盲目の信頼、澄んだ信頼
「そもそも、信頼するとはどういうことだろう」
タウロンが、レッコーに向かって話を続ける。それを、食堂に居合わせた全ての者が聴いている。
「例えば、このテーブルを信じるとは、どういうことだろうか」
「テーブルを信じる……?」
レッコーが不思議そうな顔をする。
「テーブルを信じるなんてことは、できないと思います」
「なぜ?」
「テーブルは、何か行動をするものじゃないからです。信じようが信じまいが、テーブルはテーブルで、ただここにあるだけだからです」
「そうだな。まあ、多少重いものを載せても脚が折れたりしないだろうと期待することが、テーブルを信じるということだと言えるかもしれないが、実はそれは、テーブルを作った人を信じているということだ。テーブル自体は、信じる対象とはならない。では、太陽はどうだろう。太陽が明日も東の空に昇ると信じる――これはどうだろうか」
「それも、信じるということとは違うと思います。信じようが信じまいが、太陽はきっと、明日も東の空に昇るでしょうから」
「そうだね。太陽は、ほぼ間違いなく、明日も東の空に昇るだろう。我々はそのことを知っているのであって、信じるかどうかという問題ではない。つまり、何も行わないもの、あるいは確実な事柄は、信頼するということの対象とはならないわけだ。では、信頼の対象となりうるものとは何か。それは、不確実なもの、つまり疑いうるものだ」
「疑いうるものを信じる……」
「疑いうるものだから信じるのだ。それでは、神の存在はどうだろうか。――いつか、神の存在も疑いうるという話をしたことがあったが、憶えているかね」
「ええ、もちろん」
「あの時、君は確かこう言った――我々は、神と直に接することはできない。だから神の存在は、証明することも、否定することもできない――そのような神の存在について、ギムデの教義は『信じよ』といい、セイルの教義は『疑え』という。一見、真逆のことをいっているように聞こえる。しかし実は、どちらも同じことを前提にしている」
「神の存在は疑いうる、つまり、信頼の対象になる……」
「そうだ。神の存在が疑いようのないものならば、教義の中で『信じよ』と説く必要はない。確実ではない神という対象を、それでも信じよというのが、ギムデの教義なのだ。こう考えると、『人を信じよ』とはどういうことかも分かってくる」
「人もまた、確実ではない。だから信じるということですか?」
「そういうことだ。『神を信じよ、同様に人を信じよ』――これは、このように言い直すことができるのではないかと思う――『神は決して確実なものではない。それを踏まえた上で、信じよ。人も決して確実なものではない。それを踏まえた上で、信じよ』と。人は、信頼を裏切ることがある。だからこそ信じる。裏切りの可能性を踏まえた上で、信じる。あるいは、過去の裏切りを踏まえて、それでもどこまでなら信じてやれるか考え、信じる。そのような信頼は、裏切りの可能性から目を背けた盲目の信頼よりも、ずっと強く、意義があるように思う。現実から目を背けない、澄んだ信頼とでもいおうか」
「盲目の信頼……澄んだ信頼」
アイナが呟いた。その声は小さかったが、思いのほか部屋に響いた。
「そうだ」
タウロンが、アイナの方へ顔を向けた。
「今日は、はっきりと言おう。あなたはもう、受け止められるだろうから」
「はい」
アイナが、タウロンの目を見つめ返した。
「あなたは、盲目の信頼にこだわっていたのだと思う。しかし、これはわたしの個人的な見解ではあるが、ギムデの教義は『神を信じよ』とはいっても、『神を盲信せよ』とはいっていないように思う。判断の伴わない盲信は、真の信仰とはいえないはずだ。同様に、人をただ丸ごと信じるというのでは――」
「相手を否定もしていないが、肯定することもできないのだ」
アイナが、ちょっといたずらっぽい表情をしながら、タウロンの口調をまねて言った。
「良く憶えていますわ。本当にショックだったんですから……でも今なら、おっしゃることが良く解ります」
「そうかね。それなら、わたしの言いたいことはもう……いや、もうひとつあったな」
タウロンはそう言うと、カルエレの方へ向き直った。
「今お話しした『澄んだ信頼』というのが、ギムデのおっしゃる信頼であると仮定して、話をさせていただきます」
「ええ、お願いします」
カルエレが穏やかに頷く。
「澄んだ信頼とは、嘘をついたことのある者も拒絶せず、どこまでなら信じてやれるか考える、そういった性質のものです。何度も嘘をついてきたレッコー君の言葉を、カルエレ師が信じなかったのは当然のことです。しかしカルエレ師は、そんなレッコー君を見放さず、あくまで向き合おうとしてこられた。それは、澄んだ信頼を備えておられるからに他ならないと思うのです。『体裁ばかりの信仰』というお言葉は、当たらないように思います」
「そうなのでしょうか……ともかく、一度、教義について良く考え直してみようと思います。貴重なお話をいただき、感謝いたします」
カルエレは、丁寧に頭を下げた。そして、ふと思いついたように言葉を続ける。
「ところで、タウロンさん」
「はい」
「アイナに度々、『頑固だ』とか『疑うことを知らな過ぎる』といったことをおっしゃっていましたが、あれは、アイナの価値観に揺さぶりをかけて、信仰について見直させるためだったのではありませんか」
それを聴いて、タウロンは小さく笑い声を上げた。
「まさか、お気付きになるとは……その通りです。司祭は教義に忠実であるのを通り越して、教義に縛られて精神の自由を失っているように見受けられたので、わざと怒らせて精神を柔軟にしつつ、教義についての再考を促したのです――まあ、もうばらしてしまっても良いでしょう」
タウロンの言葉を、アイナは目を丸くして聴いていた。
「ふーん、そうだったんだ」
エーデが、心底驚いたという顔をして言った。
「綺麗なお姉さんをからかって、面白がってるんだと思ってた」
「あ、ぼくもそう思ってました」とブラドロ。
「まあ、そういう面もあるけどね。司祭が頑固なのは事実だしね」
「あ、また言った!」
アイナが叫ぶ。
「それはそうと」とエーデ。「この際だから、あたしも言いたいこと言っちゃうわよ。レッコー、あんた、罪だ罪だって言うけどさ。もしあの日、あんたがいなかったら、あたしは死んでたのよ。魔族を見付けて、向こうには気付かれずに村まで戻ってくるのも、森の中でギマランを二頭やっつけるのも、あんたじゃなきゃ、とてもできなかったわよ」
レッコーは、じっとエーデの言葉を聴いている。
「だから、つまりさあ……」
エーデが、段々涙ぐんでくる。
「あんたは、村のみんなは助けられなかったけど、あたしにとっては、命の恩人なの。どうしたら罪を償えるかは、一緒に考えてあげるから、いいかげん、うじうじすんのやめなさいよお」
「どうして君が泣くんだ」
「あんたが、泣きも笑いもしないからよ!」
レッコーはエーデの隣にやってきて、彼女の肩まで伸びた髪をなでた。
「ごめんな。おれは君を、困らせてばかりだ」
「だから、子ども扱いすんなっていうのよお……」
エーデはそう言いながらも、レッコーになでられるまま、じっとしていた。
しばらくの間、誰も何も言わなかった。
ふと、タウロンが口を開いた。
「そういえばわたしも、レッコー君に訊きたいことがあった」
「何です?」
「セイルの教義について、あるいは疑うということについて話した時のことだが……君は元々、セイルの教義についてある程度知っていたのではないかね。実は君こそ、司祭の価値観に揺さぶりをかけることを意図して、わたしに疑うということについて語らせた――違うかな」
アイナが、先ほどより一層目を丸くする。
「……ええ、そうです」
レッコーは、ためらいがちに答えた。
「といっても、そんなに深い考えがあったわけではありません。ただ、疑わしいものを疑うのは当たり前のことだというようなことを、司祭の前で話していただければと……」
「やれやれ、結局みんな、レッコーの計画通りかい。タウロンさんを連れてきたことといい」
カルエレが苦笑しながら言った。
「まったく、とんだ策士ですな。ひとりであれこれ気を回して」
タウロンも頷く。
「それで結局、全部思い通りに解決しちゃうんだから」
そう言ったエーデに、レッコーは首を横に振って見せた。
「それは違うよ。タウロン師やブラドロ、アリーシャさんがいてくれなかったら、おれは今夜の話をできなかった。全然、思い通りなんかじゃなかったんだ。それに……過去と向き合うことはできたけど、これからの償いについては、何も解決していない」
「そこで、だが」
タウロンが言う。
「良ければ、明日から、この国の歴史について話してあげよう。歴史を学べば、自分の周囲で起こったことを客観的に捉えられるようになるし、これから何をなしていくか考える参考にもなる――どうだね」
「ぜひ、お願いします」
レッコーは深々と頭を下げた。アイナとブラドロも、それに倣った。
そしてアイナは、レッコーにほほえみかけた。
「あなたには参ったわ。もう、子ども扱いできないわね」
レッコーは、照れたような困ったような表情を浮かべた。
エーデ「なんか二章に入ってからこっち、タウロン様ばっかしゃべってるわね」
タウロン「主人公とヒロインが内向的だからなあ」
ブラドロ「むしろ、アリーシャさんがヒロインという気がしてきたのは、ぼくだけでしょうか?」
アイナ「えええ……!?」
セリア「『ほら吹き少年とタダ食いお姉さん』」
カドル「なんか、一気に胡散臭くなってるよ……」




