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アベンジャー・マギア  作者: 彼岸花
勇者

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勇者8

 火を吐く直前の体勢で、魔王はぴたりと動きを止めた。


「……………!?」


 魔王は目を白黒させる。息を吸ったまま吐き出さない。そしてそれが苦しいようで、バタバタと翼を羽ばたかせる。

 勿論苦しみの原因は、息を吸ったままだからだ。吐いてしまえば楽になる。人間と同じ事。だが魔王は決して息を吐かない。歯をがっちりと食い縛り、絶対に出さないという強い意志を示す。

 魔王の行動は、傍から見れば意味不明だ。しかしスピカからすれば『想定』通りの反応である。いや、正確には想定とは少し異なるのだが……何故魔王が息を吐こうとしないのか、その根本原因は分かっていた。


「ちっ。余裕は見せても、やっぱり油断はしないか……もう少しだったのに」


 故に悪態を吐き、ちらりとその原因に目を向ける。

 魔王がブレスを止めた理由――――それはスピカが地面に叩き付けた硝子瓶、その中身である透明な液体だ。

 名を、揮発油という。

 以前宝石都市の復興市で買った代物。鉱山の地下深くで得られた油を加工したというそれは、一度火を付ければ爆発するように一気に燃え上がる。あまりにも燃えやすくて扱いが難しく、産業用どころか攻撃用としても使えない。

 何より、名前の通り極めて揮発しやすい。

 それをスピカは硝子瓶に詰めていた。勿論地面に叩き付けた際、辺りにばら撒かれている。

 撒き散らされた揮発油はさぞやたくさん蒸発し、空気中を漂っている事だろう。スピカの鼻を独特な悪臭が刺激している事から、それは間違いない。そしてブレスを吐くために、魔王は深々と息を吸い込んだ。大量の揮発油も一緒に吸い込んだ筈だ。

 ドラゴンの身体には、ブレスの逆流を防止する仕組みがある。まずガスの放出口が喉奥にあり、身体の奥深くではない事。口内でガスに火を付けたとして、逆流した炎が焼くのは精々喉奥まで。大抵のドラゴンは喉奥の皮膚と粘液が分厚く、火傷しないように出来ている。そもそも空気と一緒に外へと吐き出すので、炎が逆流してくる事自体が稀な展開だ。

 しかし魔王が吸い込んだ揮発油は、息と共に肺の奥まで入り込んだ。この息と炎が接すれば瞬く間に燃え広がり、肺の奥深くまで達するだろう。いや、それどころか急速な燃焼……空気の膨張により『爆発』が起きるかも知れない。

 魔王といえども肉体は普通のワイバーンと変わらない。身体の内側から爆発が起きれば間違いなく致命傷だ。


「キュ、キュ……キュゥゥ……!?」


 ジタバタと藻掻き、必死に息を止める魔王。本能で危険を察したのか、はたまた炎を吐く寸前に何かしらの違和感を覚えたのか。いずれにせよブレスを吐くのは不味いと思ったらしい。

 思い留まる事はスピカにとって想定外。

 しかし揮発油を吸い込むところまでは、スピカにとって想定通りの結果だった。


「だけど、予想通りね。やると思っていたのよ、勝ったら町を燃やすって」


 勝ち誇った台詞と共に脳裏を過る、魔王が繰り広げてきた破壊の数々。

 スピカの村を焼き払い、防壁都市も焼いた魔王。無惨で恐ろしい光景であるが、同時にそれは奴の嗜好を物語る。

 コイツは燃やすのが大好きなのだ。おまけに魔法ではなく、ブレスによってやるのが。

 或いは魔王なりの勝利宣言なのかも知れない。いずれにせよ魔王は敵を倒した後、周りを燃やす事を明らかに好んでいる。王国内で聞いた数々の噂……何処そこの村が跡形もなく焼かれたという話もそれを物語る。

 今回、王国は総力を集めて魔王に挑んだ。魔王にとっても、今までで一番手強い相手だったに違いない。その強敵を倒した後、果たして奴は()()()()()()()()()()

 いいや、間違いなく燃やす。それも魔法の炎ではなく、きっとブレスを吐くに違いない。無論、勝利宣言などされずに倒すのが理想的だが……魔王の強さの底が見えない以上、どれだけ戦力を投じたとしても必ず勝てる保証はない。故にスピカは最後の手段として、揮発油入りの硝子瓶を用意しておいた。

 最後の奥の手であるが、上手くいく保証はなかった。魔王がもしも合理的な『野生動物』だったなら、きっと失敗していた。

 スピカは賭けに勝ったのだ。

 ――――否、まだ勝ち誇るには早い。


「キュ、プ、プヒュ……!」


 魔王の口から少しずつ、少しずつ、空気が漏れ出ている。

 どうやら吸い込んだ空気を、少しずつ吐き出しているらしい。ワイバーンは息を吐けば奥歯が動いて火花を散らす。しかし見方を変えれば、力強く息を吐かなければ火花は起こらないのだろう。

 極めて慎重な吐き方をすれば、吸い込んだ息は出ていく。間抜けにも思える姿だが、空気を抜くという点では正しい行いだ。

 このままでは魔王は安全にこの危機を脱してしまう。そうなれば折角の奥の手も台なしだ。いや、魔王が『学習』してしまう事も考慮すれば、これが失敗したらいよいよ人類に打つ手がなくなる。

 ここで倒さなければ。しかしスピカは今、魔王に踏み付けられて身動きも取れない。

 誰か一人でも、動ける者はいないのか。


「誰か……誰か! 今魔王に息を強く吐かせれば、コイツを倒せる! 誰か!」


 スピカが渾身の力で叫ぶと、魔王はギョッと目を見開きながらスピカを見た。人間の言葉は分からずとも、雰囲気から察しただろう――――仲間を呼んでいると。

 そうはさせまいとばかりに、魔王の足先に力がこもる。元よりその気になれば体重だけでスピカの命を奪える巨躯。スピカを黙らせる事など造作もない。

 加わる圧力に意識が遠退くも、ならばと逆に力強くスピカは苦しみの声で叫び、


「任せろぉ!」


 聞き慣れた声が、応えた。

 どんっ! という爆発音と共に、スピカの近くで土煙が上がる。なんだ、と思うまでもない。

 ウラヌスが空を飛んでいる。

 否、跳んでいる! 瓦礫の下から力強く跳び出したのだ。恐らく魔王が繰り出した風魔法を避けるため、一時的に瓦礫の下に身を隠していたのだろう。獣染みた隠れ方だが、こうして無事だった以上効果は覿面だったらしい。

 まさか生きている人間が他にいるとは思わなかったのか、魔王はウラヌスを大きく見開いた目で見つめるばかり。冷静ならば翼で叩き落とすという手も使えただろうが、溜め込んだ息が漏れ出ないよう苦心している今、そこまで的確な判断は下せず。


「だぁりゃああっ!」


 叫びと共に繰り出したウラヌスの蹴りが、無防備な顎を打った!

 風魔法による守りもなかったようで、魔王は大きく仰け反る。致命的な打撃ではない。だが一息でも漏れれば命はない。魔王が翼はバタバタと振り回し、転ばないよう慌てふためくのは必然だ。

 その中で片足が上がり、スピカの身体を抑え込んでいた力も消える。とはいえ今まで踏まれ、背中に爪まで刺されたスピカにすぐさま動き出す余力はない。

 スピカが跳び出した瓦礫の隙間から現れた大男――――先輩冒険家がスピカを引っ張ってくれなければ、戻ってきた魔王の足に踏み潰されていただろう。


「大丈夫か!? 無理しやがってこの野郎!」


「せ、先輩……は、早くアイツを……!」


「分かってる! 俺達も、ただ瓦礫の下に隠れていた訳じゃねぇからな!」


 スピカの言葉を待たず、先輩は大きな声を張り上げる。


「うおおおおおおおお!」


「よくもやってくれたなこの化け物!」


 その声を合図とするように、次々と瓦礫の下から人間達が姿を表す! 冒険家のみならず鎧を着た兵士達の姿もある。

 数も一人二人なんてものではない。五人六人十人十五人……魔王との戦いが始まる前と比べれば殆ど残っていない、だが両手の指では足りない数の人間達がまだ生きていた。

 確かに全体から見ればほんの一部。しかし魔王の繰り出した竜巻の破壊力を考えると、一部でも生き延びている方がおかしい。

 疑問の答えは、ウラヌスが跳び出した瓦礫の下にある。


「(通路……? 違う、これは地下室か!)」


 瓦礫の下には小さな部屋があったのだ。王都には食料貯蔵庫として地下室のある民家が多い。その地下室に隠れる事で難を逃れたのだろう。

 地下室は全ての家にある訳でもなく、そもそも家に押し入る猶予もあったとは限らない。だが何百もの人がいれば、そのうちの二十人ぐらいは生き延びてもおかしくない。

 人間の生活の工夫が、人間の命を守ったのだ。


「キププププ……!?」


 まさかこんなにも人間が生き延びているとは魔王も思わなかったらしい。攻撃するでも笑うでもなく、慌てふためいた声を漏らす。

 その動揺した素振りは、人間達が突撃を始めた事で一層強まった。先輩冒険家もスピカを置いて駆け出し、それなりに大きな編隊を作れば、魔王は怯えたように後退りする。

 これまでの魔王なら、こんな無謀な突撃には風魔法の一つでも放てば終わらせる事が出来た。勿論ブレスでも良いし、雷魔法や炎魔法でも良いだろう。

 しかし今は違う。お得意の炎を吐く訳にはいかない。引火の可能性を考えれば炎魔法も使えない。風魔法で守りを固めても、松明などを投げ付けられたら吐息に燃え移る可能性もあるから迂闊に纏う訳にもいかない。落雷を受けた木は燃えるというから、雷魔法も厳禁だ。

 あらゆる攻撃・防御手段が無効化されたのだ。魔王からすれば対抗手段が何も思い付かないに違いない。百戦錬磨の手練であれば、今までの経験から新しい攻撃も考え出せただろうが……魔王は圧倒的な魔法の力で全てを片付けてきた存在。百戦錬磨ではあっても、手練ではないのだ。

 このまま右往左往している間に倒されてしまえ。スピカは心の中でそれを祈る。

 しかし、そうもいかない。

 魔王が人間だったなら、恐らくその願いは叶っただろう。されど魔王は獣だ。知能は人間並に優れていようとも、本質的なものの考え方はケダモノのそれである。

 獣には矜持も自尊心も屈辱もない。


「キュ、キュプゥゥーッ!?」


 恥ずかしげもなく背中を見せ、逃げ出す事に躊躇などしないのだ。


「ま、不味い……!」


 思わずスピカは悪態を吐く。

 逃げるというのは人間的には無様だが、合理的に考えれば至上の策だ。もしも魔王を逃せば、奴は安全な場所で悠々と体勢を立て直す。安全に万全の体制を取り戻し、苦戦という経験により成長した魔王を止める手立てはあるまい。

 そして魔王は巨大だ。大きな生物というのは、それだけで歩幅が広くなるため動きが速い。並のワイバーンの倍の大きさを誇る魔王の動きは、例え飛ばずとも人間より遥かに素早い筈だ。一直線に逃げられたら、追い付きようがないのである。

 どうすれば止められる? スピカは必死に考えを巡らせるも、間に合わない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()


「やらせるかぁぁあっ!」


 雄叫びを上げ、魔王の正面から向かう者が一人。

 アルタイルだ。王国最強の騎士も風魔法の洗礼を生き延び、そして魔王が他の者達に意識を向けている間に、魔王の逃げ道を塞ぐように回り込んでいたのだ。

 叫びと共に迫るアルタイルは、大剣を構えていた。ワイバーンの鱗さえも切るであろうその一撃をまともに受ければ、痛みで息など止められまい。

 魔王もそれを認めるように、アルタイルを見るや即座に方向転換。とはいえ冒険家達の方にも戻れず、直角に曲がろうとする。


「おおっと! こっから先は通行止めだぁ!」


 しかしその先にはウラヌスがいた。

 ウラヌスの存在をしかと気に留めていれば、行く手を遮られる事はなかった。だが周りを気にする必要などこれまでなかった魔王に、いきなりそんな真似が出来る訳もない。

 残る道は後ろだけ。されど追い詰められてから、素早く後ろを向くのは難しい。魔王は足を止めてしまい、三方から迫られる。

 そして人間達の持つ武器や松明が、魔王目掛けて振られた


「キュプゥウゥッ!」


 瞬間、魔王の周りに風が吹き荒れる!

 風魔法を使ったのだ。ただし身に纏う形ではなく、外へと押し出すように。

 風で迫る人間達を押し退けようとしたらしい。とはいえ威力はウラヌスを怯ませ、冒険家の男達を転ばせる程度。魔法を使うのにも力がいるのか、息を止めるのに必死な今はあまり強い風を起こせなかったらしい。

 だが包囲網を崩すには十分。


「キゥ、ウゥ……!」


 人間達との距離を開けるや、魔王は翼を大きく広げた。力強く、けれども確かめるように、羽ばたく。

 その力により魔王の身体は宙に浮いた。

 動きは少々ぎこちない。風魔法で飛ぶのに慣れていて、翼を使うのは久しぶりなのだろう。羽ばたき方もかなり必死だ。それでも空に浮いている事に変わりはない。

 人間達は真下で後を追い、やけくそ気味に剣や松明を投げる。ウラヌスも大きな瓦礫を掴み、力いっぱい投げ付けた。

 だがそれらを魔王は振り回した尻尾で打ち払う。

 風魔法による守りがなくとも、高く飛ぶまでに減速した武器など魔王にとって脅威ではない。一時は追い込まれたものの、安全な空に辿り着いた魔王は、口を閉じたまま地上を見下ろした。とはいえ油断してまた捕まっては敵わないと、一直線に飛んでいこうとする。

 ――――その目が向いていない場所に、弓を構えるスピカがいるとも知らずに。


「(動きは遅い。何より直線的で速さの変化がない……やっぱり、逃げ方を知らないね)」


 矢を引き、飛んでいく軌跡を頭の中で思い描く。

 冒険家となってから十年以上の月日を掛け、スピカは技を磨いてきた。ジグザグに飛んでいるなら兎も角、同じ速さで一方向に進む的であれば簡単に当てられる。

 落ち着いて、確実に当てるため狙いを定める中で、スピカは思う。

 恐らく、魔王は自分が何故こんな目に遭っているのか分かっていない。

 何故なら奴は獣だから。力を持って暴れ回ったのも、それが出来たからだ。人慣れした動物は平気で人の領域に足を踏み入れ、納屋を荒らしていく。普通の獣ならそこで大勢の人間に襲われて退治されるが、魔王は返り討ちに出来る力があった。ただそれだけなのだろう。

 そしてその心は稚児のように無邪気だ。人間の子供がアリを踏み潰すように、魔王は人間と自然を踏み潰しただけ。それらとの力関係もまた子供とアリのように開いていたから、出来ただけ。

 魔王といえども悪ではない。いや、悪だなんだというのは人間の感性だ。自然の存在に対して当て嵌めるべき言葉ではない。親や仲間を殺されても、獣達は復讐などしない。野生の世界に正義も正当性もないのである。

 しかし同時に、復讐を止める事もない。

 野生が復讐をしないのは、したところで得るものがないため。何処までも自分本位で合理的なのが野生の生命。それでもするとしても、自然は拒まない。非合理的で損をするのはあくまで非合理な輩なのだから。

 元よりスピカは、自分の気持ちのために復讐を求めている。端から合理的な考えなんて持ち合わせていない。


「これで、終わりよ!」


 スピカが矢を放つのに、躊躇いはなかった。

 腕の痛みを無視して放った一撃は、正確に魔王の鼻先へと飛んでいく。例え金属の鏃が当たろうとも、魔王の鼻に傷は付かないだろう。

 されどスピカが放った矢の先には、小さな袋が付けられていた。

 矢と魔王の鼻先がぶつかった衝撃で、袋の中身が撒き散らされる。中に入っていたのは『粉』。それもただの粉ではなく香辛料の一種。

 ピリリとした辛味と香りが食材を美味しくする反面、鼻をむず痒くさせる代物であり……つまり()()()()を引き起こす。


「ヒ、ヒピ、キ」


 魔王が声を詰まらせる。バタバタと羽ばたいて香辛料を吹き飛ばそうとする。目に涙を浮かべ、必死になって大暴れ。

 しかし鼻の奥に入り込んだものは、もう出てくれず。


「ピキャッ」


 魔王は、くしゃみを一発。

 くしゃみというのは鼻奥などに入った異物を吐き出す行為。ゴミを出すため、空気を思いっきり外へと吐き出す。

 くしゃみだろうとブレスだろうと、揺れ動く奥歯には関係ない。口から出た空気に押し出された歯が、他の歯と接触して火花を起こす。火花は息に混ざる揮発油に火を付け、燃え盛る炎は更に吐息を燃やした。燃えた後には煙と炎を生み出し、それが大きな圧力となって周りを押し広げる。

 くしゃみをした直後、ぶくんと魔王の身体は触れ上がったのはその圧力が原因。

 尤も、身体が膨らんだ事に周りの人間達だけでなく、魔王自身も気付かない。

 何故なら空気の急速な圧力増加は留まる事を知らず――――ついに大爆発を起こし、魔王の肉体は粉微塵に吹き飛ぶ事となるのだから。

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