ファッションはマナーになる
ファッションはマナーになる
私は、幼い頃から観劇やコンサートに連れて行ってもらっていた。
舞台芸術の好きな母の影響だ。
母が教えてくれた大きなひとつに、ファッションがある。
観劇やコンサートの際は、きちんとした格好で行く。
自分のピアノの発表会は、必ずドレスを新調してもらっていた。
曲目に合わせた色味の、フワフワと広がるレースのスカート。ピカピカ光る革靴。それに合わせたバッグ。
まず、母自身が、そう育てられていた。
お出かけの際には、まずデパートに行って、上から下まで全て買い揃え、着替えた上で遊びに行くという家に生まれた。
簡単に言えば、お金持ちだったのである。
だから、私もそう育てられた。
私も、おそらくお金持ちの家に生まれ、そして大切に育ててもらったのである。
TPOをわきまえた服装、所作には自信がある。
母は、舞台を観に行った際、デニムを履いている人やフード付きのパーカーを着ている人を見ると、
「がっかりしちゃう。」
と言っていた。
「私は、ここに『非日常』を味わいに来ているの。こういうところに、『日常』を持ち込んでほしくないわ。」
と言っていた。
私はその気持ちが、大人になってからめちゃくちゃわかるようになった。
大人になって、私もよくお芝居を観に行ったり、講演会を聴きに行ったりするようになった。
その度に、
「え、それあなた、すっごい普段着ですよね?!」
という人を見てしまうと、がっかりした。
普段着というか、もう部屋着というか。
そんなTPOをわきまえない人を見ると、なんだか気落ちした。
そして、その向こう側にある、分かり合えない価値観の違いに恐ろしさをも感じたのだ。
私は公務員なので、よくスーツを着る。
普段はオフィスカジュアルでも、この日は絶対にスーツじゃなきゃいけないという日がある。
そんな日に、Tシャツとダメージジーンズで出勤する馬鹿はいない。
逆に、この日は汚れることをするから、動きやすい服装で…という日もある。
そんな日に、繊細なツイードのセットアップとレースのグローブで出勤するあほはいない。
ーTPOをきちんと分かっているか?
ーその場に合わせた格好がちゃんと出来るか?
そんなことは、学校で教える以前の問題だったのだ。
育った家庭環境が作り上げる、価値観の問題だったのだ。
つい先日、お芝居を観に行ったのだが、その時も思った。
こういう時に、ちゃんとした格好で来れない人とは、仲良くなれないなあって。
実は隣の男性がマナーが悪くて、ブザーが鳴る直前までガチャガチャゲームしていたり、母親に文句を言っていたり、とにかくうるさかったのだ。
ファッションもうるさかった。
観客席は広くない。なのに、ボリュームのありすぎるダウンコート。
デニムのパンツ。
パーカー。
きわめつけ、リュック。…何が入ってるの…。
上着だけでもクロークに預ければいいのに、と思った。
気にしたら負けだと思ったので、文章にしたくなかったが、納得できなかったのでエッセイにしてしまった。
何が言いたいかというと、ファッションは、マナーになるのだ。
たまに、
「この人、結局何が言いたいのかな?」
というエッセイを見る。
エッセイだから何を書いてもいいとは思うのだけれど、あまりにも話題がぶれすぎてて、何が言いたいか分からないエッセイがある。
自慢なのか?
文句なのか?
主張なのか?
笑いなのか?
発見なのか?
私は、このエッセイは主張。
『ファッションはマナーになる』と言いたい。
私は、次はピアノのリサイタルに行く。
次はうるさい人が隣じゃないといい。
S席…というか、SS席と言っていいくらいの良い席が取れたので、楽しんできたい。
この前、新しくグッチのピアスを買った。
クリスタルがキラキラして、きっと可愛いと思うので、リサイタルに付けていく予定。
髪型は?
トップスは?
シューズは?
考えているだけで、すごくうきうきする。
私は、ラグジュアリーな『非日常』が、日常に落とし込んであると、日々を前向きに生きられる。
母もきっとそうだったに違いない。
母は、私が大学生の時に亡くなった。
もし生きていたら、きっと私たちは、仲良く観劇やコンサートに行ったと思う。