表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

オオカミとヒツジ その2

「きさちゃん~お願い!」


 えぇと、そんなに拝まれても。


 両手を顔の前でがっちりと合わせ、そこいらの男子生徒がやられたらすぐにノックアウト、大きい目を涙でうるませながらとどめの上目づかい。

 友人のキヨちゃんのここまであからさまな“究極のお願い”は数カ月に一度あるかないか。“お願い”は一週間に何度もされるけど。


 あまりの勢いに思わず後ろに下がるが、そのまま逃がすものかとじりじりとせまってくる。美人さんがすごむと怖さも数倍だ。


「お願い~。デートに遅刻しちゃうよ~!!」

 いつのまにか教室の隅に追いやられている。困った。逃げようにも逃げ場がない。


 みんなは気の毒そうに私を見ているだけで、決して優しい手を差し伸べてくれることはない。なぜか。もちろん、巻き込まれたくないから…だろう。


 こんなことなら、わざわざ8組まで寄らないでさっさと帰ればよかった。突然部活(ちなみに、料理部)が顧問の急用とかで休みになって、キヨちゃんと寄り道でもしようかと思って顔を出してみれば、これだ。


 肝心のキヨちゃんは最近付き合い始めたばかりの大学生の彼とデートで一緒に帰れないし、何やらやっかいなことになった。

 キヨちゃんが私に託したがっているのは、その手にしっかりと持った日誌。本来日直が書くべきものであるソレは、今なぜかクラスの違う私の手に渡ろうとしている。この8組の教室に数回しか足を運んだことがない外野の私に、だ。


 別に日誌を書くぐらい、と思われるかもしれない。私だって、いつもならこれぐらいのお願いごと、二つ返事で引き受けていたと思う。(外野な私が書くのだから、当然中身は薄っぺらなものになってしまうだろうけど)


 けれど、今日ばかりはいつもの“お願い”に負けてキヨちゃんの頼みを受けるわけにはいかない。

 なぜなら、キヨちゃんの名字は世戸。つまり、キヨちゃんの日直の相棒は、例のあの人、瀬川君だから。


 いよいよ鼻息荒く眼前に迫ったキヨちゃんを拒むように両手で顔をガードしたら、その大きな眼に恨みがましい色が浮かんだ。


「ごめん…他の人に頼んで」

「いいじゃない、別に日誌ぐらい。どうせ今日はもう部活休みなんでしょ?暇でしょ?」


 ばっさりと切られ、メールなんて送らなければよかったと後悔した。返信がなかったのは、返事を求めに私がほいほい教室に来ると踏んでのことだったのか、もしかして。

 部活がないと暇だと決めつけられるのもちょっとショックだ。本当に、さっさと帰っておけばよかった。どうせ、デートする相手もいないですよ、えぇ。


「それにもう他の人残ってないしぃ」


 あ。ほんとだ。きょろと周りを見渡すと、キヨちゃんの背後の教室にはもう誰の姿もなかった。


 みんな…逃げたのね。さっきまで遠巻きに見ているだけだったくせに、火の粉を振りかぶる気配を敏感に感じ取るやいなや、そろりと逃げ出したに違いない。


 まずい。このままでは本当に日誌を書くはめになってしまう。放課後の教室で、あの瀬川君と二人きり。

 少し想像してみる。張り詰めた空気の中、カリカリとシャープペンの音だけが響く教室。


 キヨちゃんを通して、ちらりと瀬川君の様子を盗み見る。窓際の一番後ろ、特等席に座った瀬川君は、だるそうに窓から外を眺めている。全然こちらには興味がなさそう…というか私たちのやり取りさえ聞こえていないんじゃないかと思うぐらい、その空間だけ異質な雰囲気を放っていた。


「私がやると瀬川君に迷惑だよ!だって、部外者だし、8組の今日の授業のことだって何もわかんないんだよ?キヨちゃん」


 必死になって拒否すると、キヨちゃんは教室の一番後ろ、窓際の特等席に座っている瀬川君に振り向き、あっさりとそれはもう私が一瞬びっくりするぐらい、普通に声をかけた。


「ねぇ瀬川、私この後用事あって日誌書けないんだけど、私の友達が書いてくれるから!ちなみに今日の授業とか書いたメモ置いておくから、後はてきとうにお願いしていーい!?」


 瀬川君に向かって「瀬川」呼ばわりだなんて…。


 ぎょっとする私をよそに、キヨちゃんは瀬川君に見えるように、ポケットから取り出した紙を握った右手を大きく向かって降る。メモするぐらいなら最初から日誌を書いておいてくれればいいのにと思ったが、言えなかった。


 一連の騒ぎなどどこ吹く風、ぼんやりと窓から外の風景を見ていたらしい瀬川君は、こちらをちらりとも見ることなく、だるそうに口を動かす。


「…別に」

 うわ。ほんとにどうでもよさそう…。

 やっぱり私の存在にすら気がついていないんじゃないかと思うぐらい。

 ちょっとショックを受けている私を知ってか知らずか、キヨちゃんは私を安心させるように笑った。


「ほらね、大丈夫だって」

「でも…」

「きさちゃん~お願い!日誌なんてちょろちょろっと書いてくれればいいから!これを逃したら二週間会えなくなっちゃうから、少しでも長く会いたいんだよねぇ…」


 最近できたばかりのキヨちゃんの彼氏は大学生というだけあって、なかなかに忙しい。そういえば今週から京都の学会に行くから、しばらく会えないと昨日言っていたのを思い出す。その前に少しでも時間が開いたから会おう、ということになったんだろうか…。


 しょうがない。

 結局は、いつだってキヨちゃんのお願いは断れないのだ。

 どうせ日誌なんてすぐに書き終わる。8組の方々には悪いけど、てきとうに書いたらすぐに帰らせて頂こう。そもそも、みんな逃げたのだから、文句を言われる筋合いはない、はずだ。


 瀬川君のことは…正直怖いけど、大事なキヨちゃんのためだからちょっとだけ頑張ろう。

 最後の一撃とばかりに少しうるんだ目でみあげられて、私はしぶしぶ日誌を受け取る。


 この時、自分がとんでもないことをしでかすことになるとは…思ってもいなかった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ