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「霜月!」


 凛は慌ててその先を追う。――ビルの屋上は庭園になっていて屋上を囲むように植え込みがあり、白いベンチやテーブルが置かれていた。それを蹴散らすようにして渚が座っている。箒が少し離れてころがっていた。凛が屋上につくと渚は大きく喘ぎながら自らを抱きしめていた。はあはあと息をつき、

 「っ、熱い……! ううっ……!」

 そういって頭を地面に垂れた。身体全体が、赤く白く点滅している。まるでカウントダウンのように。凛は渚に走り寄った。熱気がすごい。

 「しっかり霜月! 星の力を鎮めるんだ!」

 「……どうし、て……私の名を」

 「霜月、悩みが無いなんて嘘なんだろ!? 何も無くて、心の深淵が曇ったりはしない!」

 「……ごとう、くん……?」

 渚はゆっくりと顔を上げた。いつも流れるようにきちんとセットされた黒髪はバサバサだったが、それでも綺麗だと凛は思った。

 「なんで……」

 「それより、オーバーヒートとめないと! 急いで心の深淵に願うんだ! 鎮まるように。そうすれば」

 凛は渚の近くに放り出されていた、曇った心の深淵を拾い上げて渚に渡す。渚は心の深淵を握り、うなだれ、放りだした。顔をゆがませて、嗤っているようにも見える。

 「……だめよ……私の心の深淵は汚れている、もの……だめなのよ……」

 「霜月」

 「だって。だって」

 渚の目から涙があふれてしたたり落ちる。凛から視線をはずしてうつむいた角度で髪が簾のように流れ、渚の顔を覆い隠した。

 「――夜になると、あいつがやってくる」

 絞り出すようなか細い声。渚の表情は見えない。

 「いつも、変にベタベタ、して。一緒に住むから。親しくしたいから。そうなんだって思ってた。私と仲良くなりたいからふざけてるんだと思ってた」

 凛の額に汗が混じる。星の熱さのせいではない。

 「でも違った……! ち、父親が、娘のへ――部屋に、夜遅くに来るなんておかしい、でしょ。ママが寝たのを確認して、来るのよ。私の部屋へ。そうなのよ」

 ずっ、と鼻をすする音がする。

 「ずっとこないでって……言ってたの。最初は引き返してたわ。でも」

 「部屋の鍵は」

 「ついてないの。だからつけようとしたけど、ママに、ママに不審がられちゃったからあきらめたの。私」

 渚の声は震えている。身体全体もカタカタと小刻みに震えていた。

 「そのころリトル・ウィッチに会ったの。力をもらったから、あいつを眠らせる魔法を使ったわ。気を失うようにすることも。――でも、一度も心の深淵が光ったことなんて、無かった。曇ったままなの。だから星の力だけで魔法を使った。ホントはだめなんだって知ってる。でも使っちゃった……悪い魔女に、なったのよ」

 「……そのこと、お母さんに話した?」

 「まさか! 私ママの再婚相手に手を出されそうになっているのよ。ママは、ママはあいつが大好きなの。仕事先で知り合って……いっつもあいつの話してた。いい人だと思ってたのに……。言えるわけない。ママには知られたくない……!」

 「お父さんはどうしてるの」

 「パパは、ママと別れてすぐ再婚したの。新しい赤ちゃんもいるわ。遠くに住んでいるの。たまに会っていたけど、赤ちゃんが生まれてから、新しい奥さんが私のこと嫌がるようになって……パパとは、全然会ってない。あいつに見られるたびに、私汚されていく気がするの……パパ助けて……」

 ママ、パパと繰り返す渚の姿がとても幼く、痛々しい。考えれば凛も渚もたったの十四歳なのだ。そしてそのたったの十四歳の渚には重すぎる枷がかけられようとしている。

 「霜月」

 「でも、もういいの。私、もう限界みたいだから。蠍みたいに、燃えて消えるの」

 「霜月、聞くんだ。もう一度心の深淵に願おう」

 「いいのよ。私の心の深淵は、きたない」

 「――霜月は汚くなんかない!!」

 辺りに響く程大きな声で凛は言いきった。涙でぐちゃぐちゃの渚の顔を、まだ赤く灯っている目をまっすぐ見つめながら。

 「霜月、宮川先生に相談しよう。告白するんだ。あの先生は頼りになるよ」

 「……い、嫌。だって、そうしたら」

 「霜月のお母さんに知れるかもしれない。でも霜月がそんな目にあってると知ったら――月並みだけど、悲しむと思う。僕もいやだ」

 凛は渚の心の深淵を拾うと再び渡した。


 「霜月は、綺麗だ」


 凛は自分の心の深淵を取り出し、カチリと渚の心の深淵にあてる。

 「わかる? 霜月は綺麗だ――誰にも汚されたりしない、ずっとずっと気高い綺麗さなんだ!!」


 ――渚が転校してきたときに一目見て感じたもの。

見た目だけじゃない、渚の心が見えたのだ――心の深淵が。

それに焦がれた。渚は涙で乾いた顔を不思議そうに凛に向けた。

あどけないその表情。


ああ、霜月だ――「帰ってきた」。


そう凛が思った途端、凛の心の深淵は天を焦がすかの如く光り輝いた。セレスタイトの青い光が渚の心の深淵に反射して――雲が晴れた。灰色だったその姿が青い光が透った途端、ぱっと染めたかのように赤に変わる。その瞬間風が巻き起こり渚の真っ黒な帽子とドレスが深紅へと塗りつぶされ、帽子と腰のリボンは反転するように艶のある黒へと変わった。

 「こ、これは……」

 渚が驚いて赤く光る心の深淵を見つめた。よく見ると褐色に近い不透明な赤である。

 「これは……カーネリアンだわ……勇気と勝利の石……これが私の心の深淵なの? 身体も熱くない……」

 「そうだよ。これが霜月の本来の姿だ」

 満足そうに凛が立ち上がる。

 「もう自滅する事もない……霜月の心が勝ったんだよ」

 「私が……」

 「さあ、立てる?」

 凛が手を差し出した。うなずいて渚がその手をとり、立ち上がる。

 「……私、宮川先生に言ってみるわ……」

 「――僕も、ついていこうか」

 「大丈夫。ありがとう」

 そういって渚は微笑んだ。そこに悪しき魔女の面影はない。渚は新たな良き魔女となるだろう。でもそれってまた霜月と戦うことになるのかな? と凛は首をかしげた。

 「まあいいや。さあて、夜明けが近くなってきた。早く帰ろう。霜月、箒乗れる?」

 「ええ大丈夫。おいでリンクス」

 渚が呼びかけると転がっていた箒が浮いて飛んできた。

 「なんや「山猫座」かいな。なかなかつかまらんはずや」

 シグナスの声に渚が笑う。二人は連れ立って屋上から飛び立ち、途中で別れた。もう辺りがうすいオレンジ色に染まってきている。

 「うわー、急がないと。いないってばれちゃう」

 「凛」

 ん? と返すとシグナスはまるでニヤニヤしたような声音で、

 「さっきのアレ、何が起きたのかホンマはようわかってへんのやろ」

 「……べ、べつにィ」

 「隠しても無駄や。かっこつけとってからに。なんで心の深淵をあてたん」

 「……まえにウォーター・リリィとロータスが心の深淵を交差させてただろ? あれなんか意味あんのかと思って……あとは、自分でもよくわからないや。シグナスの言う通りさ。でも霜月が元気になったから、それでいいよ」

 「適当かいな。それで悪しき魔女一人浄化させてまうんやから参るで」

 「浄化?」

 「セレスタイトは強烈な浄化作用があんねん。シリウスの光と組み合わせたら強いでえ」

 「じゃあ悪しき魔女に会ったら浄化すればいいのか」

 「待ちい。あのオネーちゃんは完全な悪しき魔女ではないねん。本物はごっつうどす黒いで。あったことあらへんけど、いくら凛でも簡単にはいかへんよ」

 「そっか」

 「でも未熟な凛があんなことできたんはあの子がいっとう大好きやったからやね。でも凛、残念やなあ」

 「残念?」

 「カーネリアンの言葉は「友情」やで」


 そう言ってシグナスは大きくカーブをきる。凛の住むマンションがせまっていた。

 ――クリスマスの日は寝て過ごした。終業式の日は寝坊し、遅刻したせいで渚と話す機会を逃した。港と通知表を見せ合い、今回は五分五分だったことに安堵する。負けたら薫風亭のジンジャーエール一杯、おごる予定になっていたのだ。渚の姿はチラチラと見かけたが、結局言葉を交わすことが無く終わった。

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