第36話 紛失騒ぎ
研究所で資料の紛失が発覚した翌日、学園の門を潜ったところでリゼさんの背中を見つける。
「リゼさん!」
「あら、カイル。おはよう」
彼女はいつも朝早く研究所に寄ってから教室へ向かうので、このタイミングで顔を合わせるのも珍しい。
「今朝は研究所へ寄るな、とお爺様に言われてしまいましたの」
「え? そうなんですか?」
「ええ。最近の事件も含めて、一人で行動するのは危ないって言われてしまいまして」
彼女は毎日馬車を使用して学園までやって来るのだが、学園に向かう時間も多数の生徒が赴く時間帯にしろと言われたようだ。
「研究所へ向かうのは、しばらく学園終わりだけね」
「そうですか。帰りはどうするんです?」
研究所で仕事をした帰りはどうするのだろう? 馬車が迎えに来るのかな?
「あら? 私の助手はレディを一人で帰らせるつもりなのかしら?」
リゼさんは悪戯っ子のように笑いながら言うが、同時に僕は「そりゃいけないか」とも思う。
「分かりました。帰りはお屋敷まで送りますよ」
「へ?」
「え?」
一瞬、彼女と顔を見合わせたまま時が止まってしまう。
「……本当に送ってくれますの?」
「ええ。構いませんよ」
リゼさんのようなお貴族様が住む区画は、王城がある北区の一画『貴族街』と呼ばれるエリアだ。
その名の通り、貴族達の屋敷がズラッと並んでいるエリア。区画の入口には大きな門があって、警備の騎士まで配置されている。
外から貴族街を眺めたこともあるが、とにかく大きな屋敷ばかりが並んでいて壮観だったなぁ。
「――あ、もしかして、貴族街って平民が入っちゃいけないんでしたっけ?」
選ばれし者達だけが住まう場所となれば、平民の僕が足を踏み入れることなど許されないだろうか?
特に今は事件うんぬんと騒がしいし。
「いえ、そんなことございませんけど。というより、貴方って平民なのかしら?」
「え? 平民で孤児ですけど?」
「いや、アレテイア・ホルダーでしょう?」
……確かにそうだけど、王城の偉い人から「君は今日から貴族!」なんて言われていないし。
アレテイア・ホルダーに認定された僕はどういった身分なのだろう?
「とにかく、大丈夫でしょう。私も一緒にいますし」
「そうですか。なら、今日から帰りは送って行きますよ」
「ええ。よろしくお願いしますわね。――シッ!」
あれ? 今、リゼさんガッツポーズした?
そんな朝の幻を見つつも、二人で教室へ入ると――
「ああ、来たか」
既に殿下達は揃っており、集まって何やら話していたみたい。
何の話をして盛り上がっていたのだろう? なんて思っていたのだけど、殿下の眉間には深い皺が寄っている。
「昨日、研究所で資料の紛失騒ぎがあったことは知っているか?」
「ええ。丁度、僕らが研究所に行った時に騒ぎとなっていましたけど」
リゼさんと顔を見合わせてから再び殿下に顔を戻すと、今度は傍にあった紙を僕らへ見せてきた。
紙には人の似顔絵が描かれている。
「二人とも、この人物に見覚えはないか?」
殿下は「カイルも最近は研究所に出入りしているだろう?」と。
「この人は研究者ですの?」
「ああ。資料紛失が起きた第一魔術研究室に所属していた者だ」
「う~ん?」
若い男性の似顔絵だ。
栗色の髪に黒縁のメガネ。首元には火傷の跡みたいな傷が描かれていて――そこでふと思い出す。
「あ!」
この人、前に研究所の廊下ですれ違った人だ。
大量のバインダーを抱えて転びそうになってた人!
「見たことがあるのか?」
「ええ! ほら、前に廊下ですれ違った人ですよ! たくさんバインダー抱えて!」
リゼさんに当時の様子を語ると、彼女も「ああ!」と声を上げる。
「確か、研究所の入口近くでしたわね。研究資料の入ったバインダーを抱えていらっしゃって――」
そこで、僕も彼女も気付く。
「もしかして……。この人が資料を紛失した人ですか?」
「いや、現状では外部へ持ち出した人物と推測されている」
調べによると先日から研究所へ出勤しておらず、病気で家に籠っていた様子もない。
家宅捜査を行った騎士によると、家の鍵は開けっ放し。テーブルの上には飲みかけのコーヒーが置かれていたという。
ただ、クローゼットの扉などが開けっ放しになっていて、床にはクローゼットから零れた衣類が散らばっていたらしい。
「状況を見るに、慌てて出て行ったように思えないか?」
まるで、誰かに逃げろと言われて慌てて準備したか、あるいは逃げるぞと言われたか。
どちらにせよ、怪しい状況であることは確かだ。
「研究資料を外部の人間に漏らしたと考えていますの?」
「その可能性で捜査しているよ」
答えを聞いたリゼさんの表情は暗く、どうしてと小さく漏らした。
同じ研究者が国を裏切った、ということになるのだ。ショックを受けるのも頷ける。
「仮に他国へ研究内容を漏らした場合は重罪だ。王城も騎士団も緊急捜査を進めている」
殿下は深く大きいため息を漏らした。
「殺人事件が起きたと思えば、今度は研究資料の漏洩ときた。全く、最近はどうなっているんだ」
確かに。
ここ最近色んなことが重なって起きているけど……。
ん?
「二つの事件って関連しているってことありませんよね?」
「どういうことだ?」
「ほら、殺人事件が起きて騎士団は平民街を捜査しているじゃないですか? その分、他のところの警備が薄くなるんじゃないですか?」
毎朝学園に行く時も、帰って来る時も、平民街では騎士達が警邏している姿を目撃する。
グロリア先生の話によれば、日中も多くの騎士が警戒するように警邏しているようだし。
殺人事件の犯人を逮捕しようと密に警邏を続けていれば、その分だけ人員は割かねばならない。
しかも、相手が黒魔術師かもしれないとなれば猶更、厳戒態勢を敷くだろう。
「そうなると他の警備担当も警邏任務に引っ張って来るんじゃないんですか?」
「……確かに」
手薄とまではいかなくとも、四人体制の警備が三人体制になったりと少しは隙が生まれてしまうのではないだろうか?
「平民街の騒ぎは釣り餌か? 騒ぎを起こすことで注意を惹き、本命は研究所だったと?」
「狙いが魔術研究だったとしたら、あり得なくはない」
カーク君の推測に頷いた殿下は僕を見た。
「三人目のアレテイア・ホルダーが誕生したという噂は各国へ既に流れているはずだ。となれば、新たな魔術が生まれたと予想する国もあるだろう」
アレテイア・ホルダーは魔術の真理を知っている。
三人目である僕が『新しい可能性』を示したことで、クレセル王国はアレテイア・ホルダーと認定した。
となれば、研究所には認定するに相応しい成果が残されている。何かしらの技術革命になる情報が眠っている――と考える者もいるだろう、と。
「それを奪取したい国はあるだろうな」
クレセル王国を敵視している国、アレテイア・ホルダーの保持を嫉妬する国、そういった存在はアレテイア・ホルダーが生んだ技術を喉から手が出るほど欲しがるという。
「でも、僕ってまだ何も生み出していないような……」
「確かに技術としてはまだだろう。しかし、マリュー殿の例があるからな」
クレセル王国における魔術の発展は、マリューさんの影響も大きい。
彼女が生み出した魔術を模倣していることもだが、魔術式の改良にもかなりの影響を与えているそうだ。
「マリューさんのインパクトが強いから、相手は三人目もすごい技術を生んだはず! と誤解しているってことですか?」
「まぁ、そう考える可能性は高いだろう」
さっきも言ったけど、僕自身はまだ何も生み出していないのに。
何だか複雑な気分だ……。
「そもそも、アレテイア・ホルダーが僕だってバレているんでしょうか?」
学園に通う生徒が知っているくらいだから、ある程度はバレてそうだけど。
そう言いながらもハッとなる。
もしかして、僕の正体がバレることで孤児院が危険に晒されないだろうか?
資料の次は僕が狙われて、孤児院のチビ達が人質になったりとか――そこまで口にしたところで、殿下は首を振る。
「その点は心配しなくていい。カイルがアレテイア・ホルダーと認定されて以降、孤児院には護衛をつけている」
「護衛?」
「ああ。君達の生活に影響が出ないよう、距離を取りながら見守っているよ」
いざとなれば最優先で子供達を守るだろう、と殿下は言った。
それなら安心かな?
「そう考えると、カイルへ直接手を出さないのも頷けるか? 周囲の護衛に気付き、カイルを狙わずに資料を狙ったという線も……」
ううむ、とカーク君は考えこんでしまう。
「ひとまず、捜査が進んだら報告する。リゼも研究資料はしっかりと保管しておいてほしい」
考え込むカーク君を余所に、殿下はリゼさんへ注意喚起。
「ええ、承知しましたわ」
◇ ◇
朝の注意喚起を経て、授業を終えた僕とリゼさんは研究所を訪れた。
相変わらず研究所内は騒がしく、数名の騎士達が捜査として室内を検分している姿も目撃できた。
そんな光景を見たせいか、自然と僕らの足は早足になってしまって。
研究室の鍵がしっかり掛かっていることを確認すると安堵の息を漏らしてしまう。
もちろん、リゼさんの研究室もちゃんと鍵は掛かったままだ。
「今日の分は家でやりますわ。こうも騒がしいと落ち着きませんし」
今日もレポートの作成だったみたいだが、特別研究室でやる必要もない部分だという。
「明日は実験も行いながら書きますけど、今日はもう帰りましょう」
「分かりました」
書きかけのレポートをトントンと纏め、鞄の中へとしまうリゼさん。
「…………」
彼女は横目でチラチラと僕を見て来て。
「どうしました?」
「……朝、言った通りに送ってくれますの?」
「はい、そのつもりですけど」
都合が悪くなってしまったのだろうか? と首を傾げていると、彼女は満面の笑みを浮かべる。
「そう! じゃあ、行きましょう!」
途端にご機嫌だ。
足取りも軽く、廊下を進む彼女はスキップまで披露する。
並んで研究所を出ると、そのまま学園の敷地からも出て。
北区までの僅かな道を並んで進んで行く。
「それで、お母様がね? 新しい服を用意しなさいって言って――」
「優しいお母さんじゃないですか」
他愛もない話をしながら歩く時間は何とも心地よく、ずっと笑顔を浮かべて歩くリゼさんはいつも以上に可愛く見えて。
「そういえば、リゼさんって僕のことをカイルって呼んでくれるようになりましたね」
前々から思っていたことを明かすと、一瞬だけリゼさんの体が固まった。
その後は彼女の手足がギッギッと鳴っているような、変な挙動に変わりながらも――彼女は口をタコのようにしながらチラリと僕を見る。
「……ダメ?」
「いえ、何だか更に仲良くなった気がして」
これは本音だ。
前のさん付けよりも距離が近くなった気がするし、僕としては「カイル」と呼ばれた方が楽でもある。
「カイルも私のことを呼び捨てにしても……構いませんことよ……?」
小さな声だったがハッキリ聞こえた。
そして、僕は猛烈に首を振った。
「いやいや! 無理ですよ!」
「どうしてですの!?」
「だって、僕は平民ですよ!?」
「アレテイア・ホルダーじゃないっ!!」
何だか朝にも同じようなやり取りをした気がするが、無理なものは無理だ。
「そ、それに姉さんから言われているんですっ! 女の子の名前を呼び捨てにしていいのは、結婚してからだって!」
「け、けっ、けこ……!」
リゼさんの顔がみるみる赤くなっていく。
ただ、これは真実だ。
姉さんから絶対ダメよって言われていることだから。
「こほん……。そ、そう。なら、仕方ないわね」
まだ顔が赤いままのリゼさんが歩きだすも、右手と右足が同時に前へ出ていた。
「…………」
「…………」
改めて肩を並べながら貴族街へ向かう道を歩きだすも、僕らの間に会話は無く。
歩いている最中に肩が当たる度、恥ずかしさを感じてしまって――気が付いた時には周囲に貴族の屋敷が並んでいた。
「あ、うち、ここ……」
「……え」
まだ顔を赤くしたリゼさんが指を差す先、そこにあったのはクッッッッッソデカいお屋敷である。
庭もとんでもなく広く、僕が住んでいる孤児院がすっぽり入っちゃいそう。
敷地の入口を示す柵も高級感溢れる意匠がこらされ、クロフト家が持つ『侯爵位』の威光をこれでもかと感じてしまった。
「ま、また明日!」
開け放たれた門を通り抜けて行くリゼさん。
彼女の背中を見送っていると、小走りだった彼女が振り返る。
「カイル! 送ってくれてありがとうございますわ!」
最後は笑顔を見せながら手を振ってくれた彼女に、僕も手を振り返してからその場を後にした。
クロフト家の威光をモロに食らった僕の足は生まれたての小鹿のように震えていたが、たぶんバレていないだろう。




