神の存在を疑う
タウロンがやってくるようになって一ヶ月ほど経ったある日、レッコーはふと、風の神の神官に尋ねた。
「タウロン師、風の神の教えとはどういうものですか?」
タウロンはちょっと、アイナとブラドロの方を見やった。が、すぐにレッコーの方へ顔を戻した。
「……地の神ギムデの教えが『とにかく信じろ』ということなら、風の神セイルの教えは『まずは疑え』だと言える。セイルは知恵の神であり、『自分自身で考える』ということを最も重んじる」
「疑えという教義ですか?」
「そうだ。これはなかなか徹底していて、教義さえ疑え、ということになっている。わたしの理解では、セイルの教義で最も重要なのは、『気を付けよ、教義の中にさえ悪魔の言葉が紛れ込む』というものだ」
「それでは、何を信じたら良いんですか?」
「教義を全て学び、その上で、それぞれについてそれが神の真意かどうかを考える。そうして一人一人が、真の教義を見極めなければならない、ということになっている。そもそも教義とは、偉大なる古の預言者が神より預かった言葉のことだが、預言者が神の意図を正しく受け取ったという保証はないし、その教義が今に至るまで正しく伝えられているという保証もない。そこは、疑ってかからなければならないのだ。預言者達の他に、神の言葉を聴いた者もいないわけだしな」
「神の言葉を聴いた、という話なら、結構あるんじゃないですか? 〈聖剣の勇者〉とか」
「確かにそれはそうだ。だから、『いない』と言うわけにはいかなかったな。だが、そういった者達が本当に神の言葉を聴いたかどうか、それは判らないわけだ。聖剣の勇者ホルガトロは火の神ヴァンの信徒だったが、ヴァンは狂気の神でもあるしな……ホルガトロは結局、魔族の巣窟にひとりで乗り込んで、帰ってこなかったわけだし……」
「ひどい言われようですね、聖剣の勇者」
いつの間にか手を休めていたブラドロが、口を挿んだ。だが今日のタウロンは、『訓練を続けろ』とは言わなかった。
アイナも、少し離れた所で話を聴いている。
「ともかく、セイルの信徒は、教義の真偽を自分で考えなければならないわけだ。これはなかなか、苦しい修行だよ。で、そのための手段のひとつとして、他の神の教義を学んだりする」
「他の神の教義ですか?」
「そうだ。ギムデの教義に『信仰の違いによって他者を攻撃するな』というのがあるが、セイルの教義では、さらに積極的に『異なる信仰から学べ』といっている。他の神の教義と比べてみることで、セイルの教義の妥当性が検証できる、こともある、というわけだな。だからわたしも、地の神ギムデの教義、火の神ヴァンの教義、水の神レムドクの教義、光と闇の神ハンワーンの教義と、おおよそ学んで把握している」
「それでギムデの教義を、頑固だなどとおっしゃったんですね」とアイナ。
「だから、それは撤回するよ。司祭は頑固だけど」
「また頑固って言った!」
「……このように、『まずは疑え』というのが、セイルの教えだ」
タウロンが、少し厳しい表情になって、話を続ける。
「もちろん、疑うのは教義ばかりではない。常識、慣習、既存の制度、そして人の言葉」
アイナが一瞬、びくっと体を震わせた。
「――しかし、疑うことは、目的ではない。疑うことは、より良く生きるための手段だ。常識や慣習、既存の制度を疑うことで、人は、自身や社会をより良くすることができる。そして人の言葉を疑うのは、その人を否定することではない。その人のことを良く理解し、向けるべき信頼を向けるために、まず疑ってみることが必要なのだ。人をただ丸ごと信じるというのでは、相手を否定もしていないが、肯定することもできないのだ。そのような信頼は、あってないのと同じだ」
「いや……」
震えながら、アイナが呻いた。『神を信じよ、同様に人を信じよ』――それが、彼女がずっと守ってきた教えである。
だがタウロンは、レッコーに向かって話し続けた。
「そして、人にとって疑うということは、ごく自然なことでもある。地の神の神殿で育った君には、違和感があるかもしれないが……自分に関わるものを疑い、より良く生きようとするのは、人の人たる証とさえ言える。そして、神を身近に感じようと思えば、神をも疑うことになる」
「神を疑う?」
「そうだ。古の預言者は、セイルの言葉を預かった。しかし、それが本当だと、どうやって確かめられる? また、それが確かめられないのなら、セイルの存在を信じる根拠は何だ?」
「それは……」
「レッコー、それは、考えてはいけないことよ!」
突然、アイナが叫んだ。
「他の神の信徒にとっては、そうだ」タウロンが、平然とした顔で続ける。「だがセイルの教義では、考えてはならないこと、疑ってはいけないものはない、とされている。たとえ、神の存在についてでもね」
そう言って、タウロンはレッコーの顔をじっと見た。
「……おれ達は、神と直に接することはできません」
レッコーが、考えながら答える。
「だから神の存在は、証明することも、否定することもできないんだと思います。それでもおれは、神の存在を信じたいと思います。それは、『信じる』というより『受け容れる』といった方が近いかもしれませんが」
「これは面白い。わたしと同じ考えに行き着いたな。わたしも、神の存在は、信じるものではなく受け容れるものだと思っている。神の存在を疑いながら、しかし受け容れる、それがわたしの信仰だ。つまりわたしは、神官なのに、神の存在を『信じていない』わけだな。……ところで、今話したことは、セイルの教えについてのわたしなりの理解だ。わたしは風の神の神官だから、君には、わたしの話をも疑うことを勧める」
そこでタウロンは、少し考えるように間を置いた。
「……今日はこれで、解散にしようか」
そう言って、アイナとブラドロの方へ目を向ける。つられるように、レッコーもそちらを見た。
アイナは引きつった表情で屈み込み、かすかに震えていた。ブラドロが心配そうな顔をして、寄り添っている。
タウロンは、厳しい顔つきのまま、立っていた。
「地の神と風の神……」
レッコーが呟いた。
ほら吹き次回予告
幕末の水戸藩に迷い込んだレッコーは、水戸烈公こと徳川斉昭と共に幕府の改革に乗り出す。しかし斉昭は幕府を追われ、他方では倒幕の動きが勢いを増していた……!
次回、『ほら吹き少年と司祭』第三章「二人の烈公」
お楽しみに。




