがいる。正妻候補者のほとんどが、酒場や舞台で見付けてきた舞姫や歌姫なのだそうだ。当然フランツとコンツェの母親たちもそういうことになる」

「舞姫か歌姫だと?」

「そうだ。フランツの母親は有名な舞手で、コンツェの母親は、有名な歌姫だったそうだ。生まれてから母親が彼女の元を離れるまで、コンツェは母親の歌で育ってきた。つまり……」

「コンツェは歌が上手いのか?」

「抜群にな」

 そういって意味ありげに言葉を切ったエドワードに、言わんとしていることが分かった。

 男と逃げた女曲芸師は、精霊使いで歌い手だった。アンナは精霊使いだが、歌う歌は子守歌と村祭りの歌と、お腹が空いた歌ぐらいだ。アンナの子守歌で喜ぶ大人など、リッツぐらいしかいない。

 そしてコンスタンツェは歌い手。つまりこの二人が二人で逃げた女の後釜に立候補した、ということなのだろう。

「アンナは分かるが、何でコンツェまで?」

「我々がロシューズに入るために苦心しているのをコンツェは分かっていたからな。彼女は少しでも、大好きな兄貴にいいところを見せたいのだろう」

「なるほどな」

「保護者として俺が共に行くことになった。そこにフランツとお前をねじ込んでおいた」

「ねじ込む?」

「そうだ。もう一人の逃げた裏方の男の仕事は、フランツとお前で肩代わりするとな」

「なるほどな」

 運がいい。今の旅を始めてからは、びっくりするほど幸運続きだ。リッツは密かにアンナがいるおかげだと思っている。彼女が首を突っ込んだことで、活路が開けているのだ。

 まあいつかしっぺ返しが来るかも知れないが、今はこの幸運をありがたく受け止めておこう。

「どうだ? いけそうか?」

「ん~、それしかねえよな」

「そうだろうな。それでは決定でいいな?」

「おう」

 そんな理由からここまで一緒に来たサラディオ護衛団を残して、五人と火トカゲのサラは女性の団長が率いるマルグリット曲芸団のロシューズ興行限定団員として、晴れてロシューズの地に足を踏み入れたのである。

 そんな念願のロシューズの地でリッツが何をやっているのかといえば、純粋なる労働者としての力仕事だ。消えた男の変わりにテントを立てる作業や、子供用のエアバルーンを膨らませる作業に追われているのである。

 力仕事は得意中の得意だから全く辛くはない。

「あっつう……」

 ただ暑いのだけは辛い。九月も半ばであっても暑い陽射しがじりじりと照りつける残暑であり、夏の残り火は未だガンガンに燃えさかっている。

 そんなわけだから、この暑い中でリッツの背に背負われているのは大剣……ではなく柄の長い大きなハンマーである。格好も半袖シャツに、大きくてやたらと足回りに余裕がある繋ぎのズボンだ。

「意外とあるもんだよな、こういう職業……」

 ふと仕事の切れ間にリッツは空を見上げてそう呟いた。じりじりと太陽が照りつける中、晴れ渡ったに夏特有の質感ある雲が湧いている。

 こういう職業とは当然、旅路で腕にアンナを抱いて眠ったときに探さなくてはと思った、自分向きの職業のことである。

 力仕事が役に立って、それで人を楽しませることが出来る仕事。しかも世界各国を放浪しているときた。

 唯一にして絶対に足りないものはたった一つ。アンナの望むように人助けを出来ないと言うことだろうか。全部が全部揃うなんて事は、きっとあり得ないのだろう。

「おーい、兄ちゃん、こっち頼むわ!」

 真っ黒に日焼けした年配の男が、リッツに向かって張りのある声を掛けてきた。休憩している暇もない。リッツは革手袋をつけ、ハンマーを悠々と持ち上げてから大声で答えた。

「今行く!」

 リッツは乱暴に拳で汗を拭って仕事に戻った。まだしばらく暑い日が続きそうである。

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