英雄
ヘレと別れたレッコーとタウロンのところへ、右腕を吊ったミカラが、何か揚げ物をかじりながらやってきた。
「あら、レッコー君、元気がないわね。町を救った英雄だっていうのに」
そう言って、残りを口に放り込み、指を舐め始める。
「君はちょっと、元気すぎやしないか」
タウロンが、呆れたように言う。
「先生ほどじゃないですよ」
ミカラはおどけた調子で言い、ニンマリと笑いながらレッコーに歩み寄った。そして、おもむろにレッコーの首へ左腕を回すと、体をグイグイ押し付けた。
「ほらほら、あたしがご褒美あげちゃうわよ。おっきくて柔らかいやつ」
「……間に合ってます」
顔を赤くしながらも、レッコーはうるさそうに言った。
「そうだな、司祭もかなり大きいものな」
「タウロン師!」
「あら、何のお話ですか?」
レッコーが二人にからかわれているところへ、アイナがやってきた。
「さて、何の話かな」
返事ともつかない返事をして、タウロンは立ち去った。
「顔じゃちょっと、勝てないわね……」
ミカラはアイナの顔をしげしげと見つめながら、ぼそりと言った。そして、「大きさは引き分けってとこね」などと呟きながら、行ってしまった。
(さあ、困ったぞ。何と説明しよう)
レッコーが忙しく頭を回転させる。何しろ、嘘はつけないのである。
「レッコー――」
「レッコー君、ちょっと良いかね」
アイナが何か言いかけたところで、またしても誰かが声をかけてきた。
会議の席でレッコーを糾弾した老人、ゲーベルであった。
「ゲーベルさん」
「レッコー君、君は今や、機知によってこの町を救った英雄と呼ばれている」
「……」
レッコーは黙ったまま、ゲーベル老人の次の言葉を待った。
「しかし、わしは、君がわしを騙し、息子達を逃がす機会を奪ったことが、どうにも許せんのだ」
ゲーベルは、淡々とした調子で続けた。
「……はい」
「だが」
ゲーベルは、そこで少し間を置いた。
「……君のおかげで、わしは妻を道連れにせずに済んだ。また、息子達に、親を捨てさせずに済んだ。そのことについては、感謝している」
ゲーベルはそう言って、頭を下げた。
「どうもありがとう」
そして、レッコーが何か言う前に、老人は行ってしまった。
レッコーがそれを見送っていると、またも誰かが背後から声をかけてきた。
「君に感謝しているのは、ゲーベルさんばかりじゃないぞ」
驚いて振り返ってみると、食べかけのサンドイッチを手にしたマコスが立っていた。先ほどどこかへ歩いていったばかりだが、用事が片付いたのだろうか。
「敵は我々が北東の街道へ逃げ出すのを待ち伏せる算段だったわけだが、君のおかげで、その計画は台無しになったわけだ。当初の目論見が外れたことで、敵は各所の連携がとれず、対して我々は落ち着いて迎え撃つことができた。君の策によって犠牲が最小限に抑えられたことは、疑いない」
「そうだ、良くやってくれた!」
「ほら吹きの英雄、万々歳だ!」
そばで聞いていた人々が、口々に言う。何人かはアルコールが回っているらしく、赤い顔をしていた。
マコスもテーブルのひとつに近寄って、酒ビンに手を伸ばそうとした。
その腕を、メイザがガッと掴んだ。
「隊長、お話はそのくらいにして、次の打ち合わせに行きますよ」
マコスが渋い顔をする。
「えええ? ちょっとくらい良いじゃないか、お母さん」
「誰がお母さんですか!」
メイザはマコスの頭をひっぱたくと、そのまま引きずっていった。周囲の人々が、どっと笑う。
「……ちょっと、静かなところに行こうか」
レッコーがささやくと、アイナが頷いた。
広場から少し離れた所にあるベンチに、レッコーとアイナは落ち着いた。
「レッコー、あなた、英雄ですって」
アイナが口を開いた。
「うん」
「この町のみんなが、あなたに救われたのよ。死んでしまった人もいるけど……」
「そうだね。でも、言い訳するわけじゃないけど、これが一番犠牲の少ない方法だったと思う」
「そう、その通りよ。あなたは絶対に、正しいことをしたのよ」
「……司祭、何が言いたいの?」
「何って、だから、つまり……」
アイナはしばらく言いよどんでいたが、やがて決意したように言った。
「ゲーベルさんに嘘をついたこと、気にしてるんじゃないかと思って」
「ああ、そのことか」
レッコーは少しだけ、顔を曇らせた。
「確かに、おれは今日、誓いを破って嘘をついた」
「……」
「けど、それはみんなを守るための嘘なんだ。それなら、ギムデもお許しになるんじゃないかと、おれは思う。だから、おれも自分のことを許してやろうと思うんだ……もちろん、司祭が許してくれたらだけど」
「許すわ! もちろん!」
アイナは思わず、悲鳴のような声を上げた。そして、ハッと顔を赤らめると、それをごまかすように、レッコーの頭をなで始めた。
「みんなのことを助けたレッコー。わたしのことも助けてくれたレッコー。大事な大事なレッコー。許さないはずないわ」
アイナは歌うように言いながら、愛おしそうにレッコーの髪をなで続けた。
「可愛い可愛いレッコー……」
「……なんだか、エーデが『子ども扱いするな』って言う気持ちが、分かってきたぞ」
「そう、それじゃ、やめちゃおうかしら?」
アイナが意地悪そうな口調で言った途端、レッコーは困ったように唸り声を漏らした。
「うーん……差し支えなければ、もうちょっとだけ……」
「ふふ、何それ……」
アイナはクスクスと笑いながら、いつまでもレッコーのことをなでていた。
それから三日目の朝、レッコーは姿を消した。




