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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
消えた薬草を追え
11/224

<3>

「……癒しを司る水の精霊よ、この毒を癒して……」

 背中に背負ったアンナが、何度目かの癒しの祈りを捧げる。先ほどに較べると徐々に声に力がなくなって来ている。毒に犯された上に、精霊力を使いすぎて、ほとんど力が残っていないのだ。

 祈りはすでに気休めとなってしまっている。アンナはすでに、自分の力ではどうしようもないことに気がついているようだった。

 意識を失わせないために、辛い呼吸の中でリッツは、おりをみてアンナに話しかけ、励ました。

「もう少しだからな、頑張ってくれよ」

「……うん……」

 アンナの声には全く力が無い。体中に毒が回り始めているのだ。あの噛まれよう、本当ならもう死んでしまってもおかしくないのだが、やはり治癒魔法をかけたのが幸いしている。

 だがその効果もここまでだ。アンナの意識が徐々に薄れてきていることに、リッツは気が付いていた。

「……リッツ……私、死んじゃう?」

 安心させようとかけ続けるリッツの言葉に、アンナがそう尋ねた。聞いたことがないぐらい弱々しい問いかけに、リッツは黙る。

 背中に感じているアンナの体温が、徐々に下がってきていることを、リッツは実感していた。だからこそ、一瞬言葉につまったのだ。

「ばーか、死ぬかよ」

 軽口に見せかけて、ようやくその言葉が口から出てきた。村はまだなのか……焦燥感だけが募る。

「もうすぐだから、な?」

「……うん……」

 アンナがぎゅっと背中にしがみついて、頬を寄せた。手が何かに縋るように服を掴む。その事がリッツには「死にたくないよ」といっているの様に感じられる。

 自分は一五〇年も生きてるくせに、まだ三十年しか生きていないアンナを不注意で死なせてたまるかと、気持ちばかりが焦った。

 ヴィシヌの村で彼女を知った時、世間知らずだった昔の自分とアンナの姿がかぶった。リッツも旅に出たばかりで死にかけた経験がある。

 その時助けてくれた人が、リッツの大切な友となった。あの時生き延びたことがリッツを変えた。だからリッツは彼女をアントンから預かった責任と、彼女を連れて来た責任を負って、アンナを助ける義務がある。

 その時、トゥシルの村が視界に入ったた。これならどうにか大丈夫そうだ。

「ほら、見ろ、トゥシルだ。間に合った、じゃんか!」

 息を切らして、アンナに語りかけたが、返事がない。意識を失ってしまったようだ。

「お、おい、アンナ?」

 リッツも青ざめた。相当大変な状況になっている。これは、早く薬屋に駆け込まなくては。

 アンナの信頼に満ちたエメラルド色の瞳と、満面の笑みを思い出して、手が震える。今まで生きてきた生涯の中で、アンナほどリッツを無条件に信頼し、頼ってくれた人はいない。

 助けられなければ、アンナ自身の信頼に答えられないじゃないか。

 トゥシルの村の入口が見えてきた。まだ大丈夫だ、まだ間に合うと心の中で自分に言い聞かせ、リッツは、大慌てで村に駆け込んだ。

 リッツの記憶ではこの時期、薬草の出荷で賑わっているはずだ。村のあちこちで色々な街からやってきた商人達が薬草を大量購入しているだろう。

 だが、村に入ったとたん、その想像が外れていたことを知った。リッツの予想に反して、村には全くと言っていいほど、人気がなかったのだ。商人もいなければ、薬草を買い求める旅人もいない。それどころか歩いている村人もいないのだ。これではまるでゴーストタウンだ。

「なんだよ、これ」

 アンナを背負い、急ぎ足のまま、村のメインストリートに当たる部分を歩くが、開いている店が一つもない。薬草屋の看板は、驚くほど多いのだが、全ての店が堅く木戸を閉め切ってしまっていた。

 こんな状態の村を見るのは初めてだ。裏道にはいると、普通の家々までも扉を固く閉ざしている。一体何があったというのだろう。リッツには想像もつかない。

 家の中から、彼らの姿を伺っている気配は感じるから、誰もいないというわけではなさそうだ。そのくせ家から出てくる様子はいっこうにない。

 リッツは、半分走りながら人の姿と薬草を求めて村の中を探し回る。

 だが開いてる店は、飲食店も含めてものの見事に一件もなかった。呆然と村はずれまで歩いてきてしまったリッツは、ようやく開いている店を発見したが、そこに書かれているのは『女神のてのひら亭』という文字。

 薬屋ではなく、宿屋兼食事処だった。

 希望を持ってこの村までやってきたリッツは、苛立ちと戸惑いで、宿屋の看板を殴りつけて叫んでしまった。

「一体全体、どうなってんだよ!」

 その叫び声を聞きつけて、宿屋から人の良さそうな中年の女性が、驚いた顔で飛び出してきた。他に人がいないか辺りを見渡し、リッツ達だけなのを改めて確認する。

「あなた、あなた!」

 小声で女性が呼ぶと、続いてその女性の夫と思われる男が飛び出してきた。夫婦は、リッツと、背中に背負われたアンナを見て、驚いた顔をし、二人を手招きした。

「どうしたんだい、その子、病気かい?」

 旦那の方が、近づいてきた二人に小声で、そう尋ねた。リッツも自然と小声で答える。

「毒蛇に噛まれたんだ……」

 リッツが苦り切ったような顔で呟くと、夫婦は顔を見合わせて、頷いた。

「あの毒蛇か。あいつには手を焼いているさ」

 男はそう言うと、リッツをじっと見つめた。

「あんた、商人じゃないね?」

 どうやらこの小声の理由は、商人を恐れての事らしい。リッツが大きく頷くと夫婦は小さく頷き、二人を宿の中に招き入れてくれた。

「入りなさい。毒消しの薬草を分けてあげるよ」

 男の言葉に、リッツは足の力が抜けるほど安堵した。だがここで転がるわけにもいかない。まだアンナを背負っているのだ。口からは、安堵の吐息と共に力無い言葉が漏れた。

「本当に? 助かった~」 

 意識のないアンナを背負って、リッツは、宿屋兼食事処『女神のてのひら亭』へ足を踏み入れた。

 『女神のてのひら亭』の中は、暖かみのある作りで、あちこちに手製のリースや、積んできた野の花が飾られていた。二階は宿、一階は食堂になっているらしい。

 だが食堂といっても、椅子とテーブルは、ほんの十人分くらいしかない。本当に小さな宿のようだ。

 店の主人は先ほどの男で、リッツとアンナを二階の部屋に招き入れてくれた。部屋にはベットが二つあり、ここも丸太づくりの落ち着く部屋だった。先ほどまで一緒にいた妻の方は、慌ただしく台所に走っていった。

「さあ、この部屋を使ってくれ。今は他に泊まり客もいないんだ、自由にしてくれていいよ」

 主人はそういうと、ベットの掛け布団をめくり、リッツの背中からアンナを降ろすのを手伝った。かなり青ざめてはいたが、幸いなことに呼吸はまだ乱れていない。大丈夫そうだ。

 台所に行っていた妻が階段を駆け上り、お湯を張った桶と、小さな陶器の器、真新しい布を持って、部屋にやってきた。何故か手には『小麦粉』と書かれた壺を抱えている。

「お待たせ」

 妻は、小麦粉の壺を目の前で開いた。中身を見てもどう見てもそれは何の変哲も無い小麦粉だ。

 不審な顔をするリッツを横目に、彼女はおもむろに小麦粉の壺に手を突っ込む。しばらくかき回した後、ようやく一つの布袋を取り出した。小麦粉にまみれてはいたが、その布袋には、小さく『毒消しの薬草』と書かれている。

「こうしておかないとならないの」

 妻は困ったような顔をして笑って袋を開け、中身の半分を陶器の器にあけた。中からでてきたのは、濃い緑色の薬草と、赤い薬草の混ぜ合わされたものだった。それに少しだけ桶のお湯を注いでこねる。

 出来上がったものは、茶色のペースト状のものだった。これが、トゥシル産の毒消し草だ。

「さあ、傷口を見せて頂戴」

 彼女はそういってアンナの近くに寄った。リッツが傷口に被されていた布を取り払うと、噛み傷は大きく変色し、広がっていた。

「酷いわね……でももう大丈夫」

 傷口を丁寧に新しい布で拭き、血を取り去ったところに、ペースト状の薬草を載せた。すると、薬草がどんどん紫色に変わっていく。

「毒を吸い出してるのよ」

 見ていたリッツをに子供を諭すかのようにいうと、彼女は作業を続けた。変色しきった薬草を布で残らず拭き取り、新たな薬草を載せる。そしてそのまま、新しい布で腕をグルグル巻いてしまった。

 小袋の中にまだ残っている薬草を、ベットの近くにあったカップに少し入れ、妻は桶と小麦粉の壺を片付けに階下に降りていった。

 しばらくして戻ってきた妻の手には、鍋に入った熱湯があった。それを先ほどのカップに注ぐと、部屋中に緑のよい香りが満ちる。この香りも、毒を消す効果があるということだった。

「冷めたら、飲ませてね」

 夫婦がでていった後、しばらくベットの近くの椅子に腰掛けていたリッツだったが、アンナの顔色が少しずつ良くなっていくのをみて、ようやく安心し、ため息をついた。これで本当に大丈夫そうだ。

 ため息をつきながら、リッツは汗で濡れたアンナの額を、布で拭ってやった。

 子供連れで旅なんて面倒だなとか、目的が無いんだからいつもと違う旅もいいかななどと軽く考えてきたリッツだったが、アンナがこうなって初めて自分に課された責任の重さに気がついた。

 二人は一応リッツを信用してくれている。つまりリッツは二人の保護者として二人の信頼に応えなければならないのだ。もうここまで来て二人を放り出すなんて無責任は出来ない。

 自分の手をじっと見つめてみる。

 剣を使うことしか取り柄のないリッツだが、今この両手にアンナとフランツという二人の庇護者の命を握っている。二人を共に連れて行こうと決めたのだから、リッツは二人を守らなくてはならない。二人が安全に、安心して旅を続けられるように守るのが、リッツに課された役割だ。

 今までみたいに放浪し、生きたいときに生き、死にたいときに死ぬわけにはいかない。

 こんな責任という重みを持った旅は初めてだ。リッツは胸元に潜ませた宝玉に、服越しにそっと手を触れた。

 何か分からない存在に、探せと言われた。今までのような旅ではなく、今のリッツの旅は、何かを探す旅なのだ。だからこの旅路では、アンナとフランツの二人を守り、保護者として、仲間として旅をしてみよう。

 今までとは違った何かが見えてくるかも知れない。

 決意を持ってリッツはアンナを見つめた。微かに開いた唇から苦しげな呼吸が漏れる。今はとにかくアンナを助けることが最優先だ。 

 冷めてきたコーヒーのような色の液体を少しずつむせないようにアンナに飲ませると、徐々に手足に暖かみが増してきた。毒が回った腕に触れることは出来ないから、冷たく血の流れが滞った手足をさする。

 馬鹿みたいに体力があるアンナだが、こうして触れてみると、とても小柄で華奢だ。考えて見ればまだまだ子供なのだから、もっと手を貸してあげた方がいいのだろうか。

 でも孤児院での彼女を見ていると、子供扱いするのも違うような気がして悩む。孤児院の世話役を務めていたアンナは、完全に大人だった。

 リッツは一人っ子で姉弟がいないから、実際に共に旅する年下の二人にどう接するべきか全く考えていなかったのだ。

 そんなことにも気がつかされて、リッツは一人頭を抱えた。しまった。本当に考えなさ過ぎだった。


 数時間の後、悩みつつも安定してきた様子のアンナを確認して、リッツは階下に降りることにした。アンナの症状が落ち着いているのだから、まずここの宿の夫婦に礼を言わねばならないだろう。

 階下に降りると、食事処の椅子に座っていた夫婦は同時にリッツを見た。心配していたらしい。

「大丈夫なの、娘さん?」

 近くの椅子を勧めながら、夫人がとんでもないことを言い出した。どうやら、アンナをリッツの娘だと思っていたらしい。とんでもない誤解だ。

 確かに実年齢的には、合わなくもないが……。

「いや娘じゃなくて……連れなんですけど」

 リッツが椅子に座りつつ、頭を掻いて否定すると、宿の主人は妻の脇を、つついた。

「だから父親にしては若いっていったろ」

「そうよね」

 どうやら二人は心配しつつ、リッツとアンナの関係について考えていたらしい。何とも呑気である。それだけ自分たちの村の薬草の効能に自信があると言うことかもしれないが。

「助けてくれて、ありがとうございました。本当に助かりました。俺は、リッツ、連れはアンナといいます。あともう一人の連れと三人で旅をしてます」

 お礼と自己紹介をかねて、リッツはそう頭を下げた。旅先で精霊族であることや、傭兵である自分の立場を明かさない場合は、極々丁寧に。人間社会で生きていくためには、これが基本だ。

 特に助けて貰ったとあればなおさらである。

「三人? もう一人はどうしたんだい?」

「急いでたんで、置いてきました。すぐ来るだろうけど」

 そういえばフランツは大丈夫だろうか。

 しまった、アンナのことばかりに気を取られて、こっちがおざなりだ。本当に保護者は難しい。

 だが苦笑して頭を掻いたリッツに、宿屋の夫婦は好感を覚えたらしい。

「私は、この宿屋の主人、モリス・ルーベイ、こちらは妻のフィリアだ。アンナちゃんが元気になるまで、泊まっていくといい」

 モリスは、リッツにそう勧めた。

「ありがとうございます、助かります。で、代金は一日どれぐらいになります?」

 恐る恐る尋ねる。何しろ三人には路銀がない。もし高ければ野宿覚悟なのだ。だがモリスは笑って首を振った。

「ご覧の通り宿はガラガラさ。何、親戚の家に来たつもりでのんびりして行きなさい。その代わり、もてなしを期待せんでくれよ」

「ありがとうございます!」

 これで、アンナが元気になるまでの宿は確保できた。しかも無料ときたもんだ。村に入った時はどうなることかと思ったが、何とかなるものだ。やはり自分たちは、運がいい。

 だが喜ぶリッツとは対照的に、夫婦は何となく申し訳なさげにため息をつく。

「ただ、見ての通り村はこの有様で、たいしたもてなしは出来ないかもしれないがね」

「とんでもない、泊めてもらえるだけで、本当にありがたいですよ」

 これ以上のもてなしを期待したら罰が当たりそうだ。慌ててそういうリッツを、妻のフィリアはさらに申し訳なさそうに見つめた。

「毒消し草もね、あと少ししかないの。大丈夫だと思うんだけど、もし毒の症状が悪化したら手の施しようがなくて……」

 トゥシルは薬草の村で知られている。それなのにここまで薬草が不足するとはただごとではない。

「この村に来るの初めてじゃないんだけど、何だか変っすね、今年は。何かあったんですか?」

 実はリッツは、旅に出た四十年ほど前に、この村に立ち寄ったことがあるのだ。丁度季節もこの頃だったと記憶している。その時のトゥシルの賑わいは、今も脳裏に焼き付いていた。

 リッツを見て話そうか逡巡していた夫婦だったが、決心したように口を開く。

「実はねぇ……」

 その瞬間、『女神のてのひら亭』の入口で何かが倒れるような物音が聞こえた。誰かがやってきたらしい。

「あなた!」

 とたんに緊張した声で小さく叫ぶとフィリアが立ち上がり、夫の後ろに隠れた。彼らは何かを恐れている。そういえば、リッツがたどり着いた時も、かなり周りを気にしていたようだった。彼らは何かに怯えているのだ。

 ならば戦闘職のリッツが矢面に立つのが正解だろう。リッツは、静かに腰を上げた。

「出ますよ」

 言葉もなく、ルーベイ夫妻が頷いた。状況は分からないが、とにかく怪しい奴なら追い返せばいいだろう。武器など持っていないが、リッツは素手の喧嘩で負けたこともない。

 のんびりと扉の前に行き、気楽に扉に手をかける。その時、とぎれとぎれに死にそうな声が扉の向こうから聞こえた。

「……す、すみ……ません……」

 リッツにはその声に聞き覚えがあった。そういえば、あの短い距離なら、頑張れば今頃フランツは、ここにたどり着くだろう。

「すみ……ません……」

 ノックをする音も弱々しい。リッツが慌てて扉を開けると、勿論そこに立っていたのは、綺麗なはずの金髪を振り乱し、服の所々に裂け目を作り、泥と汗にまみれたフランツその人であった。

 フランツはリッツの荷物を引きずり、斜めにかしぎながらやっとの思いで立っているようだった。ここに来るまでに何度も転び、何度も起きあがってきたのだろう。

 ほんの数時間ほど前にはあった、端正なお坊ちゃんという雰囲気は何処にもない。どちらかというと浮浪者のようだ。

 フランツは開いた扉の隙間に、ゆっくりと視線を向け、長い時間をかけて、ようやくその視線の先にいる人物が誰かを理解する。

「……リッツ……」

「ようフランツ。アンナよりお前が死にそうだな」

「冗談言ってる場合じゃない……」

 文句を言いつつも気が抜けたのか、フランツはゆっくりと崩れ落ちるように、リッツの腕に倒れ込んだ。しっかりと意識を失っている。

「お、おい! しっかりしろよ、フランツ!」

 リッツとフランツのやりとりをみていた夫妻は、客が恐れていたものではないことを確認し、慌てて戸口へ走ってきた。

 それからリッツの腕の中で気を失っている薄汚れた金髪の少年を見て、目を丸くする。毒にやられた少女を担いできた大男、ずたぼろになった金髪の少年……この夫婦が宿屋を始めてから、こんなに奇妙な一行が転がり込んできたのは初めてだろうな、と少し申し訳ない気分になった。

 リッツ一人なら普通の旅になるだろうに、アンナとフランツと一緒だと、俄然波乱含みなのは気のせいか?

「すいません、ベットもう一つ借りられます?」

 フランツを両腕に抱えたまま、リッツはへらっとルーベイ夫妻に笑いかけた。

 それから数時間、リッツは二人の看病に追われた。アンナの様子を見て、冷ました薬草入りのお湯を飲ませ、疲れで熱を出したフランツの額に、冷たい布を載せて換える。

「俺、何だか二人のお父さんになった気分……」

 複雑な表情で、階下に降りてきてフィリアの作った夜食を食べながらリッツはついついぼやいた。

「二人とも、早くよくなるといいわね」

 夜も更けてきたというのに、付き合ってくれている人のいいフィリアに感謝しつつ、暖かいポタージュをすする。彼女は、寝込む二人のために、お湯を沸かしてくれたり、冷たい布を何枚か用意してくれたり、様々に気を配ってくれた。

「俺が倒れそうっすよ……」

 ため息をつくリッツを、フィリアはまるで子供でも見るかのように、ほほえましく見守っていた。

 この夫婦には子供はいないらしい。だから見た目二十代半ばのリッツが子供のように感じられるのだろう。それにフィリアは、アンナとフランツの二人をかいがいしく世話するリッツに、何となく好感を感じているらしい。

 まさか自宅に帰り、新たな旅に出た時はこんな事になるとは夢にも思っていなかったリッツだが、実を言うと人の世話をする状況には慣れている。父親と喧嘩をして家出する前のリッツのごくたまに与えられる仕事は、子供たちの面倒を見ることだったのだから。

 穏やかに話すフィリアに宿屋の女将さんは、こんな感じで、聞き上手じゃなくてはなぁと、しみじみ感じながら、リッツは夜食を噛みしめた。

 夫であるモリスは、転がり込んだ怪我人二人のために、外の井戸に水を汲みにいってくれた。本当にいい宿だ。自分たちだけで独占しているのは申し訳ないような気がする。

 しばらく談笑が続いた後、二人はモリスの帰りが遅いことにようやく気がついた。井戸で水を汲むといっても、家のすぐ裏でのこと、こんなに時間のかかることではない。

「どうしたのかしら? 何かあったのかもしれない」

 不安そうに首を傾げるフィリアをみて、同じ心配に駆られたリッツは、立ち上がった。

「モリスさんを手伝ってきますよ」

 フィリアにこれ以上の心配をさせないように、ランプだけを持ち、気楽な感じでぶらぶらと宿の裏口から表にでた。

 秋口とはいえ、森のまっただ中にあるこの村はもう夜の寒さが身に染みる。

 看病のために何時間も宿の中をウロウロしていたリッツは、もう井戸の場所から何からを、大分頭に入れてしまっていた。そういうことを覚えるのが根本的に得意なのだ。

 井戸の所まで来ると、モリスの姿が見えた。

「モリスさ~ん」

 気軽に声をかけて手を振ってから、ふと気がつく。モリスの他に誰かがいる。

「リッツ君!」

 モリスの声が緊迫している。どうやら不安は的中していたらしい。

 モリスの側に歩み寄ると、彼は数人の男たちに囲まれていた。

 服装からして、囲んでいる側の男たちは、商人のようだ。しかも、少し柄が悪い。

 リッツは、ひょいっと何気ない風を装ってモリスと商人の間に立った。

「お前ら、こんな夜更けに何の商売だ?」

 落ちていた小枝をひょいと拾い上げながら、リッツが男達の顔を見た。

「なんだお前は?」

 低い声で男達が尋ねる。

「通りすがりの正義の味方……なんてな」

 軽口を叩きながら、男達を観察する。どうやら剣技を使えそうな雰囲気の奴は一人もいない。腰に吊った剣は護身用だろう。

「てめぇには関係ねぇ。怪我したくなかったらどっかいってな」

 脅してくる男達は、リッツが全く脅える様子がないのを見ると、ことさらに腹が立ってきたようだ。ここは相手を逆上させた方が勝ちだ。

「時間外の商売してると、お兄さん怒っちゃうよん」

 おどけたリッツに、男達は掴みかかってきた。

「このやろう!」

 どうやら二人がかりなら、この奇妙な男に勝てるとでも思ったのだろう。だが、甘い。

 口元を緩めてリッツは片手で軽く小枝をしならせた。こんなもんでも余裕だ。

 手にした小枝で、リッツは軽く男たちの手を叩く。高い音を立てて男たちは手にしていた剣を取り落とした。すかさずリッツはその剣を遠くに蹴り飛ばしてやった。

「使えねえんなら、剣を持つなよ。危ねえだろ」

 からかいながらリッツは笑いかける。アンナと出会ってから荒事を封じていたから、ちょっと楽しくなってきた。

「こいつ、ただもんじゃねぇぞ……」

 こそこそと話している男達を前に、リッツは木の枝を持ったまま腕組みした。

「だから怒るぜっていってるだろ」

 リッツは小枝を持っていない手でランプを掲げて、男達の襟元を見た。つい最近、かなり多く目にした紋章が目に入る。

「ふ~ん、サラディオの商人か」

 この国の商人は、自治領区に属している。だから各自治領区所属を示す紋章を、襟元に留めているのだ。リッツはそれに目を付けたのだ。

 笑みを浮かべながらいうと、男達は紋章を隠して後ずさる。

「おっ? 知られたくねえってか?」

 男たちが怯んだ。それこそ、つけ込むチャンスだ。

「俺さ、ルシナ家に知り合いいるんだよな。あくどい商売してる連中がいるって、教えてやろうかなぁ」

 おちゃらけの中にある、リッツの威圧感に、男たちは顔を見合わせてから慌てて逃げ出した。やはりルシナ家の威力は、サラディオ自治領区である、この村でも健在だ。

 穏便に総てを納めるなら、こうして静かにご退場願うのが正解だろう。ルシナ家の名前を使ってしまったことを知ったら、フランツは怒るだろうが、まあここは黙っていよう。

 いわなければ知られないし、知られなければ大丈夫。

 男達が去ったあと、リッツは持っていた小枝を投げ捨てて、モリスを振り返った。

「怪我は?」

 リッツと男達のやりとりに、度肝を抜かれていたモリスが、頷いた。

「ああ、大丈夫。ありがとう」

「何です、あいつら?」

「薬草を狙ってこの村に来ているんだ。残り少ない薬草まで奪われてしまう……」

 ボソッと呟いたモリスはここでは何だから、とにかく中に戻ろうとリッツを促して、宿の中に入った。

「どうしたの、あなた」

 青い顔で宿の中に入ってきたモリスを見て、フィリアが心配そうに声をかける。

「奴らだ……」

 その短い一言で、フィリアは何か理解したらしい。青ざめた顔で、頷く。

「しっかり戸締まりしないとね」

 そういうなり、後ろも振り向かずかけだして行ってしまった。フィリアがでていった後、モリスは疲れ切ったように、椅子にどさっと音を立てて座った。そのまま顔を覆う。

「リッツ君、すまないが明日にしよう。私はもう疲れて……」

 モリスは顔を覆ったままくぐもった声でそういった。こんな表情でいわれてしまったら、リッツも従うしかない。

「じゃあ寝ます。何かあったら起こしてください」

 一応そう頼んでから二階に上がり、もう一度フランツとアンナの様子を見た。何だかフランツの寝顔が苦しそうだ。悪夢でも見ているんだろうか?

「まさか、ルシナ家の知り合いって言ったこと、気づいてるんじゃないだろうな」

 リッツは小さくひとりごちた。もしそうなら、フランツは千里眼だ。無論そんなことあるはずもない。

 アンナの方が、フランツよりも数倍心地よさそうに眠っている。すぐにでも目を開けて、走り出しそうな感じである。どっちが毒にやられてるんだか、まったく分からない。

「まあ、ひとまずよかったよかった」

 二人の部屋を出てあてがわれた自室に入り、眠ることにした。実をいうとアンナを背負って一時間の全力疾走をしたリッツも疲れていて、考える気力が低下しているのだ。

「明日明日、とりあえず寝よう」

 服を脱ぎ捨ててベットに入った直後から、リッツの記憶がとぎれた。自分で思っているより、相当疲れていたらしい。夢も見ない眠りとはこのことだろう。

 何事もなく、静かに夜は更けていった。

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