狂いし魔物9
「いやはや全く、派手にやってくれたものだ」
「あ、ははは……」
カペラから厭味ったらしく指摘され、スピカは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
燦々と太陽が輝く朝。日差しに照らされた要塞都市は、昨日とは様相を一変させていた。
町の四分の一が火事により焼失。防壁も六分の一が火事ないし崩落の被害を受け、国境としての機能を失っている。王国や公国との関係が悪かったなら、明日にも大軍による侵攻が始まったかも知れない大惨事だ。
そしてスピカ達の前には、大爆発の痕跡が残っている。
半径数十メトルの範囲の大地に付いた焦げ跡。周囲の建物は爆風により、半壊や全壊の様相を呈していた。炸裂した『爆発』の規模が如何に大きかったか、周りの様子だけでひしひしと伝わる。
爆発を起こした元凶こと、スピカにとってもこの威力は想定外だった。
「いやー、舞い上がった小麦粉に火を付けると爆発するって聞いたから、試しにやったんたけどねー……思ったよりヤバかった。こういうのは付け焼き刃の知識でやっちゃ駄目だね。危うく巻き込まれるところだったわ」
「出来ればやる前に気付いてほしかったな。とはいえ、『功績』がある以上咎めるのも酷であろうが」
カペラはそう言いながら、スピカ達の起こした大爆発の中心部に目を向ける。
そこには横たわる、一体の獣の姿があった。
ミノタウロスだ。小麦粉による爆発の中心部にいながら、その身体は原型を留めている。同じく爆発の中心地にあった木製倉庫が跡形もなく消し飛んでいる状況を鑑みるに、ミノタウロスは風の守りで爆発に耐えようとしたのだろう。
しかし爆発はその守りを貫通。襲い掛かる熱に身体を焼かれてミノタウロスは死亡した……と思われる。スピカの予想通り強烈な爆風の前では、空気の守りでは防ぎ切れなかったようだ。
全く恐ろしい敵だった。それを倒すためなのだから、多少の被害は致し方ない。
……致し方ないという事にして、なんとか損害賠償などの責任は回避したいとスピカは願う。実際に爆発を起こし、町の一角を破壊したのはスピカ自身。おまけに軍の指示などではなく、自己判断で勝手にやった事だ。そこを法的に問われると正直勝算がないように思えるので。
「そうそう。私らがいなかったら、もっと被害が増えていたかも」
「別に、端から弁済を求めるつもりはないから、無理に手柄を主張しなくても良いぞ」
「あ、うん」
そんなみみっちい考えはカペラに見抜かれ、スピカは強張っていた身体から力が抜けた。
「なーなー、あれ、本当に食べちゃ駄目なのか?」
ちなみにウラヌスは法だのなんだのには無頓着。それよりも戦利品に舌鼓を打ちたいらしい。
遠目で見ているだけなのでスピカにも確かな事は言えないが、ミノタウロスは焼けてはいるものの、丸焦げではない。表面は程良く焼け、中はまだ生の可能性がある。切り分け、丁寧に調理すれば、美味しく頂けると思われた。
しかしスピカはそれを許可しなかった。
あのミノタウロスは魔物であり、貴重な研究資料である。死んだとはいえ、調べれば様々な事が分かるだろう。知識は戦う上で重要なものだ。誤っていない限り、多くて困る事は早々ない。
困った事に、ウラヌスはそういう事が分からぬ輩だ。キマイラ・ヴァンパイア戦の時に前科がある。なのでスピカはずっと目を光らせていた。そのお役目も、カペラに任せる事でようやくスピカは方から力が抜ける。
対するカペラは、ちょっと苦笑いしていた。
「すまないが、それは勘弁してくれ。貴重な研究資料だからな。あまり傷を付けたり、失ったりしたくないんだ」
「むー……けんきゅーというのは、面倒なものだなー」
渋々と言った様子ながら、ウラヌスは了承する。尤も、集まってきた兵士がミノタウロスの亡骸を運び出すと、物欲しそうに目で追っていたが。
運ばれていくミノタウロスの傍には、研究者らしきクローク姿の者達が集まる。兵士達に死体の扱い方について指示しているのだろう。
その様子を見ながら、スピカはふと思う。
「そういやアルファルドは?」
研究主任である男の姿が何処にもないと。
「まだ見付かってない」
それに対するカペラの答えは、若干頓珍漢に聞こえるもの。
だが冷静に考えれば、その言葉の意味を理解するのは難しくない。
アルファルドは魔物の研究者。きっとミノタウロスの傍で、夜遅くまで研究をしていたのだろう。だとすればミノタウロスによるものと思われる、防壁の崩落に巻き込まれたのは容易に想像が付く。
死んだとは限らないが、その後起きた火災の事も考えれば……見付かっていないだけとは、思えなかった。
「……ごめんなさい」
「気にしてない、とは言わないが……慣れたものだよ。これでも十五年以上この手の仕事に関わっているからな」
カペラは淡々と、今まで通りの話し方をする。
きっと彼女は自分よりたくさんの人の死を見てきたのだと、スピカは思う。
軍とは他国と戦争するだけではなく、冒険家一人では手に負えないような生物の討伐なども担う。おまけに国からの命令だから、危険だからといって逃げる事も出来ない。恐るべきドラゴン相手だと、数十人単位の犠牲者も出るという話だ。他にも被害者の救助や、遭難者の探索なども行うが、誰しも生きているとは限らない。騎士団長である彼女は、一体どれだけの人の死を見てきたのか。
しかしそれでも慣れるものではないのだろう。握り締めた拳から感じ取れる力が、彼女の感情を物語る。
此度犠牲になったのは研究者や兵士だけではない。多くの住民が火事により避難を余儀なくされ、煙を吸い込んだり火傷などを負ったりして重傷者が何百人と出た。逃げ遅れた者も少なくなく、犠牲者の数は未だ分かっていない。
町中での『事故』故に被害が拡大した面は否めない。しかしそれを差し引いても、ここまで被害が大きくなったのは、魔物と化したミノタウロスの力が圧倒的だった事が一番の原因だろう。
ただの魔物がこれなのだ。十年以上生き続けている、魔王は果たしてどれたけの強さを持っているというのか。
……悪い想像はいくらでも浮かんでくる。そしてそれを杞憂だと笑い飛ばすのは、恐らく自殺行為だ。未知の相手を見くびるのは、死にいくようなものなのだから。
しかし悪い事ばかりではない。希望も少なからず見えている。
「(風の守りを吹き飛ばせば、ミノタウロスは殺せた。それも黒焦げにならない程度の火傷で)」
魔物化したミノタウロスといえども恐らく肉体的には、家畜として飼われているミノタウロスと大して変わらない。つまり、心臓を矢で撃ち抜いても死なない、なんて御伽噺染みた事はあり得ない筈だ。
適切な攻撃で殺せば、ちゃんと死ぬ。
当たり前の事であるが、当たり前が通じる相手だと確信を持てるのは大きい。無用な不安で心身を崩す心配がなくなるのだから。そして魔王も、恐らく魔物と同じだ。魔物と違って攻撃的な衝動に見舞われていない存在と、何処まで共通点があるかは不明だが……全くの別物ではあるまい。
ならば魔王も殺せる筈。ただ、圧倒的に強いだけで。
「(うん。何が『怖い』のか、具体的に分かれば大した事はない)」
恐怖を感じながらも、スピカはそれに飲まれない。事実をありのまま受け入れ、何をすべきか考えられる。
もしもミノタウロスとの戦いがないまま魔王と出会ったら、ミノタウロス戦で見せた時のような醜態を晒し、呆気なく負けただろう。その意味では、ミノタウロスの存在はある意味有り難いとすら思っている。勿論、犠牲の大きさを考えれば些末な有り難さだが。
今度こそ、魔王と戦える。そしてきっと、その時はそう遠くない。町の被害がある程度回復し、戦力の再編が済んだ時……カペラはきっと出撃を決断する。
魔物の脅威がどれほどのものか理解した今、それを生み出す魔王を何時までも野放しにするとは思えないからだ。
「……良し」
覚悟を改めたスピカは、魔王討伐に向けて準備をするべく、必要なものを考え始めるのだった……
……と、これで終われば良かったのだが。
「だ、団長!」
慌ただしい声を上げながら、一人の男がスピカ、いや、カペラの下に駆け寄ってきた。
カペラと共に振り向いたスピカが見たのは、血相を変えた若い男の兵士。その手にはくしゃくしゃに握り潰された手紙があり、恐らくは、伝書鳩から何かしらの連絡が来たのだと窺わせた。
どうやら悪い知らせのようだが、一体何があったというのか。隣国である公国は魔王により壊滅状態。王国は此処に騎士団を一つ派遣中。故に両国による軍事侵攻はなさそうだが……疑問に思いながら、スピカは兵士の言葉に聞き耳を立てる。
「ま、魔王が、この町に向けて移動を開始したとの連絡が入りました!」
お陰で、兵士の言葉はよく聞こえた。
そう、聞こえはしたが……途端、頭の中が真っ白になる。
何故? どうして? スピカは酷く混乱した。確かに魔王は公国を壊滅させたようだが、されどまだまだ遊んでいるとの話も聞いている。公国の抵抗も続いていて、当分此処には来ないという話だったのに。
「一体どういう事だ。前回の報告では、公国の反抗作戦はまだ続いているとの事だったが」
「それが、その……」
カペラが尋ねると、兵士は言い淀んでしまう。どう答えるべきか、悩んでいるらしい。
手紙に書かれている内容をそのまま報告すれば良いのではないか? 何故言葉を濁すのか? スピカには分からなかったが、彼の答えを聞けばすぐに得心が行く。
「……魔王だけでなく、他の動物達からの襲撃もあり、一夜にして公国軍は全滅したようです……」
衝撃的な言葉というのは、言葉にするのも大変なものなのだから――――




