間抜け司祭
「この森を抜けたら、じきにタルーブの町ね」
アイナが、誰にともなく言った。
レッコーとアイナ、カルエレ、エーデ、それに六人の子ども達は、薄暗い森の中を歩いていた。ある程度しっかりした道が走っており、そう歩きにくくもないのだが、ところどころで傾斜があり、カルエレや小さい子の息が上がってきている。
「町に着いたら、まず兵隊さんの詰所へ行って、助けを求めなければね」
そう言いながら、カルエレは前を行くレッコーをちらりと見やった。
ふと、レッコーが立ち止った。すると他の者達も、全員、申し合わせたように足を止める。
「どうしたの、レッコー」
アイナが訊く。
「ごめんなさい……」
レッコーは一言そう言ったきり、口をつぐんでしまった。
ややあって、カルエレがひとつ溜息をついてから、口を開いた。
「何を謝るんだい、レッコー?」
「何って、でも……みんな、分かってるんでしょ?」
レッコーが、思いつめたような顔に薄い笑いを浮かべて、答えた。しかし、カルエレはなおも問い詰める。
「いいや、分からないね。何を謝ることがあるのか、はっきりとお言い」
沈黙が十人を包んだ。やがて、その沈黙に耐えかねたように、レッコーがまた口を開いた。
「嘘だったんです、今度も」
「嘘って、何が?」
「だから、魔族が来るっていうのが」
「そう、それじゃあ、このまま引き返しても危険なことはないんだね?」
「はい……」
カルエレは、またひとつ溜息をついた。
「それじゃ、少し休んでから、村へ戻るとしようかね。町を見物しようにも、子どもらが迷子になったらいけないしね」
カルエレはそう言うと、乾いた倒木を見付けて腰を下ろした。他の者もそれに倣う。ひとり、レッコーだけが突っ立っていた。
「どうして、こんな嘘をついたね?」
「それもまたよ、また!」
カルエレが問いかけると、様子をうかがっていたエーデが、我慢しきれないというように声を上げた。が、アイナが「黙ってなさい」というような手振りをしたので、不機嫌そうなまま口を閉じた。
「つまらなかったからです」
「何が?」
「なんとなく、色々なことが」
「なんとなく、色々なことがつまらなくて、嘘をついたの」
「はい」
「大騒ぎをして、みんなを脅かして」
「……」
「子ども達を不安がらせて」
「でも、ぼく達、不安でもなんでもなかったよ」子ども達のひとりが口をはさんだ。「レッコー兄ちゃんの嘘だって分かってたし」
「狂言っていうんだよね、狂言」別の女の子が言った。
「ぼくは……ひょっとしたら本当かもって思って、ちょっと怖かったよ」また別の、小さい子が言った。「お兄ちゃん、怖い顔してたし」
カルエレが、レッコーの顔を見据える。
「もうしません」レッコーが、低い声で言った。「もう、みんなに嘘をついたりしません」
「そう」カルエレが、淡々とした調子で言う。「でも、この前も同じことを言っていたわね」
「今度こそ、本当に、二度としません」
「そう、それなら、ギムデの教えにも適うというものだわ。教えには、『神を欺くな、同様に人を欺くな』とあるのは、知っているわね」
そう言いながら、カルエレは倒木から立ち上がった。
「レッコー、森を出るまで、カルエレ様を背負っていきなさい」厳しい顔でふたりのやりとりを聴いていたアイナが、命じるように言った。「そこから先は、一番小さいセリアを背負いなさい」
「はい」
レッコーは、うつむいたまま答えた。
ふたりを背負って帰るのは、これで三度目だった。
「おや、ほら吹きレッコーが、ちっちゃいのを負ぶって戻ってきたぜ」
畑仕事の合間に立ち話をしていたふたりの農夫の一方が、歩いてくるレッコー達を見付けて言った。
「よう、レッコー、羊はみんな無事のようだぜ。魔物どもは、どこか他へ行ったんだな」
「うん……」
レッコーはそれだけつぶやくと、ふたりの脇を通り過ぎた。カルエレやアイナ達も、農夫達と挨拶を交わして、神殿へと歩いていく。
「やれやれ、カルエレ様や嬢ちゃんはまた、なんだって坊主のほら話に付き合うのかね? こう何度も何度もさ」
ふたりはまた立ち話を始める。
「カルエレ様はもういいかげん、うんざりしてるのよ。アイナさ。アイナの嬢ちゃんが、教えがどうのと言って、レッコーに付き合ってるんだ」
「だが、まさか、本気で信じてるわけじゃあるまい?」
「まさか……しかし、教義だといったところで、あれじゃまるで間抜けよ。間抜け司祭だ」
「まったく、若くて美人なのは良いが、いかんせん、間抜け司祭じゃあな」
「おいおい、若くて美人って、それで間抜けじゃなかったら、どうしようっていうんだい。おまえ、女房がいるだろ」
「なに、目の保養よ。うちの女房もいいかげん、くたびれてきたからな」
「何言ってやがる……それより、坊主だが」
「ああ、レッコーが?」
「今度もまた、暗い顔して帰ってきたな。いたずらする子どもってのは、もっと、にやにやしてるもんじゃないか?」
「うん……? 叱られてしょげてるんだろ?」
「そりゃまあそうだろうが、そうじゃなくても、最近あまり笑ってるのを見ないような気がするんだが」
「そういえば、確かにな。前はもっと明るかったし、何より素直だったはずだが」
「若い司祭様も、そこが気になってるのかもな。それに坊主は、親父とお袋が死んで以来、神殿で育ったことでもあるし……」
「やれやれ、今日は疲れたわね」
夜、神殿の一室でアイナとふたりきりになったカルエレが言った。
「申し訳ありません……」
「別に、あなたに謝ってもらうことはありませんよ。わたしは教えに従ったまでです、あなたと同じにね――でもまあ、エーデの気持ちも分からないではないけど」
アイナは、レッコーにひとしきり文句を言った後、自分に突っかかってきたエーデを思い出した。
――アイナ様、自分がみんなからなんて呼ばれてるか知ってるの!? 間抜け司祭よ、間抜け司祭!
アイナは、延々わめき続けるエーデがおかしくなって、つい吹き出してしまい、エーデをさらに怒らせた。その間に、レッコーはいなくなってしまった――もっとも、羊の番が彼の仕事であって、そのために出ていったのではあったが。
「それにしても、レッコーはまた、なんであんなつまらないことを言うのかねえ」
カルエレがまた口を開いた。
「もういいかげん、誰も騙されやしないのに……わたしらの他は。それに、わたしらを騙して喜んでるようでもないし。むしろ、自分の嘘に怯えているような……」
「それなんですが……」アイナが、ためらいがちに言う。「レッコーは、みんなに迷惑をかけたくないと思っているんじゃないでしょうか」
「迷惑してますよ、それなりに」
「でも、本当にみんなを困らせたいと思ったら、もっとうまい嘘をつくはずです。頭の良い子ですから」
「村の人達には迷惑をかけずに、わたし達だけ困らせて……甘えてるってこと?」
「あるいは。でも、そうだとしても、そんなにはっきりした考えはないと思いますけど」
「じゃあ、どうしたら良いの? もう付き合わなければ良いのかしら、それとも、もっと重い罰を与えれば?」
「さあ、わたしには分かりかねます。まだ若い――」アイナは、何かを言いかけて、飲み込んだ。「まだ未熟ですので」
「わたしもこの歳になるまで、ええ、こんな歳になるまで、何十人もの孤児を育ててきたけど」カルエレは「歳」というところを強調して言った。「それでもレッコーはちょっと変わってるわね。他のどの子とも違う。もちろん、子どもはみんなそうなんだけど」
「はい」
「あの子は特別、難しいような気がする。そう、賢いのだけれど、それが生きる上で役に立っていない、賢いのに不器用、賢いから賢く生きられない……要は他の子より、色々なことに悩んでしまうように見えるわ」
「はい、同感です」
「あの子に魔法を教えているのだったかしら?」
「はい」
「どうなの?」
「優秀です。教えたことをすぐ理解します」
「そう。元々真面目で、素直な子ですからね」
そう言いながら、カルエレはふと何かに気付いたような顔をした。
「ねえ、でも、幻術なんか教えたら、いたずらに使うんじゃないの?」
「わたしもそう思いましたので、幻術は教えていません」
「そう、賢明ね。あなたもただの間抜け――」カルエレは、何かを言いかけて、飲み込んだ。「ただのお人好しじゃなかったのね」
「仕返しですか?」
「何が?」
「いえ……」
「姿を消したりはまだしも、魔物の群れの幻でもみんなに見せられたら、大騒ぎですからね――さあ、この話は、また今度にしましょう」
「はい、おやすみなさい」
アイナはそう挨拶すると、先に部屋を出ていった。
カルエレはひとつ溜息をつき、今日の小旅行について思い返した。
(これで五度、同じ嘘に振り回された。もし次があったとして、神はなお、六度目の嘘を信じよとお命じになるかしら……)
重い婆様を背負うという重い罰。