ある初夏の日の午後
ある初夏の日の午後、とある町の食堂を兼ねた一軒の宿屋。店の主人夫婦が、食堂の椅子に腰かけて話をしていた。
昼食には遅く、夕食には早すぎるため、客はひとりもいない。
「レッコーの奴も、大分仕事を覚えてきたな」
「そりゃそうだけどねえ、どうも給仕には向かないよ、あの子は。愛想が悪いし、お世辞のひとつも言えやしない」
「まあな。しかし、誠実で良い奴じゃないか」
「悪い子だなんて言ってないよ。ただねえ、どうせなら、もっと愛想の良い子を雇えば良かったかななんて、思わないでもないのさ」
「いや、あいつはなかなか大したもんだよ。頭も良いし、物識りだしな。それで、子ども達の家庭教師もやらせて、給金は給仕の分だけで良いって言うんだからな」
「まあね、それに関しちゃ、まったくお買い得だったね。しかし、魔法を教えてくれるのは良いが、歴史なんて勉強して、何の役に立つんだか」
「大事だろう、この国の歴史を学ぶのは。お前はほんとに、何も分かっちゃいねえな」
「あんたこそ、分かったような顔ばっかしてんじゃないよ……でもま、レッコーが大事だって言うんだから、大事なのかもねえ。とにかく、教師としては合格だよ、子どもらも懐いてるし」
「懐いてるなあ……特に、フィオーナは……」
「やっぱり、あんたもそう思うかい?」
夫人が、夫の顔を覗き込む。フィオーナとは夫婦の一番上の娘であり、下に弟と妹がいる。
「あの子、レッコーに気があるみたいだねえ」
「そういう歳になったんだなあ」主人が、しみじみと言った。「……十四だっけ?」
「十五だろ、フィオーナは。トロスが十三、ピネイが十……そんなことより、レッコーが相手なら申し分ないよ。あの子、フィオーナとくっついて、この店を継いでくれないかねえ」
「お前、さっきは、あいつじゃ給仕も務まらないようなこと言ってたじゃないか」
「給仕に必要なのは愛想、店主に必要なのは金勘定さ。その点、あの子なら間違いなしだよ」
「なるほどね。しかし、なんとなくだが……レッコーは、いつまでもここにいるつもりはないような気がするんだよな」
「そのうち、出ていっちゃうってことかい?」
「あるいは」
「フィオーナを連れて?」
「知らないよ……お前がひとりで、勝手なこと言ってるだけだろう。……おや、こんな時間から、誰か来たぞ」
「そこで、ジャッカス一世は言った――」
宿屋の裏手にある離れで、レッコーは三人の子ども達に歴史の講義をしていた。もっともその様子は、物語を語っているようでもあった。
「『ボンナーの勇者達よ! 今や、我らの手によって、邪神バルガムは封じられた。しかし、この地が小国に分かれている限り、真の平和は訪れない。我らの次の使命は、ボンナー統一国家の建国である!』そしてジャッカス一世は、ボンナーの小国家群を統一し、初代国王となった。戦士リゴルは、ジャッカス一世に代わって、ボンナー兵団の兵団長となった。しかし大賢者ハーンは、邪神バルガム封印の後、二人の仲間の手伝いをすることはほとんどなかった。それは、政治に興味がなかったからとも、王国の建国に反対だったからとも、他に重要な仕事があったからとも言われている」
そこで、レッコーは話を終えた。
「今日はここまで。明日は、ボンナー王国建国の詳しい経緯についてだな」
「ええー」
三兄弟の一番下の妹、ピネイが、不満げな声を上げた。
「この後は魔法のお勉強でしょ? もっとお話がいい!」
「お話……歴史の勉強なんだけど」
「魔法つまんない!」
「ぼくも、歴史の方が良いなあ」
ピネイが駄々をこねていると、真ん中のトロスも口を開いた。
「もっと派手なことができたら、魔法も面白いんだろうけど。毎日毎日、魔力を扱う訓練ばかりじゃ、飽きちゃうよ」
「だけど、この訓練は大切なんだ」とレッコー。「おれの友達で、基礎をちゃんと勉強できなかったために、大変な思いをした人がいるんだよ……けどまあ、あと十日も訓練すれば、もう大丈夫だな。そうしたら、色んな呪文を教えてあげるよ」
「やった!」とトロス。「それならぼく、火を操る術が良いな」
「それなら、この前使ってたじゃないか」
レッコーが苦笑する。このトロス、度々どこかで中途半端な呪文を覚えてきては、騒ぎを起こすのである。この時は、庭で火の魔法を使って、ボヤを出しかけたのだった。
「あたしは、物探しの呪文!」
ピネイが元気良く言うと、姉のフィオーナが呆れたような顔をした。
「あんた、また何か無くしたんでしょう」
「えへへへえ」
「そう言うフィオーナは」とレッコー。「何か習いたい魔法はないのか?」
「わたしは、レッコーさんが教えてくれる順に、何でも勉強するわ」
フィオーナは、大きな目を細めて言った。
「だって、レッコーさんがわたしのために、色々考えて教えてくれてるって、分かってるもの」
「そうか。フィオーナは素直だなあ」
「でへへへえ」
フィオーナが、整った顔をほころばせる。
「笑い方がちょっと、だらしないけど」
そう言ったレッコーの足を、フィオーナは思い切り踏みつけた。
「わたし『達』のために、考えてくれるのよね?」
ピネイがトロスに訊くと、兄は小声で答えた。
「良いんだよ、その辺は、どうでも」
そして三兄弟は、レッコーの指示で、まず魔力の流れを穏やかにする訓練を始めた。
「ところで、先生は」
しばらくしてから、トロスが口を開いた。
「魔物って、見たことある?」
「あるよ」
「え! それじゃ、戦ったことは!?」
レッコーが答えると、今度はピネイが身を乗り出してきた。
「ピネイ、魔力の流れが乱れてるぞ。感情の平静を保つんだ」
「はーい」
「うん、大分素早く魔力を抑えられるようになったな。上達してるぞ」
「えへへへえ」
「笑い方も可愛いな」
そう言ったレッコーの足を、フィオーナの足が襲った。しかしレッコーは、足をさっと引っ込めてかわした。
「……魔物と、戦ったこともある」レッコーは話を戻した。「聴きたければ、話してあげよう」
「話してくれるなら、わたし、聴きたいわ」
フィオーナが、少しモジモジしながら言う。
「レッコーさんのことなら、何でも知りたいもの」
「そうか。フィオーナは、他の土地のことに興味があるんだね」
レッコーの足を、フィオーナの右足が襲う。レッコーが足を引っ込めてかわす。しかしフィオーナは、さらに左足を伸ばし、今度こそレッコーの足を捉えた。
(ひどいことをしている、おれは)
呻き声を上げながら、レッコーは思った。
(ここは好きだし、フィオーナは可愛い。しかし、いつまでも同じ場所にとどまるわけにはいかないんだ。むしろ、ここには長くいすぎたかもしれない)
「ただ――」とレッコー。「古い物語ならともかく、戦いの実体験なんて、聴いて楽しいものじゃない。魔族との戦いで、おれは大切な人を失い、大切なものを失った。そういう話だよ」
「それって……」
トロスが、ためらいがちに言った。
「フィネッタさんって人のこと?」
「……どうして、その名前を?」
「先生が寝言で言ってるのを聞いたんだ。何度か」
「そうか」
(フィネッタ……そうだ、ずっと引っかかっている)
レッコーは、妹のように可愛がっていたその少女の顔を、思い浮かべた。丸い顔に長い髪の、痩せた、おとなしい少女。十歳になったばかりなのに、料理が得意だった少女。ウェインと、結婚の約束をしていた少女。
おれが死なせた……!
(そうか、おれはフィネッタの名前を口にしたのか。司祭でもカルエレ様でもなく、エーデやブラドロやタウロン師でもなく、アリーシャさんでもなく)
そこでレッコーは、今度はふと、アリーシャの最期の言葉を思い出した。
――生き抜いて、あなたの聖女を、ずっと……。
(あの人は、おれが逃げ出すつもりだということに、気付いていたのだろうか)
「おれは何重にも罪深い……」
レッコーは小さく呟いたが、三人には良く聴き取れなかった。
「レッコーさん、どうしたの?」
フィオーナが、心配そうに言った。
その時、三兄弟の父親が、扉を開けて入ってきた。
「レッコー、お前にお客さんだぞ」
そして主人の後から、マントを羽織った若い男と、フィオーナと同じくらいの年恰好の少女が入ってきた。
金沢健「とうとう次回で最終回だ」
ピネイ「お兄さん、誰?」
金沢健「それにしても、レッコーの奴……成長したなア」
トロス「泣かないでよ。誰か知らないけど」
金沢健「ぐすぐす……そうだ、ところで、おれの一番お気に入りの登場人物は、ヘレお姉様だぜ!」
フィオーナ「何の話よ……」




