ヘレさん、頬をつつかれる
ヘレがタウロンを、キッと睨みつけた。
「タウロン師。わたしとの立ち合いの時、手を抜きましたね。あなたの魔法力は、わたしよりいくらか上でしたが、あの程度では――」
そう言って、四角く地面を区切っている半透明の壁に目を向ける。
「あんな複雑な〈結界術〉を、こんなに維持できるはずがありません。今まさに使っている魔力の量を見ても、あなたの実力はもっと上のはずです」
「本気でやったとは、誰も言っていない」
走り回るレッコーとブラドロを目で追いながら、タウロンが言った。
「あなたに勝つにはあのくらいの力で充分だったから、あのくらいの力でお相手したまでです」
途端、ヘレの目にじわっと涙が浮かんだ。歯を食いしばりながらアイナに歩み寄り、その司祭服にすがりつく。
「司祭……わたし、あの人嫌い」
アイナは慈愛に満ちた表情で、ヘレの長い髪をなでつけた。
「ええ、どうしようもない、インチキ野郎ですわ」
「……そこまで言ってないけど」
ヘレが呟く。
「参ったな。騙したのはお互い様だろうに……」
タウロンが、本当に困ったような顔をして言った。
「言い方というものがありますわ、タウロン師……」
アリーシャはそう言いながら、アイナとヘレのそばに行った。
「まあ、タウロン師の方が上手だったってことねえ」
と言って、ヘレの頬を指でつつく。
「……なんでそんなに、嬉しそうなの」
ヘレが恨めしそうに言う。
「だって、あなたのこんな悔しそうな顔、滅多に見られないんだもの」
そう言いながら、なおも頬をつつこうとするのを、ヘレが手で払う。
「女の子は、表情豊かな方が魅力的よ」とアリーシャ。「それにしてもタウロン師、やってくれるわね……でも、こんなのを堂々と見せてくれたってことは、わたし達のこと信頼してくれたってことかしら」
「そうですね」
あいかわらずレッコーとブラドロの方を見たまま、タウロンが言った。
「あなた方の人柄は、信頼していますよ」
「人柄は、ね……立場や役割といったものがなければ、もっと仲良くなれるのかしら? ――あら」
アリーシャは、レッコーの魔力弾がブラドロの腹に当たるのを見て、呟いた。
「そこまでだ!」
タウロンが怒鳴る。
と、いつの間にかタウロンの背後に立っていたヘレが、口を開いた。
「今夜は、わたしが知っている限りの怖い話を、聞かせて差し上げます」
「すごい嫌がらせだ! やめなさい、子ども達が怖がるから」タウロンはそこで、ちょっと考えた。「――いや、喜ぶかな、ひょっとすると」
レッコーとブラドロが、疲れきった、しかしどこか満足そうな表情で、やってくる。
ふと、タウロンがまた口を開いた。
「セイルの神官の信頼とは、疑った上での信頼です」
アリーシャとヘレが、顔を見合わせる。
「そこそこ貴重なものですよ」
タウロンは淡々とした調子で言った。
アリーシャがおかしそうに笑い声を上げ、ヘレも微笑を浮かべた。
その日の夕食の後、食堂でレッコー達とくつろいでいるタウロンの所へ、僧侶のファルゴがやってきた。
「タウロン殿、ちょっと相談したいことがあるんだが」
「何です?」
ファルゴはちらっと、周囲の僧侶達を見回した。
「……近頃、若い僧侶の中に、寺院の戒律を軽んじる者達がいてな。ほら、食事の最中に、小声でしゃべっている者がいただろう」
「……そうですね」
タウロンが頷く。
寺院では、食事の際、ものを言ってはいけないことになっている。カレド村の面々やタウロン、アリーシャ達も、この決まりはきっちりと守っていた。
ところが最近、食事中に小声で話を始める僧侶達がいるのだった。もっとも、すぐに年かさの者に注意されて、話をやめるのだが。
「食事の作法だけではない」
ファルゴが言う。
「講義の際、掃除の際、祈りの際にさえ、決められた所作を守らないものがいるんだ。その度に、我々年長の者が注意するんだが、いくら叱っても改めない。細々とした戒律について、どこか無頓着になっているんだな。――そこで話を聴いてみたら、どうも、そのような戒律は信仰においてさほど重要でない、という考えが広がっているらしい。なんでも、本当に教えに背くことをすれば神の罰が下るはずで、それがないのは、自分達の戒律違反など信仰の本質とは無関係だからだ、と言うんだ」
(ギムデの神官も、なかなか過激なことを言う)
タウロンは、内心ニヤリとした。
「なんという思い違いを、とも思うのだが――」
ファルゴが話を続ける。別段、声を落としたりもしない。
「しかしどこかで、なるほど、と思ったりもする。――そこで、このことについて、タウロン殿の見解を伺ってみたいのだが」
ざわついていた食堂は、いつの間にか、しんとなっていた。
タウロンが口を開く。
「……それは、セイルはどうおっしゃっているか、ということでしょうか。それとも、わたし個人の考え?」
「どちらでも。できることなら、両方を」
「分かりました。ではまず、神が人を罰するということについて、セイルの教義に何とあるか、お話ししましょう」
レッコーは、食堂に居合わせた全ての者が耳をそばだてているのを感じた。
セリア「キャハハハ!」
カドル「ヘレさんのお話、おもしろーい!」
ヘレ「あれ……!?」
タウロン「あれ……!?」




