魔王顕在2
カペラが言っていた通り、防壁には人が何人も通れる大穴が空いていた。
応急処置はしたとも語っていたが、長板を釘も打たずに立て掛ける事は処置と呼ぶのだろうか? やるだけ無駄だと判断した結果だろうし、その労力で戦いの準備を調えた方が良いのは分かるが……気分的に、スピカは苦笑いを浮かべてしまう。
そのオンボロ防壁を兵士達と共に潜り、スピカは町の外へと出る。
町の外に広がるのは、荒れ果てた平野。砂漠ほど乾燥はしていないが、赤茶色の地面は風が吹くと土煙が舞う。樹木は細いものすら生えておらず、簡単に踏み潰せるぐらい小さな草が疎らに生えているだけ。
降雨量の少なさ故の環境だ。このような土地で、草だけを食べてあれほど大きくなるミノタウロスはどんな身体の仕組みを持っているのか……生き物好きとしての疑問が、ふとスピカの脳裏を過る。
だが、その疑問に考察を巡らせている暇はなさそうだ。
「……こりゃ、中々の大群だなぁ」
ぼやくスピカの視線の先、地平線には濛々と立ち上る赤茶色の煙の『壁』がある。
煙を立ち昇らせているのは、無数の獣達だった。
まだ距離があるため正確な種類は分からない。だがこの先の国境線、更にその向こうにある公国は、どうやら自然豊かな土地らしい。ウサギのような小さな生き物だけでなく、大きな獣の姿も多数見られた。ネズミや羽虫も群れに混ざっているだろう。
恐らく、このような大群が王国や帝国に訪れたのは初めてではない。
ただ、その群れはレギオンの住処に入り込んでしまった。結果巨大なレギオンの群れを作り上げたと思われる。この群れも野放しにすれば、何が起きるか分かったものじゃない。
そしてこの奥にいる、魔王も。
「ぅうぅうう、辛抱たまらん! 強者が私を呼んでいる! 突撃だーっ!」
その事に気を引き締めるスピカだったが、相方は空気を読まず。
兵士すら動いていない時に、ウラヌスは一人で猛獣達の群れに突っ込んでいった!
自由気まま過ぎるウラヌスの行動。そしてスピカもその後を追いたかった。未だ姿は見えないが、この先に故郷と家族の仇と思われる相手がいるのだから。せめて本当に魔王の正体が仇なのか、その確信を得られなければ胸の奥底から湧き立つ衝動を抑えられそうにない。
しかしスピカは、カペラから協力を求められている身でもある。勝手な行動をして、軍全体に迷惑を掛けるのは不味い。
思わずスピカは後ろを振り返る。そこに並ぶ数多の兵士達と王国騎士団、そして騎士団を指揮するカペラの意見を訊くために。
カペラは肩を竦めながら、スピカが問う前にこう答えた。
「ここから先は戦場であり、我々は君達の面倒までは見きれない。よって、管轄外だ。私としては、魔王の倒し方が分かればなんでも良い」
つまり、好きにしろ、という事らしい。
「……なら、そうさせてもらうよ!」
ウラヌスの後を追うようにスピカは駆け出す。
「総員、接敵する生物を全て駆除しろ! ただし逃げるものは追わなくて良い! 最優先目標は、魔王と思しきワイバーンだ!」
「帝国兵も負けるな! 我々の祖国は、我々の手で守るのだ!」
「「「おおおおおおおおおっ!」」」
走り出したスピカに続き、カペラと帝国軍指揮官が号令を出す。雄叫びを上げ、鍛え上げられた何百もの兵士が走り出した!
鎧と筋肉の重みで、大地が震える。これが戦場の空気なのかと、このような場に初めて身を置いたスピカは少なからず新鮮味を感じた。
ただ、普通の戦場で戦う相手は人間であり、興奮した動物達ではないだろうが。
「(魔王を探すためにも、まずこの群れを掻き分けないと……!)」
迫る動物達を前に、スピカは冷静に思考を巡らせる。同時に、動物達の様子もつぶさに観察した。
公国にどのような生物が生息しているのか、スピカはあまり知らない。スピカの活動域が主に帝国と王国内であり、その帝国・王国内には多種多様な生物が暮らしている。冒険家という仕事をする以上、生物の知識は必須だが……日々最新の情報を取り入れようとすれば、関わりのない地域の生物まで学ぶ余裕はない。好き故にいくらでも勉強は出来るが、時間がそれを許してくれないのだ。
しかし詳細な知識はなくとも、経験から分かる事も多い。特に生き物の感情については、知識と同じぐらい経験と感性も大事だ。
「(この生き物達、みんな怖がってる……!)」
距離が縮まれば見えてくる、血走った眼や涎の溢れる口……いずれも恐怖の反応だ。細かな種は分からずとも、動物なのだから、基本的な反応は似ている筈。
そうした感覚的なもの以外にも、恐怖していると思わせる特徴がある。迫りくる動物は鳥に獣にトカゲにと、種類を問わない。そして誰もが真っ直ぐ走る事に夢中で、隣り合う生き物に牙を向こうとしない。兎と狐が並んで走るなど、まるで御伽噺のようではないか。
獲物を襲う、或いは天敵から離れないのは、他に優先すべき事柄があるから。例えば圧倒的強者からの逃避がそれに該当する。
つまりこの獣達は、怖いものから全力で逃げているだけなのだ。人間を襲おうという意思は微塵もない。
「(っても、話し合いなんて通じないから……)」
哀れみながらも、スピカは思う。必死に逃げている時、行く手を遮るように立つ輩はどうすべきか?
答えは、スピカの眼前までやってきた牝鹿が教えてくれた。
「キュウゥーッ!」
牝鹿はスピカ目掛け、頭突きを放ったのである!
スピカはこれを横に飛んで回避。走り抜けた鹿は、そのまま真っ直ぐ、隊列を組んだ帝国軍の兵士達へと突っ込んでいく。
兵士の大群など見たら流石に引き返しそうなものだが、鹿は構わず突撃。兵士達が前に突き出した剣をその身に受ける。
しかしそれでも鹿は前に進もうとしていた。
「キュゥアアッ!」
「キィヤァァァァーッ!」
仲間が血塗れになっても、鹿達は止まらない。続々と突撃を続け、兵士達に突っ込んでいく。
『皆殺し』を目的にしていないので、スピカは当たるものだけを躱せば良い。故に今のところどうにか耐えているが……国民とその財産を守る兵士達はそうもいかない。鹿に対し次々と剣を振るい、串刺しにして仕留めているが、多勢に無勢だ。
剣から引き抜く瞬間他個体の体当たりを喰らって吹き飛ぶ、死んだ後も勢いは止まらず突っ込む、二体同時に来て片方と激突する。鹿達の『攻勢』に人間は徐々に押されていく。
そして鹿ばかりが突撃するのは、彼等の足が動物の中では一番速いからだ。頭上を飛んでいく鳥を除けば、鹿に追い付ける獣は此処にいない。
鹿の大攻勢が落ち着いたのも束の間、続いて兎や狐、イノシシがスピカの横を通り、兵士達の陣形に突っ込む。持ち堪えられなかった場所からイノシシが入り、それを倒そうと兵士達が右往左往。足下を走る兎を踏んで転び、狐に噛まれて負傷し、整った隊列は瞬く間に乱れていく。
隊列が崩壊し、混戦状態となるのに、五分も掛からなかった。
「(つってもこれは想定内。兵士達もそこまで戸惑っていないみたい)」
並んだ歩兵だけで対処出来れば御の字であるが、そこまで甘い想定はしていない。混戦状態の中で兵士達は各々剣を抜き、それぞれが判断して戦う。
最初から手練だけを集めていたのか、混戦になっても兵士達は悲鳴一つ上げず、突っ込んでくる獣達を着実に倒していく。怪我人がゼロとは言わないが、その怪我人にしても素早く下がり、無事な者が前に出てくる。鍛え上げられた連携は、早々崩れそうにない。
何より、此処には帝国軍のみならず、王国の精鋭もいるのだ。
「怯むなぁ! 我ら王国騎士団の力、見せ付ける時だ!」
「「おおおおおおおおおおおっ!」」
カペラの鼓舞に答える騎士団員達。勇猛果敢に戦い、次々と武功を上げていく。
味方の活躍、そして他国の軍隊の大活躍は帝国軍兵士の心を震わせた。頼もしさと同時に、隊列を崩してしまった自分達が悔しくなったのだろう。帝国軍兵士は士気を高め、騎士団に負けないと言わんばかりの勇猛さを発揮し始める。
士気は極めて高い。『暴走』は気を付けるべきだが、敵を迎え討つ分には極めて良い状態だろう。兵士達にそこまで意識は向けなくとも問題はあるまい。横を通る数多の獣に注意を払いつつ、スピカはここまでで分かった事を考える。
まず、この大群の『作り方』。
公国の軍隊を壊滅させた動物の群れ……魔王がどうやってそれを率いたのか謎だったが、なんて事はない。ただ生き物達を恐怖させ、走り回らせただけだ。後戻りするぐらいなら直進した方が良い、例えそこにいるのが武装した大勢の兵士であろうとも……そう感じてしまうほどに。
されど直感的には理解したが、どうにも理性的には納得がいかない。人間は歴史の中で様々な拷問を考え付いており、それらを施せば、似たような意識の人間や動物は作れるだろう。だが、ワイバーンである魔王にそんな『知識』はない筈だ。あったとしても一匹一匹に施すのは手間と時間が掛かる。
だとすると魔王はどうやって大量の生き物達に恐怖を与えたのか? まさかとは思うが――――
「ぬおおぉーっ!?」
新たな疑問について考えていたところ、聞き慣れた声が獣の喧騒に混ざる。
なんだ、と思った時、柔らかなものが勢いよくスピカの顔面を叩いた。片手で引っ張り退かしてみれば、それはウラヌスの尻だった。
「おっ。スピカじゃないか」
「アンタも元気そうで何より。で? 魔王は見付けた?」
「いいや。でも、別の強そうなのは見付けたぞ」
アイツだ――――そう言ってウラヌスはある方角を指差す。
どしんどしんと、大地を揺らす足音も同じ方から響いていた。
嫌な予感に見舞われながらその方を見れば、黒く大きな獣が見える。人間のざっと二倍はあろうという巨躯であり、人間三人よりも太い肩幅から力の強さも窺い知れた。
クマだ。なんという種のクマかは分からないが、恐らく生態系の上位に位置する存在だろう。基本的には圧倒的強者の筈だが、クマもまた引き攣った表情をしていて、恐怖に突き動かされているのが分かる。
「グ、グウゥルルルルル……!」
クマは唸りながら、スピカ達を睨む。それでいて頻繁に後ろを気にしていて、その先に『魔王』がいるのだと教えてくれた。
そして恐らく、スピカとウラヌスが前から退けば、このクマは全力で横を通り過ぎていく。
しかし進んだ先にいるのは、鹿やイノシシと戦っている兵士達だ。どれだけ恐怖していてもクマはクマ。その身には人間の一人二人、簡単に殺せるだけの力を持つ。この大きさから考えるに、剣や弓はほぼ通じないだろう。何人かは犠牲になると考えるのが妥当だ。
勿論大勢の兵士で挑めば、数の力で圧倒出来る筈だが……かつて戦ったスライムのような技を持っていたら、一体多数の状況はむしろ被害を増やす。それに兵士というのは、確かに戦いを仕事とするものであるが、その相手は主に人間だ。人間を殺すための訓練に励み、人間を殺すための技術を持つ。だから獣の動きには慣れていないし、獣の生命力の強さも実感がない。上手く戦えず、被害は間違いなく『計算上』よりも大きくなる。
やはりこういうものには、『専門家』が対応すべきだ。
「……ウラヌス! コイツはここで倒すよ!」
「ぬぉ? 珍しいな! 何時もなら相手してられないと言いそうなものなのに」
「何時もならね。何事も状況次第よ。それに……」
「それに?」
尋ねてくるウラヌスの前で、答えだとばかりにスピカは弓を構える。その瞳に闘争心を宿らせて。
「これから魔王と戦うんだから、準備体操ぐらいしとかないとね!」
口から発する答えはウラヌスへのもの。
撃ち出した矢は、クマへの答えだった。




