見た目で捨てられましたが、何か?
王宮の庭園。咲き誇る薔薇よりも甘美なはずの午後のお茶会は、私、セラフィーナ・ヴァレンティス侯爵令嬢にとって、断頭台への階段に等しかった。
「セラフィーナ、君との婚約は、なかったことにしたい」
目の前には、婚約者であるアラリック王子。その隣には、儚げな美貌で涙を浮かべるリリア男爵令嬢。いつもの光景だった。私がいると、リリア様はいつもこうして王子に庇護を求めるのだ。
「……と、おっしゃいますと?」
努めて冷静に問い返すと、王子はため息をついた。
「リリアのような柔らかな雰囲気こそ、王太子妃にふさわしい。君は……その、近寄りがたいのだ。鋭すぎる美貌は、時に人を威圧する」
「そんな、殿下……セラフィーナ様は素晴らしい方ですのに……」
リリア様の白々しい声が響く。
(ああ、また見た目か……)
内心のうんざり感を押し殺し、私はただ静かに王子を見つめた。黒髪に深紅の瞳、整ってはいるが、決して「愛らしい」とは言われない顔立ち。これが、生まれた時から私の価値を決めてきた。
「君もリリアの純粋さを見習うべきだったな」
王子の言葉が、最後の一押しだった。
私は一瞬だけ目を伏せ、そして再び王子を真っ直ぐに見据えた。表情は動かさない。ただ、静かに、ほんの少しだけ首を傾げて、問いかける。
「……それで?」
その一言に、王子は一瞬言葉を失ったようだった。もっと取り乱すか、涙でも流すとでも思ったのだろうか。
「……本日をもって、君との婚約を破棄する。新たにリリア嬢を婚約者とするつもりだ」
彼は早口にそう告げた。
私は完璧な淑女の礼をとる。
「承知いたしました。リリア様、どうぞ殿下とお幸せに。わたくしのような『見た目がきつい』女では、殿下には不釣り合いでございましたわね」
皮肉は、きっと彼らには届かないだろう。それでよかった。
私は背筋を伸ばし、一度も振り返らずにその場を去った。せいせいした。やっと、この息苦しい茶番から解放されるのだ。
*
実家に戻った私は、父に願い出た。
「お父様、辺境にある『忘れられた砦』の管理を、わたくしにお任せいただけませんか」
父は、王子に捨てられた娘を持て余していたのだろう。「好きにするがいい」と、驚くほどあっさり許可が出た。
最低限の荷物と、忠実な侍女のリズだけを連れて、私は辺境の砦へと向かった。
砦で私を出迎えたのは、騎士団長のギデオン様だった。日に焼け、顔には古傷。無骨で、明らかに貴族嫌いといった風情だ。彼は私を値踏みするように見た。
「セラフィーナ・ヴァレンティスです。本日より、ここの管理をさせていただきます」
「……ギデオンだ。よろしく頼む、令嬢」
彼の声には、歓迎の色は欠片もなかった。
だが、彼の私への見方が変わるのに、時間はかからなかった。
砦の中庭で、軍馬が暴れていた。新米兵士が鞭を振り上げたのを、私は静かに制した。
「鞭では言うことを聞きませんわ。この子はただ怯えているだけ」
ドレスの裾を少し持ち上げ、馬に近づき、優しい声で話しかけ、落ち着かせる。昔、領地で馬の世話をするのが好きだった。
その様子を、ギデオン隊長は驚いたように見ていた。
「……馬の扱いがお得意とは、意外ですな、セラフィーナ様」
「昔、少し嗜んだだけですわ。それより、この砦の現状について、早速お話を伺えますか?」
私の実務的な態度に、彼はさらに目を見開いていた。
それから私は、砦の運営に積極的に関わった。備蓄の管理方法を改善し、薬草の知識で兵士や村人の手当てをし、効率的な修繕計画を立てた。王都では「令嬢らしくない」と眉を顰められた知識や行動が、ここでは役に立った。
ギデオン隊長は、当初の偏見を捨て、私の能力と人柄を認めてくれるようになった。
ある日、私の提案した見張りルートの変更で、小規模な魔物の侵入を未然に防げたとき、彼は真っ直ぐに私を見て言った。
「セラフィーナ様、あなたの提案のおかげだ。感謝する。…あなたは、この辺境に必要な方だ」
その言葉は、王都で受けたどんな賛辞よりも、私の心に温かく響いた。
*
辺境での充実した日々が過ぎていたある日、王都から定期連絡が届いた。ギデオン隊長が渋い顔で私に見せてくれた手紙には、短いながらも不穏な内容が記されていた。
『アラリック殿下、リリア様に夢中で政務疎かとの噂』
『リリア様の浪費により、国庫に影響が出始めている由』
『先日、隣国との会談にて、殿下が不用意な発言をされた模様』
「……そうですか」
私は静かに呟いた。
ギデオン隊長が、私を気遣うように言った。
「王都のことなど、我々には関係ない。セラフィーナ様は、ここであなたのなすべきことを」
私たちは顔を見合わせ、静かに頷き合った。王都への未練など、もうどこにもなかった。
そして、その「成果」はすぐに現れた。
長年砦を悩ませていた、特定の時期に現れる毒を持つ植物への対策を、私が古い文献から見つけ出し、ギデオン隊長率いる騎士団が見事に実行。被害を完全に無くすことができたのだ。それは辺境にとって長年の懸案事項であり、大きな功績だった。
その報告は王都にも届いたらしい。しばらくして、王家からの使者が砦を訪れた。私の功績を称える陛下の書状と、アラリック王子からの、形ばかりの祝いの言葉(と、おそらく後悔の滲む何か)が記された手紙を携えて。
使者が帰り、静かになった執務室で、ギデオン隊長が私の前に立った。
「セラフィーナ様」
真剣な眼差しだった。
「あなたの見た目がどうだなど、もはや些細なことだ。その魂の気高さ、知性、優しさ、そのすべてを……私は尊敬し、そして、愛している。私と共に、この辺境で生きてはくれないだろうか」
顔に熱が集まるのを感じながら、私は真っ直ぐに彼を見つめ返した。
「……見た目で捨てられましたが、何か?」
そう言って、今度は心からの笑顔で、私は頷いた。
辺境の砦に吹く風は、王都のそれよりもずっと、自由で優しかった。私の隣には、見た目ではなく、私の全てを見てくれる人がいる。
これ以上の幸せがあるだろうか。