神は人を罰するか
「セイルの教義には、こうあります。『神は人を罰しない』、そして『神は人を害さない』」
静かな食堂に、タウロンの声が響く。
(ファルゴ様もタウロン師も、良くやる……)
レッコーは思った。
「セイルの信徒と火の神ヴァンの信徒が最も対立するのが、この点ですね。セイルの信徒の中には、この教義を発展させて、『人を害するのは悪魔である』と考えている者達もいます。一方、火の神の教義の中には、罪を犯したために神の炎で焼かれた人間の話が、たくさん出てきますからね。また、水の神レムドクの教義の中にも、罪人が雷に打たれる話がいくつかあります――雷雲は水の神に属するものですからね」
「ではセイルの教えでは、ヴァンやレムドクは悪魔であると?」とファルゴ。「あるいは、ギムデの教義の中にも、神が人を罰する話があるが……」
「そう主張する人も、一部にいます。が、わたしの考えは違っていて、『神は人を罰しない』というのは、あくまでセイルがそのような性質だということで、他の神々については何も言っていない、と理解しています。まあ、セイルの神官全体の中では、こちらの解釈が主流ですね。セイルは人を罰しないが、他の神々は、場合によっては罰することもあるだろう、というわけです」
「なるほど」
「しかし、一般に神というものの性質を考えた時、神々は滅多なことでは人を害したりはしないだろう、とも思っています。……ああ、ここからは極めて個人的な見解ですので、まずそこのところはご理解ください」
「承知した」
「繰り返しますが、わたしは、神々は滅多なことでは人を害したりしないだろう、と考えています。なぜなら、神々がその教義に語られているように全能であるならば、悪人すら正しく導くことができるはずだからです。むしろ神々は、導きを必要とする悪人にこそ、まず手を差し伸べられるはずです。神が人の命を奪うというのは、神をしてそうせざるをえないという、極めて稀な場合に限られると思うのです」
タウロンはそこで、ちょっと考えるように間を置いた。
「……ところで、火の神の教義には、悪徳のはびこった町をヴァンが一夜にして滅ぼした、という話がありますが、これなどは、わたしには信じがたいわけです。いくらひどい所でも、それほど悪くない人だっていたはずです。また、赤ん坊だっていたはずです。そういった者も丸ごと滅ぼしてしまうというような過ちを神が犯すとは、どうあっても信じられない。わたしはむしろ、この話の部分は後で誰かが付け加えたのではないかと疑っています」
「なるほど、神は全能ゆえに、人を罰しない、か。しかしそれならば、神はいかにして人を導くのだろうか?」
「わたしの考えでは、ギムデ神はすでに、こちらの方々に道を示しているのです」
「ほう」
「ファルゴ殿、あなたは若い方々を叱った。なぜですか?」
「彼らが、戒律に背く行いをしたからだ」
「その戒律は、何によって定められたのですか?」
「もちろん、ギムデの教義に基づいてだ……なるほど、そういうことか」
ファルゴの顔に笑みが浮かんだ。タウロンが頷く。
「そういうことです。ギムデ神はその信徒に、『教義』と『先を歩む者』を与えられたのです。……そもそも、神の導きとはいかなるものでしょうか。食事の作法をぞんざいにしたからといって、ギムデ神がこの食堂に降臨して、罰を与えたり警告を与えたりされるでしょうか。神の思し召しは計り知れないとはいえ、それはちょっと考えられない。しかし、そのような『奇跡』は不要なのです。『教義』と『先を歩む者』が、ちゃんと道を示してくれるのですから」
「そう言われると、奇跡を期待することが、いかに愚かしいことか分かるな。むしろそんなものを待っていては、すでに示されている道を見逃してしまう……なるほど、『教義』と『先を歩む者』か」
「それともうひとつ付け加えれば、『意思』ですね」
「意思……己の意思か?」
「そうです。『教義』と『先を歩む者』が道を示しても、そちらへ進んでいく『意思』がなければ、何にもなりません。神官は、他者を助けるために、まず己を律するものです。己を律し、生活を整えるために、教義に基づいて定められたのが戒律です。それを、神を言い訳にしてごまかすというのは、意思の出し惜しみというものです」
「出し惜しみか……不足ではなく?」
「わたしの知る限り、自分で道を選ぶだけの意思を持たない人間はいません。持っているのに出さない、ということがあるだけです。不足は神の過ちですが、出し惜しみは人の過ちです。すでに授けられているのですから」
「持っているのに出さない、か。分かるな、それは」
「そして、進むべき道を本当は知っていながら己をごまかし、意思の出し惜しみをすることを、欺瞞といいます。セイルは理性の神であり、欺瞞を嫌います。そこでセイルの神官は、己と向き合うことを重要視するのです」
「そしてギムデは信義の神であり、欺瞞をことのほか嫌う。ギムデの神官も、己の中の欺瞞と向き合わないわけにはいくまい」
「こんなところで、ギムデとセイルの共通点が見付かるとは。ともかく、わたしが申し上げられるのは、神の導きとはいかなるものか一度考えてみることをお勧めする、ということですね」
「なるほどな……いや、大変勉強になった。どうもありがとう」
ファルゴはそういうと、タウロンのカップに茶を注いだ。
タウロンが話し終えたことで、食堂は再び沈黙に包まれた。タウロンとファルゴは、静かに茶をすすっている。
若い僧侶達は、各人各様の表情をしていた。神妙な顔をしている者、居心地悪そうな顔の者、胡散臭そうにタウロンを見ている者……彼を睨んでいる者もあった。
レッコーとアイナは、不安そうな様子で、タウロンとファルゴのことをちらちらと見ている。アリーシャとヘレは平然としていた。
(さすがに、全員に素直に受け容れてもらえるというわけにはいかないか)
タウロンは思った。
(わたしは風の神の神官、それも、ファルゴ殿の言う若い者達とは、同年代と言って良い。それが、ちょっとした戒律違反を、欺瞞と断じたのではな)
しかし、と思う。
(しかし、的外れとは言わせないぞ。本当に戒律がどうでも良いとは、思っていないはずだ。早く信仰の本質に触れたいというのは、分からないではないが……まあ、ここから先は、わたしの仕事ではないな。ファルゴ殿はどうするつもりなのだろう)
その時、ファルゴの隣に座っていたブラドロが、ふいに沈黙を破った。
「タウロン師、ぼくも、聴いていただきたい話があるんですが」
「わたしにか?」
タウロンはちょっとファルゴの顔を見たが、ファルゴが頷いたので、ブラドロの方に目を戻した。
「聴こう。どういう話だね」
ブラドロが、いつになく真剣な表情で言う。
「ぼくの中の、欺瞞についての話です」
タウロン「念のために言っておくが、わたしは自分の考えを述べただけで、悪人正機説を誤解しているわけではないぞ」
レッコー「なんです、それ?」




