オオカミとヒツジ その5
頭が痛い。それは寝不足のせいばかりではない。
どんなに学校を休みたいと言っても、所詮高校生の戯言。母親って恐ろしい。布団をひっぺがされて、制服を投げつけられ、気がついたときには無理矢理鞄と一緒に家の外へ放り出されていた。鬼だ。
今まではキヨちゃんとなかなか会えず不満に思っていた8組との距離が、今日は彼と出会わずに済むための最高のものに感じる。1組と8組は校舎が違い、さらに文系と理系で授業内容も全く違うことから、学食や図書館などの共通の建物を避けさえすれば、ほぼ校舎内で会うことはないはずだ。そうでなければ、本当に今日学校まで来ていたかは怪しい。もちろん、最寄駅や玄関など、鉢合わせの確立がある場所では警戒を怠らなかったが。
昨日から、家でも学校までの道のりも学校に着いてからも、頭をぐるぐるとまわっているのはたった一つのこと。
…なんであんな事しちゃったんだろう。
フラッシュバックする昨日の記憶。昨日、自分がしたこと。
授業中だということも忘れて頭を抱え込んだ回数は、一度や二度じゃない。
柔らかい感触がよみがえり、真っ赤になっているだろう顔を両手で覆う。
これじゃまるで、瀬川君がヒツジで、私がオオカミみたいだ。
悶々としているうちに、気がつくと6時間目も終わりにさしかかっていた。昨日に引き続き、今日も部活が休みになったため、あとは気づかれないように家に帰るだけだ。
ばれていれば呼び出しを受けて問い詰められていただろうから、何事もなく今日を終えられたからには、彼はおそらく気づいていないのだろうと思う。
もし気が付かれていたら…。
万が一のことを考えると、ぞくりと背中に冷たい汗がつたう。しばらくは8組に近づくまい。
キヨちゃんにも近づくまい。あの人に関わるとロクなことにならない気がする。よし!
「何百面相してるの、如月ちゃん」
隣の席の友人が呆れ顔をしていたが、そんな事にかまっている余裕はなかった。
長かった一日が終わり、いつどこで彼に呼び出されるか、鉢合わせするかと緊張し通しだった私はほとほと疲れ切っていた。友達へ挨拶を簡単にすませると、そそくさと玄関に向かう。
幸い、私のいる校舎のほうが玄関に近いため、ここまで来るともう会うことはないだろう。私たち3年生の階は2階だ。階段を駆け下りながら玄関をきょろきょろと見回すが、それらしき人物はいない。ようやくほっと肩の力を抜いて階段を下るが、そこでまさかの奇襲をかけられた。
「きさちゃん!」
呼び止められて、ギクリと体の動きが止まる。
そのまま止まっていようか、無視して走って逃げようか一瞬迷っているうちに、足のはやいキヨちゃんはしっかりと私に追いついていた。
あーぁ…。あともう少しだったのになぁ。玄関に向かっていた足は、一階の階段を下りたところで止まってしまった。
かなり挙動不審な行動になっている私をキヨちゃんはちっとも気にしていないようで、屈託のない笑みを顔に広げた。
「昨日ありがとねー!いやぁ、助かっちゃった!瀬川君も助かったって言ってたよ」
瀬川君、という単語にどきり、いやぎくりとする。イヤな汗が吹き出てきた。
「あの、瀬川君何か言ってなかった?」
「え?何かって?別に何も言ってなかったよ」
じゃぁ、瀬川君は本当に気付いていなかったのかな。
…よかったーーーーー!!!!
へらりと笑顔を浮かべ、心の中では思いっきり万歳。
あぁよかった、神様ありがとうございます!もう二度と、寝ている人にあんな不埒な真似はしないですごめんなさい!
怒涛のように神への感謝の言葉が頭の中を駆け巡る。
安心からか、半泣きで思いっきりゆるんだ顔をしている私をキヨちゃんは不思議そうに見ていたが、しばらくして思いだしたようにさらりと私を奈落の底へ突き落してくれた。
「あ、ごめんごめん、その瀬川君から伝言頼まれてたの忘れてた。昨日きさちゃんから借りたもの返したいから、後で8組に取りに来てくれって。私が渡しておくよって言ったんだけど、直接返したいからいいって。意外にまじめなんだねー、彼」




