第25話 真理の先に見えるもの
『ギィィィァァァァッ!!』
出現したヒュドラの咆哮は、人間の奥深くにある何かを揺さぶる。
恐怖、焦り、絶望感。
それら全てが大鍋に入れられて、ぐるぐるとかき混ぜたものを飲み込んでしまったような。
体全体にズンと重い感覚が圧し掛かる。
「ヒュ、ヒュドラ……。まさか、二百年前の再来になるなんて……」
山の中腹から降りて来るヒュドラの姿を見つめる殿下は大量の汗を流しながら呟く。
森の中にいるせいで、山を降りたヒュドラの姿は見えなくなってしまったが、ドンドンと巨大な足音と地鳴りが僕らの体に響いてくる。
「……近付いて来る」
カーク君は森の奥を睨みつけるが、腰の剣に伸ばした手が少しだけ震えている。
「どうしますの!? 街が襲われるのではなくて!?」
ヒュドラの侵攻が続く度、巨大な足音と地鳴り、それに土煙が空に舞う。
それを目印に推測すると、ヒュドラの侵攻方向は領主街だ。
このまま領主街に到達したら……。
確実に街は踏み潰される。
それどころか、報告書にあった毒のブレスで街の住民が全滅してしまうんじゃないだろうか。
「……進路を逸らさないと」
街への被害を回避するにはヒュドラの侵攻方向を変える必要がある。
「領主街に対竜種用の防衛兵器がありますわよね!? それで対抗するのはどうですの!?」
「もちろん対竜種用の防衛兵器はあるが、準備するには時間が掛かる。それに街の領騎士団と冒険者達だけでは太刀打ちできないだろう」
ヒュドラを討伐するならば、王都や周辺領地からの応援が必須。
それまで時間を稼がなければならない。
そこで閃いた。
「僕が囮になります」
「何を言っている!?」
驚いた殿下は僕の肩を掴む。
皆が無茶だと言うが、ちゃんと策はある。
「ヒュドラの幼体は魔力に反応していたでしょう? 恐らく、成体となったヒュドラも同じなんじゃないでしょうか?」
二百年前の姿と同等にまで成長したヒュドラが一直線に街へ向かう理由は、そこに魔力があるからじゃないだろうか?
大量の人間が一塊になって生活している街は、ヒュドラからすれば『小さな魔力がたくさん集まっている』と嗅ぎつけたのではないだろうか?
「僕の推測が正しいならば、僕の魔力でヒュドラを惹きつけることが可能なはず」
僕は人よりも魔力量が多い。
同じ真理を持ち、風の魔女と呼ばれるマリューさんが驚くほど。
「だったら、僕が大量の火猫を使ってヒュドラを誘導できるはず」
ヒュドラの幼体にも同じことが出来たんだ。
数を用意すれば興味を惹くことも可能だという確信があった。
「何を馬鹿なことを言っていますの!? 竜種と同等の大きさを持っていて、毒のブレスまで吐く化け物ですのよ!? 貴方が死んでしまうかもしれませんのよ!?」
「そ、そうだ! カイルにだけ任せるわけには――」
「ダメですよ」
僕の腕を掴むリゼさん、焦燥感を露わにしながら言葉を発する殿下を制止する。
「皆には役割があります」
殿下は街に戻って伯爵様と指揮を執らねばならないだろう。
それに王都へ連絡する際も殿下がいた方が早いはず。
カーク君は皆が安全に森を脱出するための護衛。
マリィさんは薬師としてその後の戦闘に備えた治療の準備があるはず。
「わ、私は……! 私も一緒に行きますわ! 貴方に傍にいなさいと、私は……」
「リゼさん、ダメですよ。リゼさんも街に戻ってやることがあるでしょう? 領騎士団と協力して魔道具の準備とか、防衛兵器の準備を手伝うことができるんじゃないですか?」
腕に縋るように抱き着くリゼさんに優しく語る。
彼女の持つ錬金術の知識は防衛に必須だろう。
対竜種用兵器の準備だけじゃなく、他にも色々仕事があるはずだ。
「そう考えると僕が適任なんですよ。ほら、僕ってアレテイア・ホルダー候補って言われてますから」
出来るだけ普段通りに笑ってみせたが、上手く笑えているだろうか?
「大丈夫ですよ! きっと僕が持っている真理がどうにかしてくれますって」
いつもマリューさんに言われていたことをここぞとばかりに使う。
「殿下、早くしないとヒュドラが到達してしまいます」
僕の顔を真剣な表情で見つめる殿下を促すと、彼は一度目を閉じて深呼吸。
それから再び僕の顔を見つめて。
「……カイル。この前の夜のことを引き摺っているわけじゃないんだな?」
僕が役不足だと言った夜。優しい殿下から言葉をもらった夜のこと。
僕が役不足だから、生贄に相応しい――なんて考えを抱いているんじゃないか? と殿下は言いたいのだろう。
「違いますよ。これは僕にしかできないことだからです」
きっとそうだ。
僕の中にある火の真理、それを偶然持ち合わせていること。それをマリューさんに見出されたこと。
今、皆と一緒にいること。
ただの孤児だった僕が、僕の人生が大きく変わった理由は――今ここにあるはずだ。
「……分かった。カイルに任せる」
「ゼインッ!!」
殿下が決断を下すと、リゼさんは殿下に掴みかかる。
「貴方はカイルを見殺しにするつもりですの!? 彼は貴方の友人じゃありませんの!?」
どうして、と泣きながら繰り返すリゼさんの姿を見ると心の奥がズキリと痛む。
「リゼさん、大丈夫ですよ」
彼女の腕に触れて、優しく自分の方へと体を向かせる。
真正面から彼女の顔を見て、流れる涙を指ですくって、彼女に心配してくれてありがとうと伝えた。
「大丈夫じゃないわよ……。カイル、貴方は……。死んでしまうかもしれないのに……」
「絶対に死にませんよ。僕にはまだやりたいこともありますし」
チビ達に好きなだけお菓子を食べさせてあげて、将来も支えてあげたい。
グロリア先生にも楽させてあげたい。
それに――
「リゼさん達とも一緒に学園生活送りたいですから」
「カイル……」
「大丈夫。僕は死にませんよ。それに前にも言いましたよね?」
僕は出来る限りの笑顔を作る。
「リゼさんのこと、守ってみせるって。僕だって男ですからね」
そう言ってみせると、リゼさんの目には再び大粒の涙が浮かんでしまう。
「……いつも怖がってるくせに」
「演技ですよ、演技」
だから大丈夫。
そう言って、彼女の肩を優しく撫でる。
「……絶対に帰って来て下さいまし。そうじゃなかったら恨みますわ」
「はい、分かりました」
リゼさんは服の袖でゴシゴシと涙を拭う。
涙を拭った彼女はいつもの凛々しい表情に戻っていた。
「よし、森の中にいるであろう騎士達に撤退の合図を送る。我々も街へ全力で戻るぞ」
殿下は信号弾を打ち上げた後、僕へ顔を向ける。
「カイル、無理はするな。無理だと感じたらすぐに撤退だ。即座に森を脱出しろ」
「はい」
「カイル君、これを」
続けてマリィさんが布と数本の小瓶を手渡してきた。
「毒のブレスは周辺の空気をも犯すかもしれません。口に布を巻いて吸引を防いで下さい。こっちの小瓶は傷用のポーションです」
気休め程度にしかならないかもしれない、と彼女は申し訳なさそうに言った。
「ありがとうございます」
それでも無いよりはマシだろう。
「カイル。必ず応援を連れて戻って来る」
「はい。カーク君も気を付けて」
皆が森の外へ向かう後ろ姿をその場で見送る。
最後までリゼさんは何度も振り返っていたけど、その度に笑顔で手を振り返した。
「よし!」
皆の背中が見えなくなったところで、僕は自分の頬を両手でぴしゃりと叩く。
マリィさんから受け取った布を口に巻き、鼻を隠すように指でズラして。
「やるぞ!」
背中から聞こえてくるヒュドラの鳴き声。足音と地鳴り。
それに振り返りながらも、火猫を生み出すために右手を広げた。
◇ ◇
ドスン、ドスンと鳴り響く足音は確実に近付いて来る。
鳴る度に心臓の鼓動が早くなっていき、額から流れる汗の量も増えていく。
「焦るな、焦るな」
額の汗を拭いながらも、確実に火猫を生み出していく。
現在、生み出した火猫の数は三十。
まだ足りない。
出来れば街に住む人の数ほど生み出したいが、時間的に難しいだろう。
「…………」
果たしてヒュドラの気を惹けるだろうか?
スルーされて街へ向かわれたらカッコ悪すぎるな、と考えて思わず笑ってしまった。
「まさか、ヒュドラと戦うなんて」
孤児院でチビ達と暮らしていた僕が。
ゴブリン相手に体を震わせていた僕が。
今では超大型魔物のヒュドラに対して「かましてやろう!」なんて考えているのが可笑しく思えるし、不思議にも思えてしまう。
「でも、やらなきゃ」
僕は決めたんだ。
僕のために泣いてくれたリゼさん、友人と言ってくれた殿下、心配してくれるカーク君とマリィさん。
優しくしてくれる皆と一緒にいて、他人から笑われない自分になろうって。
チビ達が誇れるお兄ちゃんになろうって。
何より、自分自身へ証明するために。
「よし、次――」
四十五匹目の火猫を生み出したところで、ヒュドラの足音がかなり近くなったことに気付く。
地鳴りの響きもかなり近く感じる。
一度作業を止めて、木々の隙間から様子を窺うと――いた。
ヒュドラとの距離はかなり近い。
木をなぎ倒しながら進むヒュドラは九つの首を動かし、何かを探っているようにも見えて……。
「あ」
目が合った。
何番目の頭部なのかは分からないし、その頭部に目は無い。
だけど、確実に相手が僕を見つけた。
「ギィィィァァァァッ!!」
僕を見つけた頭部が吼える。
そして、ガパッとその大きな口を開けて――
「まずっ!」
ブレスが来る。
そう確信した僕は森の東側に向かって、生み出した火猫達と一緒に走りだす。
直後、僕の背後に毒々しい色のブレスが放たれた。
「ひ、ひぃぃ!」
成体のヒュドラが放つブレスは圧倒的で、ブレスを浴びた木がドロドロに溶けている。
あんなものを食らえばひとたまりもない! 報告書にあったブレスの被害状況は本物だ!
「いっ、一匹! ヒュドラに食いつけ!」
火猫を一匹、ヒュドラに向かって走らせた。
木々の隙間からその様子を観察していると、複数の首が火猫に向けられる。
やっぱり魔力で気を惹けるんだ。ヒュドラに対してかなり小さいけど、それでも気を惹くことは可能なんだ! なんて喜んだ時だった。
ヒュドラが前脚を上げ、迫り来る火猫を踏み潰したのである。
「…………」
まぁ、そうなるよね。
大きさに対して小さすぎるもの。
「じゃあ、数が多ければどうだ!」
一気に十匹の火猫を向かわせる。
しかも、バラバラの方向から。
これなら少しはヒュドラも手間取るんじゃないか!?
「ギィィィァァァァッ!!」
三つの頭部が吼え、同時にブレスを吐き出した。
上からの放射、首を地面と水平にしての薙ぎ払い。自身の周囲をぐるっと囲うように放たれたブレスは、鉄壁の防御に見えてしまう。
十匹の火猫は呆気なくも消滅してしまった。
「でも、確実に気は惹けた!」
ブレスを放った三つの頭部が僕へと向けられた。
巨体の向きも僕が走る東側へと向けられたことを確認し、火猫の消滅は無駄にならなかったのだと察する。
「よし、こっちだ!」
そこから更に五匹の火猫を向かわせて。
同時に走りながら新しい火猫を生み出し続ける。
差し向けた火猫は踏み潰されたり、ブレスで消滅してしまうけれど……。
「はぁ、はぁ! ま、街からは! 遠ざかってるはず!」
少なくとも時間稼ぎにはなっているはずだ。
しかし、どれだけ走ればいいのだろう? どれだけ時間を稼げばいいのだろう?
いやいや、そんなことを考えている暇はない! と走りながら火猫を生み出し、また火猫を差し向けてと続けていると……。
ふと、気付く。
ブレスを撃って来ない。
「…………」
振り返れば、ヒュドラは首の位置を低くして。
九つの頭部全てが僕の背中を見つめている。
そして、真ん中にある頭部の口がニヤリと歪んだように見えた。
「た、楽しんでる!?」
もしかして、ヒュドラは逃げる僕を見て楽しんでいる?
狩りを楽しむサディストのように、必死に逃げる僕を――
「このやろっ!」
そう考えると少しムカついて、十匹の火猫を再び差し向ける。
差し向けた火猫は短いブレスでほとんどが迎撃されてしまったが、幸運にも生き延びた一匹がヒュドラの頭部に飛び掛かったのだ。
頭部に当たった瞬間、火猫はプシュッ! と消えてしまった。
小さな焦げ跡も残さない。大きな相手に対して小さすぎる一撃だったと思う。
しかし、それが癇に障ったのか、ヒュドラにとっては苛立つ一撃だったのか、ニヤけた口が不機嫌そうな形に変わっていく。
「プッ!」
そして、繰り出されるのは巨大な毒の粘液。
「うわああ!」
吐き出された粘液は進行方向にあった木に命中してドロドロに溶かしていく。
同時に粘液は地面に広がっていき、広がる粘液からは白い煙がぼやりと発生。
「くさっ!」
巻いた布で鼻と口を覆っているにもかかわらず、ツンとした酸っぱい匂いが布越しにやってくる。
進行方向を塞がれ、慌てて別の方向に逃げようとするが……。
「あ、あれ……?」
何かおかしい。
足の力がガクッと抜けて転びそうになってしまう。
何とか態勢を整えながらも、同時にハッとなる。
まさか、あの粘液か?
マリィさんの言っていた「空気を犯す」というやつか?
慌てて口に巻いた布を強く押さえるが……。
ただ、気付いた時にはもう遅かった。
「プッ!」
方向転換した先に再び粘液が放たれる。
粘液が放たれる度に僕の体はどこかおかしくなっていって……。
「はぁ、はぁ……」
上手く呼吸ができない。上手く足が動かない。
「はぁ……。はぁ……」
体に動けと命じているのに、早く走れと命じているのに。
早く逃げろと命じているのに、僕の体は、いうことが、利かない……。
指先から始まった痙攣は腕に広がり、両足に広がり、やがて体は地面に倒れて動かなくなる。
辛うじて動く顔を上げると、そこにはヒュドラの顔があった。
ニュルッと近付いてきた巨大な顔は、僕を見下ろしながらニヤけている。
「あ、あ……」
クソ……。こいつ、僕を食べるつもりだ。
ニタニタと笑う顔に食べられて、僕の人生は終わってしまうのか。
徐々にヒュドラの顔が近付いてくる。
「もっ、と……」
もっと生きたい。
もっと生きて、チビ達の傍にいたい。
「ま、だ……」
僕も役立てるんだって証明して、まだみんなの隣にいたい……。
「ごめ……」
ごめん、リゼさん。約束を破ってしまいました――と、心の中で謝罪した時だった。
『思い出せ』
僕の中の僕が囁く。
『思い出せ』
何を、と問うと――脳裏に広がるのは、悪夢。
いつも見る僕の悪夢。
真っ赤に染まった空が落ちてきて、全てを焼いてしまう悪夢。
――私がお主であれば、最悪の魔術を作って対抗する。
悪夢の光景が脳裏にフラッシュバックする中、マリューさんとの会話が小さく響く。
――相手にとって悪夢のような、ちょ~最悪な魔術じゃな。
そうか。
悪夢だ。
僕にとっての悪夢をコイツにぶつけてやろう。
あの赤い光景を、あの大地が焦げていく様を、こいつにも味合わせてやろう。
そう判断を下した瞬間、脳裏に広がっていた悪夢の赤が小さな点になった。
小さな点は種火だ。
小さいけれど、ゆらゆらと燃える小さな種火。
『全ては小さな種火から始まる』
気付けば、僕の口は勝手に動き出す。
止めようがなく。されど、止める気もなく。
『小さな種火は世界をも創造する』
その詠唱を始めた途端、目の前に生まれた小さな種火が空に向かって昇っていく。
小さな種火はゆらゆらと昇って、目の前で僕を見下ろすヒュドラを追い越して、遂には空高くまで舞い上がり――
『火の精霊よ、来たれ。精霊の火よ、零れよ』
空に昇った火種は破裂するように広がって、夕焼けの空に赤い二重の円を作りだす。
『精霊の火よ、我が敵を焼く炎へと変われ』
赤い二重円の中に真理が刻まれていく。
真理を刻んだ二重円はゆっくりと回転していく。
『空を焼いて、大地を焼いて、邪神をも焼いて』
二重円のそれと重なる夕焼けの空は、僕がいつも見る悪夢にそっくりで。
『全てを焼き、私の世界に再び平穏を』
ああ、僕はこれを知っている。
僕の中にある、いつかの記憶にその名が刻まれている。
『落ちろ』
埋もれた記憶の中、真理の先にある魔法の名を。
「――アグニ・アルカナ」
空に浮かぶ二重円から、全てを滅する炎の悪夢が落ちてくる。




