追いかけられる帰り道
※この物語はフィクションです。実際の人物、団体、事件などとは一切関係ありません。
夕方過ぎのこだま公園で、死んだはずのおばあちゃんが追いかけてきた。放課後の教室でクラスメイトの男子が話した内容に、葛宮は眉をひそめる。
「あのさぁ荻。今日いきなり『ちょっと話を聞いてほしい』なんて言うからわざわざ教室に残ったのに、何だその話。 嫌がらせ?」
「いや違うって! 本当におばあちゃんだからあれは。顔も格好も、怒りながら近づいてくるのも全部生きてたときと一緒。見間違いってレベルじゃないよ」
「お年寄りなんて、シワだらけになりゃだいたいおんなじ顔つきになるだろ。それに夕方過ぎで暗いし、どっかのお婆さんと見間違えたんだろ」
「声も一緒だったし、街灯で顔照らされてたから絶対にそう! だから、あーほら、お祓いやってる師匠がいる葛宮にお願いしたくて」
「あれはどっちかっていうと師匠じゃなくて異常者な。勝手に人をあちこちに連れ回して大怪我までさせるクズだぞ」
「でもあの人、前に校門で葛宮と話してた時『俺は葛宮の師匠だから~』なんて言ってたじゃん」
「変人の言うことを真に受けるな」
怪異に興奮する男の顔が思い浮かぶが、葛宮は即座に脳内からそいつを追い出した。思い浮かべるだけでも不愉快なのに、クラスメイトにまで知られているというのが苛立ちを更に助長させる。
「知り合いにお祓いできる人もいないし、マジで葛宮しか頼れる人がいないからさ。公園見に行くだけでもいいから、頼むっ!」
「嫌だ」
短く断り、席を立つ。そもそもの話、こだま公園に不審者が出るという噂を確かめるため、荻が面白半分で行ったというのを葛宮は知っている。以前、教室で仲の良いグループと集まり「俺が確かめてくるぜ!」と調子良く言っていたのを聞いたからだ。
「怖い男に追いかけられるって噂なんだろ? それで確かめようとして、死んだ祖母に追いかけられましたから助けてくださいはおかしくないか? 俺と荻は親友でもないし」
「葛宮は親友なんていないじゃん」
「今ので助ける気は完全になくした。じゃあな」
「待って頼む。謝るよごめん。お願いなんだよほんとに、ちゃんと何かお礼はするから。それにほら、師匠は怪異好きって言ってたじゃん」
情けない顔で引き止めてくる荻に、葛宮はため息をつく。
「あのな、ついこの前もこっちは嫌な目に遭ったばっかりで怖い話は聞きたくないんだよ。何か起きても俺はどうにもできないし、怖いんならさっさと神社かどっかでお祓いでもしてもらってこいよ」
「だから師匠に頼めばいいじゃんって言ってるじゃん!」
お婆さんよりも先に、俺がこいつを襲って殺すか? そんな考えが葛宮の脳内を一瞬よぎる。が、さすがにこんなしょうもないことで捕まりたくなので実行に移すことはない。
「お前ホント死ねよもう」
だが、文句は言う。そしてスマホのアプリを開き、葛宮は相模と上部に表示されたトーク画面に文字を打ち込んだ。非常に癪だが、葛宮は師匠に連絡するしかない。自分ではお祓いだの怪異の適切な対処法を知らないので、嫌でも頼るしかない。
3ヶ月前に送った恨み節は、既読すらついていなかった。相模は怪異にしか興味がない変人なので、それ以外の連絡は彼にとって見る価値がない。
「怪異と出会う前の胸騒ぎが起こる感じと、出会ったときの緊張感がどうしようもないくらい好きなんだ。あと、生きて戻ってこれたときの安心感。現実に戻ってこれたって気がするんだよな。遠足とか修学旅行から家に帰ってきたら、なんかホッとするだろ? あれに近いかな」
それが相模の主張だ。変人を相手にするのがどれだけ億劫か、嫌というほど葛宮は理解している。
「怪異のことで相談がある」とメッセージを送れば、5分も経たずに着信が来た。
「どこの怪異?」
「こだま公園。夕方過ぎに大男に追いかけられるとかいう話があるけど、クラスメイトはおばあちゃんに襲われたってさ」
「へー、面白そうだな。ぜひ行ってみたいけど、ちょっと今は手が離せなくて。前渡したお守りがあるでしょ? 紐編んだ輪っかのやつ。それ持ってちょっと行ってきてよ」
「襲われるかもしれないの、分かってて言ってます? どうにかする手段なんてこっちにはないのに」
「襲われたってのが噂になってるんだろー? なら、少なくとも生きて帰ってきた人はいるって話。 家までついてくるんなら厄介かもしれないけど、帰宅後の話についてどこにもないなら特に問題ないでしょ。じゃ、なんかあったらまた連絡してねー」
そう言って電話は切られてしまう。いい加減な返答だが、一応怪異好きの言うことだ。少しぐらい信じても良いかもしれない。
隣で話を聞いていた荻は、合わせた両手を上にして頭を下げている。懇願のポーズだ。クラスメイトと、自称師匠からのお願い。嫌で仕方がないが、行かない方が面倒なことになりそうだった。
「で、来たけどなぁ」
ブランコに滑り台。そして原っぱだけの寂しい風景を見渡し、葛宮は東屋の下で時間がすぎるのを待つ。
時間帯のせいもあるだろうが、葛宮以外に人はいない。出てくるのもせいぜい、バッタや名前も知らない虫ばかりだ。雰囲気はあるが、ただそれだけのこと。設置された時計を見上げれば、6時半過ぎを指していた。
「帰るか」
椅子から腰を上げ、振り返って帰路につく。そこで葛宮の動きは止まった。数mほど離れた先、木々の密集している中。暗いが、街灯で少しだけ光が入るその場所に、葛宮が一番見たくないものがいた。
女だ。縦に細い縞模様の着物は少しも揺れず、手を前で重ねて顔は斜め下を見ている。整った顔立ちをしているが、眉一つ動かさないので見る人によっては作り物かと思うかもしれない。
「何で?」
自分の口から間抜けな声が出たことも気にせず、葛宮はそのまま女を見つめる。
佇む女を見るのは初めてではない。3ヶ月ほど前、相模に連れて行かれたある県の山奥にて見たことがある。今と同じように微動だにせず、小川を見つめていた彼女を双眼鏡で覗いた相模は「すぐに帰ろう」と葛宮の腕を掴み麓へと引き返した。
「あれは放置一択だわ。流石にヤバい。俺や他のやつでどうにかできるもんじゃないわ。近づかなければ大丈夫だろうけど。あぁでもなぁ、近づいてみるのもアリかなー?」
なぜ、いつものように話しかけたり触ったりしないのかを葛宮は聞こうとしなかった。女を見た瞬間から強い不安と焦燥感に襲われたからだ。生きてきた中でこれ以上はないというくらい、脳が警鐘を鳴らしていたのを覚えている。その女が今、目の前に立っている。
逃げなきゃいけない。あの時のように。近づかなれば大丈夫と言われていたが、それはどこまでなのか? これから先逃げられるのか? 心臓が跳ね続けるのを感じながら、ゆっくりと後ろに下がり東屋を離れる。
「落ち着け、落ち着け」
自分に言い聞かせながら、自然な動きに見えるよう回れ右をする。女性がいる方向から帰るつもりだったが、もうこれ以上近づくのは御免だった。
振り返らないように、足音が響きすぎないように下り坂の道を進んでいく。だが、後ろから草を踏む音が聞こえてきた。
「くそ、ふざけんな!」
恐怖を紛らわすために大声を出して走る。後ろの足音の感覚が短く、思っている以上に近づいてくるのが速いと気づくやいなや、葛宮は走る速度を上げた。心臓が痛い。気を抜いたらすぐに転けてしまいそうになる。着物で走りづらいはずなのに、足音は一定の距離を保って聞こえてきた。もう日は落ちて人通りがないせいで、より葛宮の孤独感と恐怖心が膨れ上がる。震える指で相模の名前を探して、着信のボタンを押した。
「頼む、出てくれ」
数回ほどコールが響く。
「終わったー? あぁ終わってないねその感じだと」
出ないのではないかという不安はあったが、彼の声が聞こえたことでほんの少しだけ恐怖は和らいだ。足音はまだ聞こえてくる。
「前に山奥で見た女が出てきてる! 今どこにいるんだ? 追っかけられてて引き離せない!」
「あれは山から出るような怪異じゃないよ。偽物かな? で、どれくらい近づいたの?」
「数m。あの時の姿のまんま。気が変わって山を降りてきた可能性だってゼロじゃないだろ!」
足音は止まない。今は少しでも多く喋っていたい。
「葛宮、お前が思うほど怪異は自由じゃないんだよ。それに数mも近づいて無事なら、もう違う怪異なのはほぼ確定だ。俺の予想が正しければ、そいつはもうじき消えるよ」
嘘をつくなと叫ぶ。その叫び声でかき消せないほど、足音がさっきよりも大きくなっている。
「嘘だと思ってるだろ? あと数秒すればいなくなるぞ。5、4、3……」
カウントと同時に、目の前の曲がり角から相模が現れた。突然のことに葛宮はその場で跳ね、走る足を止める。同時に、後ろの足音も聞こえなくなった。
「意味が分からん」
助かったという安堵よりも、さっきまで起きていたことが理解できずにいる。その様子を見て相模は珍しく驚いた顔を浮かべながら、通話終了のボタンを押した。
「あー、走ったせいでしんどそうだね。お守りは大丈夫? 一応替えは持ってきてるけど」
そう言われて、葛宮はポケットに手を入れる。お守りを取り出してみれば、力任せに引っ張ったかのように千切れていた。
「やっぱ千切れてたか。んじゃはい、これ替えのやつね。いや思っていたより強いやつっぽかったね」
「死ねよもう」
数時間前、クラスメイトに言ったことと同じような暴言を吐く。相模は気にせず、笑いながら駄目になったお守りを受け取り自分の懐にしまった。いつもよりも楽しそうな顔が本当に腹立たしい。だが、それでも今だけはほんの少しだけ感謝していた。
女に追いかけられた数日後。「出かけてくる」と家族に連絡した葛宮は相模とともにファミレスへと来ていた。
「あれは対峙する人によって姿を変えて現れる怪異だね。他のところにも割りといるやつ。俺もこだま公園のやつ見てきたけど、他とそんな変わりなかったなー」
「やっぱ頭おかしいよアンタ。そもそも、なんであんなのがいるんだ」
「あの手の怪異って、人々の想いが集まってできることが大半だから。こだまのもそれでしょ。遅い時間になっても帰らない子供を心配する気持ちや苛立ちとかが原因で、家に逃げ帰るよう仕向ける怪異が出来上がったとかそういうやつね」
「夕方過ぎの公園に出てくるっていうのは、それが原因?」
「もちろん。だからあれはどうにかする必要なーし。早めに帰宅すれば済む話。じゃあ放置で」
一件落着という顔で、相模はまだ温かいポテトをつまんで口に運ぶ。ニヤニヤと笑いながら食べている姿は、見ていてムカついてくる。
「あんたが現れた時、何で消えたんだ?」
「俺が大人で、葛宮の知り合いだから。送ってくれるであろう人物が現れたから消えちゃったんだよ。もしくは一人でいるのが出てくる条件。二人以上ならまだ安全っていえるけど、一人だと不審者に襲われた時に危険だからってわけ」
「それで早く帰してやろうと親切心でやったていうのか? こっちは夢でもうなされたのに。もう二度とあの公園には近づきたくない」
「行かなくても大丈夫。もうそこまで来てるよ」
「は?」
出入り口の方へ視線を向ける。固まった葛宮を見て、相模は面白そうに話を続ける。
「黙っててごめんごめん。言おうかどうか迷ったんだけどね、来ちゃってたからもうバラすわ。山で見たのも、公園から追ってきたのも、今出入り口の方でこっち見てんのもぜーんぶ同じ怪異」
「いや……あれは山から離れないんじゃ」
こっちを見ている。無表情じゃない、笑顔だ。
「無理やり離れてきたのか、分身を飛ばしているのか。どちらにしても、山でいた時より脅威に感じないのはそのせいかな? 目に見えて力は弱くなってる」
「じゃあ、放置案件?」
「いーや。山の時より弱くなっているだけで、俺たちが敵わないのは変わらないよ」
できればそうであってほしいという願いも否定され、足が震えてくる。半ば倒れ込むように座り、葛宮は相模へと向き直った。
「葛宮の家や葛宮の近くには、どうにかして近づけないようにするさ。師匠だからね。だけど、ずっと守ってやれるわけじゃない。昨日はお守りも千切れてたし」
クラスメイトの荻が言っていた追いかける怪異は? あの女がいたから、俺と合わせて二人いたということで出てこなかったのか? 考えても答えは出てこない。視界が揺れる。顔が冷えて血が全部下に落ちたように感じる。
呆然とする葛宮を見ながら、相模は「凄いね」と上機嫌なままだ。
「こんな怪異は初めてだ。やっぱり葛宮を弟子にしてよかったよ」
「他人事かよ。そもそもアンタがあの山に連れて行ったのが原因だろ!?」
「ごめんて。でもさっきも言ったけど、葛宮は弟子だからもし連れて行かれそうになっても、色々手は尽くして守ってみるよ。ま、四六時中は無理だから、一人での帰り道には気をつけようってことで」
怒鳴りたいし、叫んでやりたい。だが、店の中であることと女を刺激したくないという気持ちがあり、葛宮はなんとか堪えた。相模や自分の無力さに苛立ちを感じながら、ポケットのお守りに触れる。千切れてはいないようだが、もしまた千切れるようなことがあったらどうなるのか。あの女がこれ以上近づいてきたらどうすれば良いのか。
ひとまず、まだ後ろを振り返るのは止めておいたほうが良いのかもしれない。