魔王顕在4
「ぶっはぁー……疲れたぁー」
後方に張られた天幕に辿り着いたスピカは、そこで大きく息を吐いた。
前線では未だ兵士達が戦いを繰り広げている。獣達の大群は未だ途切れず押し寄せてきているようで、人獣の雄叫びと悲鳴が途絶える事はない。
そうなると後方である此処も、騒がしいものだった。
後方には天幕が幾つも、スピカが見る限り十以上張られている。その中の一つにスピカはいる訳だが、中も外も動きが激しい。
天幕内には怪我人が仲間に支えられ、次々と運ばれてくる。軍医が駆け寄り、連れてこられた怪我人を奥へと連れ込む。尤も治療は応急処置程度のもの。そして戦える者は、その処置が済み次第また前線に走り出す。怪我人全員は戻れないが、控えの兵士もいて、彼等が続々と前線に向かっていた。戦力は一定に保たれているだろう。
ちらりと出入り口から外を見てみれば、物資の行き来も激しい。スピカのように弓を使って戦う兵もいるが、その兵が使うであろう弓や矢を抱えて運ぶ者達も見られる。剣や鎧なども運ばれていた。獣達との戦いで壊れた分を補充していると思われる。
正に戦争といった様相だ。前線にいた時にも強く感じたが、後方でもその空気はひしひしと感じる。いや、むしろ直接戦っていない人々も『戦い』に関わっているこの光景は、戦争でなければ起こり得ない。ある意味これこそが戦争の風景と言うべきか。
「スピカ。疲れは取れたか」
天幕内の方を眺めていたところ、カペラの声が背後から聞こえてきた。
彼女も天幕の方に戻ってきたらしい。顔を合わせようとスピカはくるりと振り返り、
頭も鎧も血塗れのカペラを見て、流石に仰天した。
「ぎゃあっ!? え、ち、血……?」
「ん? ああ、返り血だ。鹿とイノシシとクマを剣で倒したからな。流石に一人であれらを倒すのは消耗が激しく、一度休みに来たんだ」
「さらっととんでもない事言うね、アンタ」
自分とウラヌスが協力して倒したクマを、一人で倒したらしい。騎士団長という立場を思えば、きっと周りの騎士達にテキパキと指示を出しながら。
分かっていた事だが、王国で三番目に強いと公式に認められた人間だけの事はある。尊敬の念を抱くスピカ、だったが……やはり頭から血をだらだら流す姿は、ちょっとばかり不気味だ。苦笑いが浮かんでしまう。
「ウラヌスの姿が見えないが、どうした?」
尤も、カペラの方はスピカの態度に気付いていないようで。
余裕はあまりないのだろう。それだけ大変な戦なのだと感じ、表情を引き締めてから、スピカはカペラの問いに答える。
「今は水と食べ物もらいに行ってる。暴れたら喉が乾いたみたい」
「そうか……生きているなら良い。彼女の力は、これから不可欠になる」
安堵したようにぼやくと、カペラはどさりと近くの椅子に座り込む。深々と吐かれたため息が、彼女の心身の疲労を物語る。
「……状況、悪いの?」
スピカはその様子から、戦況が良くないのではないかと感じた。
スピカは前線で戦い、そして勝利した。しかし所詮は局地戦での一勝。勿論こうした一勝を積み重ねていく事で、戦争における勝利は得られる訳だが……言い換えれば全体で負けが続けば、スピカの勝利は埋もれて無意味になる。
何より前線に出ていたスピカに見えていたのは、自分の半径数メトルの範囲内だけ。何百何千メトルにも及ぶ、広大な戦場の全てを知るなど不可能というしかない。そしてこれをするのが指揮官の役割だ。
前線で戦いつつ、全ての戦場の情報を得ていたであろう騎士団長。彼女が優れた指揮能力を持っていれば、戦局の良し悪しは把握している筈なのである。尤も、士気の悪化を懸念して、本当の事は言わない可能性も否定出来ないが……
「いや、悪くはない。むしろ快進撃だ」
しかし当人すら少し困惑したようなカペラの物言いに、嘘はないとスピカは思う。
戦局は有利。その言葉を信じて、スピカはカペラとの話を進める。
「快進撃なのになんでそんな疲れた顔してんのさ」
「解せない。確かに魔王による攻撃を一度は受けているが、公国は王国や帝国に匹敵する規模の国家だ。首都が壊滅したとしても、各地の兵力を集めればまだまだ戦える筈。公国は獣の大群に止めを刺されたようだが、この程度の戦力に潰されるとは思えない」
「……物資がなかったとか、士気が低かったとか、季節が悪かったとかあるんじゃない?」
それとなく考えられる原因を口にするスピカ。カペラもそれを否定はしない。
だが、スピカは薄々感じ取っていた。
動物の大群。勿論これだけでも脅威であるし、キマイラやスライムのような『猛獣』が現れたら、大きな被害が出るだろう。
しかし猛獣なら猛獣で、軍隊ならばやりようがある。確かに大砲すら効かない猛獣であるが、その猛獣から得た骨で作り出した矢や剣ならその皮膚を貫けるのだ。何人かを囮にし、側面から他の兵士が攻撃すれば、一体の猛獣を倒せる。
犠牲が出かねないやり方であり、通常数名程度の少人数で行動し、更にその後も旅を続けなければならない冒険家では真似出来ない作戦だ。しかし大人数で行動し、都市から離れる事もない軍隊ならば、許容出来る犠牲である。数名の命でキマイラなどを倒せるのだから、作戦としてはありというもの。後は指揮官がそれを命じられるかどうかだが、カペラは無意味な犠牲は強いなくとも、国を守るために命を懸けるのは許容していた。この手の指示を出すのに、躊躇いはあっても止めはするまい。
公国でも、指揮していた兵士や騎士が余程無能でなければ、似たような作戦で猛獣は倒した筈。壊滅状態の軍なのでジリ貧になるにしても、数日で崩壊するとは思えない。
何か、大きな『問題』があった筈なのだ。
そしてその問題に、スピカは心当たりがある。きっと、カペラにも。
「だ、団長! 緊急事態です!」
だからこそスピカ、そしてカペラは、天幕内に飛び込んできた伝令の兵士に驚きはすれども――――緊急事態という言葉に、然程戸惑いは覚えなかった。
「……詳細を」
「魔物と思われる生物が現れました! 接敵まで、数分です!」
魔物。要塞都市を壊滅させた元凶というべき存在。
やはり獣達の中に紛れていたかと、スピカは思った。公国が短時間で壊滅した理由があるとすれば、これしかないとも。
ただの家畜だったミノタウロスが、小麦粉を用いた大爆発でようやく息絶えるような存在となる魔物化。確かに牛は人間より遥かに巨大な家畜だが、同時に人間でも扱えるよう品種改良もされている。それが常軌を逸した力を得るのだ。ただでさえ危険な野生生物が魔物と化したら、果たしてどれだけの力を持つのか……
様々な、それでいて抱いて当然の不安がスピカの脳裏を次々と過る。しかし不安のまま動くのは良くない。冷静に、人間の強みである連携を活かさねばと強く思う。
「魔物と思しき生物は、ドラゴンの一種……ワイバーンと思われます!」
しかしそれらの想いは、兵士の一言であっさり吹っ飛んだ。
魔物化したワイバーン。即ち、魔王ではないか。
頭に昇ってきた血で、自分の顔が熱くなるのをスピカは感じる。無意識に歯を食い縛ってしまい、噛み砕かぬよう堪えるので精いっぱい。
覚悟はしていた。冷静さを保つつもりでいた。だが実際には、『アイツ』の姿を想起しただけで我を失いかけている。
辛うじて足を止めていられたのは、ミノタウロスと出会ったから。自分の中に湧き立つ怖さを誤魔化さず、受け入れる事を学んだ結果だ。
「ウラヌス!」
もしもミノタウロスと出会っていなければ、この言葉すらスピカの口から出る事はなかっただろう。
「呼んだかー? もぐもぐ」
呼び声が聞こえたようで、ウラヌスはすぐ天幕内に顔を出す。軍の携帯食(乾燥させたクッキー。食べると口の中が干からびる)を食べていて、警戒心や危機感はこれっぽっちもない。
「魔物が出た! それもドラゴン、ワイバーンが!」
「お? おお! お前の仇がついに来たか! どんな奴か楽しみだな!」
スピカが兵士からの情報を伝えると、ウラヌスは嬉々とした表情を見せる。
楽しみ。成程、確かに楽しみだ。現れたドラゴンが魔王であるなら、その鼻っ柱をへし折った時、どんな反応をするのだろうか。
自然とスピカの顔にも笑みが浮かぶ。
復讐だろうが防衛だろうが仕事だろうが、楽しんでやれるならそれが一番というものだ。
「確かにね! 行くよ!」
「おう!」
スピカが駆け出すと、ウラヌスは残っていた携帯食をぱくりと食べてから追い駆ける。
残されたカペラと伝令は、その背中を見送るのみ。ただしカペラは、小さく、呆れたように息を吐いたが。
「……人の話は最後まで聞けと親から習わなかったのか、あの二人は」
「えっと、どうしましょう? 改めて正確に伝えますか?」
「いいや、放っておこう。スピカの奴は補給を済ませていたし、ウラヌスも空腹を満たしている。回復したなら前線に出てもらった方が良い……ドラゴン相手という強敵相手なら特に、な」
全てを察したように語るカペラ。
しかし彼女は自分で言ったように、伝令が伝える『詳細』な情報に、しかと耳を傾けるのだった。
……………
………
…
未だ獣達との『戦争』が続く前線に戻ってきたスピカは、大きくその目を見開いた。
空高くを飛ぶ生物がいる。
それ自体は、珍しいものではない。虫や鳥だって空を飛ぶし、噂によると海には海面スレスレを飛ぶ魚がいるという。
ならばトカゲが空を飛んでいても、おかしくはない。それがドラゴンという種族ならば尚更に。
「ドラゴン、ドラゴンだ……!」
「退避! 退避ぃー!」
兵士達からも退却の指示が飛び交い、前線が後ろに下がっていく。獣達も怯えたように立ち竦み、右往左往し始めた。
空高く、距離があるため正確な姿はスピカにも見えていない。だが大きな身体と翼を広げる姿は、ほぼ確実にドラゴンと言えるものだった。加えて腕が見当たらないところから、種類の特定は難しくない。
ワイバーンだ。
「大型種との直接対決は、流石に初めてね……!」
ドラゴンを目にしたスピカが最初に独りごちたのは、弱音の言葉。
十年近く続けてきた旅の中で、スピカは生きたドラゴンと幾度となく出会ってきた。ウラヌスと出会った時にも草食性のドラゴンと出会っているし、以降の旅でも様々なドラゴンと遭遇している。勿論ワイバーンも、以前ウラヌスと共に『見て』はいる。
しかし直接対決はした事がない。それだけドラゴンが危険で強大な存在だからだ。そしてワイバーンは世界中に分布しているあり触れたドラゴンであり、それだけ環境適正や身体能力に優れた『優秀』な種である。
そのワイバーンの魔物化個体――――魔王らしき存在の出現は、周りにいる兵士達のみならず獣達の士気さえも大いに低下させた。公国を滅ぼした化け物が登場したのだ。真っ当な精神状態ならば、どんなに訓練を積んだ者でも恐怖に慄くというもの。
ただ二人、スピカとウラヌスは違う。
「ウラヌス! 積極的に前に出るよ! 私らで、魔王を討つ!」
「おうよ!」
スピカの呼び掛けにウラヌスは迷わず答え、両腕を構える。スピカも背負っていた弓を持ち、照準を空飛ぶワイバーンに向けた。
あたかもそんなスピカ達の気持ちを汲むように、ワイバーンが降下してくる。
腕を持たないワイバーンは飛翔能力に優れている。それを知らしめるように、空を飛んでいたワイバーンはスピカ達の下に降り立つのに数秒と掛からない。
ごくりと、スピカは息を飲む。
細くしなやかな体躯は、細やかな青い鱗に覆われている。決して屈強ではない身体付きだが、そのしなやかさは女豹や蛇のような、攻撃的な柔らかさだ。尤もその表皮は所々黒ずんでいて、焦げているようだが。
頭の側面からは左右に二対四本の角が、後ろ向きに生えている。その角は雄牛ほどの逞しさはないが、無骨な爬虫類の顔を更に厳つく飾り立てる。
そして他を圧倒する巨躯。
これまでキマイラやスライムなど、様々な猛獣とスピカ達は出会ってきた。いずれも人間よりも遥かに巨大だったが……このワイバーンはそれら猛獣よりも更に大きい。砂漠で戦ったバハムートほどではないが、二本足で立つ姿はバハムートに負けじ劣らずの強い威圧感を与えてくる。
正直に言えば、怖いとスピカは思った。しかしスピカは一歩も退かない。ここで退いたらきっと逃げ出してしまうと、直感的に自分の気持ちを理解したがために。
だから頭上にあるトカゲ頭を睨み返した。
そう、体長十五メトルのてっぺんにある頭を。
「……ん、んん?」
違和感を覚えるスピカ。仇のアイツは、こんなに小さくなかったような気がする。
幼少期の記憶故に、大きさの感覚が現実とズレているのだろうか? その可能性は否定出来ないが、だとしてもやはり違い過ぎる気がした。
加えて目は白濁して虚ろであるし、口から涎のみならず胃液も出ているのか、だらしなく開いた口から滴り落ちる液を受ける地面はじゅうじゅうと音を立てている。よく見れば鱗はボロボロで、激しい自傷行為の跡が見えるではないか。
どうやら正気ではないらしい。つまり……
「(あ、コイツただの魔物じゃん)」
人違いならぬ、ドラゴン違いのようだった。
よくよく考えてみれば、魔王は魔物化したワイバーンであっても、魔物化したワイバーンが魔王なのではない。ただの『ワイバーンの魔物』がいても、なんらおかしな話ではなかった。
「スピカ! 仇との戦いだ! 心していかないとな!」
なお、ウラヌスは仇と勘違いしたままである。スピカが魔王が現れたと言ったがために。
激励されてしまい、スピカは内心酷く動揺する。どうしよう、これやっぱ私の勘違いでしたとか凄い恥ずかしいやつじゃん――――脳裏を過るしょうもない考え。一体どうしたものかと、魔王でない相手に物凄く頭を働かせる羽目になる。
ただ、考えてみればこの戦い、悪いものではない。
魔物と化したワイバーン。魔王と呼ばれている個体と、一体どれだけの違いがあるのだろうか? 少なくとも種族的な違いはない筈だ。記憶の中の話ではあるものの、魔王の方が大きいので力も強いだろうが……しかし違いらしい違いは、恐らくそれだけ。
ならばこのワイバーンと戦う事は、ミノタウロス以上に予行練習として丁度良い。
「……おうとも! コイツは全力で、ぶっ潰す!」
手頃な『言い訳』を見付けたスピカは、重要な情報は伝えぬままに戦いへの意欲を表明するのだった。




