魔女たちの戦争
「驚いた……」
遠くにあった影がどんどん近付いてきてついにその姿を認識できる距離までやってきた。アンジェの箒にぶらさがったカンテラの明かりは思いのほか強く、近づいてきた魔女の姿を映し出す。魔女は凛とアンジェを交互に見ながら喋った。なんだかねっとりとした声をしている。
「西の魔女が推薦したという話は本当だったようだな……しかも、どうやらまだ目覚めたばかりと見える」
高校生くらいの少女である。癖のある、ウェーブのかかった長い髪をしていて、大きい苔色のつばひろの帽子には透けた素材の金色のリボンが結んである。同じ素材の長いマントをはおっていて、帽子と同じ色の足もとまであるワンピースがいかにも魔女です、といった雰囲気だ。目元の泣きぼくろがなんだかミステリアスに見える。
「あ、あんたリトル・ウィッチなのか」
雰囲気に押されないように凛が話しかける。アンジェ以外の魔女と対峙するのは初めてだ。それにどうやら相手は友好的とは思えない表情である。アンジェのいう通り戦わなくてはならないのなら弱気は見せられない。
「そう。私はヘッジ・ウィッチ……生垣の魔女を母に持つリトル・ウィッチ、ノワール。うみへび座アルファドの加護を持つ魔女。由緒正しき魔女の系譜」
ヘッジなんとかってなんだ? と凛はごにょごにょとアンジェに尋ねる。
「村の賢き女性の事よ。賢者ね。一人で村に住んで、村人のために働く魔女の事を言うわ。グリーン・ウィッチに属する、まあ白魔女の一人よ」
「ふーん……それにしても、どうみても日本人だぞ。なんだよノワールって」
「名前というのは己の本性をすべて表すものなの。名前を知られるということは正体を知られるということ。だから本名を簡単に名乗ったりはしない。だからノワールというのはリトル・ウィッチである時の仮の名前でしょうね」
「アンジェも別の名前があるの?」
「さてね」
「おしゃべりはそこまでにしてもらおう」
ノワールが二人の会話に割って入る。
「名乗れ。私はお前に「挑戦」する! 生まれたての幼子に東の良き魔女の座は務まらない。怖ければひいてもよいのだぞ?」
「なんだって」
アンジェに勝手に担ぎあげられてこんなことになったのはわかっているが、真っ向から否定されるとそれはそれで腹立たしい。
「僕はおおいぬ座シリウスの加護を持つリトル・ウィッチ、――ええと」
凛、ではまずいのか。本名はだめだ。――凛は考えに考え、
「その……有栖川……有栖、そう、アリスだ!」
「ふむ、アリスというのか。西の良き魔女アンジェリカが推すリトル・ウィッチは……では全力をもってお前を倒す。受けるな?」
ノワールの手にはいつのまにか心の深淵が握られている。形は凛と同じサイリウムのような、レモン色の、透き通った水晶。
「我が心の深淵ヘリオドール。神からの贈り物と称されるこの心に……勝つことはできるか」
「――やってやるさ。その勝負受けてやる!」
「じゃあ私は高みの見物とさせてもらうわ」
アンジェはすいーとその場から離れる。
「ええ!? おいアンジェ! アドバイスとかしてくれないの!?」
「勝負は公平にしないとね」
「そ、そんな。まだ箒にしか乗れないのに!」
「心のままでいなさい。あなたにはシリウスの加護があるんだから」
「思った以上のえこひいきでなくて安心した」
ノワールはふふ、と笑うと、
「いくぞアリス! 受けよ我が「パフューム」の魔法!」
「く、くそ、こいっ!」
ノワールが心の深淵を掲げると、ヘリオドールが光り輝き、途端、なにやら風に乗っていい匂いがしてきた。
「な、なんだあ?」
母親が使っている香水のような匂いだ。それも、いろいろな匂いがする。ノワールを中心として渦を巻くように強い芳香があたりに満ちていく。
「サンタルム アルブム」
「えっ」
ノワールが心の深淵を凛に向けてつぶやくと、凛は急速に自分から何かが抜け落ちていくのを感じた。どこかで嗅いだことのあるような匂いが身体に沁みわたる。さっきまでのやる気がどんどん小さくなって、妙に冷めて(・・・)いく(・・)。トンネルに入ったかのように心が暗い。右手に持った心の深淵、セレスタイトの青い光がどんどん小さくなって――がくん、と箒が傾き高度が下がった。
(なんだ? なんでこんな)
「クプレッスス センペルウィレンス」
(魔女とか……魔法とか……馬鹿みたいじゃないか。なにを熱くなって……)
「凛、しっかりせえ! 下がっとる! おまえの心の力が弱くなっとるで! 星の力もきえてしまうで!」
シグナスの声で凛ははっとした。箒に乗ったまま、どんどん高度が落ちていっている。
(まずい! なにをやってんだ僕は!)
頭を振り、シグナスの柄をぎゅっと握ると墜落寸前で凛はふたたび上昇した。
(急にやる気が無くなって……そうか)
凛はノワールをビシッと指差した。
「その匂いだな! 嗅いだ途端になんか……心が「無」になった気がした! 毒薬か何かだろ!」
「失礼な。どちらも強い鎮静効果のある匂い……魔女なら誰でも知っているような精油が元よ。心と身体を癒してくれる。ただ使い方によってはやる気を失うまで強い効力を与えることができる……ほかにも、こんなふうにな」
ノワールからぶわっと風が吹き荒れる。
(また「香り」で攻撃してくるつもりか)
「シグナス、よけろ!」
「ほいきた」
匂いの渦の様なものが凛の後を執拗に追ってくる。
(匂いから離れないとだめだ)
「オークモス!」
ノワールが叫ぶとぶわっとシグナスに深緑のコケが生え始めた。
「げっ! なんだこれキモイっ!」
「あかんわー重いで」
突然大量に湧いたコケの重みでシグナスの動きが止まり、また高度が下がっていく。慌ててコケを落としていくが、ノワールの接近を許してしまった。ノワールは高く笑うと、
「ふふ、たわいもない……東の良き魔女の候補が聞いてあきれる。西の魔女は選択を誤ったようだ……受けよアリス、キトゥルス シネンシス、ケドラス アトランティカ、ユニペルス コンムニス!」
ノワールの黄色い心の深淵が光る。凛とノワールの周りがオレンジを思わせる甘酸っぱい匂いで満たされ、凛は自分が匂いに「囲まれた」のがわかった。
「? ――これは」
熱い。身体全体が熱くなってきている。が、なにより心の深淵の輝き具合が尋常ではない。初めて自分に星が宿った時と同じような、焼けつくような熱さ。
(ま……まさか)
何もできずシグナスにしがみついているのがやっとの凛を見ながらノワールは、
「ほう? 気付いたか。さっきとは別にお前にエネルギーの湧くパフュームをつけたのだ。お前の力が暴発して、砕け散ってしまうようにな。リトル・ウィッチ同士の戦いは心の深淵を破壊する事で決着がつく。安心しろ、破壊しても心が壊れることはない。だがもう二度とリトル・ウィッチになることはできない。それが勝負の定めだ」
ノワールのいう通りなのか、心の深淵の輝きが増すにつれて身体が俄かに光を帯び始める。このままでいくと力がオーバーヒートして心の深淵が砕けてしまうかもしれない。
(リトル・ウィッチになれるかなれないかとか、それはどうでもいいけど)
凛はぐっと両手で心の深淵を握る。
(やられっぱなしは嫌だ! ……オーバーヒート、オーバーヒート……そうだ)
凛は心の深淵を天に掲げ、叫ぶ。
「我が加護星シリウスよ! その名に秘めし力を今、我に与えよ!」
「――なにっ」
ノワールが下がろうとした時にはもう遅かった――凛の心の深淵が青く輝いた瞬間、真っ白な光に包まれ二人は大爆発に包まれた。
「ああああ!」
あまりの眩しさと衝撃に飛ばされたノワールの心の深淵が砕け散る。そしてまた凛も吹き飛ばされ――その先を上空で勝負を眺めていたアンジェが確認する。
「おやまあ。暴発するまえにさらにもっと大きな力で暴発を誘うとは。まあシリウスの加護を持つ人間に暴発を期待するのはちょっとねえ。シリウスの名の由来はセイリオス。「焼き焦がすもの」の意……元々オーバーヒートしてるような星には効かないわよ。それならそれほどの力を使って爆発でもさせたほうが使いようがあるってところかしら。そこまで考えてたかはともかく、由来くらいは知ってたってことね。初戦としてはまずまずかしら」
それにしても、とアンジェはクスクス笑いながら、
「アリスとは参ったわ……適当に考えたんでしょうけど、まったく」
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