先を歩む者
タウロンは黙ったまま、ブラドロが言葉を続けるのを待った。
「ご存知の通り、ぼくはロアークのギムデ寺院から、ここタルーブへ修行に来ました」
ブラドロが言う。
「そして今は、タウロン師のご指導の下、ロアーク拳法の訓練を行っています……このことについて、疑問に思われたことがあるのではありませんか?」
「まあね」
タウロンが頷く。
レッコーもまた、その点については不思議に思っていた。ブラドロはタルーブの寺院で他の修行を行いながらも、常にロアーク拳法の技能を向上させようとしていた。そこでファルゴが指導を試みたのだが、あまりうまくいかなかった。もしレッコーがタウロンを連れてこなかったら、ほとんど上達は望めなかったはずである。
ロアーク拳法に習熟するなら、ロアークにいた方が都合が良いに違いない。ではなぜ、ブラドロはタルーブへやってきたのだろうか。
「なぜ、お訊きにならなかったんですか」
ブラドロが訊いた。
「……そうだな。いつか話してくれるような気がしたから、かな」
タウロンが答える。
ブラドロはちょっとほほえんだ。
「ぼくは三年ほど前に、ロアークの寺院に入りました。ロアーク拳法の師範は、ぼくの素質――魔法力の高さを見抜かれて、周囲からは、優れた遣い手になることを期待されていました」
ブラドロが話を続ける。
「でも、センスがなかったんですね……同輩と比べて、ぼくはちっとも上達しませんでした。先輩達がなんとか教えようとしてくれたんですが、やっぱりうまくいかなくて、そのうち怒りだしちゃう先輩もいて、同輩からは馬鹿にされたりして、自信を失って……それで段々、真面目にやらなくなっちゃったんです。そしてロアークにいづらくなって、逃げ出してきて、なのにここでも、半端な修行をしているんです。――それが、ぼくが今、ここにいるわけです」
「……生徒がうまくできなくて怒りだすというのでは、いかにも未熟だ」
タウロンが言った。
「また、相手が思い通りにならないことに苛立つというのは、神官としてあるまじきことだ。いいかね、慰めるためにこんなことを言うんじゃないぞ。君もいずれ教える側になるだろうから、良く憶えておいてほしい」
「……はい」
ブラドロが頷く。
「おれ達の先生は辛抱強くて、助かってますよ」
とレッコーが言ったので、タウロンはちょっと笑い声を上げた。
「未熟というなら、わたしのことだ」
ふいに、ファルゴが口を開いた。
「中途半端な指導しかしてやれず、何の役にも立てなかった」
「そんなことはありません」
ブラドロが言った。
「ファルゴさんは、ぼくがどんなにできなくても、いつも丁寧に教えてくれました。それで、失っていたやる気を、少しだけ取り戻せたように思います」
「……そうか」
ファルゴは呟くように言った。
「それから、タウロン師が魔法理論を基礎から教えてくださり、ちょっとずつできるようになりました。そこでぼくは、ようやく自信を取り戻せたんです。本当に感謝しています……でも、駄目なんです。以前のようには気力が出ないんです。がんばろうと思うのに、かんばれないんです……今は、周りがみんな味方なのに……」
(今は、周りがみんな味方……)
レッコーは思った。
(ロアークでは、よほど辛い思いをしていたのか?)
「正式にここの僧侶になって、ロアーク拳法はあきらめようとは思わなかったのかね」
タウロンが訊いた。
「それを考えたこともあります。でも、それをしてしまうと、もう何に対しても気力を出せなくなっちゃう気がして。今でも、何をするのにも無理に気力を引き出しているような感じですけど、そこでさらに逃げてしまったら、どうしようもなく自分が嫌いになってしまうように思ったんです」
「そうか」
「でも、その気力が出ないというのを人に知られるのもなんだが嫌で、みんなの前では、わざとふざけてみせてたんです。やる気が出ないってことを、明るく振る舞って、ごまかして……タウロン師達の前で、ぼくはずっと、自分を偽っていたんです」
「……君のことではあるが、しかし、それはどうかな」とタウロン。「人間は多面的な存在だ。ある場面と別の場面で異なる顔を見せるのは、全く不自然なことではない。その意味で、『本来の性格』などというものはないのだ。――だが、ともかく、それが君の中の欺瞞、というわけか」
「はい――そしてもうひとつ。ロアークの寺院でやる気を失っていたぼくは、拳法の師範に言ったんです。他の寺院で修行してみたい、知らない土地で自分を試してみたいって。でもそれは嘘で、ただ、そこにいるのが辛いから、逃げ出したかっただけなんです。本当は、何とか気力を出して、ロアークで修行を続けた方が良いって、分かってたんですけど……」
「それで、許されたのか」
「はい、それで得られるものもあるだろうといって、寺院の長の大法官にも話を通してくれて……でも師範は、本当は、それは問題の本質から逃げているだけだって、分からせるために許してくれたんだと、今は思います」
「――それが理解できたなら、お前は充分に立派だよ」
いきなり、少し離れた所から声がした。いつ入ってきたのか、ゲーン助法官がそこにいた。
「ロアークの師範に対して偽りを言ったのは、なるほど、欺瞞といえる。しかしその人は、お前の心を見抜いていたのだろう、お前が考えている通りにな。だが、『それで得られるものもある』と言ったのも、おそらくは本心だったのではないかな。そして今、お前はその『先を歩む者』の意図を理解して、こうして己の中の欺瞞と向き合った。がんばろうと思うのにがんばれないという現状、そして、それをごまかしてきたという現状と、向き合った。堂々と、みんなの前で――出せずにいた『意思』を発揮してな」
ゲーンは、タウロンの使った言葉を持ち出して話した。
「それは、なかなか立派なことだ」
タウロンはゲーンの言葉に頷きながら、ちらっと周りを見回した。
若い僧侶達が、気まずそうな顔をしている。
「誰と比べて、という話ではない」
ゲーンが、かすかにほほえみながら言った。
「人と比べるべきことではない、とも思う。一人一人、それぞれで立派になってもらいたいものだな」
そこここで、返事の声が上がった。僧侶達は年齢も色々、男もいれば女もいるが、一様にすっきりとした表情をしていた。
(基本的に素直なのだ、ここの人達は……)
タウロンは思った。ギムデの信徒を、以前は苦手に感じていたものだが、いつからか、すっかり好きになっていた。
ゲーンがブラドロのそばへ歩み寄り、また口を開いた。
「自分に今できることを、じっくりと探るのだ。以前のようにできないからといって、嘆くことはない。お前が今、己の意思の力でひとつ成長したことは、みんなが見届けたのだからな。そしてお前は、幸運にも、素晴らしい『先を歩む者』に恵まれている」
ブラドロは泣きそうな顔で、頷いた。そして、ファルゴとタウロンに、丁寧に頭を下げた。
タウロンはそれに、軽く頷いて応えた。それから、レッコーとアイナの顔をそっと見やった。
(次は、君らの番かもしれないな……)
次の日から、ブラドロが訓練中に勝手に手を止める頻度が、いくらか減ったようだった。
(しかし何より、魔力の流れがのびやかになっている気がする)
とレッコーは思った。
(精神と魔力の関わり、か)
カドル「先達がいつも後進より賢いとは、限らないんだけどね」
タウロン「うわ、余計なこと言うなあ……その通りだけど」




