4 無能だなんて!
「ただいま帰りましたー」
ゆっくりでいいから、地道に信頼度を稼がないといけない。精神科医というより人間の定石だ。医者のときなら、無理に話を聞こうとしない、そばにいる。こんなことが鉄則だ。まぁ、泊りがけの治療なんてしたことはないのが、かなり不安だけど。
「ええ、おかえり」
淡々と冷たく、言葉を返された。一見すると悩みなんてないくらい気丈に振る舞っている。振り返らずに料理を作るその背中は、なにか理想の母親像に見えた。
老人から呪われた家の話を聞いて5日経った。それで気づいたことがある。夫とおぼしき人は帰ってこれない状況であること、そして料理の量が多いことだ。夫がいないのは離婚したためか、料理は娘のためだと思う。
それなりに信頼関係は築けたと思うので、踏み込んだ話を彼女に振るつもりだ。それと、あの日以来喋られない子供に出会っていないから早めに行動したい。
「今日はサラダとコーンスープよ。望月くんが取ったコーンね」
「……! とんでもなく美味しいですね!」
そうそう農家は案外楽しかった……じゃなくて、ちゃんと話振らないと。
「そうそう、ジュリナさん。農作業以外に困っていることないですか? 農作業以外で恩返しがしたいんです」
「……」
うーん、遠くからジャブ打ったつもりだけど駄目だったか。彼女は俯いたまま黙ってしまった。
「わたしは……駄目人間なんです。親としても、妻としても。わたしが無能だから子供まで呪われてしまったんです。……そういえばあなた、医者なんですよね。娘だけでも呪いから解放させてくれませんか?」
彼女はこちらを一切見ることなく、話し続けてくれた。喋られない子を生んだこと、夫は呪われた我が子を殺そうとしたこと、そして彼女はそれを拒絶したこと。たどたどしくながらも、一所懸命に言葉を続けた。
喋られない程度で呪いなんてバカバカしいだろう。ただ、時代や価値観によって呪いになってしまうものだ。
「ジュリナさんは助けたいんですね? 娘さんを」
大きく頷いてくれた彼女を見て、コーンスープを飲んでみた。呪われている家では味わえない甘さだった。
「それで……娘さんは二階にいるんでしたっけ」
「ええ、呪いが外に出ないようにその……わたしが閉じ込めたんです」
うーむ、子供も心配だけどお母さんの方が心配だ。自責の念に駆られていていつ崩れてもおかしくない。
いってきます。と言うと、お母さんは不安げな表情で私を見つめている。ゆっくりでも、スピーディに行動しないといけないから、お母さんには申し訳ない。
陰気な雰囲気を纏っているドアを前に、優しくノックをする。荒々しい音というのは、人間のトラウマになりやすいから注意が必要だ。
声での返事ではなかったけど、少女の方からノックが返ってきた。入っても良いよということだろう。
「じゃあ、失礼するよー」
そこは太陽の日が全くない、まさに暗闇が似合う部屋だった。うっすらと見えた少女の姿は、アンバランスそのものだ。身長は私の三分の一ほどで、細さが異常に際立っている。
「少しここにいても良いかな?」
ジュリナさんから頂いたロウソクを手に、少女が頷いてくれたのを確認できた。ゆらゆら揺れる影を見ながら、今後を考える。声が出ない患者については経験がある。首を縦か横に振る、文字、絵、目の前の少女に適しているものは何なのだろうか。