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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

地獄詰め合わせセット

スーパーヒーローを殺せ!

作者: ばち公

この物語はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは、一切関係がありません。

 幼馴染の女の子、美心心(みこころん)ちゃんが『悪者』に誘拐された。

 彼女は僕の目の前で、椅子に座らされ、縛られ、ナイフを突きつけている。

 僕が『悪者』から彼女を救う条件は、


「お前の同級生のヒーローとやらを殺せ」


 それだけだ。

 僕は美心心ちゃんを観た。紙袋を被せられているため表情は見えないが、怯えていることがその震えから伝わってくる。恐怖からくる荒い息に、紙袋が揺れている。

 美心心ちゃんは、僕が幼い頃、何度も助けてくれた、僕のスーパーヒーローだ。いつも意気地なしの僕のことを「優しい」って言ってくれる、一つ年上の、大切な幼馴染だ。

 どんな無理難題を突きつけられても、例え自分の命にかえてでも、僕はどうしても、そんな彼女を助けたいと、守りたいと思ってしまう。

 『悪者』は笑う。


「くだらねぇな」


 僕は反論できなかった。




 高校に登校した僕は、自席に座ると、同じクラスの少年を見つめてから、俯いて溜息をついた。

 彼が、『悪者』が言った、『同級生のスーパーヒーロー』――文字通り、本物のスーパーヒーローだ。

 人間離れしたすごい力と、一般には明かされていない特殊能力と、知恵と、なにより優れた勇気を持っている。

 変身こそしないけれど、僕が幼い頃、特撮なんかを観て憧れたヒーローそのものだ。

 彼は唐突に現れた。日本中、世界中が彼に熱狂していた。子どもより、大人の方が熱狂しているくらいだった。

 だから、そんなスーパーヒーローに、僕なんかが到底敵うはずもない。

 『悪者』だって、そんなことは分かっている。


「だが、こういうのが面白いんだろ? ざまあみろ」


 そう言って歯を見せて笑っていた。美心心ちゃんも僕も、何も言えなかった。

 僕なんかでも、スーパーヒーローを殺せる方法を考える。正面から殴りかかっても、一発叩かれて終わるだろう。

 だから、例えば不意打ちをする。植木鉢を高所から落としたり、階段で突き飛ばしたり。もしくは、毒を盛って弱らせる。もしくは、悪者と同じように、僕も彼に、人質を……、


「大丈夫?」

「え?」


 顔を上げると、ヒーローがそこにいた。心配そうに眉尻が下がっている。見るからに人の好さそうな顔だった。


「あ、だ、大丈夫。心配かけてごめん」 

「気にしないで。僕はみんなのヒーローだからね」

「さすがだね……」

「いや、冗談なんだけど……。なんかごめん」

「いや、僕の方こそ……」


 互いに謝っていると、先生が教室に入ってきた。

 僕が最後にごめんと謝ると、ヒーローは笑って手を振って、席に戻っていた。

 いい人だ。知っている。彼はクラスでも人気者で、友達も多く、顔も広く、先生からの信頼も厚い。能力を鼻にかけず、明るく謙虚で、努力家。

 僕とは正反対の存在。


「(主人公みたいだ)」


 それはかつて僕が憧れたヒーローそのもの。

 美心心ちゃんを助けるためには、彼を傷つけなければならないが、そもそも僕は、この、かつて憧れた理想そのもののヒーローを、傷つけたくないと思ってしまう。

 でも。

 僕みたいに彼を慕うみんなには申し訳ないが、美心心ちゃんを助けたいという気持ちは揺るがない。

 きっとこの世界には、僕以外に彼女を助けられる人も、助けようとする人もいない。

 だから僕が、やるしかないのだ。




 僕は早速、ヒーローを殺すために動き始めた。

 といっても、大していい作戦を思いついたわけではない。僕は運動が苦手だが、かといって勉強が得意なわけでもない。そもそも得意なことが何もない。だから、物語の主人公みたいに、奇跡的に名案を思いつく、なんてこともなかった。

 とにかくそれがどれだけ駄目な案でも、とりあえず試してみることにした。


 まず、植木鉢を高所から落とす。

 しかし、これが難しかった。そもそも、都合よく、僕が待ち構えている窓の下で、彼が立ち止まることなんて滅多にない。

 しかたなく、ヒーローが歩いているところに狙いをつけて落としたが、そもそも当たらなかった。植木鉢は地面に落ちて、大きな音をたててその破片を飛び散らせた。

 しかも運の悪いことに、僕が犯人だとすぐにばれた。なぜかは分からない……が、教室に戻る途中何人かとすれ違っているため、普通にばれたのだと思う。

 僕は厳重に注意された。ただ、そもそも被害者になりかけたヒーローに僕を責める気がなく、意図的ではなくうっかりだったとして、停学は免れた。


 次に、階段で背中を押す。

 チャンスはいくらでもあった。前回の失敗で先生には目を付けられてはいるだろうが、生徒たちにはまだばれていないから、普段から空気のような僕を気にされることはない。ヒーロー自身が大事にしたがらなかったおかげである。

 僕は、ヒーローの背中を突き飛ばそうと何度も思った。そのたびに、心臓が大きな音をたて、冷や汗が流れ、手足がぶるぶると震え、頭や目の奥が痛くなった。

 怖かったのだ。

 そんな僕に、一通のメッセージが届いた。

 『悪者』からだった。


「腕を切った」


 それだけ。画像はない。音声も、何もない。

――幼い頃、僕を背に庇って、両手を広げてくれた美心心ちゃんを思い出す。

 僕は覚悟を決めた。

 移動教室のときに、その機会はやってきた。できるだけ高く長い階段の一番上、そこで彼を、押す――と、僕は両手を伸ばしたが、緊張のせいか足をもつれさせて転び、なんと階段から落ちそうになった。

 どす、と壁にぶつかった。もちろん壁なわけがない。

 それは、僕が押そうとした、ヒーローの背中だった。


「おっと。大丈夫?」


 心配されて、情けなさと申し訳なさで死にそうになった。

 結局、僕の作戦は、壁か柱かと思うくらい微動だにしない、ヒーローの体幹の強さを思い知らされただけで終わった。これでは、線路に突き飛ばしたり、車道に突き飛ばしたりするのも難しいだろう。

 僕には何も無い。僕には、主人公のような幸運もなければ、咄嗟に機転を利かせる頭も、機敏に動くための運動神経もない。

 そんな僕に、ヒーローを殺せるわけがなかった。

 僕はじっと、『悪者』からのメッセージを見つめる。『悪者』は自分を『悪者』としか名乗らなかったから、僕はあいつの名前すら知らない。

 無力感に苛まれながら、焦燥だけが募っていく。

 教室は、一人苦しむ僕とは打って変わって賑やかだった。みんな何の不安もなさそうな、明るい顔で友人と喋っている。ただ美心心ちゃんがいないだけで、こんなにも世界が変わって見える。

 鬱屈としていると、また『悪者』からメッセージが届いた。


「すぐに来い」


 僕は体調が悪いと嘘をつき、学校を早退した。




「久しぶり。顔色が悪いな」


 かび臭い廃墟の一室で、『悪者』はそう言って笑う。この人はよく笑う。空っぽの笑顔で。

 僕はできるだけ相手の機嫌を損ねないよう、冷静に尋ねる。


「美心心ちゃんは、無事ですか?」

「ああ、無事無事。腕は切ったが、命に別状はない。『死なないなら大丈夫』。だろ?」

「ど、どうしてそんな急に……」

「だってこいつがさぁ、泣きながら言うんだぜ。『彼は助けてください』って! もうほんと、馬鹿らしくってさあ……」


 『悪者』はそう言って、美心心ちゃんの座る椅子を蹴り飛ばした。小さい悲鳴があがる。


「はは。こんなの楽しめるやつの気がしれねぇよな」


 『悪者』は顔を覆って笑っている。泣いているようにも見える。

 曰く、美心心ちゃんは、僕を巻き込まないよう、『悪者』に懇願したらしい。


『彼は何も知らないんです。巻き込まないでください。手を出さないでください』


「――つまり、お前はこいつにとって、真実、本物の友人らしいぞ。だろ? おい、何か言えよ!」


 『悪者』がまた椅子を蹴ると、美心心ちゃんが叫んだ。


「ごめんなさい! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ」

「謝るな!!!」


 『悪者』が怒鳴ると、美心心ちゃんは怯えたようにびくりと震えて押し黙る。

 美心心ちゃんは、小学生の頃、執拗にイジメられたことがある。それから変わってしまった。それは彼女の、片田舎の日本人としては変わった名前のせいで、整っていない顔貌のせいで、貧乏のせいで、環境のせいで……。

 僕は美心心ちゃんを見つめる。彼女は何も言わず、座ったまま小さく震えている。紙袋のなかの呼吸が、前よりも弱っているように感じる……。

 僕は『悪者』が落ち着くまで、刺激しないようじっとしていた。

 『悪者』はぶつぶつ呟いて、深呼吸していた。それから、壊れた人形のように首を動かして僕を見た。


「……で、スーパーヒーローとやらは殺せたのか? これ以上待っていられないぞ?」


 僕は講じた手段が全てうまくいっていないことを伝えた。

 『悪者』は笑った。


「毒ならあるぜ」


 荷物から液体の入った瓶を取り出すと、見せつけるようにゆらゆら揺らす。


「猛毒だよ。どんな人間もすぐに死ぬ……なんだよその顔。自分で使わないのかって? つまらないだろ」


 そう言って、『悪者』は僕にその瓶を差し伸べる。躊躇すると、無理やり握らされた。


「悪事ももっと楽しまなきゃな。誰かさんみたいに」




 しかし、他人に毒を盛るチャンスなんて早々ないだろうと思っていた。だって、わざわざ高校生が、友人でもないただの同級生に、飲み物を渡す機会なんて滅多にない。

……こんなの、ただの言い訳だった。僕は美心心ちゃんを助けると心に決めたのに、まだそれを恐れている。

 そんな機会、こなければいいと、心の中で願っている。

 しかし移動教室の際、気づいてしまった。すぐそこに、その機会が転がっていることに。

 僕は体育の前の休み時間、最後まで教室に居残り、ヒーローの水筒に毒をいれた。


 それからの体育の時間は地獄だった。心配と恐怖と緊張で、ずっとめまいがしていた。

 ただヒーローから目が話せなかった。

 ヒーローは体育ではいつもあまり活躍しない。熱心でないわけでなく、ただ、謙虚にしている。身体を少しだけのびのび動かして、同級生らと朗らかに会話して、時間が潰れるのを待っている。

 僕とは大違いだ。僕はいつも一人ぽつねんとして、先生の言うことに従うだけ。そしてあとは、授業時間が終わるのを祈るだけ……。


 体育のあと、ヒーローは毒入りの水筒を口に付けた。ごくごくと飲むのを、僕は震えながら見守った。

 それからどれだけ時間が経っても、授業が全て終わり放課後を迎えても、ヒーローはぴんぴんしていた。

 僕は絶望した。




「騙したな!」

「お、なんだよ急に。お前もおかしくなったのか? ざまあみろ」


 『悪者』は相変わらず笑っている。 

 美心心ちゃんは紙袋を外されている。その顔は青あざだらけで、痛々しく腫れ上がっている。

 僕は『悪者』を睨みつけた。


「あの毒、偽物だろ!? 全然効かないじゃないか!」

「へえ。ヒーローってのは頑丈なんだな。あの毒は偽物なんかじゃない。なんならこれで試してやろうか?」


 『悪者』はナイフの腹で、美心心ちゃんの頬をぺちぺちと遊ぶみたいに叩く。僕は悲鳴を上げた。


「やめてくれ!」

「そう言ったら、やめたのかよ……」


 『悪者』が、今度は僕にナイフを向ける。

 今度は美心心ちゃんが悲鳴を上げる。


「やめろ! 彼は悪くない! 何も知らない! 関係ない!」

「……そうやって、」


 『悪者』は拳を握った。


「そうやってお互いを助けたいと、守りたいと思うなら、どうしてその優しさを少しでもあの子に分けてやれなかったんだ!!!」


 『悪者』は泣きながら美心心ちゃんを殴った。僕が急いで止めるため近づこうとすると、『悪者』はナイフを美心心ちゃんの喉に突きつける。

 『悪者』は泣いていた。僕も、美心心ちゃんも泣いていた。だが、本当は、僕らに涙を流す資格はない。


 去年、美心心ちゃんがイジメた女子が死んだ。

 自殺だった。


「どうして、あの子が死ななきゃならなかったんだ……」


 『悪者』は、イジメられていた女子の関係者らしい。僕は『悪者』が誰か、彼女とどういう関係だったかは知らない。でもきっと、美心心ちゃんは知っているのだろう。きっとそれを使って、イジメていた彼女を脅したこともあるだろうから。

 美心心ちゃんは幼い頃、イジメられたことがある。それから、正義感に溢れた彼女はすっかり変わってしまった。

 馬鹿にされる前に、馬鹿にするようになった。叩かれる前に、叩くようになった。イジメられる前に、イジメるようになった。怖い人達と仲良くするようになって、周りから怯えられるようになって、僕とも距離を置き始めた。

 たまに喋ると優しい美心心ちゃんだが、そうでない、噂で聞く彼女は、まるで悪魔そのものだった。


 噂の中の美心心ちゃんは、陰湿で、卑怯で、暴力的で、執拗だった。

 そうして、死ぬまで彼女を追い詰めた。


 僕には止められなかった。いや、何もしなかったのだから、「止めなかった」という方が正しいだろう。一学年上のことだから詳細は知らなかったが、クラスメイト同士がしている噂話は耳にしていたのに。

 美心心ちゃんは僕の言葉には耳を傾けてくれるのだから、僕にはできることがあったはずなのに。

 美心心ちゃんはいつも僕を「優しい」と褒めてくれたが、僕は優しいんじゃない。僕は優しいんじゃなくて、ただ気弱なだけだった。

 気弱で、卑怯で、臆病で、意志薄弱で、何も無い。ヒーローに憧れるのもおこがましいクズ。それが僕だ。


 だから『悪者』は正しい復讐者で、僕らは生きる価値もない悪だ。

 『悪者』はきっと、美心心ちゃんが彼女にしたことを、僕らに仕返している。

 僕にヒーローを殺させようとしたのも、きっとその一環だ。美心心ちゃんは、彼女に同じような仕打ちをしてみせたのだろう。想像がつく。


「人間のフリなんてするな、この悪魔!!」

「どうせ心のなかでは被害者ぶってるんだろ! なんで私がこんな目にとか思ってるんだ!」

「あんないい子をぐちゃぐちゃにしやがって! あんな、あんな死に方選ばせやがって……!」

「お前みたいなやつが反省なんてするものかよ!!」

「反省って、人の命を奪った反省ってなんだよ! 一生涯かけて詫び続けろよ! 笑って生きてるんじゃねえよ! 一生泣いて苦しめよ! あの子にはもうそれすら許されないのに!」

「お前みたいな誰も必要としない無価値なクズがなんで生きてるんだ!!」

「お前があの子に与えた苦痛全てをお前に返して死ぬまで殺す!」

「死ね! 死ね!! 死ね!!! 死ね!!! 死ね!!!」

「死ねよ」


 『悪者』はナイフを美心心ちゃんの二の腕に刺した。絶叫する美心心ちゃんに、「うるさい」と呟いて頬を思い切り殴る。

 そして、僕を見て声を上げて笑った。


「信じられないかもしれないが、こっちだって最初はこんなんじゃなかったんだよ」


 明るい笑顔だった。しかし話すにつれ徐々にその笑みは消えていき、表情の抜け落ちた顔になっていく。


「最初はよかったんだよ。こいつのゴミクズのお仲間は捕まったし。カスみたいなこれを守るやつも庇うやつもだーれも居なかった。ネットでも馬鹿みたいに晒された。これで罰を受けたって。受け続けるって。そう思ってさあ……」

「それがさあ」

「なんだよこれ」

「なんなんだよこいつ」

「なに仲良くしてるんだよ」

「なんでお前の横に幸せがあるんだよ」

「許されるわけないだろ」


 『悪者』は真顔のまま、ただナイフを握る手に力をこめていく。手が震えている。その震えがいつ、美心心ちゃんへの凶器になるか分からず、僕の鼓動が恐怖で早まるのを感じる。

 苦しむ美心心ちゃんを見下ろし、睨んでいた『悪者』は、僕を見て昏く微笑んだ。


「だからこれは全てお前のせいだ」

「僕、は、」


 僕のせい。

 僕という存在が、『悪者』を狂わせて、今、美心心ちゃんを傷つけている――。


「世間だってそうだ。すぐにあの子のことを忘れた。すぐに! 叩いて自分たちだけがすっきりして! あの子を! お前を! すぐに忘れた!! なんでそんなことができる? まだここにいるのに! こいつは生きているのに!! あの子は死んだのに!! 何も変わらない!」

「どうしてこんなに騒いで、被害者も出て、苦しんで、死んで、なのになんで世の中は変わらないんだ? どうして? 誰のせいだ? 誰に罰を与えればいい? 誰を傷つけたらいい? 加害者か? その親か? 傍観者か? 政治家か? その全てか?」

「……誰かを傷つけることでは、何も変えられないのか?」

「別に捕まるのも死ぬのも怖くない。そうしたら世間はもう一度あの子を思い出すだろうから。何も怖くない。あの子の恐怖を考えたら、苦しめられ続けた時間を考えたら、こんなの大したことじゃない」

「どうして……生きる価値のない他人を傷つけるだけのクズが生きて、優しいあの子が死んでいるんだ?」

「どうして……」

「どうしてだよ!!!」


 『悪者』はナイフを振り上げる。

 僕は、気づいたら走っていた。美心心ちゃんと、ナイフを振り下ろす『悪者』の間に、割って入って、


「待った」


 覚悟したが、『悪者』のナイフは僕に下ろされなかった。

 その腕は何者かに掴まれている。

 彼は――


「離せよ!」

「離さない」

「どうして、君が、ここに……」


 僕が殺そうとした、ヒーローであるクラスメイトだった。


「君の様子がおかしかったし、彼女が行方不明と聞いたから、二人揃って何かあったのかと」


 強く握られた『悪者』の手から、ナイフが落ちた。ヒーローはそれを素早く部屋の隅へと蹴飛ばした。


「どうしてそいつを助ける!? そいつが何をしたのかも知らないくせに!」

「そうですね。僕は転校生ですから、ニュース以上のことは知らないですね」

「頼む。殺させてくれ。そいつだけでいいんだ。一度だけでいいんだ。頼むから……」

「できません」

「どうして!? どうしてそのカスを殺す邪魔をする!? お前になんの権利があって、」

「あなたは暴力を手段にした。だから僕というそれ以上の暴力に屈した。それだけです。だからこそきっと、何があっても、暴力は、目的の手段として認められないんです」

「ヒーローなんだろ? みんなの味方なんだろ? なら慈悲をくれよ……」

「僕は誰かのヒーローじゃありません。みんなのヒーローなんです。どんな理由があろうとも、この国で私刑は認められていない。だから、僕は、あなたを止める必要がある」


 『悪者』はヒーローの手をかいくぐり、美心心ちゃんか僕を襲おうともがいて、そのままあっさりと、ヒーローに取り押さえられてしまった。床に押さえつけられながら、『悪者』は僕達を睨む。


「なんでお前らに救いがあるんだ。どうして、お前らなんかに救いの手が。あの子にはなかったのに。どうしてお前らに。どうして、どうして……」


 『悪者』は泣きながら懇願する。


「お願いです、殺させてください。殺させてください……」


 ヒーローは憐れむように目を伏せた。


「僕は、誰のヒーローでもないんですよ」




 僕と美心心ちゃんは、ヒーローに助けられた。美心心ちゃんは今は病院にいる。衰弱しているが、命に別状はないらしい。後遺症については、まだ分からないとのことだったが。

 僕は、僕自身はともかく、美心心ちゃんが助かってよかったと心から思っている。きっとこれを許せないと思う人は大勢いるだろう。しかし、これは僕の感情なので、僕はそれに嘘をつくことが出来ない。


「やあ」


 そう言って、屋上でひとり佇む僕の前に現れたのは、クラスメイトのヒーローだった。


「ヒーローがこんなところに来ていいの? ここは生徒は立入禁止だよ」

「君の監視だよ。もしかしたらまたうっかりと植木鉢を落とすかもしれないからね」

「……もしかして、あのとき、見えてた?」

「うん。目には自信があるんだ」


 植木鉢を窓から落としてすぐ引っ込んだつもりだったのだが、ヒーローの目からは逃れられなかったらしい。

 なるほど、被害者に見られていたのだから、すぐに先生にバレたのにも納得がいった。


「色々聞いたよ。僕を殺そうとしたんだって? あの女子生徒のために」

「ごめん。謝って済む問題じゃないと思うけど」

「別にいいよ。僕に毒が効かなかったこととか、そういう――化け物みたいだってこと、黙ってさえくれてたらそれで」

「……分かった」


 僕は頷いた。

 彼にも色々と事情があるのだろう。なぜか急に転校してきたことも、何か事情があってのことなのだろう。


「どうしてそこまでして彼女を助けようとしたんだ?」

「子どもの頃、美心心ちゃんは、僕を助けてくれたんだ。ヒーローみたいに」

「だから今度は代わりに自分がってこと?」

「いや、そうじゃなくて、……」


 幼い頃の美心心ちゃんが、からかわれて泣いていた、さして仲良くもなかった僕を助けてくれたこと。それが鮮烈に僕の心に焼き付いている。彼女というヒーローに憧れたこと、これが僕の原体験だ。

 あの輝かしい一瞬のため、僕は永遠に彼女を裏切れない。それだけだった。

 しかしそれだけのことでも、言葉にすると、少し違った感覚になってしまう。僕が黙っていると、ヒーローは場を繋ぐように口を開いた。


「子どもの頃のことって、成長しても引きずるから、そういうことかな」

「そうだね」


 僕は頷いた。美心心ちゃんもずっと、かつてイジメられた自分を引きずっていたのだろうか。それとも僕がそうだと思いたいだけだろうか。分からない。

 僕は溜息をついた。


「……あの」

「ん?」

「そんなに心配しなくても、飛び降りたり、しないから」

「そっか」


 ヒーローは苦笑した。彼は相変わらずいいやつだった。

 僕は死なない。

 『悪者』はきっと僕には死んでほしいのだろうけど、そうした方がいいのかもしれないけど。

 きっと僕は生き続ける。気弱で、卑怯で、臆病で、意志薄弱で、何も無い、そんな僕だから、これからもただ惰性で生き続けることだろう。

 あの『悪者』はきっと罪に問われる。たとえ僕らがそれを望まなかったとしても。

……そしてまたきっと、美心心ちゃんの罪が世間で騒がれることになる。

 『悪者』は、こうなる可能性も見越していたのだろうか。僕には分からない。


「ざまあみろ」


 と。

 どこかで『悪者』が、笑っている気がした。

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