少年がいない朝
「どういうこと、レッコーがいないって」
広間へ飛び込むように入ってきたアイナが言った。ここは寺院にある建物のひとつ、カレド村の面々が住居としている宿坊である。その広間に、レッコーを除くカレド村の者達が集まっていた。
「兄さんが起きてこないから」
カドルが答える。
「おかしいと思って、部屋に入ってみたんだ。そしたら、物がいくつか減ってて、こんな手紙が……」
カドルはそう言いながら、折り畳まれた紙をアイナに手渡した。
上に「アイナ司祭へ」と書いてある。
「中は見た?」
アイナが訊くと、カドルは首を横に振った。
「宛名があったから」
「そう、それじゃ、わたしが読んでみるわね」
アイナはそう言って、手紙に目を走らせた。しかし、いくらもしない内に手がひどく震えだし、倒れるように座り込んでしまった。
しばらく苦しそうに息をついてから、カドルに手紙を差し出す。
「カドル、みんなに聞こえるように、読み上げてくれないかしら」
カドルは頷き、手紙を受け取った。
アイナ司祭
この町を離れます。ご恩の数々にもかかわらず、このような勝手をすること、本当に申し訳ありません。
おれはあの日、町の人達を最大限助ける方法を考え、町の人達を騙しました。結果として、犠牲を最小限に抑えることができたと思っています。
しかし、嘘は嘘であり、誓いは誓いなのです。誓いを破った今、おれは司祭の顔を見るだけでひどく辛いのです。その辛さに耐えて、この町で再び嘘をついた自分と向き合うことをしないのは、ただただ、おれの弱さゆえです。
司祭の幸せを、いつも祈っています。しかし、おれのことはどうかお忘れください。
あの日「自分を許す」と言いましたが、あれは嘘です。司祭との誓いを破った自分が、どうしても許せません。
あれがおれの、最後の嘘です。最後まで罪を重ね、弁解のしようもありません。
みんなにも、申し訳ないとお伝えください。
レッコー
「なによ、『最後の嘘』って!」
アイナが涙を流しながら、悲鳴を上げた。それから、ハッと顔色を変えて、立ち上がった。
「どこへ行くんだい?」
カルエレが訊く。
「タウロン様の所へ」
涙を拭いながら、アイナが答える。
「きっとまた、お知恵を貸してくれます。わたしでは……」
再び泣きそうになるのを、ぐっとこらえる。
「わたしでは、あの子を捕まえられませんから」
「まったく、とんだいたずらっ子だねえ」
そう言いながら、カルエレは悲しげにほほえんだ。
「ぼくも行くよ」
と言って、カドルが椅子を立った。
「あたしも」とエーデ。
「ぼくも行く」
最後に、ウェインが立ち上がった。
四人を見送った後、カルエレはふと、かつてアイナが言った言葉を思い出した。
――神とここにいる人々が、あなたの誓いを聞き届けました。ただし、これで罪が消えるわけではありません。いずれ神が、あなたの誓いをお試しになるでしょう。
「神は何をお試しになったものか……しかし何にせよ、レッコー、お前のしたことは正しい。そんなことは、お前も分かっているだろうに」
カルエレが呟いた。
「エーデの言う通りね」
女の子のひとりが、寂しそうに言った。
「お兄ちゃん、ギチギチに考えすぎるのよ」
「わたしは、『早まるな』と言った……!」
タウロンはアイナに手紙を返しながら、呻いた。そして、アイナ、エーデ、カドル、ウェインの顔を順々に見回す。
一同は、タウロンが滞在している宿屋の食堂にいた。
「とにかく、手分けして探そう。まずは町の周囲を見張っている人達に訊くんだ。それから、町の中だ」
「隊長さんに言って、馬を借りてはどうでしょう?」とカドル。「兄さんは多分、イースに向かったんじゃないでしょうか」
「すでにこの町を離れたというのは、おそらくその通りだと思う。だが、馬を借りることはできん」
「なんでですか!?」
アイナが噛みつくように言う。
「司祭、あなたが取り乱してどうする」
「……すみません」
タウロンがなだめるように言うと、アイナはうなだれた。
「……魔族の襲撃があったばかりで、警戒態勢が敷かれている。レッコー君ひとりのために、馬を借りるわけにはいかないんだ」とタウロン。「そして、徒歩で追っても追いつけん、準備もしていないしな。それに彼は、馬で追っても捕まらないような気がする。それよりも、今は情報を集めた方が良い。どちらの方角へ向かったか、とかな」
「分かりました、そうしましょう」
言って、カドルが立ち上がった。
その時、突然、エーデが悲鳴を上げた。
「なんでいないのよ!」
他の四人が、静かに少女の顔を見る。
「だって、朝起きたら、いつだってあいつが先に起きてて、おはようって言ってくれたのに……おかしいじゃない! こんなこと、今までなかったのに!」
(わたしが取り乱していたものだから、我慢していたんだ)アイナは思った。(レッコーがいない朝なんて初めてで、不安でたまらなかったはずなのに)
アイナは泣きじゃくるエーデを、そっと抱きしめた。
「少しここで休んでから、寺院に戻りなさい。レッコーは、わたし達が探すから」
見付けるから、とは言えなかった。レッコーが相手では、その見込みはなさそうだ。
「ウェイン、一緒にいてあげてね」
そう言って、アイナはタウロンやカドルと共に宿屋を後にした。
がらんとした食堂に、エーデとウェインの二人が残された。
「兄ちゃんには、言いたいことがあったのにな」
しばらくしてから、すすり泣くエーデの隣で、ウェインが呟くように言った。
「こんなことになるなら、早く言っとけば良かった」
「言いたいこと……?」
エーデが不思議そうな顔をして、ウェインを見た。
正午頃、アイナは宿坊に戻った。タウロンとカドルは、すでにそこへ来ていた。
そこへ、ちょうど、カルエレが小さい子ども達を連れて帰ってきた。やはり、町の中を探し回っていたのだった。
エーデとウェインも、結局あちこち回っていたのだという。
皆、何かをせずにはいられなかった。
「やはり、もうこの町にはいないようだな」
タウロンが言った。
「でも、東の門で訊いてみたら、昨夜は誰も出入りしていないということでした」
アイナが言った。
他の場所でも、誰かが町から出るのを見た者はいなかったらしい。
「兵隊さん達が魔族を警戒して見張っているのに、こっそり抜け出せるものでしょうか」
カドルが、疑問を口にする。
「幻術だな」とタウロン。「姿を消して、すり抜けたんだ。魔術師の侵入を警戒しているわけではないからな、誰にも気付かれまい」
「ですが、レッコーは幻術は使えないはずです。教えていませんから」
アイナが言った。カレド村にいた頃は、いたずらに使わないようにという理由で教えなかった。それを知っていたレッコーは、タウロンに魔法を習うようになってからも、なんとなく幻術は避けていた、はずだった。
が、タウロンは首を横に振った。
「ところが、使えるんだ。彼がせがむので、おととい、わたしが教えた。いつになく熱心だったが、まさか、このためだったとはな……」
タウロンはそこまで言って、一同が自分を何ともいえない目で見ていることに気付いた。
「なんだ、わたしが悪いのか?」
「そんなこと言ってませんわ」と、不満げな顔のアイナ。「ただ、いつも疑うことがどうのこうのとおっしゃってるのに、なんで気付かないのかしらと思いまして」
「……それはそうと、他に何か、手がかりになりそうなことはあったか?」
「それなんですが」
と、カドルが口を開いた。
「昨日、魔法具屋さんに兄さんが来たそうです。それで、先生が作った着火石を出して、お金に換えてほしいと……新品同様だったし、何かわけありの様子だったので、四百コーム渡したそうです」
「わたしが作った? あの、我々が出会った時のやつか」
タウロンが、呻くように言う。
「我々との思い出まで、捨てていこうというのか……」
「レッコーは、お金が必要だっただけです」
タウロンの言葉を打ち消すように、強い調子でアイナが言った。
「物は物です。感傷的なことをおっしゃって、らしくありませんわ」
タウロンが、小さく笑い声を立てた。
「その通りだ。これは参ったな……それで、これからどうする?」
「レッコーを追いかけます。どこへ行ったか分かりませんけど、必ず見つけます」
アイナが、きっぱりと言った。
「それなら、あたしも行く」
エーデが言った。そして、慌てたように付け加える。
「だって、ほら、アイナ様ぼーっとしてて、心配だもの」
「きっと、そう言うだろうと思ってたよ」
そう言いながら、カルエレはテーブルの上に、青紫色の石が嵌った指輪を置いた。
「これを持っておいき」
「これは……サファイアですか?」
タウロンの言葉に、カルエレが頷く。
「売れば三万にはなるでしょう」
「カルエレ様、でも、大切な物なのでは?」
アイナがためらうように訊くが、カルエレは首を横に振った。
「あなた達も、レッコーも、わたしには家族と同じ。家族より大事な宝石など、ありませんよ」
「……分かりました。頂戴します」
アイナは、指輪をそっと手に取った。
「しかし」
ふと、タウロンが険しい表情で言った。
「その指輪があるにしても、あなた方二人で、というのは、いかにも無謀だな」
タウロンの言葉に、全員、暗い顔になって沈黙する。まさしくその通りであり、そのことは誰もが分かっていた。
と、タウロンが表情を緩めて、言葉を続けた。
「そこで、だ」
一同、タウロンの顔を見る。
「わたしも行くことにしよう」
途端、全員がほっとしたような表情になった。
「……あまり驚かないのだな?」
「だって、きっとそうするって、分かってたもの」とセリア。
「そうそう」とカドル。「それなのに、勿体ぶっちゃってさ」
「……やっぱりやめようかな」
タウロンはぼそりと言ったが、黙殺された。
「ところでアイナ、あの子を見つけたら、まず何と声をかけるつもりだい?」
カルエレの言葉に、アイナは少し考えてから、答えた。
「黙って、抱きしめてあげようと思います」
「そうかい。そうだね」
「そして油断したところで、投げ飛ばしてやりますわ」
アイナの言葉に、子ども達は目を丸くし、カルエレは愉快そうに笑った。
「けど、それは結構、重要な問題かもね」
カドルが言った。
「兄さんはどうしたら、戻ってきてくれるだろう」
「メイザさんなら、気絶させて引きずってくるところだけど」とアイナ。
「引きずって?」とセリア。
「いいえ、何でもないわ」
と言ってから、アイナはタウロンの方へ顔を向けた。
「タウロン様、何と言えば、レッコーを説得できるでしょうか。どうすれば、レッコーを許してやることになるのでしょうか」
タウロンはしばらく考え込んでから、答えた。
「それは、あなたが考えなければならないように思う」
「……そうですね。きっと、その通りです」
そう言うアイナを見ながら、タウロンはちょっと笑った。
「まあ、今のところは、投げ飛ばすという方針で良いんじゃないか?」
翌朝、アイナ、エーデ、タウロンの三人は旅立った。
その二日後、タルーブの町に初雪が降った。
レッコー君の名前の由来は、いくつもの光に導かれて闇の中から飛び出し、やがて自ら激しく輝きだす人……すなわち「烈光」です。




