着火石を売る男
町長の屋敷へ行って用事を済ませたレッコーとアイナは、少し回り道をして帰ることにした。ずっと小さな村で暮らしていた二人だが、多くの人が行き交う通りにも大分慣れてきていた。
「だから、こんな所で商売してくれるなっていうのさ!」
突然、怒鳴り声が聞こえてきた。
「何かしら」
アイナが眉をひそめる。
見ると、通りの端で若い男が布を広げ、何かを並べており、その前で中年の男が腕を組んで立っていた。若い男はマントを羽織っており、旅人のようだが、汚らしい様子はない。中年の男は町の者らしい。
「しかし、わたしはこれを売って暮らしを立てているのです。それに、ここにこれっぽっちのものを並べても、あなたのお店に影響があるとは思えないが」
若い男が言った。通りかかった人が数人、立ち止まって遠巻きに二人の様子を見ている。
と、レッコーがすたすたと二人の方へ歩き出した。
「ちょっと、レッコー」
「何か、役に立てるかもしれない」
アイナが後ろから声をかけると、レッコーはちょっと立ち止まって答え、また歩いていった。
「どうしたんです」
レッコーが二人の男に声をかける。
「おう、カレド村の」
「魔法具屋さん」
返事をした中年の男に、レッコーは見覚えがあった。魔法に関する道具、魔法具を扱う店の店主である。
「いやなに、このお人がな……」
言いながら、魔法具屋は若い男を振り返った。
「ここで、こんなもんを売ってるのさ」
そう言って、布の上に並んでいる、二十個ほどの小石を示す。
「これは……着火石ですか」
「良かったら、試してみてくれ」
レッコーが小石を観察しながら言うと、若い男がその中のひとつを差し出してきた。
「それじゃあ」
レッコーは小石を受け取り、右手で握ると、「火よ」と唱えた。と、小石の先から、小さく炎が上がった。
「ふうん、ずいぶん使いやすいですね。そういえば誰かが最近、『安くて質の良い着火石を売っていた』って話してたけど、これだったんだな」
言いながら、レッコーは小石を若い男に返した。男は満足そうな表情を浮かべながら、受け取る。
それから、レッコーは、魔法具屋を振り返った。
「それで、これが?」
「これがじゃないぜ」
苛立った様子で二人のやりとりを見ていた魔法具屋が、口を開く。
「いきなりどっかから現れて、こんな良いもんをこんなに安く売られたら、こちとら商売上がったりだ」
「だから、その『商売上がったり』というのが分からない」
よそ者の男が言い返す。
「着火石などそうしょっちゅう買うものでもないし、あなたの店にとってそんなに重要な品物だとは思えないのですが」
「これだ! このお人ときたら、理屈っぽくてかなわないんだ!」
魔法具屋がうんざりしたように言う。
「理屈を言って何が悪いのです。それに、一応そちらのご迷惑も考えて、お店からなるべく離れたところで売っているのだが」
「あの」
レッコーが口を挿む。
「魔法具屋さんって、お店はどちらでしたっけ」
「あそこだよ」
魔法具屋が、むすっとした顔で広い通りの先を指差した。……指差したが、どの建物を指しているのか分からない。
(遠い……)
「遠くても、同じ通りだ」
レッコーの考えを察したのか、魔法具屋が言った。
「人の通る所で商売をするのも、また理屈」
「なにを!」
「まあまあ……では、こうしたらどうでしょう」
「こうしたら?」
「というと?」
「ええ……」
レッコーは、言葉を選ぶようにちょっと間を置いた。
「……旅人さんの着火石を、魔法具屋さんが全部買い取るんですよ。ただし、旅人さんはこちらに迷惑をかけたようだし、普通より安い値段でね。旅人さん、これいくらで売ってるんです?」
「一個三百コームだ」
「ご主人、着火石の仕入れ値と売値は? 差支えなければ」
「……三百六十で仕入れて、四百五十で売ってる」
「それじゃあ、そうですね、一個二百五十コームで」
「そんなに安くかい?」
魔法具屋が、驚いたように言う。
「いや、まとめて引き取ってもらえるなら、かえってありがたい。わたしは構いませんが」
若い男が言う。
「そうかい? そうか……」
魔法具屋はまた腕組みをし、考え込む。
「売れますよ」
レッコーが言う。
「もう噂になってますからね。宣伝すれば、ちょっと高くしたって売れるはずです」
「違いない! そうすりゃ二重の儲けだ」
魔法具屋は嬉しそうな顔になって、若い男に向き直る。
「あんたも、それで良いんだよな」
「ええ」
「よし、商談成立だ! といっても、成立させたのはカレド村の坊主だがな。レッコー君だったか……」
魔法具屋はそう言いながら、着火石をひとつ拾い上げると、レッコーに差し出した。
「お前さんへの報酬だ。心配するな、金はちゃんと払うから」
「それのお代は、百五十コームで良いですよ」
若い男が言う。
「わたしからも報酬を払わなければね。見事な仲裁でした」
「まったくな。……ところであんた、職人かい? こんなところで着火石なぞ売ったりして」
「わたしはタウロン、風の神セイルに仕える者です」
「おや、神官様だったのか」
魔法具屋が驚きの声を上げる。レッコーやアイナにしてみても、思いもよらないことだった。
「それで、着火石売りながら旅をしてんの? へえ、色んな人がいるもんだな……風の神のねえ。この町には地の神ギムデの寺院があって、町の者も大体ギムデを信仰しているが……まあ、あんたが風の神の神官だからって邪険にする奴はいないから、ゆっくりしていくと良い」
魔法具屋はそこで、ニヤリと笑った。
「ゆっくりして、おれを儲けさせてくれたら、なお良いな。また着火石を作ったら、おれの所へ持ってきてくれよ」
「分かりました、必ず」
「ああ、それじゃ、荷物をまとめたらおれの店に来てくれ」
そう言うと、魔法具屋は立ち去った。
「信仰の異なる者を排斥しないというギムデ神の教義は、素晴らしいな」
そう言いながら、タウロンはレッコーの方へ向き直った。
「それはそうと、君のおかげで助かった」
「いえ」
「それにしても、さっきも言ったが、わたしがここで着火石を売っていても、あの人の商売には何の影響もないと思うんだがなあ……どうも、ギムデの信徒には、道理の通じない人が多い」
「でも、自分のお店の品より良いものを、ずっと安く売られたら、気を悪くもしますよ」
「それにしたって……」
タウロンは広げていたものを片付けながら、ぶつくさと続ける。
「話してみて、道理がどちらにあるか分かったら、引き下がってくれても良いと思うんだ。まったく、ギムデ信徒は頑固でかなわないよ」
その時、レッコーは背後に嫌な気配を感じて、そっと振り返ってみた。
(うわ……)
すぐにタウロンの方へ顔を戻す。アイナが真っ赤な顔をして、ぷるぷる震えていた。
「大体、教義からして頑固だよね。何も今日のことばかりでこんなことを言うんじゃない、前にもギムデ信徒の偏屈なのに困らされたことがあって――」
「お言葉ですが!」
アイナが一歩、進み出た。タウロンがぎょっとしてのけぞる。レッコーの陰にいたため、気付いていなかったらしい。
「あなたは?」
「わたしはアイナと申します。ギムデに仕える司祭ですわ、ご覧の通り」
「そうですか、わたしは――」
「伺っておりました、全部、最初から」
アイナが強い口調でさえぎる。
「はあ」
「お言葉ですが、ギムデの教えは、信頼と思いやりを重んじます。それを頑固な教義とは、ひどいおっしゃりよう! そんなことを言う前に、先ほどレッコーが指摘した、魔法具屋のご主人の気を悪くしたということについて、お考えになったらいかがです!」
「……なるほど」
タウロンが頷いた。
「おっしゃる通り、わたしが言い過ぎました」
そう言って、荷物の片付けを再開する。
「なんですか、そのめんどくさそうな態度は!」
アイナが怒鳴る。
(えええ……!?)レッコーが、うんざりしたような顔をする。(せっかく諍いを仲裁したのに……)
「何と言われても」
「セイルは知恵の神と聞いています。適当に生返事をして受け流すのが、セイルのおっしゃる知恵ですか!」
「生返事と言われてもな」
タウロンは作業の手を止め、アイナに改めて向き直った。
「言い過ぎたというのは、本心です。不覚にも、ついイライラして、思ってもいないことまで言ってしまいました。気分を害されたのも当然です、申し訳ない」
「思ってもいないことをおっしゃったのですか」
アイナの攻撃は止まなかった。
「……ええ」
「嘘をついたのですね?」
「嘘……といえば嘘ですね」
「そうです、嘘です。適当なことです。調子の良い時は適当なことを並べ立てて、旗色が悪くなったら引っ込める、信義も何もあったものじゃない、それがセイルの知恵というわけですね」
「なんと……!」
タウロンの顔が険しくなったが、すぐに穏やかさを取り戻した。
「いや、とにかくわたしが悪かった。さっき言ってしまったことは、わたしの未熟ゆえに出たことで、セイルの教義とは関わりない。――ところで、あの店のご主人を待たせているから、そろそろ行かなければならないのだが」
「そうやって理屈を並べて相手を丸め込むのも、セイルの知恵というわけですね」
「理屈を言って何が悪い! それに、セイルの教えは関係がないというのだ。頑固な人だな」
「わたしのことを頑固って言った!」
「自覚がないとは驚きだ!」
「レッコー、この人、わたしのこと頑固って言った! でも、言動に節操がない人よりましよ!」
「なんと!」
「アイナ司祭……」
レッコーが、アイナの腕を掴んだ。
「もう行こう、迷惑だよ。……人に見られてるし」
アイナとタウロンは気付いていなかったが、タウロンと魔法具屋がやりあっていた時より、かえって野次馬が増えていた。
「でも、この人、わたしのこと頑固って言ったのよ――!」
「タウロン様、あのご主人が待っています。どうぞ……」
「……そうだね、それでは、失礼するよ」
「こら、逃げるな!」
アイナが、レッコーに引きずられながら暴れる。
「酔っ払いかよ……」
レッコーがぼやいた。
「まったく、なんなの、あの人!」
アイナが、大股でずかずかと歩いていく。
「司祭、スカートが痛むよ……」
「しかもあれで、神官だっていうじゃない!」
「無視かよ……」
「あら」
ふと、アイナが足を止めた。レッコーも立ち止まる。
酒屋があった。
が、アイナは酒屋の前を通り過ぎ、となりの果物屋に入った。
「リンゴください!」
言って、乱暴に銅貨を置く。そしてリンゴをひとつ掴むと、歩きながらかじりだした。
「司祭、お行儀が悪いよ……でも、お酒じゃなくてリンゴなんだ」
「気が立っている時の飲酒は――」
しょりしょりもぐもぐ。
「固く禁じられているのよ!」
「……」
レッコーとアイナが寺院に戻ると、広い庭で僧侶達が拳法の稽古をしていた。多くのギムデ寺院と同様、タルーブの寺院でも拳法の修行を通して心身の鍛錬を図っている。
レッコー達は邪魔にならないよう、庭を回り込もうとした。と、端の方で僧侶が二人、他とは違うことをしているのに気付いた。一人は若く、一人はいくらか年かさである。近付いて、声をかける。
「ファルゴ様、ブラドロ、何やってるんですか?」
「やあ、レッコー」
若い方、ブラドロが答えた。
ブラドロが十七歳、レッコーが十五歳と歳が近いためか、レッコーは僧侶達の中でも特にブラドロと親しくなった。遠くロアークの町の寺院から修行に出されているという境遇にも、なんとなく親近感を覚えるのかもしれない。皆優しく接してくれるが、やはり、よそ者という感覚はある。
「ブラドロに頼まれてな……」
ファルゴが口を開いた。
「ほら、ロアークの寺院でやってる〈ロアーク拳法〉は、魔法を取り入れるだろ?」
「むしろ、魔法が入らなかったら、ただの拳法ですね」とブラドロ。
「ところがこいつ、我々の誰よりも魔法が苦手なんだ。それでちょっと、基礎を教えようとしているんだが、どうもな……呪文を憶えられないとかではなくて、そもそも、魔力の扱いが……こう、不安定というか、出力にムラがあるというか……」
ファルゴが言いよどむ。
「……正直、わたしでははっきりしたことが言えないんだ。何しろ我々も、基礎理論なんか学ばないまま、なんとなく使っているところがあるからね」
「おれもそんなもんですよ。呪文を教わって、なんとなく繰り返している内に精度が上がっていくというか」
「わたしも同じようなものです」
レッコーとアイナが、頷いて言う。
「でもそれだと、魔力を安定させる、というような、基本的な部分を指導できないんだよな。基礎なしで応用を行っているわけで、本当はそれも大問題なんだが……それはそれとして、ブラドロの魔法をもうちょっとなんとかしてやりたいんだよ」
「なるほど」
「魔法理論をきちんと修めた、優秀な魔術師がいてくれたら良いんだが」
「優秀な魔術師……」
レッコーは呟きながら、ポケットの中の着火石をなんとなくさすった。
「優秀な魔術師ね」
セリア「マッチ買ってくださあい」
エーデ「セリア、何やってるの?」
セリア「今回のお話の『もとねた』って、これでしょ?」
エーデ「……違うんじゃない、多分」




