佐々木さんが異世界にいくまで
めんどくせぇ。
今の心境を表すとするならば、これに尽きる。なにが嬉しくてこんな脂ぎっしゅなおっさんにナデナデされなきゃいかんのだ。つーかテメーのぶっとい指に嵌った悪趣味なゴテゴテ指輪が引っ掛かって痛いんじゃボケ!自慢の毛並みが荒れるだろうが!毛が抜けたらどうしてくれる!
・・・失礼。あまりのストレスに口調が荒れた。一応言っとく、こんな口調だけど私は女の子だ。長くてふわふわの白い毛並みに緑の目を持つにゃんこである。
そう、にゃんこ。キャット、シャト、カッツ、マオ・・・まあ呼び方は何でもいいが、つまるところ猫である。あの名作と同じく私は猫なのである。だが名作と違い名前はある。佐々木苑子。それが私の名前。このクソ親父が呼んでるメロディちゃんなんていう外国風の名前では断じてない。私は日本人である。日本国に住む日本人だった。猫ではなくホモ・サピエンスだった。それがなぜ成金オヤジのもとで猫なんぞやっているのか。話は半年ほど前に遡る。
その時、まだ私は人だった。いや、今も人間をやめたつもりはないが、肉体的には猫であるので、この場合は私が肉体的に人間だった時、ついでに言うと地球の日本国に住んでいた時の話である。
私は大学に入学して一年の19歳で、アパートの近所に住む黒猫のアオイくんを撫でさせてもらうのが日課だった。このアオイくん、ご近所でも有名な美猫で、いつもおうちの塀の上で日向ぼっこをしているのだ。彼はなかなか触らせてくれないのでも有名だったが、半年に及ぶ懇願と餌付けの結果、見事私は彼を撫でる権利をもぎ取ったのである!
猫好きの執念がなせる技だったと自分でも思う。アオイくんの冷たい態度に何度めげそうになったことか・・・!
「アオイくん、今日も綺麗だねー」
背中にそっと手をおいて艶々の長い毛並みを堪能すると、アオイくんは当たり前でしょ、とでも言うように鳴いてソッポを向いた。その姿に内心悶えた。いや、私変態じゃないからね。ツンデレ最高とか思ってないから。次は抱っこだとか思ってないから。
ふとアオイくんの足元を見ると、その右足にはアンティークの腕輪のようなものが嵌っていた。細かい模様が彫刻された、人間が指に嵌めるには少しばかり大きい金色のそれは、黒い毛並みの彼には非常に似合っていた。
余談だが、アオイくんは香箱座りが苦手である。いつも前足を収納しきれないので、諦めてそのまま出しているのを見かける。
それはともかく。私は毎日アオイくんと会っていたが、昨日まで彼の右足にこんなものはついていなかったはずだ。飼い主の総二郎おじいちゃんがつけてあげたのだろうか。総二郎おじいちゃんはアンティーク好きでお家も洋風だし、こんな感じの指輪を持っていても不思議ではない。でも猫に指輪をはめたりするだろうか。首輪ならわかるが。
しかし私の脳みそはそんな疑問をすぐさま忘却の彼方へと追いやった。猫好きもといアオイくんファンの私にとって、その装飾品の出処がどうであれ、アオイくんに似合っているならどうでも良かったのである。
「アオイくん、この腕輪よく似合うねえ」
「へぇ、君これが見えるんだ」
ちょっと低めの男性の声が聞こえた。前方から聞こえた気がするが、とりあえずあたりを見回してみる。が、早朝故か人通りはない。そしてここに住む総二郎おじいちゃんの声でももちろんない。
おかしいな、とアオイくんのほうに向き直ると、彼はチョコンとおすわりをしていた。
「今の空耳かな?」
「なに言ってるの、苑子。そっちから声なんかしなかっただろ」
・・・アオイくんから声が聞こえる気がする。いいやそんなバカな。猫がしゃべるはずないし。きっとこの塀の向こうに声の主がいるはずだ!と思い、勢い良く塀の向こうをのぞき込むも、そこに人影はない。
「苑子、いい加減現実を見なよ。僕だよ僕」
「僕僕詐欺は間に合ってマス!」
「苑子?」
「ごめんなさいぃぃぃぃ!!!!」
現実だった。
猫が。アオイくんが喋ってます。しかも私の名前を呼んだ時の目。アレは獲物狩る目でした。本能に従い土下座しましたとも、ハイ。私なんかよりアオイくんのほうが生物として上位でした。愛玩なんておこがましかったです。くすん。
「土下座なんてやめてくれる?変な目で見られるだろ。苑子にそういう趣味があるなら別だけど」
「アリマセン!」
がばりと上体を起こし、とりあえず立ち上がって身なりを整えた。アオイくんは塀の上にいるので、ちょうど目線が同じくらいになる。
というかこの状況どうしたらいいんだ。まさかアオイくんが喋るとは。なぜいきなり喋ったのだろうか。いままで一年間、そんな素振り全然なかったのに。いや、猫の喋る素振りっていうのもわけがわからない。私今だいぶ頭おかしいぞ。
「もう一度聞くけど、これが見えるんだね?」
「これって言うのがその金色の腕輪のことならしっかりばっちり見えてます隊長!」
「ふぅん」
ひらひらと腕輪の嵌った右足を振るアオイくんは私の返事に考えこむような仕草を見せた。
めちゃくちゃかっこいいですねその仕草!なんかアオイくんなら喋っててもまったくおかしくない気がしてきた。むしろ似合ってるよ。そうだよねアオイくんだもの!アオイくんなら人間の言葉話してもおかしくないよね!うん!
混乱して変な思考回路になっていた私は、あとから考えるとおかしいとしか言いようがない結論に落ち着き納得していた。
「苑子、ちょっとこっち向いて」
「ふあい?」
声をかけられたので、どこかに飛んでいた思考を戻してアオイくんのほうを向いた、瞬間。
ちゅ。
今、なんか可愛らしー音聞こえませんでした?ほらよくある少女漫画とかで幼稚園児同士でちゅーした時の効果音っていうか、ていうか今私の口元からしたような・・・?
「あ、美味しい。味は合格だね」
「!?!?!?」
私いまアオイくんにちゅーされたっていうかむしろ捕食的な!?捕食的感想ですかアオイくん!食べられるんですか私!
「いやいやいやいや私美味しくないから!ほ、ほらこの肉はむしろ脂肪しかないっていうか!やっぱりお肉は赤身があるから美味しいわけであって脂肪多いとくどいだけだし個人的にはお肉よりマグロのほうが美味しいというかでもトロとかはあんまり好きじゃないんだけど!!」
「とりあえず落ち着きなよ」
肉球で殴られました。
「落ち着いた?」
「落ち着きましたごめんなさい」
「じゃあ、そこの扉から庭においでよ。こんなとこで立ち話もなんだし」
「え、あ、待ってアオイくん!」
するん、と塀を降りてすたすたと庭を歩いて行くアオイくん。あのう、ここは総二郎おじいちゃんのお家なのですが。いくらアオイくんつながりで仲良しのおじいちゃん宅とはいえ、不法侵入は憚られる。庭につながる勝手口の前で二の足を踏む私に、彼が振り返った。
「総二郎なら気にしないから、早くおいで」
あ、さいですか。わかりました。ええ、ヒエラルキー上位のかたには逆らいません。マダ命ハ惜シイデス。食ベラレタクナイデス。おどおどしながら植木が美しい庭におじゃますると、アオイくんはベンチの上で待っていた。
艶々の長く黒い毛並みに、金色の目。ふわふわな尻尾をはたりはたりと振る姿に、思わず息が零れた。ああ、やっぱりアオイくんは尋常じゃないくらい美猫だ。ぜひとも私の膝の上に乗ってその毛並みを堪能させて欲しい。
「気づいてないかもしれないけど、思ってること全部顔に出てるよ」
「へい!」
「変な声だね」
「ごめんなさい!」
もう私は何も考えないほうがいいかもしれない。変な声も出るし・・・。若干落ち込んだ気持ちのまま、アオイくんの隣りに腰を下ろした。こちらを向いていたアオイくんと目が合う。
「・・・」
「・・・」
目が合う。じー。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
目が合う。じー。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・あの、アオイくん」
沈黙に耐えられなかった私を許してください。アオイくんの綺麗なな緑の目にがっつり見つめられて平常でいられるほどの根性はないんです。言うなればあれだ。蛇に睨まれたカエルからのまな板の上の鯉的な。なんだか自分がなにを言ってるのかわからなくなってきたよ!
「・・・見ればわかると思うけどさ、僕普通の猫じゃないんだよね」
そうでしょうとも。ここまで流暢にしゃべる猫さんがいたら連日マスコミが押しかけてくるでしょうとも。
「普通の猫より知能高いし、こう見えて500歳は超えてるし」
「え、猫又的なあれですか。アオイくん妖怪なの」
「妖怪ではないけど近いものではあるかな。元々の素質にもよるけど、一定の年月を経ることで生命体としての位が上がるんだ。僕の生まれた世界では精霊の一種って扱いだったよ」
「わーファンタジー」
まさかご近所の猫さんがそんなファンタジーな存在だったなんて思いもしませんでしたよ。アオイくんからそれしか言うことないの?みたいな目で見られたけど(というか実際言われたけど)、私には魔法の言葉があるもんね!アオイくんだもの!なんて素晴らしい言葉!
「あれ?”生まれた世界では”ってことは、アオイくんは別の世界から来たの?」
「へえ、ちゃんと話は聞いてたんだ」
すごい意外そうな顔してますが私だって話を聞くぐらい出来ますよアオイくん。いや、まぁ、大学の講義とか寝ちゃう時はあるけども。
「長生きしすぎると色んなしがらみが面倒くさくなってきてさ、異世界旅行してたんだ」
「異世界なんてどうやっていくの?」
「魔法」
「・・・アオイくん、喋る猫で異世界出身な上に魔法使いなの?」
どっかのファンタジー小説にでも出てきそうだ。伝説級の存在とかで。そんでもって主人公に新しいアイテムとか新しい力をくれるんだよ。ここで本人がパーティに加わらないところがミソだよね。
「証拠を見せようか?」
ひらり。尻尾がかるーく振られると同時に、柔らかい光の塊が生まれた。
「ファンタジーだっ!」
すごいすごいと子供のようにはしゃぐ私の周りを、光がふわふわと漂う。
「すごいねアオイくん!綺麗!」
「これは初級魔法だからただの明かりだけど、上級になるとどんどんえげつなくなるよ」
「えげつないって、どういう風に?」
「ただの明かりに見せかけておいて、半径一メートル以内に入ったら爆発するとか」
「・・・」
「じわじわ相手の生命力を吸い取って、夜が明けたらあの世行きとか」
「・・・えげつなーい」
「ファンタジーって言っても、いいことばかりじゃないんだよ」
そういったアオイくんの声は、少し悲しそうだった。
「ま、長生きしてると色々あるんだよ、まだ苑子にはわからないだろうけどね」
「子供扱いですか」
「僕からしたら苑子なんてついさっき生まれたような感覚だよ」
「じゃあ私から見たらアオイくんはおじいさんだね。それもひいおじいさんとかそういうレベルじゃないよ、骨董品レベルだよ」
「君ね・・・猫が喋ったり魔法見たりしたのにずいぶんのんきだね」
失礼な。まるで私が鈍感だとでも言いたげな言葉だ。ものすごく混乱したし、驚いたけれど、私は自分の目で見たものは信用することにしているのだ。最初は現実逃避だってするけど、そんなこといつまでもしていられるものではないし、なんの解決にもならない。
それに必死に否定して逃げるよりも、現実見て受け入れるほうがきっと楽しい。特にこういうファンタジーな話は!
「自分の目で見たものは信用することにしてるんでーす」
そう言うと、アオイくんは一瞬目を見開いたあと、しみじみと呟いた。
「苑子って・・・変な子だよね」
「え、そんなしみじみと言われると傷つく。すごい傷つく」
「褒めてるんだよ」
「そんなバカな!」
「ホントだって・・・ふふ」
見ましたか奥さん!(奥さんって誰だよってツッコミはなし!)アオイくんが笑いましたよ!控えめな上品な感じの笑い方ででもちょっと声がセクシー。やばい、アオイくんかっこいい。これはときめくよ。アオイくんが猫だろうとときめくよ。
「うん、苑子ならいいかな」
「?なにが?」
「・・・いや。苑子、君は猫は好きかい?」
「好き!好きじゃなかったら半年もアオイくんに付き纏ってないよ」
「付き纏ってた自覚はあるんだ」
「ストーカーしててごめんなさい」
「気にしてないから。・・・じゃあ、魔法は?」
「今日初めて見たけど素敵だなぁって思う。アオイくんはいいことばかりじゃないって言ってたけど、使ってるのがアオイくんなら間違いなんて無いだろうし」
「・・・」
「・・・アオイくん?」
「いや、うん。苑子だなあと思ってさ」
クスクス笑うアオイくんの返答に私は首を傾げる。笑うほど変な解答をした覚えはないのだけれど、はて。
笑いが落ち着いたアオイくんが顔を上げると、吸い込まれそうなほど澄んだ瞳と視線が合わさった。
「なんで君なのかっていうのはわからないんだよね」
「うん?」
「今までそういう気持ちにもならなかったし」
「はあ」
「でも、やっぱり君がいいんだよなあ」
「なにが?」
自己完結しているアオイくんは私の疑問にはちっとも答えてくれない。言葉のキャッチボールは大事ですよ。コミュニケーションてのは一方通行じゃ成り立たないんです。私より長生きしてるんならわかりますよねアオイくん。
そんなことを思っていた私は、アオイくんの言葉の意味を深く考えていなかった。それがいったいどういう意味だったのか、想像すらしていなかったのだ。
「ねえ苑子。僕のお嫁さんにならない?」
「よろこんで!」
脊髄反射的にどこぞの居酒屋のようにそう言った、瞬間。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「え?」
身体が落ちた。