後編
後編です。
よろしくお願いいたします。
ミナが目を覚ましてから数週間が経とうとしていた。怪我の治療のためのリハビリは必要だが、脳検査の結果、日常生活を送るには問題はないと分かった。ミナはユリとコウに励まされながら、大学へ復学するためにリハビリを頑張っていた。時にはくじけそうになったりもしたが、ここまで頑張れたのは2人のおかげだと思っている。特にコウは忙しいだろうに毎日ミナのお見舞いにやって来ては、入院生活が寂しくないように大学の講義や教授のことを話して聞かせていた。
そのうちにミナの復学が決まり、ようやく大学へ行けるようになってからもコウは変わらずにミナを支え続けた。上手く歩けないミナを講堂まで付き添ったり、何かとミナの世話を焼き続けた。たまに視線を感じることもあったが、コウがかばってくれることもありあまり気にしないように務めた。
しかし普通に歩けるようになっても、誰かに見られているような視線を感じていたのだが特に何かされるわけでもなかったし嫌な感じはしなかったため、気にせず過ごしていた。しかしある日を境にその視線を感じることはなくなり、逆に気になっていた。
コウに相談しようかとも思ったが、今まで支えてくれているコウに余計な心配をかけてしまうかもと、ためらった。コウとは履修科目が被ることも多かったため、一緒に過ごす時間が増えたのも要因のひとつで、コウの優しさに触れミナはいつからかコウに惹かれていることに気が付いたのが1番の理由なのだ。
ミナは今まで人を好きになったことがなく、自分の感情に戸惑ってどうして良いのか分からなくなっていた。実際には幼馴染のレンが初恋なのだが、レンの記憶がない以上ミナにとってはコウが初恋なのだ。悩んだミナは親友であるユリに相談しようと思い立った。
「ねぇユリ――実はね私、コウのこと好きになったみたいなの」
ユリは戸惑うも、常に一緒に過ごし支え続けたコウのことを好きになるのは当然だろうなと思った。しかしレンのことを知っているユリはとても複雑な気持ちになった。
「そっそうなんだ! コウ優しいもんね」
「うんそうなんだよね。なんか好きって自覚すると、どうも意識してまともに顔見れなくなりそうで、どうしようって感じだよ! でもどうして今まで私恋愛してこなかったんだろう。大学で初恋ってちょっと遅すぎる気がする」
ユリはミナの話を聞きながら入院しているレンのことを思い浮かべた。
「そっそうかなぁ~恋に早い遅いなんてないんじゃないかな?」
「それもそうなのかな! でもね何かよく分からない感覚なんだけど、好きな人いたような気もするんだよね。でも思い出せないってことはそれほど好きじゃなかったのかな」
「どうだろうね、何かわけあって思い出せないだけかもよ?」
ユリは何となく悔しかった。ミナがあんなにも大好きだった人を忘れてしまうなんて考えもしてなかったから。本音を言えばレンのことを思い出して、側にいてあげてほしいからだ。
「好きな人を思い出せないなんて、そんなことってあるのかな? まぁそのうち思い出すのかな」
「だと良いね」
ユリは曖昧に笑った。
「それとさ、大したことじゃないんだけど、最近まで誰かに見られてるような視線を感じてたんだけど、それがぱたりとなくなったんだよね」
「えっ?」
ユリには思い当たる節があった。
「なんかさ、逆に気になっちゃってさ! 変だとは思うんだけど、急に視線感じることがなくなったからかその人に何かあったのかなって! こんなことコウに相談なんてできないしってあれ!? ユリどうしたの」
ユリは切なくなっていつの間にか涙がこぼれていた。
「ごめん……何でもないの……ただねその人ミナが事故に合った時に助けてくれた人で、私と同じ学部の人だったんだけど事情があって会えないから、陰ながら見守ってたんだけどね……その人大学辞めることになったから視線を感じなくなったんだと思うよ」
「そっか。通りで嫌な視線じゃなかったのね~命の恩人なんだ! いつか会えたらお礼言いたいな」
「そうだね――きっと喜ぶと思う」
ユリは先日大学を辞めることになったレンのことを思い出していた。レンとは同じ学部のため講義が被ることも多かったが、ユリとミナは親友だったためいつレンと鉢合わせするかも分からない状態なので出来る限り接触を控えていた。ただユリはミナのことを見つめるレンの存在に気付いていた。ミナを支えるコウのうしろ姿をジッと見つめるレンにかける言葉は見つからなかったが、悔しそうに切なそうに見つめるレンは見ていてとても痛々しかった。
そんな状況が何日も続いているうちに、レンの心はやつれていくようだった。それもあってかレンの体は徐々に弱り本格的な療養に入ることになった。大学を退学し入院を決めたレンは残り少ないであろこの先の人生を思いながら、ミナとのあまり多くはない思い出を振り返りながら、どんな些細なことでも覚えていたいし知りたいと思った。
やがてミナとコウは付き合い始めた。告白をしたのはミナの方だった。コウは元々ミナのことが好きだったのでふたつ返事で了承した。しかしミナはコウとデートを重ねるたびに、時々虚無感に襲われ何か心にもやがかかったような感覚に襲われることがあった。原因を探してみても一向に思い当たらなかった。
しかし気づいたこともある。楽しくコウとデートしていても、楽しくユリとおしゃべりしていても、時々2人の様子がおかしいことだ。直感的に思ってしまった。2人には何か隠しごとがあるのではないかと。しかし何かかが壊れてしまう気がして、ミナは何も聞くことが出来なかった。
レンが入院してからというもの、コウとユリは時々レンの様子を見にお見舞いに来ていた。もちろんレンにはコウとミナが付き合い始めたことは報告済みだった。レンはミナの様子を聞きながら嬉しそうにしていたものの無理して笑っているのが感じ取れた。コウはミナのことをあまり話すべきじゃないと思いつつも、どうしてもと聞きたがるレンのために話さざるおえなかった。
しかしレンはコウとユリが病室を去ったあと、人知れず涙を流していた。もう忘れてしまえればどんなに楽だろうかと考えたりもした。それでも愛しいミナのことを忘れないように今の自分の気持ちを、このノートに書き記そうと思った。1人きりになった病室で、レンは溢れ出る涙を止めることが出来なかった――。
レンの病室を去った後、ユリは病室に忘れ物をしたことに気が付き、1人で取りに戻った。しかしそこで目にしたのは、レンがノートを抱えながらむせび泣く姿だった。いたたまれない気持ちになり静かに病室の扉を閉めると、その場から動けなくなってしまった。
コウは病院の玄関前でユリが戻るのを待っていたが、ユリは中々戻ってこなかった。戻りの遅いユリを心配したコウは再び病院内に足を踏み入れると、レンの病室の前で泣きながら座り込むユリの姿を発見した。コウはそんなユリの姿を見て、胸が締め付けられる思いがした。何とかユリを立ち上がらせると、少し落ち着かせるために近くの公園へ移動することにした。しかしその公園へ向かう途中に偶然にもミナに会ってしまったのだ。
ミナは今日コウをデートに誘うつもりだった。しかしコウに予定があると断られていた。それならユリと遊ぼうと思い声をかけたが、こちらも予定があると断られていた。それなのにコウとユリは内緒で会っていたのだ。コウが泣いているユリを慰めるように見つめるその瞳は、まるで恋人を慈しんでいるように見えた。その事実を知りショックを受るも、あの時感じた違和感は間違いではなく目をそらすことができない事実であると物語っているようだった。だから、その事実を認めたくなくてミナはその場から逃げ出そうとした。
「ど……して……」
ミナはまるで2人に裏切られたような気分だった。そしてまた走りだそうとして車にひかれそうになった。すんでのところでコウに抱きしめられて助けられた。その一瞬ミナの脳裏に『レン君』と言う名前と焦っている表情が浮かんだ。
「えっ? 私……誰か忘れてるの? ねぇコウ! ユリ! 答えっ――いっ」
ミナは突然頭が割れるように痛みだした。そしてそのまま意識を失いミナが通院していた病院へ運び込まれて行った。
翌日になりミナは目を覚ますと、レンのことを思い出していた。記憶を失ってからの今までのことも全て覚えている。レンに振られて事故に合ったこと、そんなミナをずっと支えてくれたコウのこと、そして好きになって付き合い始めたこと、何よりもミナを動揺させたのはユリがレンの別れ話は本心じゃなかったと言った言葉だ――。
そして先日ユリはこうも言っていた。ミナに命の恩人がいて、その人はユリと同じ学部だと……ミナは明らかにレンのことだと思った。ユリの話が本当なら、何故レンはミナと別れようとしたのか、事情があって会えないとか大学辞めたとか意味が分からなかった。ミナはレンへの思いがよみがえってきているような気がした。しかしコウのことも好きだという気持ちも存在している。
ミナはどうすれば良いのか分からなくなっていた。レンとの別れ話が噓だったとしたらレンは今でもミナが好きだということだし、ミナが記憶を失わなければ今も恋人関係が続いていたと思う。そう考えると今コウと付き合っているミナはレンに対して罪悪感がわいてしまうのだ。それにコウとユリの様子がおかしかったことに最悪の考えまで浮かんでしまった。
それはコウとユリが本当は想い合っていたかもしれないことだ。ミナには支えが必要だった。レンを忘れている以上ミナを支えるのは1番近くにいるコウが適任だった。だから、本当はコウとユリが想い合っていたとしても、それを隠してミナが平穏に過ごせるように務めていたのかもしれないと。例えミナがレンのことを思い出す間だけだったとしても、本来一緒にいるべき相手との仲を引き裂いていたのだと考えてしまっていた。
よく考えてみればそんなことはありえないと分かるはずだが、色々な情報が頭の中を駆け巡っているミナには到底思い至らないことだった。
そんな風に思い悩むミナのもとへコウが訪ねてきたが、まともに話せる気がしなかったためコウには会いたくなかった。ミナは悪いとは思ったが、記憶が戻った以上正直に今は話したくないと伝えて帰ってもらった。一瞬だけ見えたコウの寂しそうな顔に罪悪感が増すばかりだった。その際にコウがミナの母であるカナエにミナが目を覚ましたと伝えてくれていたようで、今度はカナエがミナの病室に訪ねてきた。
母の顔を見たミナは安心したのか、涙がとめどなくあふれてきた。記憶が戻ったことそして今までのことを混乱しながらも話した。レンに振られたこと、それが本心じゃなかったかもしれないこと、コウとユリが本当は想い合っていて2人の仲を自分が引き裂いてしまったかもしれないこと、だからどうしたら良いのか分からなくなったと告げたのだ。
カナエはコウとユリの関係までは分からないが、レンの病気のことは聞かされていた。全ての事情を把握しているわけではないので、とにかく落ち着かせることにした。
「ミナ、色々と思い出して辛いかもしれないけれど、今は何も考えずにとりあえず眠った方が良いわ。ただこれだけは言えるのだけど、レン君は決してミナのことを嫌いになった訳じゃないのよ。詳しいことは私の口からは言えないんだけど、レン君にちゃんと会って話を聞いてあげてね。だからそのうえでどうすべきか、ミナ自身もどうしたいか考えたら良いのよ! そのあとでお母さんも話を聞くから」
ミナはその言葉で、今は考えても仕方ないのかもと思い、とりあえず眠ることにした。
「そうだね……そうする。何かごめんねお母さん」
「良いのよ……でもそうねこういう時は、ごめんじゃなくてありがとうと言いなさいね」
「うん! ありがとうお母さん」
カナエはミナが眠ったことを確かめると病室を後にした。そして1番に知らせるべき人物を思い浮かべた。レンのことである。カナエはレンの母であるミサコに連絡を取って、ミナの記憶が戻ったことを伝えた。そしてミナとレンがちゃんと話し合えることを願うのだった――。
カナエから連絡をもらったミサコは、その足でレンが入院する病院へ向かった。病室へ入ると随分とやつれてきたなと感じる息子――レンがボーっと天井を見ていた。
「レン……ミナちゃん、記憶が戻ったそうよ」
「本当に!? 良かった……ミナちゃんに会いたいなぁ」
そう言いながら嬉しそうに笑う息子をとても不憫に感じた。そして一刻も早くミナに会わせたいと思った。ミナに病気のことは伝えないでくれと言われ、息子の願いを聞き入れたのはミサコ自身だった。しかしそのあとにミナが事故に合ってレンの記憶だけを失たと聞いた時、母親としてもっと全力で反対すべきだったと後悔したからだ。
「えぇミナちゃんの気持ちが落ち着いたらレンに会ってくれるわよ」
「でも僕……ひどいこと言っちゃったんだよね……それでも会ってくれるかなぁ」
「大丈夫よ! ミナちゃんのお母さんがレンに会うように言ってくれてるから」
「そっかぁ……早く会いたいな……」
しかしレンは心底ホッとしたのか、ミナに会えると分かった瞬間容態が急変した。その様子にミサコは慌ててナースコールを押した。看護師や医師が急いでレンの病室へ駆けつけてくれたものの、緊急で手術が必要だということで、手術室へ運び込まれて行った。
その頃たまたまコウとユリは、レンの病室を訪ねていた。ミナが記憶を取り戻したことを伝えるためだった。しかしレンは緊急で病室から運び出される最中だったのだ。そのあとを追うように2人は着いて行った。そこで医師に告げられたのは『覚悟した方が良い』と言う言葉だった。その言葉通り本当に覚悟が必要だった。
手術中の赤いランプが消えるまで、3人は祈るように誰1人として言葉を交わすことはなく、そのランプを見つめていた。時計を見る余裕もなくどれくらいの時間が経過したのか分からず、体感的には物凄く長く感じていた時、手術中の赤いランプが消え1人の医師が手術室から出てきて首を左右に振る姿を見た。その瞬間受け入れたくない現実を目の当たりにして目の前が真っ暗になるのを感じた。
レンの母親であるミサコは医師にすがりつき、声を抑えることが出来ずに涙を流していた。コウはそんなミサコの姿を見ながらむせび泣き、ユリは顔を覆いながらすすり泣いた。
レンは2度と目を覚ますことはなかった――。
ミナにレンのことが伝えられたのは、ミナが目を覚ました翌々日だった。そして全ての真実が伝えられたのだ。レンが何故別れを告げたのか知った時ミナは虚しさに襲われた。何故教えてくれなかったのか出来れば最後まで一緒に過ごしたかったし、良い思い出を沢山作りたかった。レンともう2度と会えないことが到底受け入れられるものではなかった。それにレンの些細な変化に気づけなかったことにミナは悔しい気持ちになった。
「レン君のバカ……」
ミナはそうつぶやくと涙が枯れるまで泣き続けた。
真実を伝えるのも優しさであり、また伝えないのも優しさである。だからどちらが正しいかなんて一概には言えないものである。
その後コウとユリの関係がただの友達であり、特別な関係ではないと誤解は解けた。レンのことを秘密にしていたせいで騙すような形になってしまったと2人に謝られたが、ミナはどうしてもレンのことを忘れてコウのことを好きになった事実に負い目を感じてしまい、このままコウのことを好きでいて良いのか付き合いを続けて良いのか思い悩み、なるべくコウに会うのを避けていた。
こんな気持ちのままでいるとコウに迷惑がかかると思い、いっそのこと別れるべきだと考えていた。そんな時ミナはレンの母親であるミサコに町で偶然再会した。そこでミナに渡しておきたいものがあると家に誘われたのだ。少し悩んだ末にミナは家に行くことにした。しかしレンの家に着くと凄く複雑な気持ちになった。なんだか昔かいだような懐かしい香りがしたからだ。香りで記憶がよみがえることはよくあることで、ミナは未だに立ち直れていないことを自覚した。そこでお茶をごちそうになりながら、ミサコは昔話を始めた。
いつだったかレンが嬉しそうに貯金箱へお金を入れているところを見かけた。今まではおこずかいをもらったらすぐに使ってしまう子だったので、急にどうしたのかと思い聞いてみたら『ぼくはおおきくなったらミナちゃんとけっこんするんだ。そのときこまららないようにいまからすこしでもためておくんだ』と言って、この子は何を言い出すのかと驚いた。まだ5歳の子供がそんなこと言うなんて思いもよらず、とりあえず『えらいね』とほめたが、理由が気になって聞くと『となりのおばちゃんおきゅうりょうやすくてパートかけもちしてるのに、おかねがいくらあってもたりないからたくさんあったほうがよくて、もうちょっとちょきんしとけばよかったといってたんでしょ』などと言い出したのだ。
そこの家は3人も子供がいて何かとお金が必要だったから言った言葉だったのだが、そんなこと子供には分からないし、素直にお金がないと苦労するとでも思って言った言葉だったのだろうと考えた。いつどこで子供が大人の会話を聞いているか分からないものだと、下手なこと言えないと思った。
それから引っ越しが決まって、この町を離れ遠くに行くことになったが、いつかまたミナと会えると思っていたレンは貯金を続けていた。しかし新しい生活に慣れてくると貯金箱なんてどうでもよくなってしまい、部屋の隅の方へ追いやられてしまった。思春期もあって男の子と遊ぶ方が楽しかったりしたせいもあったのだろう。忘れ去られてる貯金箱がかわいそうになり、ミサコは別の場所へ貯金箱を移動させ保管することにした。
そんなある日1人暮らしで家を出ていたレンから電話があって『まだ貯金箱は残っているか』『必要になったから』と言ったのだ。理由を聞けばミナと再会したと言うものだから、貯金箱なんてこのまま思い出さないでいてくれたら良いのにと思っていたので、何故このタイミングでと複雑な気持ちになった。それはレンがすでに病を患っていたからだ。なかなか本当のことが言えずに病気のことを告げるのを先延ばしにしてしまっていた。それにレンの幸せそうな顔を見たら、余計に言えなくなってしまったのだ。
だけど、それからしばらくしてレンが道で倒れて救急搬送されたと病院から電話があり、もう隠し通すのは無理だとレンに病気のことを告げたのだ。そしたら自分の体のことだから、何かおかしいと気付いていたようで、笑ってはいたが心は苦しそうだった。ミナとの約束も覚えていて『大きくなったら結婚しようねって約束したんだよ。ミナちゃんは忘れてるかも知れないけど』と言っていた。ミサコはレンが悔しそうにベットを殴る姿が今でも忘れられないでいる。
ミサコ自身も前を向けずにいたが、偶然再会したミナはやつれているように見えた。そんなミナの姿を見たら、レンの分まで幸せになって欲しいと言う感情が生まれ思わず声をかけて家に誘ったのだ。
「私もね、まだレンがいない事実を受け止めきれないでいるわ。でもねミナちゃん……ミナちゃんはまだ若いんだから、レンに囚われている必要はないのよ。あなたが幸せにならないとレンも浮かばれないと思うわ。だからあなたは前を向いて生きなさい」
ミサコの話を聞きながら、ミナは胸が締め付けられる思いがした。
「レン君はちゃんと約束を守ろうとしてくれてたんですね――」
「えぇそうね……きっとあの子は口にこそしなかったけど、ミナちゃんのこと忘れたことなかったんじゃないかしら」
「私もレン君のこと忘れたことなかったので、そうだったら嬉しいです」
ミナはミサコと話すことによって、少しだけ前を向いてみようと思った。そしてミサコからノートを差し出された。
「このノートはね、レンが入院中に書いていた日記のようなものなの。あの子本当にあなたのこと大好きだったのよ。ミナちゃんが事故に合ってから、別れ話したこと凄く後悔していてね、ミナちゃんが目を覚ましたらきちんと病気のことも伝えるつもりでいたのよ――結局叶わなかったけれど……」
「そうだったんですか……」
「これにはあの子の想いがたくさんつづられているから、ミナちゃんあなたが持っているべきものだわ。だから読んでほしいの。それとこの貯金箱もレンがミナちゃんとの未来のためにためたものだから、持っていきなさい」
そう言いながらミサコはミナにノートと貯金箱を渡そうとした。
「でっでも、さすがに貯金箱は受け取れないです」
これはれっきとしたレンのお金である。だからミナは受け取りを拒否しようとした。
「そんなこと言わないで受け取ってちょうだい。これはミナちゃんを幸せに出来ないレンからのご祝儀とでも思ってくれて良いから」
なんとなくこれ以上拒否をするのはミサコに悪い気がしたので、ミナはノートと貯金箱を受け取ることにした。しかしミナは中々レンの書いたノートを読むことが出来ずにいた。コウとの関係もギクシャクしたままだし、いい加減にこのままではいけないと思い始め思い切って読んでみることにした。読んでみると確かにミナへの沢山の想いが書き記されていた。
『僕のこと忘れてほしいと願ったのは僕自身なのに、こんなにも忘れられることが苦しいなんて思わなかったよ』『病気のこと話せなくて、傷つけて離れようとしてごめんね』『ミナちゃんに悲しい顔をさせたくなかったんだ』『本当なら僕がミナちゃんの隣にいるはずだったのに、心底コウがうらやましいよ!』『自分で選んだ道なのに、後悔しない日なんてなかった』『僕にはミナちゃんを幸せにすることが出来ないから、ミナちゃんをコウに託すことにしたんだよ』『本当にずっとずっとミナちゃんが大好きだったよ』
レンが残したノートを読んだ瞬間、ミナは後悔の波にのまれた。
そして思った。こんなにも思ってくれていたのに、レンのことを忘れてコウと付き合っていたことは許されないことなのではと。これは記憶喪失と言う弊害が生んだ結果ではあるが、ミナはこんな状況で幸せになんてなれないと思った。
ミナがレンの残したノートを読んだ数日後、コウは最近ミナに避けられている気はしていたが、レンのこともあるし今はそっとしておくべきだと思い、気にしないようにしながらも遠目で見ていた。しかしどうもその日はミナの様子がこれまで以上におかしいことに気づき、たまらず声をかけた。
「ミナ……レンのことで俺のこと避けてるのは分かってる。でもこのままではお互い前に進めないと思うんだ。――最近ミナが悩んでるみたいだってユリも言ってたし、心配してる。もちろん俺もだ。話してくれなきゃ今ミナがどう思っているのか、どうしたいと思ってるのか分からないんだよ。俺らちゃんと話し合うべきだと思うんだ」
ミナはコウの言葉にハッとさせられた。レンのことで辛いのはコウも同じなのに、ミナは自分の気持ちを話そうともせずにただ避けるばかりで、コウの気持ちを考えることをしなかった。コウはレンの親友だったのに、ミナよりもきっと絆は強いだろうに……挙句の果てに心配までかけていたとはなんて独りよがりなのだ。
「ごめん……」
「あっいや……責めるつもりはないんだ。ただここ最近特に様子がおかしいから、どうしたのかと思って……って俺なんか逐一ミナを監視してるストーカーみたいだな」
ミナは首を横に振りながら思った。コウはやっぱり優しいなと。ミナはレンの母親に偶然再会してレンの残したノートを受け取ったことを話すことにした。
「実はね、最近レン君のお母さんに再会して、レン君が入院中に書いていたノートを渡されたんだ。日記のようなもので、これは私が持ってるべきものだって言われて……」
「そうだったのか……あいつそんなノート書いてたんだな」
コウは知らなかった。レンがそんなノートを残していたことを。きっとそこにはレンが病室で語った本音や日頃感じていたことが書かれているのだろうと思った。ミナはレンの本当の想いに触れてどう感じたのか、コウは少し話を聞くのが怖くなった。元々ミナはレンの彼女だった。だからレンに気持ちが戻っている可能性がある。いくら現段階では恋人同士だとしても、ミナの気持ち次第でこの関係を終わらせなければならないと思った。
「うんそうみたい……それでね、今まで怖くて読めなかったんだけどこのままじゃいけないと思って、最近ノートを読んだんだ。そしたら私に対するレン君の気持ちが沢山詰まってた……あの時は振られたショックで気づかなかったけど、よく考えたらレン君はあんな酷いこと言う人じゃなかったの……記憶喪失になったからとは言え大好きだったレン君のことを忘れてコウのことを好きになって、記憶が戻ってもコウのことが好きな自分にレン君に対する罪悪感がわいてしまって……私幸せになる資格あるのかなって、レン君はずっと私のこと好きでいてくれたのに……ズルいよね」
コウはミナの気持ちを聞きながらまだ好きでいてくれていることが嬉しかった。それと同時に人のこと言えないなと思った。
「そんなことない! 俺もズルい人間なんだ」
ミナはコウの言葉に驚きを見せた。
「えっ」
「俺……実はミナのことひと目惚れだったんだ。レンはそれに気づいていたみたいだけどな。だからレンがもう長くは生きられないと知った時、不謹慎だけどほんの一瞬ミナを独占できるって思っちまったんだよ。レンがうらやましくて仕方なかったから……レンはそんな俺の気持ちに気づいていても、こんな俺を信頼してくれたからこそ、ミナのことを任せてくれたんだと今なら分かる。だからレンの想いに報いる必要があると思うんだ」
ミナは何も答えることが出来なかった。本当にこんなんで幸せになって良いのだろうかと考えていると、不意にあたたかい何かに包まれた。それはコウの腕だった。そしてミナは思った。こんなにも人のぬくもりは心が安心するものなんだなと。ずっと1人で悩んでいたからなおのこと、とてもあたたかかった。
「俺レンに言われたんだよ。ミナを幸せにしてくれって……でも言われたからだけじゃなくて、俺はミナが好きだし俺自身が幸せにしたいと思ってる。それにさレンはミナの幸せを願ってたんだ。だから俺らが幸せにならねーときっとレンに怒られちまうかもしれないだろ」
「うん……そうだね」
それからミナは本来の笑顔を取り戻した。ユリにも心配をかけていたことを素直に謝った。完全に元通りと言うわけにはいかないけれど、それぞれが前を向いて歩いている。ミナはしっかりとコウとの未来を考えるようになった。コウは変わらずにミナを愛している。ユリはそんな2人の熱にあてられたのか、彼氏を作ると意気込んでいる。レンと過ごした時間はそれぞれ違うけれど、3人の心の中にはしっかりと思い出が刻まれている――。
数年後様々な困難を乗り越えながらも、ミナとコウは結婚した。そして新しい命も授かり男の子が生まれた。ミナとコウはその子どもに【レン】と名前を付けた。大好きだった幼馴染であり、親友であるレンを忘れないために。そしてもっと長く生きたかったであろうレンを思いながら、大切に育てようと心に誓った。
今生きている今日は昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたいと願っていた未来なのかもしれない――。
だから、これから先何があろうともしっかりと生きていこうと思うのだ。
お読みいただきありがとうございました。
※今生きている今日は昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたいと願っていた未来なのかもしれない
本文末に入れるか迷ったものです。似たような文はありますが、それをもじっています。この小説を書きながらふとそんな言葉を思い出しました。だから、何となくその文言を入れたくなってしましました。かりゆし~さんの歌詞にも似たようなのがあるようですね。原文は韓国の『カシコギ』と言う名前の小説のようです。
この小説はずいぶん前に思いついていたものを形にしたものですが、書きながら泣けてきて、読み返すうちに続きが書けなくなり、大まかな内容は出来ているのに完成に時間がかかりました。どうも作者は主人公たちに感情移入してしまうたちでして、自作小説で泣くなんておかしいとは思うんですが、気が緩むと感情が引っ張られていました。涙腺が弱いと困りますね……。感性は人によるので泣けなかったよって人もいるかもしれません。
本作品はいかがでしたでしょうか。ありがちな内容だなと思ったかもしれません。それでも、良かったよ!と思っていただけたら嬉しいです。
ついでに作者は大学生未経験のため大学の内容は想像と付け焼き刃で書いています。その他一部分も同様の箇所がありますので、変だなと思った方がいましたら申し訳ありません。
こちらの『君が届けてくれたのは未来へつながる道しるべ』と言う小説もよろしくお願いいたします。