魔王顕在1
ぞろぞろと、人々が歩いていく。
何千何万という数の人間が、一方向に進んでいく様は圧巻だ。それが町の外に、荒れ果てた荒野に向けての行進ならば、尚更壮大に見えるだろう。
されど、これは楽しい行楽ではない。
歩く人々の顔は暗く、悲壮感に満ちている。片手で歳を数えられそうな、寝ている時以外ずっと騒いでいる年頃の子供さえ、大人達の雰囲気を察して沈黙していた。誰一人としてこの移動を望んでいない事が分かる。
スピカは要塞都市の内側から、その行列を眺める立場だった。
「……………」
「故郷を捨てる民草に、思うところがあるのか」
じっと眺めていると、背後からカペラが声を掛けてくる。
カペラは今、様々な装飾を施した分厚い鎧を着込んでいた。冒険家という仕事柄そこそこ筋肉のあるスピカでも、動くのが大変そうなほど胸部や腹部の装甲が厚い。しかしカペラはなんともなさそうに動き、疲れも見せていなかった。腰にある剣も立派なもので、普段弓を使っているスピカでは振り回すのも大変そうである。
冒険家であるスピカは金属製鎧の良し悪しなどよく分からないが……見た目の綺羅びやかさなどから考えるに、高級品なのは理解出来る。これが『騎士』としてのカペラの正装なのだろう。雰囲気も今までより引き締まって見え、顔立ちなども変わったように感じられた。
その空気に一瞬声を詰まらせながらも、スピカはカペラからの問いについて考える。
――――思うところ。
勿論それは山のようにある。その想いこそが今日のスピカの多くを形作る、忌々しい記憶なのだから。ミノタウロスとの戦いを経て恐怖は制御出来たが、人間というのは怖がるだけの生き物ではない。怒りや憎しみも人を突き動かす感情だ。それらは今もひしひしと込み上がり、スピカの行動を狂わす。
とはいえ大人になった彼女は、湧き立つ感情に流されず、合理的な考えも出来るようになっていた。魔王と直接対峙していなければ、という前置きを、一度失敗しているスピカは心の中でしておくが。
「そりゃあね。これでも故郷を焼かれている身ですし……でも、生きていればやり直せるでしょ」
「ああ、その通りだ。少なくともこの町に残るよりは、生存確率は高くなるだろう」
スピカの意見にカペラも賛同する。頷く顔は真剣な面持ちを浮かべ、腰に携えた剣を力強く握っていた。
間もなく、この要塞都市は戦場となる。伝書鳩が運んできた手紙曰く、魔王が向かってきているからだ。それも大勢の動物達を引き連れて。
一体魔王はどうやって動物を操っているのか? 疑問はあるが、今考えても答えは出そうにない。原因が分かれば対策も立てられたかも知れないが、分からない以上動物の大群を止めたり、或いは進路を変更させたりする事は出来ないだろう。
ならば必然、進路上にあるこの町を魔王及び動物達は通る。
要塞都市が戦場となるのは必然。それこそ公国のように、瞬く間に滅ぶような大戦闘が繰り広げられる筈である。そのため非戦闘員である市民は、都市の外へ避難する事になったのだ。要塞都市から他の都市へと渡る場合、数十日掛けて旅する経路と、船を使う経路がある。数十日掛かる方はタダとはいえ、獣達の住む領域を通るため安全な道ではない。一般人は船を使うしかなかった。
無論、都市に住む何万もの人間を運ぶにはたくさんの船が必要だ。それについては要塞都市と交易がある港町に向けて伝書鳩を飛ばし、要請済みだとカペラから聞いている。複数の港町からたくさんの船が来れば、現実的な時間で市民の輸送は終わるだろう。
とはいえその港までの道のりが、安全だとは言い切れない。町の外は自然の領域であり、獣達が歩き回る危険地帯だ。
「なー、アイツらちゃんと港まで行けるのか? 動物に食べられちゃうんじゃないか?」
スピカの隣で行列を眺めていたウラヌスから出てきた疑問は、至極尤もなものと言えよう。
しかしながら、市民が作る行列は破れかぶれの逃避行などではない。むしろ合理的な『防御陣形』である。
「かも知れないが、あれだけ大勢ならあまり心配せずとも良いだろう。出来るかどうかは別にして、あの数で立ち向かえば、武器がなくともドラゴンすら倒せるだろうからな」
「あ、そっか。確かに私もあの数とは戦いたくないぞ」
カペラが説明すると、ウラヌスは納得したように手を叩く。
人間は自然界では貧弱だのなんだの言われるが、身体の大きさで見ればかなり巨大な部類の生物だ。生物の世界において、身体の大きさと強さはほぼ等しい。つまり人間は、実は自然界ではかなり強い生物である。おまけに仲間と協力して戦ったり、知恵を活かして立ち回ったりする事も可能である。
それが万単位で群れているのだ。人間より小さな狼なんて近寄りもしないし、ドラゴンでも遠巻きに眺めるだけだろう。野生動物というのは聡明なもので、群れた相手が『強い』事をちゃんと理解しているのだ。群れを作る草食動物の多さからも、この方法の有効性が分かるというもの。
尤も、中には群れを恐れず突っ込む種もいるので、絶対とは言い切れないが。草食動物達の対策も、絶対助かるというものではなく、生き延びる可能性を上げるだけだ。
「(まぁ、それは単純に人間が高望みし過ぎなだけだと思うけど)」
自然界に絶対はない。草食動物だけでなく、ドラゴンすらも時には命を落とす。天寿を全うする事を当然と思う人間は、傲慢を通り越し、現実を分かっていない間抜けと言うべきだろう。
しかしその間抜けも、町の中であればそこそこ叶えられた話だ。町から出ていかなければ、死の危険なんて恐れずに済んだ。
『人間』として、恐怖に慄く生活を良しとするほどスピカの感性は歪んでいない。
そして魔王を野放しにすれば、この町の人々と同じ目に遭う人間はどんどん増えていくだろう。家族を失う者だって、数え切れないほど増えていく。
他人事だと言えばその通り。それにスピカも分類的には『一般人』であり、あの避難者達と共に町の外に逃げて良い身だ。ここで住民達のために戦う必要など微塵もない。
だが、それでも見たくないものには違いない。何より目的を共にする協力者がいる今は、敵を討つ絶好の機会である。
兵士達と協力して魔王の侵攻を阻止する理由なんて、そんなもので十分なのだ。
「彼等については心配しても仕方ない。それよりも、我々は我々自身の安否について気にした方が良いだろう」
カペラはそう言うと、スピカ達に向けていた視線を動かす。スピカも追うように、カペラが見ているものを見遣る。
カペラが見ていたのは、駆け足で行き交う大勢の兵士。
カペル率いる王国の騎士団、そして帝国軍の兵士達だ。全員が鎧を着込み、剣や弓の手入れをしている。予備の鎧や剣を運ぶ姿もあり、数は少ないが大砲が運ばれていくところも見えた。天幕なども次々と張られていく。
戦の準備が、刻々と進められていた。とはいえ此度戦う相手は、人間ではなく魔王であるが……油断は出来ない。相手は隣国である公国すら滅ぼした、御伽噺染みた存在なのだから。
「……防壁の修復って、どうなったの?」
「応急処置は済ませた。が、そもそも板材も煉瓦も足りない。ミノタウロスが脱走した研究区画には未だ大穴が空いている。今なら素通り出来るぞ」
「済んでないじゃん全然」
「出来る事がない、という意味では完了だ。打てない手に固執するぐらいなら、最初から諦めて、その前提で陣形と戦略を練る」
スピカの指摘をカペラは迷いなく切り捨てる。そしてその意見への反論を、スピカは持ち合わせていない。
魔物化したミノタウロスが防壁の一角を破壊して脱走してから、まだ一晩しか経っていない。
万一に備えて修理のための材料は備蓄されているだろうが、被害が大きければ備蓄分だけでは足りなくなる。新たに生産するか何処かから輸送するしかないが、それには時間が必要だ。何より労働力が足りない。一晩でどうこう出来るものではないのである。
どう足掻いても防壁の穴を塞ぐのは無理。ならばそこに未練たらしく労力を注ぐより、他の事に差し向けるのが合理的だ。例えば兵士の陣形を整えたり、装備品の整備を行ったり。戦を有利に進めるためやるべき事は山程ある。
……加えて、その兵士自体にもミノタウロスは被害を与えた。全体から見れば『許容範囲』とカペラは言うが、それでも陣形や配属の調整は必要だという。
万全には程遠い状況。万全を期しても勝ち目があるか分からない魔王に、こんな体たらくで勝ち目などあるのだろうか……?
「(いや、勝ち目のあるなしは関係ない。やるしか、ない)」
やらなければ要塞都市は破壊され、他の都市も次々と被害に遭うだろう。逃げ場なんてなくて、戦うしか道はないのだ。
そもそも、万全じゃないなどと弱音を吐くのは弱者の戯言に過ぎない。不意打ち騙し討ちなんでも有りの自然界で、万全の体勢で物事に対応出来る時など稀だ。その時に使える全てを使うのが、自然界での生き方というもの。
冒険家という仕事で育まれた感性故に、スピカは覚悟が出来ていた。それこそ此処にいる誰よりも早く。
「ほ、報告! 獣の大群が、目視可能な位置まで来ました!」
だからこそ、伝令からの報告に兵士達が慄く中、スピカは冷静に思考を巡らせる事が出来た。
目視した、という事は地平線から現れたばかりか。
地平線というのは意外と近い。恐らく伝令……正確にはその伝令に情報を伝えた監視役は高い場所から眺めている筈なので、棒立ちするよりは地平線が遠くなる。しかしそれでも、獣の走力ならば一〜二時間で此処まで辿り着くだろう。
間もなく戦いが始まる。
「……王国騎士団、総員戦闘配置に付け!」
カペラの掛け声が辺りに響き渡る。伝令の言葉で強張り固まっていた兵士達は即座に動き出した。カペラの指示に従うのは王国騎士団だけであるが、合わせて帝国側も指示を出し、帝国兵も動き出す。
自分達も行こう。そう思うスピカだったが、足が動かない。手も震える。
魔王との直接対決に、恐怖が蘇ってきた――――
「どーんっ!」
「ぶげっ!?」
直後、背後からウラヌスが突っ込んできた。ウラヌスにとっては軽めの体当たりだったかも知れないが、スピカにとっては大打撃。呻きを漏らしながら転びそうになる。
目を細め、痛みに呻くスピカ。だがその顔にはすぐに笑みが浮かぶ事となった。
今の一撃で、恐怖心なんて何処かに飛んでいってしまったのだから。
「良し! 行くぞ!」
それをしたウラヌスは、きっと何かをしようと考えていた訳ではなさそうで。
笑いながら、スピカはウラヌスと共に最前線へと向かうのだった。




