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へんな怪談集

くりかえし

作者: 夏野 篠虫

 憧れのデザイン関係の仕事に就いて早数年。会社で順調に実績を重ね、自分の年齢と経験を鑑みたうえで、今年思い切って独立した。

 会社を立ち上げてもよかったが手続きの煩雑さを嫌ってひとまずフリーで活動する道を選んだ。馴染みの顧客には事前に宣伝していたしそれなりにツテもあったので仕事はまずまずの滑り出しだった。

 独立するにあたり、数年間住み続けたアパートを出て、都心から少し離れたマンションに事務所兼自宅を借りた。新築角部屋の3LDK。家賃はやや予算オーバーだったが、立地やベランダからの景色もよく、街の雰囲気も居心地良さそうだったので内見後すぐに契約してしまった。住んでみると、広いお陰で仕事とプライベートを両立しながら快適に過ごせたので後悔は一切なかった。これで恋人もできたら……以前は仕事ばかりだったが、そう考える余裕も生まれた。


 引っ越してから2ヶ月後。仕事が立て込み久々の徹夜を強いられたその日。私は午前4時を回った自室で一人パソコンに向き合っていた。若さを失いつつある肉体に睡眠削るのは暑さで萎びた植物に水をやらないような苦しみがある。

 しかし起きている間にできる限り進めておきたい気持ちが勝り、私は一旦席を立ちキッチンでコーヒーを飲むためのお湯を沸かし始めた。集中力の切れた目でコンロの火を見つめる。立っていても意識が落ちてしまいそうなほど眠気に支配されていた。

 そのとき視界の右端を上から下へ何かが通り過ぎた。

 反射的に顔を向けるがそこには何もなく、落ちた辺りの床にも何一つ痕跡はなかった。そもそも真上は天井しかない。電球かと思ったが外れたものはない。それに、視界に映ったのはもっとずっと大きな物に感じた。

 変なものを見たせいですっかり目が覚めてしまった。見たといっても何もないなら眠気が生み出した幻覚の可能性すらある。

 ちょうど沸騰したお湯でコーヒーを入れて一息つく。カフェインに即効性はないとわかっていても眠気がいくらか消えた気がしてしまう。

 さて仕事に戻ろう、とキッチンを出ようとした瞬間、私の顔の前に真っ黒な物体が勢いよく降ってきた。

 腰を抜かした私はカップごとコーヒーを床にぶちまけてしまった。カップの割れる音がすぐさま感覚を現実へ引き戻す。

 今のは、何だ?

 私はゆっくりと立ち上がった。床を掃除する気には、まだなれなかった。

 落ちてきたものの大きさは――そう、私と同じくらい、黒くて縦に長いもの。

……もしかして人間?

 そんなわけないと冷静な自分が否定する。部屋の天井から人が落ちてきて消えるなんてありえない。そんなの、”生きた”人では考えられない。

 ここは間違いなく新築だ。私の前の住人は誰もいない。この部屋で誰かが死んだ事実はなく、つまり事故物件じゃない。

 そもそもここに住み始めてから初めての経験だった。2ヶ月間、不穏な気配も不可解な現象もなかった。なんで今日、しかも2回続けて遭遇したのか。疲労か眠気のせいかと思ったが、間近で2回目を見たとき、現実だと確信していた。確実に何かが起きている。

 いつもと違う点。時間帯、この部屋でこの時間に起きているのは初めてだった。もしこの時間に複数回起こる現象なら、もう一度見れるかもしれない。

 私は何かが落ちてきたキッチンの出入口辺りを凝視した。先ほどよりしっかり見るためにダイニング全体の明かりも点けた。

 チャンスはすぐに訪れた。

 黒く長いものは手を離した物体が宙を真っ逆さまに落下するように、天井から生えてくるように現れ、吸い込まれるように床へ消えていった。

 全体がはっきりと見えた。

 全身に影を纏ったような人。逆さまに落ちてきたそれは、血の気ない真っ白な顔に付いた2個の眼球が明かりを反射し、しっかり私の目を見つめていた。

 初めて見た霊。しかし不思議と恐怖は薄かった。それは落下する霊の表情に恐怖を読み取ったからだった。彼は悲しみと絶望を抱いている、と私には感じられた。



 翌日過去の出来事を調べるとネット上に答えはあった。事故物件を記載する某サイトを見るとこのマンションの位置に事故のマークがついていた。実は以前この土地には別のマンションが建っており老朽化により壊されたのだが、その最上階のベランダから中年サラリーマンの飛び降り自殺が1件だけ発生していた。新聞にも小さく載ったようで地域では良くも悪くも話題になったらしい。自殺者の霊は死の前後を何度も何度も繰り返して魂がボロボロになってもこの世に留まり続けると、昔オカルト番組で霊能者が言っていたのを聞いた記憶がある。

 だが前の建物がなくなった今、なぜ彼は死後も飛び降りを繰り返しているのだろうか。

 考えてもわからなかったが、当時の建物の画像を発見したことで一つの可能性を思いついた。

 私の住むマンションは道路側に建物、奥に平面の駐車場を備えている。しかし前のマンションは手前に駐車場、奥に建物で位置が逆になっている。自殺した男性は道路側に面したベランダから飛び降りた。そこは今のマンションでいう建物部分になる。つまり私の部屋だけでなく、マンションの各階をすり抜けて地面にぶつかる数秒を、彼は自分が飛び降りた場所が無くなっても続けているのだ。



 深夜から早朝に仕事をするのはあれ以来やめた。

 ただ、よくないとは思いながらも一度だけ霊の存在へ向けて手を合わせた。一日でも早く成仏できるように。


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― 新着の感想 ―
自分がすでに死んでいることも知らず、死ぬ瞬間を何度も繰り返す死者の魂。 繰り返される死のループは此岸と彼岸の境界で起きていて、恐怖よりも不可思議、未知、異世界といった雰囲気を感じた。
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