勇者9
朝日が、地平線から顔を出す。
昨日までは家々と防壁により、早朝の朝日は遮られていた。しかし今は違う。魔王の風魔法により住宅も防壁も王城も破壊され、辺り一帯はすっかり更地と貸していた。朝日を遮るものはない。
眩い光が、宵闇に隠されていたものを暴く。
……粉々になった瓦礫の平野に、赤黒いものがちらほらと見受けられる。身体を失った腕や足が転がり、跡形もなく消えた身体が見舞われた惨事を物語っていた。
多くの人間がこの戦いで死んだ。
多くの財産も失われた。
王城の倒壊で、王国政府の機能も麻痺するだろう。
被害は甚大を通り越したもの。時間を掛ければ取り戻せるものもあるが、二度と戻らないものも多い。無意味な犠牲とは言わないが、失われた命を「必要な事」だなんてとてもじゃないが思えない。
しかしそれでも、数多の犠牲の果てに倒したのだ。
魔王ワイバーンを。
「……ようやく、見下ろせたわ」
ぽそりと、スピカは独りごちる。
大地に転がる、ワイバーンの頭。
揮発油による大爆発は魔王の体内で起きており、そこから遠く離れた頭や翼は(形を留めているという意味では)無事だった。頭部はごろんと大地に転がり、横たわっている。
頭だけでも人間の身長よりも遥かに大きいが、あくまでもそれは奥行きの長さだ。横幅は流石に人間の身長ほどはない。横たわった状態であれば、辛うじてスピカでもその目を『見下ろす』事が出来た。
頭だけになっても生きていけるような生物など、スピカが知る限り、脳みそもない単純な軟体生物のような『下等』生物でなければあり得ない。ワイバーン達ドラゴンは立派な肉体を持った高等な生物。頭だけで生きていくなど不可能だ。
とはいえ魔王には魔法という超常の力がある。天変地異をも超える威力の魔法が使えるなら、常軌を逸した回復の魔法も使えるかも知れない。故にスピカは警戒していたのだが……
横たわる目に生気はなく、焼け爛れた首の断面は香ばしい匂いを漂わせている。死んだフリだと考えるには、迫真の演技が過ぎるというもの。
それでも念のため、持っていた矢の一本を目玉に突き刺す。ぶちゅりと眼球の中身が出てもぴくりともしない頭を見て、ようやくスピカは確信した。
魔王は死んだ。
ついに自分は家族と村の仇を討ったのだ。
「ふ、ふへ……」
途端、スピカの足腰から力が抜ける。地面に座り込んでしまい、立とうとしても力が全く入らない。
今になって疲れが出たのか。はたまた魔王の死に安堵したのか。きっと両方なのだろう――――自覚してみれば、今度は笑い声が腹の底から込み上がる。抑えようにも抑えられないほど強い衝動の。
いや、どうして抑える必要があるのか。
ついに長年の『夢』を叶えたのに、喜びを抑えてどうする。
「やった……やったぁーっ!」
スピカは両手を上げ、子供のようにはしゃいだ。
「スピカぁーっ!」
「どぐぇっ!?」
直後背中から強烈な一撃が。油断しきっていたスピカは受けた痛みに、乙女らしからぬ呻きを上げる。
何が起きたと後ろを振り返れば、そこには見慣れた顔がこちらを見ている。
ウラヌスだ。彼女の身体は土汚れに塗れていて、お世辞にも綺麗とは言い難い。しかしその身体を引き離そうという気持ちは、スピカの中には一寸たりとも湧かなかった。
思い起こされる、数々の助力。魔王の気を幾度となく引き、最後は魔王の行く手も遮ってみせた。彼女がいなければ、きっと魔王は倒せなかっただろう。勿論自分の命も今頃天に昇っていた筈だ。
どれだけ汚れていても大切な『仲間』だ。彼女を突き放すなんて真似、スピカには出来なかった。むしろ感極まって、巻き付く腕を掴んでしまう。
「ああ、ウラヌス! やったわ、やったの! 私、ようやく……!」
「うむ! 魔王を討ち倒したな! 戦士として名を上げたぞ!」
「いや名とかどうでも良いから!? 私の目的は復讐! 前に話したでしょ!?」
「む? そうだったか?」
いや、やっぱりコイツは突き飛ばすべきか――――目的をすっかり勘違いしていたウラヌスにスピカは冷ややかな視線を向ける。とはいえ彼女がこれまでしてきた貢献が、綺麗サッパリ消えてなくなる訳でもない。
ウラヌスに感謝を伝えようと、スピカはその顔を見つめる。
「いやはや、まさか本当に魔王の征伐に成功するとはな」
尤も、その言葉を伝える前に横から声を掛けられたが。
声の主はアルタイル。鎧どころか下着もボロボロで、鍛え上げられた上半身が露わになった姿だ。年齢的には中年のおじさんだと言うのに、その肉体は不老不死を彷彿とするほど若々しく、そして逞しい。
王都の年頃な女子達が見れば、黄色い悲鳴を上げたたろう。尤もそうした事にあまり興味がないスピカは、話に横入りされて少し不機嫌だったが。しかし王国最強の騎士に話し掛けられて、それを無視するなんて無礼は出来ない。スピカは一旦言葉を飲み込んで、アルタイルの顔を見ながら返事をする。ちょっとばかり、嫌味な感じを込めて。
「あら、信じてなかったの?」
「可能性として高くないという話だ。現実にするため、全力は尽くした……だからこそ、我々は勝利している」
「そうね。私達は、勝ったのね」
染み染みと、スピカはその言葉を声に出す。
復讐は何も生まない。
家族の仇討ちをしようとしていると明かした時に、数多の人達から掛けられた言葉だ。
確かに、その通りだった。
魔王を倒したところで、スピカは何も得ていない。むしろ何か、大事な気持ちが抜け出てしまったような気さえしてくる。だけど抜けた分だけ軽くなり、何処までも歩いていけそうな気分でもある。
復讐は前に進むためにするもの。これでようやく、自分は自分の道を進んでいけるのだ。
「(とりあえず、みんなのお墓に報告でもしようかな)」
今後の事を考えつつ、くすりと笑うスピカ。
ともあれ今は疲れた。あれやこれやと難しい事は後回しにして、ぱたりとこの場で寝てしまいたい。
それはあまり好ましくない衝動だ。魔王を倒したとはいえ、それで全部終わりではない。避難した人々に安全を伝え、瓦礫に埋もれているかも知れない仲間を助け、犠牲者を特定する……やるべき事は山積みだ。しかし自分は魔王に止めを刺したんだし、それぐらいのワガママは言ってもいいでしょと思ったスピカは、身体がぐらんぐらんと上下に揺れ始めた。寝る気満々だった。
丁度、そんな時である。
「勇者だ……」
誰かがぽつりと、言い出したのは。
「勇者?」
「ああ、みんなも見たよな? 最後の弓矢が、魔王に止めを刺したのを」
「勿論! あれがなければ魔王は逃げていただろうな」
「そもそも、揮発油を吸わせていなければ……」
ざわざわと、周りから賑やかな声が次々と上がる。他人の話などスピカは大して興味もないのだが、何故かそれらの言葉は妙に気になった。
理由を考えてみれば、答えはすぐに辿り着く。出てくる話題のどれもこれもが、スピカのしてきた事なのだから。
「(いや、そんな褒められても照れるんだけど)」
実際、振り返れば魔王を追い詰めた作戦はどれもスピカが考案したものである。魔王討伐に大きく貢献したと言えよう。
しかしどの作戦も、スピカ一人では出来ない事だ。トリモチで引きずり下ろす馬力なんてスピカにはないし、揮発油だって結局魔王には気付かれている。止めを刺せたのはウラヌスや大勢の兵士達が魔王の逃げ道を塞ぎ、スピカが弓を構えるまでの時間を稼いでくれたから出来たお陰。止めを刺した揮発油だって、交易都市で家出娘ことフォーマルハウトと出会わなければ縁がなかっただろう。
それを如何にもスピカの手柄みたいに話されると、スピカとしてはちょっと褒め過ぎに思えてならない。
「あの作戦のどれか一つでもなかったら、魔王は倒せなかっただろう」
「それに、俺は見ていたぞ。魔王に踏み付けられても、最後まで諦めずに戦った姿を!」
「ああ! 魔王を地面に引きずり下ろした時も、勇ましい姿を見せたしな!」
ところが冒険家や兵士達は、冷静になるどころかますます盛り上がっている。さながら興奮した酒場の酔っぱらい染みた勢いだ。
何か、雰囲気がおかしくないだろうか? スピカは違和感を覚え始めたが、しかし勢いに乗った他人の会話に首を突っ込むのは中々勇気が必要な事。
そうして迷っている間にも、あれよあれよと話は盛り上がり。
「勇者と呼ぶに、相応しい」
「ぶふうぅーっ!?」
ついに出てきたその単語に、スピカは思いっきり吹き出した。
勇者……勇ましい者を意味するその称号は、考えなしにドラゴンへ突撃すればもらえるものではない。勇ましさの先に成果があって、ようやく与えられる。
それも野良ドラゴンを一体倒したようなヌルい成果ではない。一騎当千の働きをした騎士や、前人未到の大地を踏破したとか、生半可ではない偉業が必要だ。それこそ書物に名が残り、後世に語られるようなものではければならない。
そんな称号が相応しいと言われたら、誰だって戸惑うというものだ。
「ふむ、そんなに驚くものか? 魔王討伐の立役者という功績を鑑みれば、むしろ妥当なものだと思うが」
「それは! そうかもだけど! でも私一人の力じゃないし!」
「作戦を考えついたというだけでも、十分称賛に値するだろう。君に勇者の称号を与える事に、王も賛同するに違いない。俺からも推薦しよう」
「ちょ、ちょ!? 勝手に決めないでよ!? いらないわよそんな七面倒な称号! つか完全に誤解を招くやつじゃない!」
抗議の声を上げてみたが、アルタイルは目を逸らして無視する。スピカの不満をよく分かっているようだ。その上で、推薦を止めるつもりはないらしい。
腹立たしいが、分かっている奴を罵っても意味がない。本当に止めるべきは、分かっていない奴等の方。しかしそういう人間に限って勢いがある。
パチパチ、パチパチ、パチパチ。
何時の間にか周りがしている拍手は途切れない。それどころかどんとん強く、早くなっている。冒険家も兵士も笑みを浮かべ、スピカに向け、惜しみなく称えてくる。
どうやら『勇者』の称号は、すっかりスピカのもののようだ。
「(ほんと勘弁してよ!?)」
それを察したスピカは、さぁっと青ざめた。
別段、褒められるのが嫌なのではない。勇者が嫌いという事もない。
だが勇者扱いとなれば、自分の名は世界中に轟くだろう。町を歩けば子供達から勇者様と呼ばれ、大人達から媚びるように勇者様と崇められる。これぐらいなら、鬱陶しいだけで実害はないのだが……人間というのは他力本願だ。「伝説の魔王を打ち倒した勇者様」なら、きっとなんでも解決してくれると期待するに違いない。例えば家畜を襲うワイバーンの退治とか。
そんなの御免だ。スピカは自由気ままに自然を旅して、自由気ままに暮らしたいのである。冒険家としての仕事は必要最低限にしておきたい。復讐を果たして自由になった今ならば尚更に。大体魔王の討伐は皆で成し遂げた事だ。ドラゴン退治を期待されても、一対一なら普通に喰い殺されるに決まっている。
しかし周りはスピカを勇者として讃える気満々。このままだと問答無用で勇者にされる……まるで勇者を悪名扱いだが、スピカからすれば似たようなものだ。
ここは逃げるしかない。されど周りは完全に冒険家達(及び王国最強の騎士)に包囲されていて、脱出は極めて難しいと言わざるを得ない。
ならば超人的な身体能力に頼るしかないだろう。
「う、ウラヌス! 私を抱えて! そんで此処から逃げるわよ!」
スピカはウラヌスに対し、素早く指示を出す。
ところがどうしたのか。ウラヌスはぴくりとも動かない。
今まで指示を出せば颯爽と行動してくれたウラヌスが、何故今回に限って動いてくれないのか。困惑からスピカが固まっていると、ウラヌスは腕を組みながら、悩ましげに首を傾げる。
「なぁー、そういえば私とスピカが一緒に旅するの、そろそろ半年ぐらい経つか?」
「は? いや、今そんな事言ってる場合じゃ……」
「一緒に旅する期間は半年だし、そろそろお別れの時期なんじゃないか?」
お別れの時期。
確かにスピカはウラヌスに対し、半年間限定で旅の同行を許した。そしてその期限が間もなく来るのも間違いない。
この問題にはスピカ自身、どうすべきか迷っている。
一緒に旅する中で、言い争いは何度もしてきた。馬が合わない事も少なくないし、先の勘違い発言も度々ある。正直何度も呆れているが、だからといってウラヌスの事が嫌いかと言えば……そうではないと渋々ながらスピカも認めるところ。
このまま、今しばらく旅を共にするのはやぶさかではない。
しかしウラヌスも故郷に帰らねばならない身だ。これまではスピカに恩を返すという名目で旅を共にしてきたが、魔王との戦いだけでも十分返してもらっている。何時までも彼女を『束縛』するのは、彼女とその家族や民族にとって失礼かも知れない。
だから、何時かは真剣に話し合わないといけない事だ。どんな結論に達しようとも。
――――が、今言う事じゃない。なんというかもっと空気を読むべきである。
「(いや、それとも空気を読んだ結果なのこれ!?)」
ある方針を『目的』とするなら、ウラヌスの発言は極めて戦略的だ。選択肢をチラつかせながら対価を要求するのは、交渉の基本戦術である。時間的猶予がない、危機的状況下なら特に効果的だ。
まさかウラヌスがこんな高度な交渉技能を……とも思ったが、本気で悩んでいる顔を見て察する。
コイツは何も考えてない、今なんとなーくそう思ったから言っただけだと。
「(ただただ間が悪いだけだコイツぅーっ!?)」
或いは野生の勘が成し遂げた奇跡か。しかし重要なのは相手の認識ではない。
じりじりと躙り寄る感謝する人々と、勇者に仕立て上げようとする国家の犬。敵意はないのに恐ろしい連中が、どんどん距離を詰めてくる。ウラヌスに対し、丁寧に説明している暇はない。
決断を迫られたスピカが出した答えは、自分の『願望』に従う事。
「……一年」
「む?」
「一年、契約を延期! あと一緒にアンタの故郷の帰り方を探してあげる! だからもうしばらく私の指示を聞け! 以上!」
捲し立てるように声を荒らげるスピカ。力強く声を出したからか、身体が熱くなる。特に顔が赤くなっているのが、自分自身の感覚で分かった。
それがなんとも恥ずかしい。しかし顔を背けると恥ずかしさを認めているような気がしたので、スピカはそのままウラヌスの顔をじっと見つめる。
ウラヌスは最初、呆けたような間抜けな表情を浮かべていた。
されどすぐに満面の、満開の花のように明るい笑みを浮かべる。キラキラと目を輝かせ、こくんこくんと大きく頷く。
言葉以上にハッキリとした意思表示。これにて『再契約』完了だ。
「おっし! 後は任せろーっ! ……で、どうするんだー?」
「とりあえず……正面に向けて突撃ぃ!」
「おー! それは良い作戦だな!」
スピカの大雑把な作戦に、ウラヌスは元気よく応える。スピカを抱えたウラヌスが、力強く走り出す。驚く冒険家達に臆する事もない。
――――復讐は終わった。
しかしスピカの命はまだ続く。復讐は楽しかった訳もないが、目標のある人生はメリハリがあった。その目標を達成した今のスピカは、空っぽの状態である。勿論死ぬ気なんて微塵もないが……意地でも生きていこうという気力は、以前よりも乏しい。
気力で生きていけるほど自然は甘くない。されど気力を出さねばならない時は山ほどある。何より人生を『明るく』彩るのに、どんなものであれ目指すものはあった方が良い。
とりあえずの目標として、先程ウラヌスに伝えた故郷までの帰り方探しという『約束』を果たすのも悪くない。
それが次の大冒険の始まりであり、後に勇者スピカの冒険譚第二章として語られる物語の始まりなのだが……未来の事など知る由もないスピカは、能天気かつ軽率に人生の新たな目標を定めて、勇者の称号から逃げ出すのだった。




