前編
よろしくお願いいたします。
文章がおかしかったりしつこかったりするかもしれませんが、温かい目で見ていただけると嬉しいです。
「ねぇミナちゃん! ぼくたち大きくなったらけっこんしようね!」
「うん!」
「やくそくだよ~」
「うん! やくそく~」
懐かしい夢を見た。幼馴染のレンと結婚の約束をする夢だ。この時、約束は叶うんだと信じていた。
「レンはもう忘れちゃってるかな……」
レンは小学生のころ親の都合で遠くに引っ越して行った。その日のことを思い出しながらミナはそう呟いた。まさか会えなくなるとは思っていなかったので悲しかったのを覚えている。叶うかも分らない約束を心に刻み、いつか再会できたらと淡い期待を持っていたんだ。この後レンとの再会と新しい出会いそして永遠の別れを経験することになるとは知るよしもなかった――。
今日この日は記念すべき大学生活1日目である。とは言え講義が本格的に始まるのはまだ先なため、先輩たちはサークル活動の勧誘にいそしんでおり、辺り一帯は活気づいていた。そこへミナを呼ぶ声が聞こえた。高校時代からの親友であるユリだった。
「ミナ~」
「ユリ! ようやく会えたね」
「本当だね! 大学って高校と違ってやたら広いよね! うわーん……これじゃあミナとなかなか会えそうにないよぉ」
泣きまねをするユリに少々呆れながらも彼女の明るさにミナは心がホッとした。これから送ることになる生活に多少不安を感じていたからだ。
「そうかもね……私たち同じ大学と言っても学部違うから履修科目もかぶらなそう」
ミナとユリは文系と理系で目指すものが違ったため、同じ講義を受講する確率は極めて低かった。
「そうなんだよねぇ! しかも必修科目もあるし聞くところによると履修登録間違えると、とんでもないことになるらしいじゃん! だから、真剣に選ばないとだよね――でも大学にはサークルと言う魅惑的な活動があるんだよ」
目をキラキラさせながら言うユリは子どもっぽく見える。ユリが150cmほどの小柄な身長のせいもあるのだろう。ミナは158cm位なのでユリとの身長差が多少なりとも関係していると思う。サークルのことを考えながらミナとユリは昼食をとるため大学内にある食堂へ向かった。食堂に入ると良い匂いが鼻をくすぐり同時にお腹がなった。
「わ~どれも美味しそうだね」
ユリはよだれをたらしそうな勢いで、目をキラキラさせながらメニューを見ていた。ミナはその様子をほほえまし気に見ながら何を食べようかと思案した。各々が好きなものを選び席につくと思い思いに食べながら、サークルについて話し合った。そしてミナとユリはせっかくだから楽しみたいと、アウトドアのサークルに入ることを決めたのだった――。
ミナとユリが最初に出会ったのは高校受験当日のことだった。志望高の試験会場に着くと、校舎の入り口付近に掲示板があった。そこには試験会場となる教室と受験番号が貼り出されていて、ミナは受験票を片手に自分の番号を探している最中だった。そんな時ふと横から『どうしよう』と言う声が聞こえたのだ。
声のする方に目をやると真っ青になって何かを探している女の子がいた。なんとなく放っておくことが出来なかったミナは、その子に『どうしたの?』と声をかけた。そうしたら『受験票を忘れたかもしれない』と言うのだ。ミナは『受付に聞いてみたらどうか』と、言うだけ言ってその場を去った。一緒に受付まで着いて行く選択もあったが、ミナ自身も緊張していてそこまでの余裕はなかったからだ。
それからその女の子とは受験会場の教室で会うことはなかった。感じ悪かったかなと少しそわそわしてしまったが、無事に試験を受けられてたら良いなとミナは思ったのだった。それからほどなくしてミナは無事志望校に合格した。新しい制服に身を包みクラス発表の掲示板を見て、緊張した面持ちで教室へと入ったところ、そこでミナが受験日に声をかけた女の子の岡野ユリと再会したのだ。最初ミナはユリに声をかけられた時覚えてはいなかった。けれど話を聞いているうちにだんだん思い出していた。何の因果か同じクラスになりすぐに仲良くなった。そして今では親友だ。本当にあの時出会って良かったと思っている――。
それからしばらくして本格的に講義が始まった。高校までの授業とは全く異なり、受講のスケジュール管理を自分でしなければならない生活環境に、なかなか慣れずに忙しく過ごす中で、いよいよサークルの新入生歓迎会が行われようとしていた。このサークルの新入生歓迎会は河原でバーベキューが毎年恒例らしい。準備がととのいサークルの長である先輩の挨拶とともに新入生歓迎会は始まった。
「ようこそ我がサークルへ新入生の皆さん今日は思う存分楽しんでくださいね~」
そのかけ声とともに先輩たちは和気あいあいと『今日は無礼講』とばかりにお酒をあおっていた。その姿に圧倒されたミナは思わず不安をこぼした。
「ねぇユリ……ここってイベントサークルとは名ばかりの飲みサークルじゃないいよね」
「えっ? うん多分」
コソコソと話すミナとユリの会話を聞いていた女性の先輩が声をかけてくれた。
「あらここはそう言うところじゃないわよ! みんな最初はびっくりしちゃうんだけど、ちゃんと説明にあったような様々なイベント活動をするから。実はあなたたちが感じたように私も新歓のとき大変なサークルに来ちゃったと思った口よ」
「そうなんですか!」
ミナはその言葉を聞いて安心した。
「えぇだからやめないで今日は楽しんでね」
そう言うと女性の先輩はみんなの輪の中へ入って行った。
辺りを見渡すとみんな笑いながら飲み食いしているようだった。
「ねぇミナ! 私たちも何か食べようよ」
「そうだね!」
そしてミナとユリは何ものっていない紙皿を手にお肉や野菜を焼いてくれている人たちの元へかけ寄るも、少し慌てすぎたのかユリは誰かにぶつかった。
「きゃっごめんなさい」
「いえ。俺がよそ見してたのが悪いので」
ユリがぶつかった人を見ていたミナはその顔に何となく見覚えがある気がした。そんなことを考えていたせいか目が合ってしまう。きっと視線を感じたのだろう。その人は何故か嬉しそうな顔をしている。
「あっもしかして同じ講義受けてないですか? 君のこと見かけたことある気がして」
どうりで見覚えがあるはずだ。この人とミナは同じ学部で履修科目も被ることが多かった。高身長で少し人目をひく容姿をしていたため、印象に残っていたのである。
「そう言えば……私もあなたのこと見かけたことある気がします」
「同じサークルに入るなんてすごい偶然だね! 俺は杉山コウです。よろしく!」
コウから握手を求められて差し出された手にミナは素直に応じた。ミナの返答に気を良くしたのか、コウはとても嬉しそうに自己紹介をした。そこへコウの横に隠れていたのか男の人が顔を出した。コウよりかは多少身長は低いがこちらも整った顔立ちだ。
「なぁにコウ女の子ナンパしてんの?」
「違う違う! 同じ講義受けてる子がいたから」
ミナは後から現れた人に既視感を覚えた。しかしその疑問はすぐに解ける。それもそのはず、この人こそ10数年前に結婚の約束をした幼馴染のレンだったからだ。
「ふう~ん」
「あっこいつはレンだ佐伯レン! 俺と高校時代からの親友だ」
ミナは佐伯レンと言う名前に聞き覚えがあって、何となく幼馴染のレンの面影があるように感じた。
「佐伯レンだよ。よろしく~! あっ確か岡野さんだよね。何度か講義で一緒になったことあるよね。同じサークルに入るなんて偶然だね」
自己紹介をしたレンはユリのことが視界に入るとどうやら知り合いだったようで、声をかけていた。
「えっと知り合いか?」
「はい! そうなんです。私は岡野ユリって言います。たまに近くに座ることがあって……。佐伯君の後頭部を見ながら講義受けたこともありました!」
「後頭部って……なんか嫌だな。それで岡野さんの隣にいる子はお友達?」
ミナは確証がなかったものの期待を込めて自己紹介をした。小学生からの10数年後は容姿が幾分変わるためレン本人であるとは限らない。ミナ自身も分かってもらえるか不安だった。特に女性はある意味化粧と言う仮面を被って別人に化けることがあるからだ。
「はい。樋口ミナです。あの……もしかしてレン君? 私のこと覚えてる? 昔隣近所に住んでた――」
ミナは緊張していた。万が一違ったとしても事情を説明すれば良いと思ったから。『私のこと覚えてる?』なんてナンパの常套句みたいになってしまったけれど、会いたくてたまらなかった幼馴染のレンとの再会を喜びたかったから。レンが思案している間ミナの心臓は暴れだしそうな勢いだった。
「あっもしかして幼馴染のミナちゃん? そっかーすっかり大人になってるから分からなかったよ! また会えるなんて思わなかった。懐かしいなぁ」
そしてミナとレンは昔話に花を咲かせた。
その一方でコウは落胆の色を隠せなかった。コウはたまに講義で一緒になるミナのことをひと目見た時から、かわいい子がいるなと思っていたからだ。何とかしてお近づきになりたいと思いつつどう声をかけて良いのか悩んでいた。そんな時にサークルの新入生歓迎会で偶然出会えたのだ。きっかけができて喜んだのもつかの間、レンから高校時代散々聞かされていた幼馴染の『ミナちゃん』だと知った。諦めざるおえないこの状況に切なさがこみ上げるのだった。
コウとレンは高校時代同じクラスで、出席番号が前後だったこともあり何だかんだ接する機会が多く仲良くなった。そしてレンは昔この近辺に住んでいて高校生になるタイミングで親の転勤が決まり、地元に戻ってくることになった。その時に幼馴染の『ミナちゃん』の話を良く聞いていて、コウはレンのことを良くからかっていた。『きっと今のミナちゃんは優しくておっとりしたかわいい女の子になってると思うんだ』だなんて想像するレンのことを『意外とギャルになってるか、ブクブクに太ってるかもよ』などと言い合いしていたころが思い出される。
コウはもしレンが幼馴染の『ミナちゃん』と再会することがあれば全力で応援しようと思っていた。まさか自分がひと目惚れしてしまった子がレンの言う『ミナちゃん』だなんて思いもよらなかった。レンとミナの姿を横目にコウは深いため息をついた。
「はぁ~」
「あれ? 杉山さんどうかしましたか」
「あっいや何でもないですよ! ただあの2人楽しそうだなって」
「あぁ~そうですよね! 私たちなんてお構いなしに。でもミナは事あるごとにレン君どうしてるかなって言ってましたから、相当嬉しかったんだと思いますよ」
「そうだったんですか……レンもミナちゃん元気かなって良く話してました」
「じゃあ私たち一緒ですね」
それからユリは放っておかれることに耐えかねて『もーう! 再会して嬉しいのは分かるけど、私たちも混ぜろー』と叫んでいた。当然といえば当然だが、4人は同郷と言うこともあり仲良くなるまでには時間はかからなかった。お互いに下の名前で呼び合うようになったし、時間帯が合えば昼食を共にした。これも自然な流れではあるがミナとレンは惹かれ合い付き合うようになった。
そしてレンはミナと学部が違うことに悔しさを滲ませながら、親友であるコウに頼みごとをした。信頼している親友だからこそのことである。
「ミナちゃんはかわいいから、他の男たちが近づけないように守ってよ」
「あぁ分かったよ……」
それからは一線を超えないように、適度な距離を保ちつつ、ミナとレンののろけ話を聞かされることが多くなっていた。親友からの頼まれごとを守るつもりでいたコウは次第に複雑な思いに悩まされるようになる。何故ならミナへの思いが一向に消えてくれず、話をするたびに強くなっているからだ。原因の1つとしてミナからレンの相談をされるようになったことも考えられる。ある時コウはミナから相談を受けたのだった。
「ねぇコウ……少し相談があるんだけど、最近ねレン君が私に冷たいような気がするの」
「はっ? どうしてそんなこと思うんだ」
レンがミナに対してそんな態度を取るなんてありえないと考えつつ、特に変わったところがないように感じるレンの姿を思い浮かべながらコウは真剣に話を聞こうとした。
「前はねメールしてもすぐ返事が来たし、向こうからしょっちゅう連絡くれてたんだけど、このところは私から連絡することはあっても、レン君からは来ないんだよね。返事も間が空くし私何か嫌われるようなことしたのかな」
寂しげに話すミナにコウはレンに対して怒りがこみ上げると同時に、他の男が近づけないようにミナを守れと言った言葉は何のつもりだったのだろうかと考えていた。
「嫌われるような何か……身に覚えはあるのか?」
「うんん……全く思い当たらなくてユリにも同じこと相談したんだけどね、ユリが言うにはレン君はやたらと私の高校時代のこととか、昔話を聞きたがってるしそんなことないはずだよって言われるの……私もうどうしたら良いか分からないよ」
今にも泣きだしそうなミナのことをコウは抱きしめて慰めたくなった。しかしミナは親友の彼女だ。ここで抱きしめてしまえばレンのことを裏切るような気がして、そんなこと到底出来なかった。ミナがレンのことで悩む姿を見たコウは、ミナのことをとてもいじらしく思った。
「そうか……なら俺がレンに話を聞いてくるから、あまり深刻になるなよ」
「うん! ありがとうコウ」
ミナはぎこちなく笑うと家路へと向かった。
数日後コウはレンを呼び出していた。いつもと変わらない様子のレンに少しイライラした。あんなにも悩んでいるミナのことを思い出したからだ。
「なぁレン――ミナのことどういうつもりなんだ! ミナから最近コウが冷たいって相談されたんだよ。あんな寂しそうなミナのこと見てられないんだよ! 前に結婚の約束をしたって言ってたんじゃなかったのかよ」
何も答えないレンにつかみかかろうとした瞬間、レンはとんでもないことを口にした。
「ならさ……僕の代わりにコウがミナちゃんのこと幸せにしてよ」
「はっ? 何言ってんだよ」
「僕さ気づいちゃったんだよね……詳しくは言えないんだけど、僕じゃあ幸せにするのは力不足かなって。ミナちゃんには悪いことしてるなって思うけど、これで僕のことを嫌いになってくれたらお別れもしやすいからね」
「何バカなこと言ってるんだよ」
「まさか! まっとうな理由でしょ。僕はミナちゃんを幸せにすることは出来ないから――これ以上話すことないなら僕は帰るよ」
納得がいかないままコウとレンは別れたけれど、去り際に見たレンの顔は悔しさをかみ殺しているように見えた。レンは何か隠しているのかもしれないと一瞬だが思った。コウはそのことが気になって仕方がなかった――。
あれから数日が過ぎた頃だった。コウは日曜日の午後、祖母が入院している大学病院へお見舞いに来ていた。そこで偶然にもレンの母親であるミサコに会ったのだ。
「おばさんこんにちは!」
「あら! コウ君じゃない。こんな所で会うなんて思わなかったわね」
「そうですね! おばさんも誰かのお見舞いですか? 俺は祖母が入院しているのでそのお見舞いなんです」
そう伝えるとミサコは驚いたような表情を見せた。
「あの子何も話してないのね――」
よく分からないことを言うミサコにとある病室へ案内されると、そこにいたのはレンだった。
「母さん何か忘れ……も……!? 何でコウがここにいるの」
「さっき偶然会ったのよ。あなた何も病気のこと話してないのね……」
ミサコから発せられた病気という言葉にコウは耳を疑った。
「レンお前――どう言うことだよ! 病気って噓だろ!? まさか死ぬなんてことないだろうな」
「あははっバレちゃったか……ずっと隠し通すつもりだったんだけどなぁ! カッコ悪……でもそのまさかだよ」
そこでコウはこの間レンと話した時に言っていた言葉の、本当の意味に思い至りため息交じりに呟いた。
「幸せに出来ないってそう言う意味だったんだな……」
「まぁ悔しいけどそう言うことなんだ。実はこの前、道端で倒れちゃって検査入院したんだけどね、その時に告げられたんだよ……もう長くは生きられないって。余命宣告ってやつ」
コウはレンの言った言葉に理解が追いついておらず、混乱した。
「だからって、別れるって選択肢はないだろう! 他にもっとこう……何かあるはずだろ」
何とか言葉を伝えるもののレンの意思は固いようだった。
「やっぱさぁ……ミナちゃんの悲しむ顔は見たくないから! しかもベッドに寝たきりになって弱っ……てく姿なんて見られたくない。――だから別れてっ、僕のこと忘れた方がミナちゃんにとって良いんだよ! だから病気のことはミナちゃんには黙ってて」
コウはレンの考えは間違っていると思った。別れを切り出す時点で悲しませるし、それなら最後の最後まで良い思い出を作る方がお互いにとって幸せだと思う。しかし1人の男としては好きな子に弱った姿を見せたくないという想いには同感した。悔しさをかみ殺すように話すレンの姿は痛々しくて見ていられなかった。
「分かった――ただ俺もどこまでレンのことを隠し通せるかは分からないから、絶対に言わない保証はできないからな」
「そうだよね。でもこれだけは約束してほしいんだ……来週にねミナちゃんに別れを告げるつもりなんだ……幸い学部が違うからほとんど会うことはないけど……だからさっ別れた時……ミナちゃんのこと、支えてっほしいんだ――それのにさ、コウってミナちゃんのこと好きでしょ」
「はっ?」
「僕が気づいてないと思った? 何年親友やってると思ってるんだよ! それくらい分かるよ。あーぁどうしてミナちゃんのこと幸せにするのは僕じゃないんだろうね」
コウはまさかレンにミナへの恋心を気づかれているとは思はなかった。だからレンの想いに報いるように精一杯ミナのことを支える決意をした。
それから久しぶりにコウとレンは沢山の話をした。いつの間にかミサコは姿を消していたが、おかげで男同士心ゆくまで語り合った。途中レンは悔しさに耐えきれなくなって号泣していた。『初恋は実らないって言うけど本当なんだね』『せっかくミナちゃんと再開したのに、こんな仕打ちあんまりだよ』『結婚の約束までしたんだよ』『本当は別れ話なんてしたくない』『ずっと一緒にいたいよ』『大好きなんだ』
コウは、レンが時々ベッドをたたきながら口にする辛い気持ちを聞きながらも、かける言葉が見つからなかった。コウ自身も親友との永遠の別れが来ることを受け止めきれずにいた。泣きたい気持ちもあったけれどミナやレンのためにも、自分がしっかりしないといけないと気丈な態度をとることに努めるのだった――。
ミナはコウにレンのことを相談してから気が休まる日がなかった。何故ならあれから何の進展もなかったからだ。コウが言うには今レンは家のことでごたごたしていて忙しいらしく、なかなか連絡も取りづらい状況であるとのことだった。家の事情なら仕方ないにしても、それならそうと言ってくれても良いのにと少し不満に思っていた。
しかし今日は会って話がしたいと、レンから呼び出されたミナはようやく会える喜びと、今までの寂しさをぶつけるつもりでいた。待ち合わせ場所である大学の近くにある桜並木に到着すると、桜はすでに散ってしまっていたけれども、葉っぱを宿して連なる木々を見ていると何だか癒される気がした。そして来年はみんなでお花見がしたいなと思うのだった。そんなことを考えているとレンがこちらへゆっくりと歩いてきた。
「レン! もうやっと会えた~家の事情だから仕方ないにしても何かひと言あっても良いじゃない」
少し膨れながら言うミナにレンはかわいいと思いながらも、これから心を鬼にして言わなければならないことに苦しくなった。
「はぁ――ねぇいい加減に気づいてよ。家の事情なんて噓だよ」
「えっ?」
「冷たくしてるのも連絡が減ったのも、全部ミナちゃんと別れたかったからだよ!」
「な……に……」
ミナはレンの言葉に動揺していた。
「はっきりと言わないと分かんないかな。僕もうミナちゃんのこと好きじゃないんだよ。ワガママばっかりだし、本当疲れるんだよね! あとさぁ昔僕と結婚の約束をしてたことユリに聞いて思い出したんだけど、その約束をまだ覚えてるなんてバカだよね――とっくに時効なのにいつまでも僕と結婚出来ると信じてるミナちゃんのことかわいそうだと思ったから、昔のよしみで付き合っただけだし」
《全部噓だ》レンは心の中で思っていた。今でも大好きだしワガママも時にはかわいいと思っているし、何よりも結婚の約束をしたことは1日も忘れたことなどなかった。どんなに再会が嬉しかったか、どんな思いで他の男に取られないようにミナをコウに守らせようとしたのか――。
レンから別れ話をされたミナは、悲しみのあまりレンの頬をひっぱたくと様々な感情が入り乱れ何も言わずに走り出した。しかし不運なことにミナは居眠り運転をしていたトラックにはねられてしまった。ミナは慌てて駆け寄るレンの『ミナちゃん! あぁ僕のせいだ……救急車』の言葉を最後に意識がプツリと途切れた。
レンは救急車にミナが運び込まれる姿を、頭が真っ白になりながらただ呆然と見ていた。ミナをこの手に抱いた時の暖かいような冷たいような感触がまだ残ってる状態だ。
「同乗されますか」
救急隊員の呼びかけに肯定の返事をするとレンはミナを見ながら、とんでもないことをしてしまったと頭を抱えてうなだれていた。途中救急隊員の方に事故当時の状況や、ミナと知り合いなのか、家族の連絡先を知っているかなど聞かれたけれど、思うように答えられなかった。そしてしばらく走ると受け入れ先の病院に到着した。搬送された病院で集中治療室へ運び込まれていくミナを見ながら、とにかく無事を祈るばかりだった。
そこへ病院から連絡を受けたミナの母親カナエが到着した。レンはこんな形でカナエと再会などしたくはなかった。これから事情を説明しなければならないと思うと荷が重かった。取り乱しているカナエに真実を伝えれば責められると思ったからだ。少し落ち着きを取り戻したころカナエはレンに気づいた。
「えっともしかしてレン君?」
「はい……昔近所に住んでた佐伯レンです」
「そうなのね……ミナが最近レン君と大学で再会したって嬉しそうに話してたのよね。それなのに事故に合うなんてね」
「っおばさんごめんなさい……ミナさんが事故に合ったのは僕のせいなんです! 僕が別れ話なんてしたばっかりに――」
「レン君それはどう言うことかしら!」
怒り出しそうなカナエの剣幕に萎縮しそうになりながらも、レンは事の成り行きをカナエに話した。
「そんなことがあったなんて――これじゃああなたのこと責めたくても責められないじゃない! もちろん居眠り運転していたトラックが1番悪いとは思うけど、正直あなたの選択が正しいかどうかなんてどうでも良いわ。ただ早く目を覚ましてほしい……それだけなの。けどどんな事情があったにしても、やっぱり母親としてこのままあの子……ミナが目を覚まさなかったら、原因を作ったあなたのこと許せるかどうか分からないわ。だから目を覚ましたら、ちゃんと話し合うと約束してちょうだい。そうじゃないときっとお互いのためにならないわ。それにねレン君……ミナはねあなたのこと本当に大好きなのよ! なのに何も聞かされずにあなたを失ったと後から知らされたら、傷つくのはあの子よ。だからお願いね」
レンはカナエに言われた通りミナが目を覚ましたら自分が思っている気持ちを正直に話そうと決意した。その後ミナは一命をとりとめ集中治療室から一般病棟へ移ることになったが、一向に目を覚まさないまま1週間が過ぎた。その間もレンは毎日ミナの病院に通っていた。その時はコウもユリも一緒だった。そして無情にもレンが自身の病院に定期健診へ行くためいなかった日にミナは目を覚ました。
「あれ? 私どうしてここにいるの……」
ミナは状況が理解できなかった。目を覚ますとユリとコウが横からのぞき込んでいたからだ。
「うわーん! 良かったぁ。ミナは交通事故に合ってもう1週間くらい目を覚まさなかったんだよ」
ミナはその時のことは思い出せないが、傷があるところを見ると、事故に合ったのは本当なんだろうなと思った。
「ユリ落ち着けよ! ミナがびっくりしてるだろ。とにかく先生呼んでくる」
コウは先生を呼びに行くついでにレンにも連絡を入れておこうと思ったからだ。ちょうどすれ違いざまにカナエがミナの病室へ入って行くのを見かけた。ふと時間を見るとレンはまだ自分の病院で診察を受けている最中かもと思い、メールだけすることにした。
ミナのいる病室に戻ると先生がいくつか質問をしていた。コウはミナのお見舞いの際に度々会っていたカナエに会釈すると、先生とのやり取りをその場で聞いていた。自分の名前は分かるか両親の名前は分かるかなど、脳に強いダメージを受けた場合に記憶障害が起きる可能性があるからだった。コウとユリのことも分かるようだし普通に受け答え出来ていてホッとした。何も問題はなさそうだった。
「大丈夫そうですね。最近の記憶も問題なさそうですし。ただまれにある時期の記憶だけ失っているケースもありますので、少し様子を見てください。何かありましたらおっしゃっていただければと思います」
先生はそう告げると早々にこの場をあとにした。
「ミナ……目が覚めて良かった! 今レンにも連絡入れたからそのうち来るから安心しろよ」
「そうそう、レンも毎日ミナの様子見に来てたんだよ! その……あの日レンが言ったことはちょっと事情があって、本心じゃなかったみたいなの。今はちょっと……用事でいないけど、あの日のことミナに説明したいって言ってたんだよ。レンのことだから目が覚めた瞬間にいなかったこと相当悔しそうにするかもね――」
「だろうな!」
ミナはコウとユリの会話が理解できなかった。
「ねぇ2人とも……何の話してるの? それにレンて誰のこと」
コウとユリはミナの言葉に思考が停止した。
「はっ?」
「えっ?」
「2人とも黙っちゃてどうしたの? なんか変だよ! お母さんまで驚いた顔してるし」
気を持ちなおしたユリは信じられない思いでミナに問いかけた。
「ねぇ本当に分からないの? レンだよ幼馴染のレン君! 大学で再会して――ほら」
ユリはポケットから携帯電話を出すと、新入生歓迎会の時に撮影した写真を見せながらレンのことを指さした。しかしミナは首をかしげるばかりだった。
「うーん知らない人だよ。そもそも私に幼馴染なんていたかなぁ……ねぇお母さん!」
カナエは突然話を振られて返答に困ってしまった。
「どうだったかしら。最近ちょっと忘れっぽくて思い出せないわ……。あっそうだわこの後先生からお話があると言われてたのよ! だからそろそろ行くわね」
少々苦しい言い訳になってしまったような気もするが、カナエは話をそらすように告げた。
「あっじゃあ俺らも行くか。ミナは目が覚めたばかりだから、あまり長居しない方が良いかもしれないし」
「うっうんそうだね!」
そしてカナエ、コウとユリは示し合わせたかのようにミナの病室を後にした。
「そっかぁ分かった。じゃあまたね」
病室に1人きりになったミナはそのうしろ姿を寂しそうな目をしながら見つめていた――。
ミナの病室を後にしたカナエ、コウとユリはミナに起こったまさかの出来事に沈黙が続いていた。少し病室から離れたあたりで沈黙を破ったのはユリだった。
「ミナは本当にレンのこと忘れちゃってるのかな」
「どうかしらね……実はレン君から事故に合った経緯を聞いたんだけど、そのことを考えるとミナ自身がレン君はいなかったことにしようと、あえて知らないふりをしているのかしらとちょっとでも思ってしまったのよね……」
どちらとも取れる反応にカナエはどう対応するのが正解なのか、分からないでいた。
「どっちにしろミナにレンを合わせない方が良いだろうな」
コウは携帯電話の使用可能エリアへ移動すると再びレンに連絡を入れた。適当な言い訳を考えて『ミナはこれから検査することになったから、それも時間がかかるらしく面会可能時間を過ぎそうなので、見舞いに来ても会えない――』と。
それから看護師さんに先生を呼んでもらいミナが思い出せない人物が1人いることを伝えに行った。どう対処すべきか聞いておきたかったからだ。先生の話によると記憶障害の一種で系統的健忘と言ってある特定の人物だけの記憶を失う症例があると言う。いわゆる記憶喪失なのだがその場合は何かその人物に関して、精神や肉体的なショックを受けたことから起こるそうだ。ミナはおそらくそれに該当すると言う。
そしてもうひとつ言われたことが、レンをミナに合わせない方が良いということだ。記憶の混乱も起こりえるし仮に記憶喪失が噓だった場合、そうまでして会いたくない理由があると思うからミナの心が落ち着くまで接触自体避けた方が良いと言う。話を聞き終えて3人は無言のまま病院を後にした。
「レン君にねミナが目を覚ましたらちゃんと話をしてほしいってお願いしていたのよ……2人は聞いてる? その……レン君の病気のこと」
カナエは悲しそうな声で話し始めた。
「はい聞いてます。俺は偶然知ってしまって……1人じゃ抱えきれないのでユリにも話をしました」
「私……コウから話を聞いた時、悪い冗談だと思ったんですよ。大学でも普通だし、ミナの話をするレンはとても嬉しそうで、あぁミナは本当に愛されてるんだなって思ってたのに――高校のときに散々レンの話を聞かされて、やっと再会できたって約束がようやく叶うかもって一緒になって喜んでたんですよぉ……なのにどうして……」
ユリは話をしながらも涙が溢れて止まらなくなっていた。
「そうなのね……私はどちらにしてもあの子の意思を尊重するわ」
そんな会話をしていると、こちらに走ってくるレンの姿が見えた。それに気づいたのはコウだった。
「えっ? レン」
「はぁ……はぁ……みんなはもう帰るの?」
「おまっ――メール見てないのか? ミナが目を覚ましたあと検査することになったから会えないって」
「本当に!? 僕ミナちゃんが目を覚ましたってメール見て、とにかく急いで向かわなきゃって……はぁ……見てないや」
コウは逡巡したものの医師から言われた内容を今ここで伝えるべきなんだろうなと思った。
「おばさんもこんにちは! 僕ちゃんと約束守りますから、本当にごめんなさい」
「えぇ……」
レンはカナエの様子がおかしいことに気づき、ふと隣にいるユリに目を向けると目元には泣いたような跡があった。
「ねっねぇミナちゃんが目を覚ましたのは、もしかして嘘だったの?」
「いや……噓ではないが、そのことで話がある――」
コウはレンと2人きりで話がしたいとカナエとユリとはここで別れて、近くの公園にあるベンチに腰を下ろした。
コウは今から伝えなければならいことに対して肩の荷が重かった。
レンは最悪の可能性を考えていた。
「コウ――話って何」
「――ミナが目を覚ましたことは事実だ……しかし記憶を失っている」
「えっ」
「それも……お前の記憶だけが……ない」
その事実を聞いた時レンは信じられない思いでいた。
「僕だけ……」
「あぁ……ユリが新入生歓迎会の時に撮影した写真を見せてもレンだけが分からなかったんだ。事故に合う前に何かショックなことが起きていた場合、自身の心を守るために記憶を失うという症状が出ることがあるらしい。医者が言うにはミナと会うと記憶が混乱する可能性があるからレンには合わせない方が良いと言われたんだ。落ち着くまでは接触は控えるようにと……」
レンは思った。罰が当たったんだと。自分はいつ死んでもおかしくない、だからミナを悲しませないために距離を置いて忘れてくれたら良いと願っていた。だけど、カナエの言葉でミナの気持ちを考えてやることが出来ていなかったのだと気づいて、ちゃんと向き合おうと思っていたのに、こんなにも忘れられることが苦しいなんて思わなかった。
「はぁ自業自得だよね。単なるエゴでミナちゃんを傷つけておいて、実際に忘れられるとキツイな。どうして僕のこと忘れてほしいなんて願っちゃったんだろ……」
レンは天を仰ぎ見ながら涙を必死にこらえていたが、こらえきれずにひと筋の涙がこぼれ落ちた。コウはその様子を黙って見ていることしか出来なかった――。