③
徹夜続きの登校は辛い。
授業に身が入らず眠さも手伝ってうとうととしているのをお昼までに三回は注意された。凛は今週は給食当番なのだがそれも億劫である。今日の献立は好みのシチューだがうだうだとスプーンでかきまわしてばかりだ。シチューはやめてデザートの冷凍みかんを食べだす。甘さにほっとした。
「どした凛。心ここにあらずだなーおかわりしないなんてめずらしいだろ」
港がシチューおかわりの列に並びながら凛に話しかける。今日は部活の朝錬にちゃんと出たらしくますます食欲旺盛である。
「いろいろあるんだ。……あのさ、あんまり話したことのない奴と話さなきゃいけない時って、何話せばいい」
「何言ってんのかわかんね。……そうだなー趣味の話とかがいいんじゃね?」
「趣味かあ……」
今日も真壁はクラスにきていない。学校にも来ていないようだ。今日はとりあえずリトル・ウィッチになるのはやめて寝たい。そういえばノワールとの戦いの後アンジェにも会っていないがまあ、必要があれば向こうから飛んでくるだろう。
(しかしこうしている間にもリトル・ウィッチの戦いは他でもくりひろげられてるんだよな。東の良き魔女の座をめぐって……ほんとなんでアンジェは僕なんかを推薦したんだ……)
給食の時間は早々にすぎ、午後の授業が始まる。午後もやはり気が集中しないまま凛は教科書を閉じたのだった。掃除も終わり、ホームルームを終えて皆部活へと散っていく。部活の日誌を取り出しながら、凛は今日はさっさと日誌を仕上げて居眠りをしようと思っていた。そこへ、
「五島君」
渚が話しかけてきた。途端に眠気が吹き飛び、頭がシャキンとするからまったく恋って奴は……と自分で自分に突っ込みを入れながら笑顔でこたえる。
「霜月どうしたの?」
「あのね、この前本屋さんでぶつかっちゃったでしょ? ごめんなさい」
「そんなのたいしたことじゃないって! 気にしないでよ」
「ありがとう。……ねえ五島君、天文部なのよね?」
「? うん、そうだけど」
「天文部って五島君だけなんだって聞いたわ。一人で、辛くない?」
「あはは、そんなことないよ。好きでやってるし、それに、一人でも、誰かがいつか入ってくれるかもしれないって思ってるし」
だから霜月入らない? と言えないのが凛のだめなところである。
「そう……五島君は強いのね……私だったら、一人は……無理かも」
何か少し淋しそうな顔をして、渚はだまった。教室の出口でしもつきんー! と女子達の呼ぶ声が聞こえる。文芸部の連中だ。
「あ、いかなくちゃ。じゃあまたね、五島君」
「あ、うん。またね霜月」
凛は渚の表情に何かひっかかりながらも自分も教室を後にした。
真壁に行くと言った以上、いかないわけにもいかない。何日かリトル・ウィッチをお休みして、体調も万全になってから記憶を頼りに真壁の家へと飛んだ。
「毎回徹夜ってわけにもいかないしなあ」
「睡眠不足になるってことかいな。それなら飛んだ方がええで」
シグナスが妙なことを言う。
「どういうことだ?」
「魔女は夜行性やねん。本来夜の方が元気なんや。だから夜に慣れればええねんで。慣れただけ耐性がつきよるから眠くならんのや。それに眠いのは力が足りんせいや。精進せえ。ああ、ついたで」
シグナスが鳥のように静かに庭へと降りる。あらためてみると大きな庭だ。マンション住まいの凛にとって庭というのは不思議な空間である。昔、「小さな庭」を手に入れようと港と共にビオトープを作った事があった。いまでも港の家にあり、面倒はいつの間にか港の父がみるようになっていたのだが……ここは典型的な日本庭園だ。よく見れば池もある。家も大きいところを見ると真壁の家は結構金持ちなのだろうか。庭を歩いていると、
「アリス、アリス!」
縁側に明かりを持った真壁が座って手を振っていた。凛は近付くと、
「どうしたんだ。まるで来るのがわかってたみたいだ」
「そんな気がしたんだよ! でも結構待っちゃったぜ。なかなかこないんだもんよ」
「他に用事があるんだ。真壁も毎日夜なべしてても身体に悪いぞ」
「別にいいもん、どうせ昼間は寝てるし」
「……」
凛は少しイラッとした。自分が眠い中も授業を受けたり、掃除をしたりしてる間、真壁はグースカといびきをかいて好きなように好きなだけ寝てノートもとらなくてすむ。真壁が来るたび保健室に書類を届けに行く委員長が――骨折り損だと思えた。どうせその書類も適当に捨てられているのだろう。
「どうしたのさ。ほら、座りなよ。ペットボトルだけどお茶もあるぜ」
そういって真壁は藍色の座布団を差し出す。凛はとりあえず座った。
「はい」
真壁はお茶を茶碗に入れて凛に渡した。萩焼の茶碗だ、と雪之助仕込みの目利きで凛は茶碗を眺め、一口飲んだ。
「うまい」
「ここのメーカーのが一番すきなんだ。紅茶よりやっぱ緑茶派だよ」
「……なんか、昔ながらの家って感じだな、ここ」
「ここはおじいちゃんとおばあちゃんの家さ。お母さんとお父さんと、俺と、五人で暮らしてたんだ。――もうおじいちゃんもおばあちゃんもいないけどさ」
そういって真壁は座布団の上で体育座りをする。
「……亡くなったの?」
「おばあちゃんはね。おばあちゃんが死んでからおじいちゃん、なんか駄目になっちゃってさ。よくいうじゃん、妻が死ぬと夫は長生きしないって。ボケちゃってさ……夜、あちこちをうろうろするんだ。困ったよ。時間がかかったけど、去年やっと老人ホームに入れられたんだ。みんなおじいちゃんの介護ですっごく疲れてた。俺もすっごい疲れた。だから老人ホームに入れるって聞いた時はすげー嬉しかったけど、すげー淋しかった。俺をかわいがってくれたのはおじいちゃんだったから。もう死ぬまでこの家に帰ってこないんだって思うとさ。この家はおじいちゃんの家なのに」
凛は茶碗を持った手を膝の上に置き、静かに真壁が喋るのを聞いた。自分を可愛がってくれたのも、祖父だ。
「まえさ、俺学校いってないっていったろ……お父さんはめっちゃ怒るし、お母さんはいつも「自分の育て方が悪かった」っていうんだ。それ酷くない? まるで俺が駄目な奴みたいじゃん。――俺はさ、なんていうか、学校ってダメなんだ。苦手っていうかわちゃわちゃみんな一緒にいるのがダメ。集団行動っての? どうもね……昔はすっごく我慢して行ってたんだ。頑張って小学校の卒業式に出たよ。中学も頑張ろうと思ったけど、何でこんなに頑張んないといけないのかわかんなくなっちゃった。それからはまあ、だらだらと行ったり行かなかったり。おじいちゃんは無理していくことはないって言ってくれてたんだ。だから反対に小学校はいけたのかも」
「……好きなこととか、ある?」
「趣味? んーあるけど引くと思うよ。ほら」
そういって真壁は立ち上がり障子をあけた。真壁の部屋なのだろう、勉強机や本棚が置かれているが、大量の漫画と美少女のフィギュアで埋まっている。壁には漫画のキャラクターの全身ポスターが貼られてあった。はー、と凛は部屋を見回して、
「こりゃすごい」
「だろ? 自慢じゃねーけど俺は筋金入りのオタクなんだ。不登校のオタクなんて絵にかいたようなダメっぷりだよな。アリスだってキモイと思うだろ?」
「自分がだめなやつとは思ってないんだろ」
「ダメとは思わないけど世間から見ればダメなんだろ」
「学校の、漫研の奴とかと話が合うんじゃないか」
「そんなの無理だよ。不登校の奴に今更誰が話しかけるっての? 俺は珍獣と同じなんだ。大勢の奴に遠巻きにされるだけで……。ネットの掲示板で話してる方が楽さ!」
「……」
凛はフィギュアが飾られた棚を見ていたが、美少女のフィギュアが並ぶ中で異色のものを見つけた。
(これ……僕も持ってる奴だ……!)
それは宇宙をテーマにして売り出されたフィギュアコレクションで、一箱五百円の当時の凛にとっては厳しい出費だった代物である。六種類あって箱買いすれば一度にすべて揃うが、三千円を一括で払うのは難しかった。なのでお金に余裕ができるとせっせと買いに走ったものである。精巧にできていて、ロケットが宇宙へ飛び出す様や、典型的火星人の姿など天文ファンには心躍る物ばかりだった。特に凛が気に入ったのは立方体の、透明なクリスタルガラスのなかにレーザーで刻印された銀河の姿だ。フィギュアというより置物なのだが、これを一番の目当てにしていた。他のフィギュアはしまってあるが、これだけは今でも凛の机の上に飾ってある。
「こ、これさ、もしかして宇宙とか星とか興味あるの?」
真壁はちょっと驚いたような顔をして、
「ああ、まあ、ちょっと。宇宙とかって中二病をくすぐる言葉が多いからさあ……スローン・グレートウォールとか、クエーサーとか……」
「結構詳しいじゃん! よく知ってないと出てこないよ、グレートウォールなんか」
「もともと星に興味があったわけじゃなくてさ。小さいころにある本を読んだんだ。天文台に住む犬の話なんだよ。生まれてから亡くなるまでの一生が書かれてて……恥ずかしいけど、感動して泣いちゃったんだ。それから興味がわくようになった。その犬の飼い主が橘さんて言うんだけど」
「橘さん!」
凛が目を輝かせて真壁に近づく。
「それって橘光祐さんだよね!?」
凛の気迫に押されて真壁が少し後ろへ下がる。
「お、おう。よく知ってるな」
「リトル・ウィッチは何でも知ってるのだ。有名な天文写真家だろう」
「ああ……それで橘さんが書く本や写真なんかはチェックしてるんだ」
「それもネットで話すの」
「別に。ネットじゃもっぱら漫画やアニメの話さ。わりと橘さんとかのマジな話できるとこってないんだ。スレ立てても過疎って落ちちゃうし……」
ふーむ、と凛は上目遣いに真壁を眺める。
そう悪い奴でもないじゃないか。
「じゃあ真壁は橘さんの話ししたいんだ」
「……まあ、できれば、な。でもマイナーすぎてそんな相手はいないよ」
真壁は照れくさそうに言って茶をがぶりと飲み干す。凛ももらった茶を一口飲むと立てかけておいたシグナスをよいしょと手にし、庭に出て乗るとふわりと宙に浮いた。真壁が慌てて、
「お、おいどこへいくんだよアリス!」
「君の願いを叶えてあげるよ真壁。今度学校に行くことがあったら、君の所へ律儀に書類を届ける委員長に橘さんの話をするといい。彼なら橘さんの話ができるところを教えてくれると思うよ」
「おい、アリス!」
凛は手をひらひらと振って、
「お茶ありがとう。おいしかったよ。バイバイ」
そういって凛は真壁の家を後にした。
二日後。
今日も今日とて自分以外誰もいない理科室で凛は日誌を書く。今日は委員長が保健室に向かった。来ているのだ。だから近づいてくる足音が誰だろうと不審には思わない。コンコン、とわざわざ扉を叩く音がして遠慮がちな声がした。
「す、すみません。真壁って言うんですけど」
そういっておずおずと扉が開かれると、凛は満面の笑みで、
「ようこそ、天文部へ」
そういって待っていた相手へ椅子を差し出した。
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