④
母得意のホワイトシチューはなかなかうまい。
鍋にたくさん作ってあったのを遠慮なくもりもり食べた。テレビを見ながら早めの夕食をとる。久々に一人きりの今晩をいかに自由に満喫するか考えをめぐらせた。ただでさえ花の金曜日、嬉しくなるというものだ。明日は港と薫風亭に行く楽しみもあるし――にやにやしながらシチューを食べ終わり、普段なら一日二時間限定のゲームをやりまくろうかと思いたったところで、ふと港が返してよこしたテープを思い出した。自分の部屋に戻り、リュックからテープを取り出す。
タイトルは「オズの魔法使い」。
凛はゲームをやめてこのビデオを見ることにした。
和室へと向かい、部屋の明かりをつける。六畳よりわずかに広いこの和室は雪之助の部屋だった。今でもほとんど生前のまま残されている。変わったことといえば、部屋の主がいなくなったことだけだ。居間にはビデオテープを再生する機械が無いので、雪之助の部屋にあるビデオデッキを使うしかない。ビデオをセットすると一緒に持ってきたジュースに口をつけながらテレビ画面に注視した。
「オズの魔法使い」は元々児童書で、様々に映像化された作品だ。そのなかでも有名なのが一九三九年に作られた映画「オズの魔法使い」。劇中に使われた「虹の彼方に」という名曲は「オーバーザレインボー」の名で広く知られている。凛にとって忘れられない曲だ。
――それは小学六年生の、あの日。
ただいま、と玄関の戸を開けて凛が家に入ると母はおらず、買い物か、とランドセルをほうりなげると何か聞こえてくる。音のありかは和室からだった。また雪之助が何かしてるのかと思い、「おじいちゃん! ただいま! おやつある?」と襖をあけると雪之助が胡坐をかいて頭を大きく垂れていた。目の前の大画面のテレビには映画が流れ、少女が歌う姿が大きく映し出されている。
Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can't I? ……
オズの魔法使い。この映画は雪之助お気に入りだ。何回も見ている。凛は雪之助が途中で飽きて寝てしまったのだと思った。
「おじいちゃん、起きて。お菓子食べようよ」
そういって雪之助の肩を揺らすと、雪之助は横に倒れた。反応が無い。凛が驚いて手をとるとひんやりと冷たかった。
雪之助は息をしていなかった。
慌てて凛は救急車を呼んだ。そして搬送先の病院で死亡が確認された。特に病気を患っていたわけではない。独り静かに息を引き取ったのだ。九十七歳、大往生だった。
その後も凛の頭の中でずっと「オーバーザレインボー」はリフレインされていた。花に埋もれて棺の中に横たわる雪之助を見ながら、遺体が焼かれているその間も、海で雪之助の遺灰を撒いた時も。
曲の通り、雪之助は虹の彼方へと行ったのだろうか。
凛は当時を思い出してちょっと切なくなった。
(虹の彼方って、なにがあるんだろ)
天国かな、とつらつらと考えながらジュースを飲みきったところで、映画が終わった。随分たったな、と思い、ビデオをそのままにして部屋を後にした。凛以外誰もいない家はしんとしている。
「……あー、なんかしんみりしちゃったな! 風呂入ろ、風呂!」
浴室に行き湯沸かし器のスイッチをいれて居間で待つ。テレビをつけてチャンネルを回すが、深夜近くになってきたのでスポーツとニュースの番組ばかりが多い。
「ちぇっ、今日はもういいやつやってないな」
仕方なくニュースをつけたまま暇を潰していると、ピーピーと湯が湧いたお知らせの音が聞こえてきた。リモコンをほうり出して早速浴室に向かう。服を洗濯機に入れながら洗面台の下の棚をあさった。ピンク色の透明なボールのようなものがしまわれている。
「よしよし、一つなら母さんに気付かれないだろ」
風呂に入るとボールを勢いよくバスタブに入れて蛇口をひねった。たちまちもこもこと泡が泉のようにあふれかえる。このボールは母・双葉お楽しみの泡風呂用の入浴剤だ。たまに凛にも使わせてくれるが基本は自分専用にしているらしい。凛はこのもこもこの泡が面白くて双葉に隠れてこっそり使ったりする。港にこの事を喋ったら、「今姉ちゃんがハマってて俺はいつも泡まみれの風呂に入るんだ。流していかねーんだよ。正直やめてほしいぜ」とブーたれていた。港の家では姉の白雪が一番に風呂に入り、二番手が港らしい。白雪は港と少し年の離れた大学生で、モデルをやっている。たびたび港は姉との扱いの違いに文句をたれていて、
「かあちゃんたちは姉ちゃんが生まれて嬉しくて親のよく目で白雪なんて名前をつけたんだぜ。そうだよ、白雪姫からだよ。俺? 俺は母ちゃんが産気づいたのが港だったんだ。だから港。適当すぎるだろ。凛、お前はもっと自分の名前をありがたがるべきだぜ」
そういってモデルで美人の姉を自慢にするわけでもなく、むしろブスに生まれてたら白雪とか嫌みすぎるわ、などといってこきおろしている。自分がたびたびこづかいを無心することは棚に上げているようだ。凛は気分よく泡風呂を堪能し、証拠を残さないようシャワーで壁についた泡を流す。洗った髪を乾かし、冷蔵庫からよく冷えたサイダーの壜を開けて飲み終えると結構な時間になっていた。
(もう寝るか……いや、明日は寝坊できるし港との約束も午後だ。深夜の天体観測でもしてから寝よう)
玄関や窓の施錠を確認してから居間や他の部屋の電気を消し、凛は自分の部屋へと引きあげた。
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