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ベランダを開けると、夜の風にのって金木犀の強い香りが漂った。マンションの周りに植えられているのだ。秋の香り漂う中、凛は天体望遠鏡を狭いベランダに運び出す。凛の部屋のベランダは小さなもので、人が一人横になれるくらいの広さだ。それでも凛一人観測するには充分な広さである。

 「さてと、何を見るかな」

 マンションの周囲は街灯がいくつか灯っているだけで、レストランやドラッグストアなどの明かりは消えている。流石にこの時間になると辺りは暗かった。闇夜である。空の星が観察しやすくていいと、凛は星座早見盤を動かしながら、

 (アンドロメダ座がかなり上にきてるな。アンドロメダ大星雲でもみるか)

 そう思い機嫌よく望遠鏡をセットする。ファインダーをのぞきながら位置合わせをしていると、

 (ん?)

 妙な黒い影が横切った。鳥か? と思い再び見直すとまた横切る。

 (何だ?)

 思わずレンズから目を離し夜空を見上げた。よく考えればこんな夜中に鳥が飛んでいるわけが無い。しかし黒い何か大きなものが確かに空を漂っている。目を凝らしてみて凛は驚愕した。


 人だ。


 まさか、と思ったがどうみても人のシルエットである。


 (なんかどんどんこっちに近付いてきてる!)

 どうしよう、と凛は慌てたがなぜか部屋に戻る気にもなれない。人間、怖い物見たさにおもわず凝視してしまうと言うがまさしくそれである。空に浮かぶ黒い影に目が釘付けで離せない。黒い影はついにその姿を確認できるまで近づいてきた。


 ――少女である。オレンジ色の明かりの灯ったカンテラを吊り下げた箒にまたがっている。凛のいるベランダまでふわりと飛んできて、目が合う位置まで高度を下げると形の良い可愛らしい唇を動かして言った。

 「ハァイ」

 返事に詰まる。浮いている。人間が。空中に。

――ただ事ではない。凛はフル回転で脳みそを働かせてこの状況を飲み込もうとした。

 少女の姿はカンテラと部屋の中からの明かりに照らされて浮かびあがっている。耳の下辺りまでのボブカットで前髪が極端に短い。チャップリンがかぶっていそうな茶色のハットが赤毛に似合っていて、喉元あたりで大きく結ばれた白のマントの下に赤が基調のアーガイルのニットを着ている。深緑のタータンチェックのスカートの下は黒いタイツかなにか履いているのだろう。温かそうだ。こげ茶のエナメルシューズが光っている。一見するとどこかの外国のファッション雑誌から抜け出てきたかのような容姿だ。実際、赤毛なのを見ると日本人ではないのだろう。染めているようには見えない。凛を見つめる瞳もわずかに緑がかっているように見える。

 声をかけられてからもしばし無言でいた凛はやっと口が動いた。

 「な」

 無意味に胸をさすりながらしぼりだすように声を出す。

 「なにしてるんですか」

 我ながら間抜けな質問だと凛は思った。少女は大きな目をきょろりと動かすと、プーッと吹き出した。

「何って、空飛んでるのよ。見てわかるでしょ」

 薄いそばかすの跡が残る色白の顔をゆがませて少女は大笑いしている。日本語だ。どうやら言葉は通じるらしい。

 「空飛ぶって……」

 「飛ぶわよ。私魔女だもの。魔女が箒で飛ぶって知らない?」

 そういって少女はベランダの手すりに腰掛けると箒を膝の上に置いた。

 「あ、危ない! ここ十二階なんだよ! 落ちたりしたら……!」

 「落ちないわよ。言ってるでしょ、私魔女だって。落ちたってちゃんと追いつくわ。私のヘルツは優秀なんだから」

 「ヘルツ?」

 「私のこの愛用の箒の事よ。それよりとてもまぶしいわー。私の目に狂いはなかったってことね! 会えて嬉しいわ、五島凛君」

 そう言っていたずらっぽく微笑む。少女の口から自分のフルネームが出た事に凛は驚いた。少女は右手を差し出し、

 「私の名前はアンジェリカ。リトル・ウィッチで西の良き魔女。アンジェって呼んでね。今日は君に真に目覚めてもらうために来たのよ。ハイ握手」

 「え? え?」

 流されるまま手を差し出し握手を交わすが話についていけない。

 「君にはとても強い加護がある。君がこの東の世界を治めてくれれば西の魔女としても安心できるのよ。良き魔女として――」

 「ま、まてっ!」

 アンジェリカ――アンジェは口上を止められて唇を尖らせる。

 「なによう」

 「魔女とかなんとか」

 凛はごくりと唾を飲み込み、

 「そんなこと言われても、困る。意味わかんないよ!」

 「そうねえ」

 アンジェは幼い子に諭すように話し始めた。

 「魔女はわかるわよね?」

 「空飛んで魔法を使うあれだろ……」

 「じゃあリトル・ウィッチは?」

 「? 小さい、魔女?」

 「ちょっと違うわねー。魔女には色々いるんだけど。グリーン・ウィッチとか。私達リトル・ウィッチは魔女から生まれた新たな魔女なのよ。魔女の新しい種族なの。私はそのリトル・ウィッチ。信じてくれるかしらん」

 凛はうーんと腕を組んで必死に考える。魔女なんて言われてもそんな御伽話みたいなことすぐに飲み込めるわけが無い。宇宙人の方がまだ身近だ。

 (でも空を飛んできたのは、この目で見たまぎれもない事実だ……)

 「と、とりあえず、信じる。あ、アンジェリカだっけ? それでそのリトル・ウィッチとやらが何の用なんだ」

 「アンジェでいいってば。私はね、「西の良き魔女」なの。西の世界のリトル・ウィッチのまとめ役。この世は東西南北に別れていて、それぞれの世界に「良き魔女」がいるわ。リトル・ウィッチをよりよく導くためにいるのよ」

 「で?」

 「決まりごとがあって、西と東、北と南、それぞれが助け合うことになってるの。だからこうして東の世界にやってきたわけ」

 「アンジェは西の人? どっからきたのさ」

 「ロンドン」

 「――ロンドン!? イギリスなら一〇時間以上はかかる! わざわざ飛行機に乗ってきたのか」

 「やあねえ。ヘルツに乗ってきたにきまってるじゃない。天空を駆ければ二時間くらいでつくわ。まあそういうわけで君の所に来たのよ」

 「急に話が飛んだな。僕に……用?」

 「東の世界ではまだ「良き魔女」の代表が決まっていない。だから西の良き魔女として東の良き魔女を推薦する事にしたのよ」

 凛は何か――嫌な予感がした。

 「……まさか」

 アンジェがぬふふとほくそ笑む。

 「その」

 「まさか」

 「君を」

 「推薦――する……!?」

 「ぴんぽーん!!」

 御名答~! と満面の笑みでクリームがかった手袋をはめた手でアンジェが拍手する。凛は一瞬息が止まったような顔をした後、すううと大きく息をのみ込み、ぶはぁと吐き出した。

 「――冗談! それ、その、リトル・ウィッチって魔女なんだろ! 僕は男だよ! それに、僕には空を飛ぶなんてできないよ!」

 「リトル・ウィッチであることに性別は関係ないわ。男だっていないわけじゃないのよ」

 男の魔女……魔男? ……間男……。凛はブンブンと頭を振った。

 「それに君はもう目覚めてしまっているんだから早いとこ自覚してほしいのよ。……夢を見なかった?」

 「え」

 「なんでもいいわ……星の夢よ。星が宿る夢」

 「星……」

 まさか今朝のあの夢だろうか。

 星に埋もれて、胸に――熱く降りてきたあの夢。

 「その顔じゃ思い当たることがありそうね」

 「で、でも僕は別に特別な事はなにも――」

 「特別な事は自らおこすもの……奇跡のように。でもそうね、今回は私が手伝ってあげるわ」

 そういうとアンジェはひょいとなにか棒のようなものを取り出した。ライブやコンサート会場でよく見る、サイリウムがかなり細くなったような形状である。それは不透明の白いすりガラスのようなものでできていて、蝋燭の火のように橙色にほのかに光っている。なんとなく、吹雪の中に灯る火を連想させた。アンジェはその棒を握って立ち上がると凛に向けて構える。

 まるで魔法使いの杖。いや、魔女なのか。

 アンジェはベランダの手すりに立って微動だにしない。まっすぐな視線が凛を射抜く。凛は身動きを止められたかのように身体が固まったままだ。

 アンジェが静かに語りだす。

 「――リトル・ウィッチが他の魔女と違う点は「星の加護」を受けて目覚めるということ。その身体に星の力が宿り、リトル・ウィッチは星の加護の元、人々の祝福のために生きる」

 棒の先端が一層強く光りはじめた。同時に棒を向けられた凛の胸元がチカチカと光り輝き始める。Tシャツにパーカーを羽織っているだけの姿だったが、まるでTシャツの下に白熱灯でもあるかのように胸元が白い光で満ちてくる。光に呼応するかのように風が巻き起こり、胸元を中心にパーカーがゆらゆらと風に揺れ、髪の毛が逆立ちはじめた。

 (っ……これは……!)

 ――熱い。胸元がどんどん熱さを増していく。光がまぶしくて手をかざした。

 (こんなにも熱いのに……!)

 胸元の光は赤い炎で燃えあがるわけでもなく、青白い光を帯びていく。熱さをどうにもできず、凛はおもわず胸をかきむしった。

 「あっつ……!」

 「熱くて当然。君は全天一の光を持った星の加護を受けているんだから」

 光る棒を突き付けたままアンジェは冷静に答える。

 「これが君の力。星の加護。――星の力を引き出すための「かたち」をあたえる」

 「……!」

 これ以上なく胸が熱くなったかと思うと、なんと光り輝く胸の中から――アンジェと同じような形状の棒がゆっくりとでてきた。

 「こ、これは……!?」

 「「心の深淵」。心のかたち。星の力と君自身の心の姿が一体となり顕われたもの。心のかたちは様々な石に姿を変えて顕われる」

 凛の胸から完全に出てきたそれは、凛の目の前へと浮いた。アンジェのとは異なり、不透明の白ではなく透き通った灰青の細く美しい石だ。

 「綺麗……」

 「セレスタイトね。強烈な清浄の力があるわ。君の星と心の姿と力であり性質。ちなみに私の石はアラバスター。さあ手にとって」

 凛はためらった。何かこの棒――心の深淵を手に取ったら、もう戻れないような気がする。

 (これを手にしたら、きっと)

 リトル・ウィッチになってしまうのだ。

 怖い――けれど、目の前に浮かぶ石の美しさに惹かれて、手を伸ばしてしまった。その手に取ると、心の深淵がカッと青白く瞬く。瞬間、凛の頭の中を突き抜けるように「名」が横切った。その強烈さにクラッとしてその場にへたり込む。心の深淵は元の石の輝きに戻っている。アンジェはにっこりと笑ってベランダの手すりに座り直した。自身の心の深淵をぺちぺちと手のひらに叩いてもて遊びながら、茫然としている凛に話しかける。

 「おめでとう。心の深淵を手にした今君はまぎれもないリトル・ウィッチ。君を加護する星の輝きが改めてよく見えるわ。その星の名は君の心に刻まれたはず。わかるでしょ?」

 凛はアンジェに話しかけられてぼーっとしながら答えた。

 「文字が浮かんだんだ。英語? あれは本で見た事がある」

 気を取り直すようにふるふると頭を振った。

 「シリウス」

 「その通り」

 アンジェは満足そうにうなずいた。

 「君を加護するのは全天のなかで一番の輝きを持つおおいぬ座のシリウス。君が早く気付いてくれるのを待ってたんだよ」

 「アンジェはわかってたの」

 「もちろんよ。これでも良き魔女の代表だもの。というかリトル・ウィッチならどこかで星の力が目覚めれば、それがなにかわかるものよ」

 「僕にはわかんないよ。なんかまだくらくらする」

 「まだ目覚めたばかりだし。まあ鈍感なところもあるかもね。星の加護は血縁者でもないかぎり、かぶることはないわ。一人に星一つと言ったところかな。シリウスは強力な加護をくれるわ。よかったわね!」

 良いとか悪いとか今の凛にわかることではない。

 (でも、この杖を手に取ってしまった……)

 凛はじっと心の深淵を見つめて、はあ、と息をついた。

 「リトル・ウィッチって、何か実感ないな」

 「それはそうね。やはりリトル・ウィッチとしてのちゃんとした服が必要だわ」

 「服?」

 「そう。コスチュームよ」

 アンジェはこれまでないほどにニヤニヤと嬉しそうに笑って、

 「まかせて。――私が君にピッタリの服を用意してあげるわ」


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