一目覚め
「好きです」
それは、突然の出来事だった。
「先生、私と付き合ってください」
帰りの電車内、ガタゴトと揺られるだけの予定だった身体が硬直する。手元のスマートフォンを握る力が少し強まり、この後の展開を予想して無性に胸騒ぎがした。
車窓はとっくに宵闇色に塗り潰され、時折通り過ぎる風は突き刺すように冷えている。瞬刻、目の前の告白から意識を避けてはみたが、次の言を待つ少女の視線までは避けられない。観念したように首を正面に戻した。
直前の会話はなんだったか。そろそろ学校を卒業するとかだったか。だからか。
告白をした少女はまだ若く、十六という年齢すら満たしていなかったはずだ。対して、定職にも就かず、探偵だなんだと言ってのらりくらりと仕事を請け負ってきた詐欺師紛い。少女の勇気を正面から受け止めるには、少々捻くれ過ぎた性格だろう。
「お前と俺は十以上離れているだろ」
故に、口をついて出た言葉は暗黙的な否定になる。
「構いません」
少女はあらかじめ予想していたかのように淡々とした声色で返す。表情もピクリともせず、予定調和であったかのような振る舞いだ。はあ、と溜息をつき、ニュース記事を読んでいた手元から顔を上げ、少女を改めて一瞥する。
少女は模範的で真面目な性格だ。その性格がスカート丈や髪型にも表れており、年齢の割にきっちりしている印象を与える。そして、真面目さによって自分の気持ちに嘘がつけないのだろう。緊張した面持ちで立ったまま、こちらを見つめ続ける。
自分にもあったような、思春期特有の後先を考えない衝動的な勢いだ。少女の立ち姿が過去の自分に重なる。
「付き合ったとして、時間はどうするんだ? 友達と遊んだり、部活をしたりする時間も無くなるだろ」
「友達と遊びませんし、部活もしません。今まで通りです」
「学生と社会人なんて世間体を考えてみろ。悪いなんてもんじゃない」
「私は気にしません。他の奴らの戯言なんて」
「それでも、付き合っていることは隠さなくちゃいけないだろ。恋人らしいことなんて出来ないぞ」
「先生と一緒に居られればそれで十分です」
ああ言えば、こう言う。つくづく、学生ってのは小賢しい生き物だ。自分の気持ちを押し通したい時は、相手の言い分を全て否定し、議題をすり替えた末に望んだ回答を得ようとする。そして、結局気持ちが全てだなんて浅い人生経験で宣うのだ。
だが、それもまたひとつの真理かのように思ってしまう。
息を深く吸い、吐く。少女の姿が以前の自分に重なる。その時に求めていた返答はなんだったか――――。
少女は微かに震える右手を握り、己の不安を隠し通そうとする。口をつぐみ、返事のしなくなった先生を問い質すこともなく、健気に見つめ続けている。
そうだ。こんな時、俺が求めていた返事は――――、
「……困った子だ。本当に、仕方のない奴だ」
そう言って頭を抱き寄せ、顔を胸にうずめさせる。歳の差がなんだ。世間体がなんだ。俺が君を愛するから。君は俺に愛されるだけでいい。例え、性別が同じだろうと、容姿が醜かろうと、年齢が離れていようと、関係ない。
ただ俺の隣にいてくれれば――――。
――――ダメだ! それじゃダメなんだよ!!
その言葉にどくんと心臓が強く跳ねる。思わず周りを見渡すが、車内はこちらに関係なく当たり前に物静かだ。扉横の仕切りを背中越しに感じているのにも関わらず、背筋に寒気が走る。
車内の空気は暖房によって暖められており、冷え切ってなどいない。ならば、この寒気はなんだ?
少女に目を配ると、自分と同じように眉を歪めていた。
……自分と同じように?
「――――駆け込み乗車はご遠慮ください」
急に耳に入った車内アナウンスにハッとして顔を上げる。車内のモニターに降りるべき駅名が表示されていた。そのことに気付き急いで電車から降りようと一歩踏み出した瞬間、ぷしゅーっという空気の噴射音に合わせて、発車メロディと共に扉が閉じていった。
今乗っている電車は各駅停車ではない快速急行の電車だ。間違いなく何駅か余分に通り過ぎることになるだろう。現在の時間を見るためにスマートフォンを持ち上げる。そこには、先程まで見ていた漫画が画面いっぱいに映っていた。
まさか、漫画に熱中していたせいで降り損ねるとは。内心で自分に呆れながらも、読んでいた漫画にただならぬ感情を抱きつつあったのも間違いない。どうせ数分間は電車から降りられないのだから、もう少しだけ漫画に集中していてもいいだろう。
探偵を名乗る先生は、助手の少女の告白を受け、仕事に用いているオフィスデスクに腕を叩き付けた。ここまでの流れを端的に言えばそうなる。しかし、不可解な点がある。先生は助手に対して少なからず好感を抱いている描写があったはずだ。失恋を表現するには直前までの描写と矛盾するのではないか。
扉横の仕切りに体重を預け直しながらスマートフォンの画面上に指を置く。先の展開が気になり、考察しながら指を横にスライドさせた。
――――君はこれから高校生になるんだろ! 友達と遊べよ! 部活に入れ!
先生はオフィスデスクに腕を強く叩き付けた姿勢のまま、大声で主張し続ける。
学生と社会人が恋愛をするなんて許されるはずがない。親や友人に話せないような後ろめたい恋愛なんてしない方がいい。先程までの押し問答に対する先生の回答が並ぶ。社会の一員として、先生は正しい姿勢を見せ続ける。しかし、学生に対して社会性を盾にした正論はむしろ逆効果だ。
――――先生は私のことが嫌いなんですか!?
当然、少女は聞きたくもない正論を薙ぎ払う。そして、手っ取り早く欲している回答を得ようとする。
登場人物の気持ちが大きく揺らぐ様子を見ながら、数年前の光景を思い出していた。普段はスマートな少女が、不安と期待がぐちゃぐちゃに入れ混じって声を荒げることになるその感情を痛いほど理解できたのは、その光景があったからこそだ。少女と同じように、年の離れた女性に告白をした記憶だ。女性は先生と同じように、年の離れた俺に困ったような対応をしていた。ちょうど、高校生になる前だっただろうか。
――――嫌いなんかじゃない、好きだ! あぁ、俺も好きだよ! 好きに決まってるだろ!!
少女がまごつく先生を見て「嫌いならはっきり言ってよ」と続けようとしている最中に、遮るように本音がぶちまけられた。
先生は少女に対して好意を抱いていた。両想いだった。それが分かったのに、何故こんなにも不安な気持ちが残るのか。救われた気持ちになれないのは何故なのか。
数年前、女性は「学校を卒業しても、好きでいてくれるなら、付き合ってあげてもいいですよ」と大人らしく、優しく返してくれた。結婚の約束をしたような気分だった。このまま年月が経つだけで幸せになれるなら、今すぐにその未来が来てほしいと思った。その約束をした後も、俺と女性は一緒の時間を共有し続けた。俺の高校生活が色鮮やかなものになったのは、彼女のおかげだと今でも思う。
――――それなら、どうして……。
少女がぽつりと呟いた言葉と、心の中で呟いた言葉がリンクする。
年の差があろうと、学生と社会人であっても、ただ一緒に居るだけで幸せになれた。それならば、この二人が結ばれてもいいじゃないか。
先生はどうして少女を拒むのか。その答えは次のページへと持ち越されていた。
――――好きだから……好きだからダメなんだよ……!
先生は喉の奥から絞り出すように、声を漏らす。
未だ、先生が発する言葉に植え付けられた意図の理解が及ばない。
――――本来送るべき青春を、俺なんかに費やさないでくれ……!
もっと多くの友達に囲まれて笑うべきだ。部活で血の滲むような努力をして大会に出てみるべきだ。同級生同士で健全な付き合いをするべきだ。堂々と人前で手を繋げる恋人を作るべきだ。
それは、先程までの押し問答に対する、先生の本音だ。
少女は言葉を失い、先生の本音をただ黙って聞いている。その言葉を正しいと感じているかどうかではない。直前までの先生の発言は「建前」だったからだ。今、先生が発している言葉こそが聞きたかった先生の「本音」なのだ。
――――過去の出来事になった時、俺と過ごした時間しか思い出せない灰色の高校生活を送って欲しくないんだ……!
先生は俯いたまま、少女に対して抱いていた想いを、心の奥に仕舞い込んでいた想いを、全て零していった。
彼女と過ごした数年間に後悔は無い。今まで出来なかったことに挑戦させてくれた。体験させてくれた。大切な人が居る感覚を知れた。嫌われたくないという感情。もっと好きになってほしいという感情。こんな自分を好いてくれているという幸福。そんなあなたを好きで居させてくれる幸福。間違いなく、人生で大切なものについて教えてくれた。
好奇心が強く、何にでも興味を持てるところが可愛いと思った。声を聴きたくて毎日通話をしたがるところが可愛いと思った。酒に弱くて酔っ払ったまま写真を送信してくるところが可愛いと思った。こちらをからかい困っているのを見て「可愛い」と顔を綻ばせているところが可愛いと思った。落ち込んでいると慰めてくれるところが愛おしいと思った。「可愛い」と伝えると「可愛くないです」と反論するところが愛おしいと思った。歌を歌うことが好きで、でも歌が下手なことを気にしているところが愛おしいと思った。好意を伝えるのが下手で、滅多なことじゃ「好きだ」と言ってくれないところが愛おしいと思った。
ただ。
ただ。
ただ、どうしようもなく。
――――たった一度しかない……高校生活だろう……!!
もし、この先生のような大人を好きになっていたら、違う高校生活を歩んでいたのかな。
そう、思ってしまった。
力無く仕切りに寄りかかる。何のために漫画を読んでいたのか分からなくなる。体重を預けている足の力を抜いて、車内の隅っこで人知れず座り込んでしまいたかった。
だって、馬鹿みたいじゃないか。白と黒の二色だけで構成された実在しない二人の方が、一人の人間が生み出した架空のカップルの方が、現実にある、数年間一緒に過ごした二人よりも深く、深く愛し合っているじゃないか。「あなたのことが大事だから、私たちは結ばれるべきではない」なんて、相手のことを深く愛して、考えているからこそ出る言葉だ。
そんな二人の関係が、どうしようもなく。ただどうしようもなく。
羨ましく思ってしまった。
この恋は、俺から始まった物語だ。俺が彼女を追いかけたから始まった物語だ。彼女こそが運命の人だと、将来結ばれる相手なのだと信じて疑わなかった。彼女も俺の想いに応えてくれた。ずっと追いかけてくれるなら、待っていてあげると。
でも。もう、失われてしまった。追いかけ続ける自信を。揺らいでしまった。決意が。
酷く、自分勝手なものだと苦笑する。
漫画の結末もよく思い出せない。少女は先生の告白を受けてどうしていたか。ただ、付き合うことはなく、色鮮やかな高校生活を送ることを決意していた気がする。
キーッとブレーキ音を響かせながら電車が停車しようとする。完全に止まる前に降りる準備をしようと仕切りから離れたせいで、がくんと揺れた車両の中で足がもつれる。体勢を整えている間に目の前のドアが開いた。
俺は、降り損ねた三駅分の遅れを取り戻そうと、慣れない駅のホームに降り立った。
最後までお読みいただきありがとうございました。
私小説ということで、当時の感情や記憶をもとに執筆しました。
漫画に関しても元ネタがあるのですが、少々余韻ブレイクになりそうなのでワンクッション挟んでおきます。
────
──
ということで、漫画の元ネタなのですが、青い鳥がアイコンのSNSで見かけた漫画が元になっています。ただ、題名や作者様を忘れてしまい、もう一度見たくても見られない状況になっています。
細かい描写やセリフ等は記憶頼りになっているため、大きく違う可能性が高いかと思いますが、展開に関してはおおよそ一緒だと思います。
2023年2月のバレンタイン付近に投稿された(再掲だったのかもしれない)モブ○イコ1○○のモ○霊BL漫画だったはずなのですが……。
知っている方が居れば、ぜひ感想欄にて教えてくださいませ。
改めて、ご精読ありがとうございました。