№ 19 ケレス、神の使徒に会う
代替わりが成功し、ケレス達が避難しようとすると、そこに、ヒロが現れた。
ケレス達に緊張が走ったが、ヒロは記憶を失っており、
ケレス達は無事にミラに到着する事が出来る。
しかし、アルトが、ヤンが、次々とケレス達から離れる事態が発生し、
ケレス一人でラニーニャを守らなければならなくなってしまった。
そんなケレス達の前に、神の使徒と名のる二人組と、生意気な顔をしたハマルが現れるのだが……。
(まずい事になった……。何で、こんな時にこの人と会ってしまうんだ……)
そう思ったケレスの足は竦み、冷や汗が出て来た。
ケレス達の所に歩いて来たのはヒロだったのだ。
ケレス達に緊張が走るとラニーニャは怯え出し、息が荒くなり胸を掻きむしりだした。
「姉ちゃん⁉」
ケレスはラニーニャを落ち着かせ様としたが、ラニーニャはその場に座り込んでしまい、
アルトとイェンはラニーニャの前に立ち塞がり、イェンはヒロに刀を向けた。
(どうしよう……。このままじゃ、あの時と同じ事になる⁉)
そして、ケレスの脳裏にはあの惨劇がくっきりと思い出されたが、
「どうしたんだ? そんな怖い顔をして……。俺だ。そんな物騒な物を納めてくれないか?
まあ、お前達を不安にさせてしまったから仕方がないがな」
と、言ったヒロは普段通りだった。
「殿下⁉」
その言葉を聞いて思わずケレスの口が開くと、
「すまんな。俺が倒れなかったら、ここまで酷い事にはならなかった」
と、言ったヒロは頭を下げ、
「不甲斐ない事に、俺は記憶を失ってしまっててな。
ここに来たら何か思い出せるんじゃないかと考えていたんだが……。
しかし、無駄だったな」
と、言って、大きく溜息をつき落胆した。
(殿下……。まさか、記憶喪失なのか⁉)
その言葉はケレスの口から洩れなかったが、
「ここはまだ危険だ。色々と調査もある。だから、お前達ここから離れろ」
と、顔を上げたヒロから命令され、
「どうする、アルト?」
と、ケレスが小声で言うと、
「そんな都合良く記憶喪失になるとは思えないけど。嘘をついているとも思えない」
と、険しい顔のアルトも小声で言って、ケレス達は迷っていたが、
「ここは一応、奴の言う事を聞こう。変に逆らうと、疑われる」
と、イェンから提案され、
「イェンさん⁉ でも……」
と、言ったケレスはまだ迷っていたが、
「俺が命に代えても、喜蝶を守る」
と、言って、イェンは刀を莢に納め、ラニーニャの傍に行き、
「喜蝶、帰ろう」
と、ヒロから隠す様にして優しく言うと、ラニーニャは少し落ち着きを取り戻し頷いた。
すると、
「じゃあ、ケレス。君は先輩の隣にいるんだ」
と、アルトから小声で指示があり、
「アルト? どういう事だ?」
と、小声のケレスがアルトに目を転がして聞くと、
「何とかミラに停泊させてる僕のプレジャーボートまで行くんだ。
それまで、先輩の前は僕達が守る。
だから、君は先輩の隣にいて、何かあったら全力で先輩を連れて逃げるんだ」
と、アルトはケレスを見らずに小声で答え、
「イェン殿。それで宜しいですね?」
と、イェンも見らずに聞くと、
「ああ。構わない」
と、イェンもアルトを見らず答えた。
(姉ちゃん。俺、何でそんな事をしなきゃならないんだ?)
納得いかないケレスの胸には何かしこりがあったがアルトに従い、ヒロとミラへと向かった。
ミラへと向かう間、ケレス達は緊張の糸を張りっぱなしだった。
ミラへはいつもなら二十分もあれば到着するのだが、
その二十分は今のケレス達には数倍の時間に感じれた。
(息苦しいな……。どうか、何事もないでいてくれよ……)
ケレスは胸を押さえながらそう願い、ラニーニャの隣を歩いた。
その思いはラニーニャも同じ様で、ラニーニャはずっと舌を向いて歩いていた。
「姉ちゃん、大丈夫だ。俺がいるから!」
そんなラニーニャにケレスは精一杯笑って言ったが、顔を上げたラニーニャの顔は怯えきっており、
(だよな……。俺じゃあ、信用ならないよな……)
と、空しさだ伸し掛かったケレスは項垂れながらも歩き続けた。
それから何とか無事にミラへとケレス達は到着した。
すると、
「殿下‼ 何処に行かれていたのですか? 探しましたよ!」
「主役の登場だ‼」
「やったぁ! さあ、祝杯を挙げるぞ!」
といった祝福の声でミラの街は溢れかえっていた。
「どうなってるんだ⁉」
大歓声の中、ケレスが辺りを見渡すと、
「いや、なに……。
多少の被害はあれども、救いの神子様ってやつの恩恵で大部分の者が救われて、お祭り騒ぎさ」
と、穏やかな顔のヒロが説明したが、
「救いの神子様って、花梨様の事ですか⁉」
と、言ったケレスの顔が強張ると、
「他に誰がいるんだ?」
と、ヒロから、せせら笑いながら返ってきた答えに、
「そ、そうですけど……」
と、唇を噛みしめたケレスはラニーニャを見た。
(ここを救ったのは、姉ちゃんだ‼ なのに、どうしてそういう事になってるんだ?)
唇を噛みしめるだけでは気持ちを抑えきれず、両拳を握り締め歯痒がっているケレスの周りでは、
「花梨様が偶然この国にいらっしゃってて、助かった! 救いの神子様、万歳‼」
「さぁすが、我が国の殿下だ! ヒロ殿下、万歳‼」
「おいおい⁉ ミュー様を忘れるなよ! ミュー様、万歳‼」
等々と、喜びに溢れる人々の声が溢れていた。
だが、ケレスの隣にいるラニーニャは喜びに溢れるミラの街を見て、良かったという顔で微笑み、
そして、静かに瞳を閉じた。
(姉ちゃん……。どうして、そんな顔が出来るんだよ……)
ラニーニャの穏やかな顔を見たケレスにまた違った虚しさが訪れると、
「ヒロ‼ また勝手にいなくなって。どうしてそういう事をするんだ?」
と、叫びながら眉を顰めているニックが現れ、
「すまんな。ちょっと、散歩だ」
と、言った、余裕があるヒロに、
「この前もそういう事をして、あんな目に合ったんだ! 今度もそんな事になったらどうするんだ‼
まして、今はまだ魔物が沢山いるんだぞ‼ 一人で行くなんて、無茶な事をする‼」
と、肩をふるわせながらニックは怒鳴りつけたが、
「心配するなよ。俺は、強い!」
と、言ったヒロが胸を張って、ははっと笑うと、
「ヒロ‼ 君って奴は……」
と、言ったニックの怒りのボルテージは上がったが、
「えっ⁉ 何で、ラニーニャちゃん?」
と、ラニーニャを見てそのボルテージは一気に下がり、ラニーニャの傍に行こうとしたが、
「おい、ニック」
と、ヒロのその言葉だけでそれを止められ、
「ヒロ……」
と、それ以上ラニーニャに近づけなかったニックがヒロを見て言った顔はどことなく悲し気で、
その顔を見たケレスも何となく悲しくなったが、
「お兄様!」
と、叫びながらミューがクリオネと共に駆け寄って来て、
「ケレス‼ 無事で良かったぁ!」
と、叫んでケレスに抱き着き、喜びながら泣き出した。
すると、
「ちょ、ちょっと⁉ ミュー、どうしたんだよ?」
と、言った、悲しみが吹き飛んだケレスの顔は赤くなったが、
「心配したぁ‼ 本当に良かったぁ‼」
と、ケレスに顔を埋め泣きながら言っているミューにはその顔はわからず、
「ああ、無事だよ。お前も無事で良かった」
と、穏やかにケレスが言うと、ミューは顔を上げ笑ったがラニーニャに気付いた。
そして、
「お姉ちゃん……」
と、ミューから呼ばれ、瞳を開けたラニーニャは振り向いたが、
「今まで、何をしてたの? みんな大変だったんだよ? それなのに、何なの、その格好は⁉」
と、ミューはラニーニャを責める言葉を並べ、その言葉が連なる程ミューの顔は強張っていき、
そのミューを見て何かを言いたそうにラニーニャはミューを見たが何も言えずに下を向いてしまった。
「何なのよ、その態度……」
そのラニーニャを見るミューの目は明らかに軽蔑の色が宿っており、
唇をふるわせたミューは、そう呟いた後、
「まあ、お姉ちゃんなんていなくても、良かったけどね」
と、冷たく言い放ち、その言葉がラニーニャに刺さるとラニーニャはビクっとして拳を握り絞め、
ミューを見る事なくその場を逃げる様に離れた。
それを たぬてぃとイェンが追いかけ、
「君って奴は、本当……」
と、言ったアルトは歯を喰いしばり、ミューを怒りの眼差しで睨みつけ、ラニーニャを追いかけた。
「ミュー……」
そして、ケレスはその言葉しか言えず何も出来なかったが、バシッ!という音が響いた。
その音の正体はヒロがミューの頬をはつった音だった。
すると、その音で辺りは騒然とし、
「お、お兄様?」
と、言ったミューが、はつられた左頬に手をやると、
「お前は、最低だ。己惚れてんじゃねえぞ! そんな事で女王になれると思うな‼」
と、ヒロは鬼の形相で怒鳴りつけたが、
「ヒロ‼ 言いすぎだ‼ 何もそこまでしなくても⁉」
と、言ったニックが、ミューを庇うと、
「何がだ?」
と、ヒロは悪怯れる様子はなく、
「君はミュー様に厳しすぎる。君が、ずっとそんな態度だからいけないんだ‼」
と、ニックが指摘すると、
「どんな態度が悪いって言うんだ?」
と、開き直ったヒロはニックを呆れた顔で睨んで問い、
「君は、ミュー様の努力を少しも労わない。君のそんな態度がミュー様をそんな態度にさせるんだ‼」
と、ニックが苦言を呈すると、ヒロは溜息をついた。
「お前……、ミューは、誰かに褒められなきゃ、何も出来ないって言う事か?
それに、自分が良い状態じゃなければ、何を言ってもいいのか?」
そして、溜息の後、呆れた様にヒロがその言葉と視線をニックに向けると、
「そうじゃないけど……」
と、ニックはそれ以上言葉が出ず、
「お前は、甘すぎる。ミューの教育係なら、それぐらいわかると思ってたがな」
と、言ったヒロはミックを蔑む様に睨み、
「ミュー。あいつに謝ってこい‼ それまで帰ってくるな‼」
と、ミューを睨み、怒鳴りつけた。
その言葉を聴いたミューはヒロを睨み返し、何処かに走って行き、それにクリオネが付いて行った。
それからミューがいなくなった後、辺りはさらに蒼然となった。
(何か、どんどん事態が悪い方へ行ってる……)
そんな中、ケレスは眉を顰めて俯いてしまったが、
(とりあえず、姉ちゃんを探さなきゃ‼)
と、邪念を振り払う様に強く首を横に振り、ミラの船着き場へと向かった。
そしてミラの船着き場に着くと、そこにはやはり海を寂しそうに見つめるラニーニャと、たぬてぃ、
そのラニーニャに寄り添うイェンとアルトがいた。
「姉ちゃん、良かった‼」
ラニーニャとの再会に、ほっとした顔のケレスにラニーニャは寂しそうなままの顔を向け、
「姉ちゃん?」
と、ケレスが首を傾げると、ラニーニャは何かを言いたそうにケレスを見つめてきた。
その顔を見て、わかった。
だから、
「どうしたんだよ? そんな顔、するなよ‼」
と、言って、ケレスは気持ちをぶつけた。
何故なら、ラニーニャの顔は、ケレスに別れを告げていたからである。
暫く二人で見つめ合っていると、ミラの船着き場に一際立派な船が近づいて来て、
「あの船は⁉」
と、アルトが叫んだ。
「アルト⁉ どうしたんだ?」
そして、ケレスがアルトを見て言うと、
「アルト。何をしていたのですか?」
と、言いながらイヴがケレス達に近づいてきたので、
「イヴさん⁉ どうしてここに?」
と、ケレスがイブに視線を移して聞くと、
「私は、花梨様に同行しておりました。
そこで、ずっと花梨様をお守りしていたのですが……。
今回の件で発生した魔物達が我が水鏡の国へと侵略したという報告があったのです」
と、深刻な顔でイヴは話した後、アルトを見つめ、
「状況は、あまり良くありません。アルト。帰りますよ?」
と、告げたが、
「あ、姉上。僕は、その……」
と、はっきりしないアルトに、
「アルト。あなたは自分の立場をわかっていますね?」
と、言って、イヴは決断を求めてきたが、
アルトがしぶっているとラニーニャがアルトを見つめ、微笑み、
「先輩、僕は……」
と、本当の気持ちを伝えきれないアルトの眉は下がったが、ラニーニャはアルトの背を軽く押した。
すると、
「先輩……。わかりました! 必ず、僕は先輩の所へ戻りますから!」
と、言えたアルトの顔は凛々しくなり、それを見たラニーニャは嬉しそうに頷き、
「あの、イェン殿……。浦島を託します」
と、言って、アルトがイェンに小さな浦島を差し出すと、
「お前のやるべき事を成し遂げてこい」
と、言ったイェンは小さな浦島を受け取り、頷いた。
それからアルトはイヴと何処かへ行ってしまい、ケレスが、これからどうするのかを考えていると、
「喜蝶。お前はそいつとここに残れ」
と、イェンが意外な事を言い出した。
イェンの言葉を聞いたラニーニャが困惑すると、
「さっきの報告からすると水鏡の国は、今、魔物達に侵略され、
龍宮の一族の力が必要なくらい状況は悪い。
そこには、お前の祖父がいる。俺は、彼を助けに行こうと思っている。
だが、危険な所にお前を連れて行く訳には、いかない」
と、イェンは説得し、ラニーニャは今にも泣きそうな顔で首を横に振ったが、
「そう言うな」
と、言ったイェンはラニーニャを優しく抱きしめ、
「必ず、お前の大切な祖父を守る。
そして、お前の所に帰ってくると、約束する。
だから、俺を信じて、待っててくれ」
と、思いを伝え、ラニーニャを強く抱きしめると、
ラニーニャは、わかったと言う様にイェンをしっかりと掴んだ。
それからイェンはケレスを見つめ、
「俺がいない間、喜蝶を頼む」
と、言って、ラニーニャを託したが、
ケレスが呆然としていると、たぬてぃがケレスの右肩に乗り鼻息を、フンっと掛けてきた。
「たぬてぃ……。わかった!」
たぬてぃに気合いを入れられたケレスは真直ぐイェンを見つめ
」イェンさん、任せてください。あなたの代わりに、姉ちゃんは俺が守ります!
だから、必ず、うさ爺を守って、それから姉ちゃんの所へ帰ってきてください!」
と、ケレスの思いを伝えると、
「頼んだ」
と、言い残し、イェンは浦島と共に海へ向かって行った。
イェンが水鏡の国へと向かって暫く経っても、ラニーニャはイェンの姿が見えなくても、
イェンが旅立った海を、ずっと見つめていた。
(姉ちゃん。やっぱり、イェンさんが好きなんだ……)
そのラニーニャの姿はケレスの心に何かをチクリと刺してケレスの心を騒めかせ、
(あんな事を言っちゃったけど、俺、姉ちゃんを守れるのか?
きっと、姉ちゃんは俺なんか、頼りにしてねぇだろうし……)
と、その騒めきがケレスの全身に広がると、ケレスは自信を無くしてしまい、
唯、ラニーニャを見つめる事しか出来なかった。
それから一時間程経っても、ラニーニャは海の向こうにいるはずのイェンを見続けていた。
それでもケレスは意を決して、話し掛ける事にした。
「姉ちゃん、何処か休める所に行こう。ここは、海風で冷えるよ」
ケレスがそう話し掛けると、ラニーニャは海を見つめながら小さく頷き、
名残惜しそうに海を見つめ終わったが、ケレス達に誰かが笑いながら近づいて来た。
(何だ?)
ケレスがそう思いながら笑い声が聞こえる方を見ると、
「見ぃつけぇたぁ。喜ぃ蝶ぅ♡」
と、着物姿の男女二人組の内の女性が嬉しそうに言った。
その女性は年齢、三十代前半、痩せ型、ショートヘアーの黒髪に髪飾りがいくつか付けられ、
面長の顔に黒い瞳は少し釣り目。
化粧は濃く、色白のベージュ色の肌、身長はラニーニャより少し低めで赤色の着物を着ていた。
(えっ⁉ 喜蝶だって? じゃあ、こいつ等は昴の奴等‼)
すぐにそうだとわかったケレスが身構えると、ラニーニャは真っ蒼な顔をしてふるえていた。
そのラニーニャを見て、さらに二人組は笑い、
「やぁーだぁ。何、その格好? 似合わないんですケードォ?」
と、言ったその女性の方はラニーニャを指差しながら馬鹿にする様に笑ったが、
「似合わないだって? おばさん! あんたの方が似合わねえよ‼」
と、ケレスがワザとその女性を指差して怒鳴ると、
「はあぁ? どういう意味かしら? このクソガキィ‼ 杏ちゃん。やっちゃって‼」
と、怒鳴り返したその女性の顔から笑顔が消え、口をへの字に曲げたせいで口の横のしわが際立つと、
ケレスを取り囲む様に集まって来た金色の羊毛が絡まってきた。
「な、何だこれ⁉」
その金色の羊毛の中でケレスは藻掻いたがさらに金色の羊毛はケレスに絡まりケレスの自由を奪い、
「クソガキは、そこで獣と大人しくしてな、さ、い♡」
と、言いながらその女性がケレスに、にっこりと笑い掛けると、
「獣だって?」
と、言ったケレスの隣には、たぬてぃが絡まっており、
「た、たぬてぃ⁉ 大丈夫か?」
と、ケレスが叫ぶと、たぬてぃは何とか動いて反応し、
「この変な毛糸をどけろ‼」
と、金色の羊毛の間からケレスが叫ぶと、
「メ、ヘッ、ヘッ!」
と、鳴きながら体毛が金色に光る生き物がケレス達にトコトコと歩いて近づいて来た。
その生き物は瞳が黒色で肌は橙色、体長 五〇センチメートル程の羊だったが、
口角を上げチラリと歯を見せるといった非常に生意気な顔をしていた。
どうやら、この羊から、ふわふわとこの金色の羊毛が舞っており、ケレス達の自由を奪っていた。
「何だ、この金色に光る羊は? しかも、笑ってる⁉」
ケレスがその金色に光り舞う羊毛の中で、目と口を吊り上げ笑っている羊に引いていると、
「私の可愛い、可愛い、光羊 ハマルのアンちゃんよ♡」
と、言って、上機嫌なその女性は屈んで、アンの左頬にキスをし、
(ハマル? アンちゃん? こいつが、アマテラス様の執事霊獣なのか⁉
で、でも……、何かなぁ……)
と、さらに引いてしまったケレスの顔が強場ると、
「アンちゃんの光羊毛の楔、レイジングの拘束力はどうか、し、ら?
あなた程度のガキじゃ、抜け出す事は出来なくってよ?」
と、その女性はそのままの姿勢でそう言って、ケレスを見て軽く上を向き、
「メヘッ、メエ、ヘッ!」
と、自慢気に鳴いたアンがその女性と同じ事をすると、
「さて、そこで大人しく見ていなさい。災いの終わりを、ね……♡」
と、言ったその女性はまたアンにキスをした。
「どういう事だ? まさか……、姉ちゃんに、何をする気だ⁉」
そして、その女性が何をしようとしているのかを察したケレスの顔が青ざめると、
「何って……。勿論、死んでもらうわ♡」
と、言ったその女性は、にっこりと笑いながら唇から、チュっという音を出し、
「冗談言うな‼ やめろ‼」
と、ケレスが藻掻きながら叫ぶと、
「何言ってるの⁉ あの女が死ぬことこそ、世界が望んでるっていうのに?」
と、言ったその女性は目を丸くし、
「メエェェ?」
と、アンも目を丸くして鳴いたので、
「望んでなんかない‼ 何で、おばさん達がそんな事を決めんだ‼」
と、その女性達の態度に怒りが沸いて来たケレスが叫ぶと、
「ほーんと、ムカつく……。なぁんにも知らないクソガキだわ……」
と、言いながらその女性は、わなわなとふるえ出し、
「アンちゃん。そいつを黙らして‼」
と、目を見開いて叫ぶと、
「メエェーーーーーーーー‼」
と、アンも叫び、レイジングの締め付け具合が一段と強まり、ケレスは息が苦しくなった。
「何も知らないクソガキに、一つ教えて、あ、げ、る♡」
すると、苦しそうにしているケレスの傍にその女性は歩いて近づき、
「私達は、神に選ばれた神の使徒よ。私達の行いは、神であるアマテラス様の御意思なの。
わかった、か、し、ら? この、ク、ソ、ガ、キ♡
おーぉ、ほっほぉ!」
と、言って高笑いをすると、
「メエェッ、ヘッ、ヘッ、メエェ!」
と、アンも高笑いをする様に鳴き、
(このおばさん達……。何を言ってるんだ?何とか、停めなきゃ‼)
と、気を取り直したケレスは何とかしようとしていたが、
その女性と同じ様な色の着物を着た男性が、ニヤニヤしながらラニーニャに近づいて行った。
そして、
「おーい。まだ、何も言ってないだろ? 人の話を聞けよ」
と、言いながらその男性は左口唇だけ上げてラニーニャに近づき、ラニーニャは逃げ続けたが、
「逃がす訳、ねえだろ?」
と、言ったその男性からは笑みが消えた。
すると、その男性は黒色の袴のポケットに両手を入れたまま一瞬でラニーニャの傍に行き、
右手でラニーニャを殴り飛ばし、殴られたラニーニャは地面に受け身を取る事もなく倒れ込んだ。
「ね、姉ちゃーーーん‼」
ケレスが息苦しい中、数メートル以上離れているラニーニャに手を伸ばすと、
「あれれれ。もう、おねんねかよ?」
と、その男性は、グッタリとして倒れているラニーニャを見下しながら声を掛け、
「まださぁ……。聞きたい事があるんだ。起きろ」
と、言って、思いっきりラニーニャの腹を蹴っ飛ばした。
しかも、衝撃を全てラニーニャの腹にいく様に蹴ったので、
ラニーニャの腹にその男性の足は暫く、めり込んでいた。
「た、頼……、む……。やめ、てく、れ……」
ケレスがそう願っても、その男性はやめず、ラニーニャが息苦しそうにすると、
「おい? 息が出来ないのか。そりゃ、大変だぁ……」
と、言ったその男性は冷たく笑い、
ラニーニャの背中を、バキッという音がケレスにも聞こえるぐらいの強さで叩いた。
すると、ラニーニャは褐色の血が混じった液を吐き戻し、数回、咳き込んだ。
「おっ! 良かったな。息が出来る様になって! 感謝しろよ?」
そして、その男性がそう言いながら笑ってしゃがみ、倒れているラニーニャの左肩に手を置き、
「なあ……。何でお前、生きてんだ?」
と、息が詰まる様な冷酷な顔へと急変し、そう聞くと、
ラニーニャは怯えきった顔でその男性を見つめ首を横に振ったが、
「何か、言えよ」
と、言ったその男性はラニーニャの首を右手で握り、そして持ち上げながら立ち上がり、
さらにラニーニャを自分より高い位置まで持ち上げ、
「早く言わないと、あまり時間がないぞ?」
と、言って、ケタケタと笑い出した。
(あいつ、姉ちゃんに何も言わせる気なんてないのに‼)
そう思っているケレスは歯を喰いしばり、何とかレイジングから抜け出そうとしていたが、
「かわぁいそーーう! 私達の友達なんだ、か、ら、早く、殺してあげなよ♡」
と、言ったその女性は楽しそうに飛び跳ね、
「メェーー、ヘッメェー!」
と、アンが楽しそうに鳴くと、
「まあ、そう焦るなよ。こいつの苦しそうな顔をアマテラス様に見せなきゃ、さ……。
それからこいつを、こいつの親父と同じ海に沈めてやんよ。
俺は、優しいから、さ。
もしかしたら、会えるかもしれねえだろ? 広い海の何処かでなぁ?」
と、言ったその男性が太陽に見せつける様にラニーニャを掲げると、
ラニーニャは苦しそうに藻掻いた後、両手をダランと下げて脱力し、
「やめろーーーーーーー‼」
と、ケレスが叫んだ瞬間、その男性の右肩を氷の牙が貫いていた。
そして、
「いってぇーーーーー‼」
と、その男性は叫び、血がしたたり落ちる自分の右肩を見ると、ラニーニャはいなくなっており、
「くそがぁぁぁ‼ 誰だぁ! こんな事しやがった奴は! 出て来い‼」
と、狂乱したその男性が怒鳴りながら辺りを見渡すと、
ラニーニャは大分離れた場所にフェイトと、ヨル、それに、ウェイライと一緒におり、
「悪かった……。俺が、もっと早く来てやれてたら、あんたをこんな目には合わせなかった……」
と、歯を喰いしばり、肩をふるわせているフェイトはそう言って傍で泣いているウェイライに、
「ウェイライ。この人を頼む」
と、出来るだけ優しく言うと、ウェイライは何度も頷いた。
すると、
「このチビガキ共がぁ‼ 全員、ぶっ殺してやるからなーーーーー‼ 俺を誰だと思ってんだ‼」
と、怒鳴ったその男性はフェイト達に襲いかかろうとしたが、
「お前が、誰か知らねえけど……。やれるもんならやってみろよ」
と、静かに言ったフェイトがその男性を睨むと、そのフェイトの目は金色に光出し、
「な、何で、お前がその目を持ってるんだああぁぁぁ⁉」
と、怯えきったその男性が言った途端、フェイトはその男性を殴り飛ばした。
最初のその一発で、勝負はついていた。
その後は、フェイトの攻撃だけの一方的だった。
だが、フェイトはその手を緩める事なく、無言でその男性を殴り続けた。
そして、その男性が何も出来ないままフェイトに完膚なきまでにやられると、
「やめてぇ‼ もう、タヅメをこれ以上傷つけないで‼」
と、その女性は必死に訴えたが、
「で? お前達は、あの人がやめろといったら、やめてたのかい?」
と、その女性に目を転がしたフェイトはそう言って不敵に笑い、
「知らないわよ! あんなクソ女の言う事なんか‼」
と、その女性は頭を抱えながら錯乱し、叫んだが、
(本当は、こんな事を思ったら、いけないんだろうけど……。
タヅメの奴、ザマーみろ! 自業自得だ‼)
と、その光景を見たケレスの胸は、すっとした。
それからタヅメと呼ばれた男性が何かを言いかけると、フェイトは田爪の顎をグチャっと踏み潰し
「聞こえねえなぁ」
と、不敵に笑ったまま、冷たく言い捨てた。
さすがにやりすぎているとケレスは思ったが、止めようとは思わなかった。
すると、ウェイライに助けられながら、ラニーニャがフェイトの傍に来て、
フェイトの肩を優しく触った。
その手を辿って悲しそうなラニーニャの顔を見たフェイトは、
「あんた……。そんな顔、すんなよ……」
と、言って、それ以上タヅメを傷付ける事をやめたが、ラニーニャはその場に崩れた。
しかし、ウェイライとフェイトがラニーニャを支え、それを阻止し、
「あんた⁉ しっかりしろ‼」
と、フェイトが叫ぶと、ラニーニャはフェイトに笑い掛け、
「ヘラヘラしてんじゃねえよ。全く‼」
と、呆れたフェイトがそう言って溜息をつくと、ケレスを縛っていたレイジングは緩み、
ケレスは動ける様になり、
「姉ちゃーーん‼」
と、ケレスは叫びながらラニーニャの所へ駆け寄った。
そして、ラニーニャの所に行くと、ラニーニャはケレスを見て笑ってくれたが、その顔色は悪く、
明らかに無理をしていたが、
「姉ちゃん、ごめん。俺、イェンさんと約束したのに、こんな目に合わせちゃって……」
と、眉を顰めたケレスが言うと、
ラニーニャは首を横に振って、ケレスの擦り傷を治癒術で治し始めたので、
「姉ちゃん⁉ 俺より、自分を治しなよ‼」
と、訴え、ケレスはラニーニャの治癒術を拒んだが、ラニーニャは少し困った顔をしたので、
「姉ちゃん。どうしたんだよ? 早く、回復しなよ!」
と、言ったケレスが首を傾げると、
「何も知らねえ奴は黙ってろ‼」
と、普通の瞳に戻ったフェイトが怒鳴ってケレスの右肩を押してきた。
「知ってるよ! 姉ちゃんは治癒術が使えるんだ‼」
それに苛立ったケレスが語気を強め言ってフェイトを睨むと、
「おい、ウェイライ。ヨルにこの人を乗せて病院に行くぞ!」
と、言ったフェイトはさらに強くケレスの肩を押し、
「何すんだよ! そんな所に行くより、自分で治癒術をした方が早いだろ‼」
と、怒鳴ったケレスがフェイトを押しのけると、
「何も知らねえ奴は邪魔スンナ!」
と、怒鳴り返したフェイトはケレスを押し戻し、
「痛いな! いい加減にしろ‼」
と、ケレスは怒鳴って、またフェイトを押し戻したが、
「へなちょこな力だな」
と、一歩も動かなかったフェイトはそう言って、ははっと笑って、
「おい、あんた。この無知で、へなちょこに言ってやりなよ!」
と、ラニーニャを見ながら言うと、ラニーニャは口を閉ざしたままだった。
「おい、あんた……。どうした? 何か言えよ……?」
そのラニーニャの様子が変な事に気づいたフェイトがそう言って呆然となり、
「無知なのはお前の方だ! 姉ちゃんは色々あって、今は喋れないんだ‼ 無理をさせんなよ‼」
と、ケレスが怒鳴りつけると、
「どういう事だ⁉」
と、血の気が引いた様な顔のフェイトから聞かれ、
「それは、その……。姉ちゃんは、ちょっと、怖い目に合ったんだよ」
と、フェイトから目線を反らしたケレスが答えられる事だけを答えると、
「はぁ? 何だそれ? はっきり何があったか言え‼」
と、フェイトから答えたくない事を聞かれ、
「だあぁ! もう、こんな奴、ほっとこう‼姉ちゃん‼」
と、言って、はぐらかしたケレスがラニーニャの左手を引っ張ると、
「姉ちゃん、姉ちゃんって……。お前、うるせぇんだよ‼」
と、怒鳴ったフェイトはケレスの左頬を拳で殴り、
「この人は、お前の姉ちゃんじゃねぇ‼ 俺の姉さんだぁーーーー‼」
と、叫び、倒れ込んでいるケレスを睨みつけた。
その言葉を聞いたケレスは、頬の痛みを忘れた。
そして、ラニーニャの顔をみた。
すると、ラニーニャの顔は隠し事がバレてしまい気まずくなったという事が全面に出ていた。
(こいつ……、今、何て言った? 姉ちゃんが、こいつの姉さん?
そんな馬鹿な⁉ でも、姉ちゃんのあの顔からして、本当なのか?)
ケレスが、頭の中を整理出来ずにいると、
「ケレス‼」
と、叫びながらミューがクリオネと駆け寄って来た。
(マズイ⁉ こんな時にミューが来ると……)
そして、ケレスの嫌な予感は当たってしまった。
いつの間にかケレス達の周りには多くの人が集まっており、
「こいつらよ‼ こいつらが、タヅメをこんな目に合わせたの‼」
と、先程の女性が叫び、
「ブメエヘェーーーー‼」
と、アンも目を吊り上げて叫んだが、
」はっ?証拠でもあんのかよ?」
と、言ったフェイトが、せせら笑った後、
「まさかの神の使徒様が、そんな無様な姿になるとはねぇ?」
と、言って、腹を抱えて大笑いすると、
「ふざけないで……。許さないんだから。私達をこんなに、侮辱しやがって……」
と、唇を噛みしめてそう言った先程の女性は下を向いたが、
「全部、あんたのせいよ、喜蝶‼ そうよ、あんたなんか守られる資格なんてないの‼」
と、顔を上げラニーニャを睨みつけて怒鳴った後
「そぉーだ♡ いい事、思いついたっと!」
と、言うと、意地の悪い顔になり、
「あんたの居場所、ぜぇーーんぶ、奪って、あ、げ、る♡」
と、右手の先を軽く口に当てそう言って高笑いすると、
「ブメエェ、ヘッ、ヘッ、メエ‼」
と、アンも意地悪く鳴いた。
その言葉にラニーニャが怯えると、
「やれるもんなら、やってみろよ、ババア……。
もし、これ以上この人を傷付けたら、俺は、お前達を絶対、許さねぇから‼」
と、フェイトが殺意に満ちた顔で先程の女性を睨みつけて怒鳴ったが、
「どいつも、こいつも……。なぁーーんんにも、わかってないんだからぁ‼
今に見せてやる! 誰が、正しいかって事を‼」
と、先程の女性は声を張り上げてそう言い、
「メぇ、メぇ、メエぇーーー‼」
と、叫び鳴くアンと共にタヅメを治療する為に病院へと向かって行った。
ケレスが呆然とその様子を見ていると、
「あの人、どうしたの? すごく怒ってたみたいだけど……」
と、ミューは聞いた後、
「ちょ、ちょっと、ケレス⁉ どうしたの? 凄い顔になってる‼」
と、驚いた様にそう言ったので、
「えっ? 顔だって?」
と、言って、ケレスが左頬を触ると、頬は熱を持ち、かなり腫れており、
そして、僅かながらもケレスの口の中に血の味がした。
それを感じると、じんじんと頬の痛みが沸いてきたので、
「ああ、そうか。さっき、殴られたんだっけ……」
と、言いながらケレスが左手で頬の熱を冷ます様に摩ると、
「殴られたって、誰に?」
と、聞いたミューはケレスの顔を覗き込んできて、
「いや、その……」
と、ケレスが答えに困っていると、
「俺だ。そのヘナチョコを殴ってやったのは」
と、フェイトが笑いながら話しに入り、
「ヘナチョコは、お姫様にでも守ってもらって暮らすんだな」
と、ケレスを見下し、馬鹿にする様に言って笑った。
「お、おい⁉ やめろ‼」
この先の悪い未来が見えたケレスの血の気は一瞬で引いた。
「ケレスは、ヘナチョコなんかじゃないわ。訂正しなさい」
すると、そう言ったミューは静かな怒りを見せ、
「はぁっ? 嫌だね! そいつは、ヘナチョコで役立たずで口だけの男だぞ?」
と、言ったフェイトがさらにケレスを馬鹿にすると、
「謝りなさい! ケレスは、そんな男じゃないわ‼」
と、両肩を上げたミューはフェイトを怒鳴りつけ、
「ミュー。いいんだ‼ あいつの言う通りだから‼」
と、ケレスはミューを宥め様としたが、それでもミューはフェイトに敵意を向けっぱなしにした。
(どうしよう……。このままじゃ、良くない事が起きそうだ。折角、祟り神を倒したっていうのに……)
それからケレスの嫌な予感は現実のものへとなった。
そう、ミューの怒りが頂点にまで達してしまい、ミューの瞳が深紅の炎色に輝きだしたのだ。
(あれって、まさか、炎の瞳⁉)
ケレスの脳裏にヒロの炎の瞳が映し出されると、
ミューとフェイトの間にラニーニャが立ち塞がった。
そして、ラニーニャは両手を拡げてミューを見つめ、首を横に何度も振ったが、
「お姉ちゃん。どういうつもり? そこをどいて」
と、言ったミューから炎の瞳で睨みつけられても、ラニーニャは強く瞳を閉じて首を横に振り、
「お姉ちゃん……。そいつは、ケレスにあんな事を言ったんだよ? 暴力も振るったんだよ?
それでも、そいつを庇うって言うの?」
と、炎の瞳の輝きが増しているミューから言われても、
ラニーニャはミューを真直ぐ見つめ、その場を動かずにいた。
「そう、わかった……」
すると、そう言ったミューは静かな言葉の後に下を向いて一呼吸し、
「お姉ちゃん、言ったよね? 自分の大切な人を悪く言わないでって……。
それなら、私も同じだよ? 私の大事な人をあんな目に会わす奴は、許せない‼
そして、そいつを庇うお姉ちゃんも、許さないから‼」
と、顔を上げ、瞳を大きく開けてラニーニャを睨みつけ怒鳴った。
だが、そのミューの瞳は、紛れもなく輝く炎の瞳だった。
そして、これから何が起こるのかをここにいる者の中でわかっていたのは、
ケレスとラニーニャだけだった。
(ミュー、まさか……。殿下と同じ事をする気なのか⁉)
そうケレスが思った瞬間、ラニーニャは全力でフェイトを突き飛ばし、
「お、おい、あんた⁉ 何のつもり……」
と、フェイトが言ったその時、フェイトとラニーニャの間に深紅の炎の壁が出現し、
その炎はラニーニャだけを包み込んでいき、
(やっぱり、あれは殿下と同じだ‼)
と、ケレスが思った時には、ラニーニャの姿は炎の球体の中にあり、
その炎の球体はケレスの所まで熱気が伝わる程、強力な熱気を帯びていた。
「ミューーー‼ やぁめぇろぉーーーーー‼」
ケレスは叫んだが、ミューは、一点に炎の球体だけを見つめ、沈黙していた。
それからケレスはミューを掴んで何度もやめる様に訴えたが、
ミューには全くケレスの声は届かず沈黙を保っていた。
そして、
「何だ‼ この炎は⁉ くそっ、邪魔だぁーーーーー‼」
と、叫んだフェイトが炎の球体に体当たりしたが、意味はなくフェイトが火傷を負っただけで、
フェイトはもう一度、炎の球体に挑もうとしたが、フェイトをウェイライが必死に停めており、
「ミュー‼ やめてくれ‼ このままじゃ、姉ちゃんが死んじゃうぞ‼」
と、ミューの正面に立ちケレスが怒鳴ると、
「グワオーーーーーーーン‼」
と、叫びながら金色の炎の翼を出したクリオネが炎の球体に突進して行き、
「クリオネ⁉」
と、ケレスが叫ぶと、炎の球体はクリオネの金色の翼によってかき消された。
そして、炎の球体が消えた所には、瞳を開けっ放しのラニーニャが立ち尽くしていた。
そのラニーニャは何処を見ている訳でもなく、唯、一点を見つめており、
髪と着物は大部分が焼け焦げ、所々見える肌は焼け爛れていた。
そんなラニーニャに誰も近づけずにいたが、
「ワン」
と、鳴いたクリオネだけは、トットッと近づき、
「ワン、ワン」
と、何度も泣いてラニーニャに呼び掛けると、
「お、お姉ちゃん?」
と、炎の瞳が消えたミューが近づこうとしたが、ラニーニャは、ゆっくりと首を横に振った。
そして、奇声を上げた。
それは、声であって、声でなかった。
それを聞いたケレスは、ぞっとし、一瞬動けなくなった。
それからラニーニャは唯、叫び、そして、気でもふれた様に人から逃げ回る様に走り出したが、
「姉ちゃん‼ 危ない!そっちは、海だ‼」
と、動ける様になったケレスが叫ぶと、ラニーニャは、そのまま船着き場から海へ飛び込んだ。
だが、その後すぐ誰かが追いかける様に、ドボンと水しぶきをあげる勢いで飛び込んでいった。
「姉ちゃん……」
ケレスは、呆然とラニーニャが消え、桃色の簪だけが浮かんでいる海辺を見ていた。
それから数分すると、大分離れた海面から、誰かが浮かんでいるのがみえ、辺りが騒がしくなり、
ラニーニャ達の救助が始まった。
そして、海から救助されたのは、ラニーニャとニックだった。
ニックは、ずぶ濡れのままラニーニャを抱え陸に上がり、ラニーニャを仰向けに寝かしつけ、
「ラニーニャちゃん‼」
と、何度も呼び掛けたが、ラニーニャの反応はなく、それどころか動いていない様だった。
(姉ちゃん? 動いてない……。息、してない? まさか、死んだのか⁉)
そう感じたケレスの前身は、一気に冷やされていき、息が出来なくなってしまった。
だが、それはニックの方が先に気付いた様で、すぐに蘇生処置を始めた。
ニックは心臓マッサージをしながら何度もラニーニャの名を呼び、そして、
「死ぬな! 死なないでくれ‼」
と、何度も叫び続けた。
すると、暫くしてラニーニャの体が、ビクっと動き、そして、咳き込んだ。
「ラニーニャちゃん? 良かった……。さあ、水をゆっくり出すんだ」
それに気付いたニックは優しく言って、ラニーニャの体を傾け、海水を吐かせ、元の向きに戻し、
「ラニーニャちゃん! 僕だよ! わかるかい?」
と、呼び掛けたが、ラニーニャは虚ろな目で上を見ているだけで反応がなく、
また息が止まりそうになり、命の灯が消えかかっていた。
「早く、ルートを取るんだ! 貸せ‼」
そして、唇を噛みしめた後、ニックは集まっていた救護隊の人から何かの医療道具を奪い取り、
繋ぎ留めた命の灯を絶やさぬ様にそれ等をもの凄い速さでラニーニャに装着させていった。
(俺のせいだ‼ 俺が、あんな事を頼まなかったら、こんな事にはならなかった‼)
その二人を見ていたケレスが唇を噛みしめ、拳を握り締めながら後悔していると、
「よし、運んでくれ!」
と、ニックの指示で色々な管を装着されたラニーニャは担架に乗せられ、
それから救護車で何処かに搬送される様だったので、
「待ってくれ‼」
と、叫びながらケレスがラニーニャの傍に駆け寄ると、
「君、離れて!」
と、救護隊の人に言われたが、
「いいんだ。彼は彼女の親族だ。乗せてくれ」
と、言ったニックが間に入り、
「早く乗るんだ、ケレス君!」
と、言ってくれたので、
「ありがとうございます‼」
と、言って、ケレスは救護車に乗り込む事が出来た。
ケレスが救護車に乗ると、バタンとドアは閉められ、サイレンを鳴らしながら救護車は出発したが、
その救護車の中ではラニーニャは唯、生かされているだけに見えた。
具体的な器具がわからないケレスでもアラームが鳴りっぱなしの状況で、
ラニーニャの容態が良くない事だけはわかった。
そして、険しい顔のニックは何処かに連絡を取っており、支持を出している様だった。
(姉ちゃん。ごめん……)
ケレスは、心の中でラニーニャに謝り続けた。
すると、ケレスはラニーニャの左手が掛毛布の間から見えているのが気になり、
それを直そうとして、ラニーニャの左手を触った。
だが、
「なんだよ。これ……」
と、思わずケレスは言ってしまった。
何故なら、ラニーニャの左手は氷の様に冷たく、石の様に硬かったからである。
(このまま手を離したら、姉ちゃんが、死んじゃう‼)
その左手の感触でケレスはそう直観した。
そして、ケレスは急いでラニーニャの左手を温める様に握り、
(姉ちゃん。どうか、助かってくれ‼)
と、願い続けた。
それから救護車は十数分で大病院へと到着し救急搬送用の入り口に救護車が止まると、
救護車のドアは開いた。
そして、
「こちらです!」
と、待ち構えていた大病院のスタッフが言うと、
担架に乗せられていたラニーニャはそのまま救護車の外へ運ばれて行った。
その時、ケレスの手からラニーニャの左手が、するりと滑る様に抜けた。
ケレスはラニーニャと離れてはならないと感じ、運ばれて行くラニーニャを追い掛けた。
その大病院の中は消毒液の匂いがして清潔感があり、服装をピシっと決めたスタッフが数人おり、
彼らは見るからに立派な人達に見えた。
その彼らと共にニックは大病院の廊下を担架でラニーニャを走りながら運び、
その後を追い掛ける様にケレスも走った。
(姉ちゃん‼)
走りながらケレスは心の中で、何度も姉を呼んだ。
そして、ある部屋の前に着くと、
「君はここまでだ!」
と、スタッフに言われ、ケレスは一人、部屋の前に取り残され、その部屋のドアを見つめ、
(あんな立派な人達がいるんだ。大丈夫‼ 助かる。絶対、姉ちゃんは、助かる‼)
と、ケレスは心で強く願い、ドアに一番近いソファーに腰かけて姉の無事を祈り続けた。
それから一時間程してケレスに静かに近づいて来る者達がいた。
それは、ミューとヒロだった。
「ミュー……」
そんなミューをケレスは見たが、ミューはケレスと目を合わさず、
それどころかドアから一番離れたソファーの前に立ったまま動かなかった。
そして、ヒロはというと、ミューの傍に無言で立っていた。
(どういうつもりなんだ……)
そんな二人を見たケレスは腹の底から沸々と怒りが沸いてきたが、
静かにドアが開き険しい顔のニックが出て来ると、
「あ、あの、ニックさん!」
と、一瞬その怒りは消えニックに声を掛けたが、
ニックはそれを無視し、ケレスの前をスタスタと早歩きで通り過ぎたので、
(ニックさん⁉ まさか、姉ちゃんが……)
と、ケレスが悪い未来を想像していると、ニックは足を止めてミューを睨みつけた。
それからニックは何も言わずまた早歩きで歩き出したが、
「あの、ニックさん! お姉ちゃんは、どうなったの?」
と、ミューから聞かれると、ニックはミュー達を通り過ぎた後、足をまた止めた。
「君が心配するのかい? 特に、言う事は、何もない」
そして、振り返らずニックは感情なくそう答え、また歩いて行こうとしたが、
「ニック。教えろ」
と、ヒロに言われ、
「僕に出来る事は、やったよ」
と、暫しの沈黙の後、ニックは肩で一つ息をして答え、その場を去った。
そのやりとりをケレスが無言で見ていると、
「よっ、弟君……」
と、いつもより元気ないサキの声がケレスの背後から聞こえ、
「サキさん?」
と、言ったケレスが振り返ると、ケレスの目の前には泣き顔のサキが立っていた。
そして、
」弟君。私、君の言う事、聞いてて良かったよ……」
と、言ったサキの瞳にはまた涙が貯まりだし、
「サキさん⁉ どうしたんですか?」
と、言ったケレスの声の大きくなり息を飲むと、
「私、治癒術師を辞めなくて良かった……。
だって、大親友のあいつを助けれたんだもの」
と、笑って言ったサキの瞳からは涙が溢れ出し、
「じゃあ、姉ちゃんは……」
と、言ったケレスが息を吐くと、
「私、全部、治してやったよ」
と、言って頷いたサキの涙が床に落ちた後、何故かサキは下を向いた。
「酷いよねぇ? あいつって、虫も殺せなさそうな顔、してるじゃん? 女の子だよ?
それなのに、顔、殴ってさ……。背中もヒビ、入ってたし。
それに、お腹。どうしたらあんなに内臓やられるんだろうね……」
それからそう言ったサキは一度、怒りを抑える様に黙り、
「あんなに酷い火傷までして、自慢の髪の毛まで、焼けちゃってさぁ……」
と、ふるえた声で言うと、明らかに動揺したミューはサキを見つめ、
「痛かっただろうね……。誰が、あんな酷い事、出来るのかな?」
と、言うと、サキは顔を上げてミューを涙が零れそうな瞳で睨み、
「ミュー様。御無礼を承知で、申し上げます。
私の大親友は、いつもあなた様達の自慢話ばかりしてました。
そんな彼女の、何がいけなかったのですか?
彼女が、何かあなた様の気に入らない事をしたのならば、私がお咎めを受けます。
何か、言いたい事があれば、私が彼女に言います。
だから……」
と、ふるえた声でサキは言った後、抑えきれなかった怒りが籠った涙を一粒零し、
「だから、二度と私の大親友にあんな酷い事をしないで‼ 近づかないで‼」
と、廊下中に響く程の声で怒鳴った。
すると、その声を聞いたミューは怯えて逃げ出し、
「あとは、頼んだ……」
と、苦悶の表情のヒロはケレスに言い残し、ミューを追い掛けた。。
その二人を見送っているケレスが何も出来ずに呆然としていると、
「ごめんね、弟君。私、やっぱり凡人だったみたい……」
と、言ったサキの涙は溢れ続け、
「何を言ってるんですか⁉ だって、全部、治したんでしょ?」
と、そんなサキにケレスが言い寄ると、
「治したよ。もう、どこも痛い所、ないはずなのに……」
と、言った後、サキは喋れなくなる程泣きだした。
「サキさん……?」
そんなサキをケレスが見つめていると、
「だけどあいつ、目を開けてくれないんだ……。どうして? どこも悪い所ないはずなのに!
痛い処なんて、ないはずなのにぃぃ‼」
と、叫んだサキはその場に崩れ、右拳で床を何度も叩き、
「目を開けないって、どういう事ですか⁉」
と、ケレスがしゃがんでサキにまた言い寄ると、
」意識が戻らないの……」
と、呟く様に言ったサキは床を叩くのをやめ、
「そんなぁ⁉」
と、言ったケレスが脱力し、床に尻をつけてしまうと、
「このまま、ずっとそうかもしれないんだ……」
と、言ったサキは泣き崩れた。
サキの言葉を聴いたケレスは愕然としていたが、
「戻るかもしれないだろ? まだ、あきらめるな!」
と、戻って来たニックから言われ、
「ニックさん⁉」
と、顔を上げてケレスがニックを見ると、
「彼女は休んでいるだけだ。そうだろ?」
と、優しく笑ったニックから聞かれ、
「そうですね……。そうですとも‼」
と、言ったケレスは立ち上がり、背筋を伸ばしてサキを見た。
「サキさん。姉ちゃんは休んでるだけです。だから、しっかりしてください!
それに、姉ちゃんを泣かせるんじゃなかったんですか?
サキさんが泣いててどうするんですか?」
それからケレスが笑いながらそう言うと、
「弟君……。そうよ、そうだった!」
と、言ったサキは立ち上がり、涙を拭ってケレスに治癒術を施し、
「やだやだ! あいつ、目が覚めたらこんなに私を悲しませておいて、絶対、許さないんだから!
泣かせてやらなきゃ、気がすまないね!」
と、言ったサキの言葉を聴いている間にケレスの頬の痛みは消えていき、
「サキさん。ありがとうございます!」
と、治癒が終わったケレスがそう言ってサキに笑い掛けると、
「ううん、弟君。きっと、こうする事こそ、あいつの望みだから……。
あいつは、ちょっと休んでるだけで、代わりに私があいつの大事な弟君を守らなきゃね?」
と、言ったサキから笑い返され、
「俺が、大事だって⁉」
と、言ったケレスが何度か瞬きすると、
「そうだよ! あいつ、私と会う度にいつも君達の自慢ばかりしてたんだ」
と、サキは言って、くすっと笑ったので、
「サ、サキさん?」
と、ケレスの瞬きの回数が増えると、
「ごめん、ごめん。思い出し笑いだよ!」
と、言ったサキは右手で口を覆う程、笑い出し、
「サキさんは、その方がいいですよ!」
と、言ったケレスの口元が緩むと、
「おっ? 弟君の癖に、ナマ、言っちゃってぇ!」
と、言ったサキはケレスの頭を小突き、
」さすが、あいつの自慢の弟君だぁ……」
と、言うと、穏やかな顔になった。
だが、その時だった。
警報ベルが病院中に鳴り響いたのだ。
「な、何の音だ⁉」
ケレスが辺りを見渡しながらそう叫ぶと、
「これは、召集命令か⁉」
と、冷静なニックはそう言ったが少し眉を顰めただけで、
「召集命令って、どうしてですか?」
と、眉を顰めたケレスがニックを見て聞くと、
「実は、まだ魔物が沢山いてね。結構、負傷者が出てるんだ……」
と、溜息交じりにニックは答え、
「そうなんですか⁉」
と、何も知らなかったケレスが大声で言うと、
「サキ君。君はどうする? 心配なら、彼女の傍にいてもいいんだよ?」
と、言って、ニックはサキを気遣ったが、
「私は、行きますよ? だって、私はあいつの憧れだもん! 心配させる訳にはいきませんから!」
と、言ったサキはニックに敬礼したので、
「そうか……。わかった。サキ君、行こう!」
と、言ったニックは頷き、
「ケレス君。お姉さんはこれから集中治療室に入る。後は任せたよ」
と、ケレスにラニーニャを託し、サキとこの場を足早に去って行った。
(二人共、やっぱり凄い人だ……。俺も、がんばらなきゃ!)
尊敬出来る二人の背にケレスが深く頭を下げ続けていると、
「おーい、ケレス。何してるんだ?」
という、ケレスが一番聞きたかった声がケレスの頭の上から聞こえた。
そして、
「あ、兄貴、なのか……?」
と、ケレスが頭を上げながら一番望んでいた人物の名を言葉にすると、
ケレスの目の前に頼りになる、いつものジャップの凛々しい姿があった。
「おうよ! ケレス。俺だ!」
そのジャップからそう言われたケレスは肩に手をポンっと置かれ、
「本当に、兄貴なのか?」
と、ふるえた声でケレスが聞くと、
「おう! そうだ、ケレス‼ 良く、がんばったな!」
と、言ったジャップからケレスは頭をグシャグシャにされた。
そのいつもの仕草とその言葉を聴くと、ケレスの中で張り詰めていた何かが弾け、
その衝撃がケレスの鼻先に到達した。
すると、その衝撃の痛みと温かさでケレスの目から涙が溢れてきた。
その様子を見て、
「泣くなよ、ケレス……。高杉さんが見てるぞ?」
と、言ったジャップはケレスの頭を優しく叩き、ジャップの隣にいる高杉を見たので、
「先生‼ 大丈夫か?」
と、ケレスが叫ぶと、高杉は右手を軽く動かして見せたので、
「先生も、救われたんだな!」
と、言ったケレスの顔から涙と共に笑顔が零れると、
「おうよ。みんな、姉貴に救われたんだ!」
と、ジャップが思いもよらない事を言った。
「あ、兄貴……。今、何て言った?」
その言葉を聞いたケレスの時は、一瞬止まったが、
「俺達は、姉貴に救われたんだっと、言ったんだ」
と、低い声で言い直したジャップの言葉を聴くと、ケレスの時は動き出し、
それからジャップはある話をケレス達にし始めた。
ケレス君……。
どうして、こんな事になっちゃったのかな……。
君が悪い訳じゃないけど、次こそは、次こそは頼んだよ!
次って、ま、まあ!
これは、また凄い事になっちゃう⁉
凄いキャラの登場だよん♪
あっ、でも、次は、【番外編 龍宮 アルトの憂鬱 5】でした!
本編の話のタイトルは、【ケレス、姉と再び別れる】なのさ。
って言うか、また、ラニーニャちゃんと別れちゃうの……?




