砂漠巨獣9
「どうやら、落ち着いたようだな」
呼吸と鼓動が落ち着いた頃、その事を見抜いたようにスピカに声を掛けてくる者がいた。
落ち着いた心臓が一瞬跳ねた後、スピカはくるりと振り返る。とはいえ声を聞いた時点で、誰なのかは大凡の見当が付いていたが。
その見当通り、そこにはカペラがいた。
「ええ。危うくまた錯乱するところだったけどね」
「それはすまないな。今後の予定について、ちょっと話そうと思ったんだ」
スピカの軽口に、カペラはちらりと視線をある方に向ける。
カペラが見たのは、傾いた状態で止まっている船。
そこでスピカはようやく思い出す。最後の最後でバハムートの一撃が当たり、船に大きな損傷が発生した事を。バハムートは倒れたが、船が無事とは限らない。船が航行不能になっていてはこれ以上進めず、バハムートとの対決は勝利ではなく『相打ち』になってしまう。
とはいえスピカはその点について、あまり心配していない。何故ならカペラの表情は明るく、そして船の周りを動き回る船乗り達も絶望に浸っている様子がないからだ。
「船は損傷が大きく、修理が必要だ。だが船に積んだ備品で対応可能らしい。まぁ、船室の日当たりは良くなるみたいだがな」
「そりゃ何より。おっ、ウラヌスも働いてるね」
倒れた帆柱を軽々と持ち上げ、運んでいるウラヌスの姿が見えた。彼女の力を活用すれば、重たい物もすいすいと運べる。時間や労力を大幅に削減出来るだろう。
これなら船が再び動き出すのに、あまり時間は掛からなそうだ。灼熱の砂漠に数時間といなくて済むだけで、朗報と言える。
「ちなみに、今は人手が足りている。お陰で邪魔だと追い出されてしまったよ」
そしてこれ以上の手伝いはいらないらしい。
なら、存分に身体を休めておこう。そう考えてスピカは砂漠の大地に座り込む。熱せられた砂は熱くなるものだが……今は目の前にいるバハムートの亡骸が影を作っている。日差しを遮られた砂は、冷たくはないが、人が座れる程度の温度にはなっていた。
倒したバハムートをスピカが眺めていると、カペラがまた話し掛けてくる。
「しかし驚いた。災害級危険生物であるバハムートを倒すなんてな」
「私も驚いてる。ま、本当に私が倒したかは分からないけどね。相当長い間錯乱していた訳だし、ほっといても死んだかもだけど」
バハムートの錯乱状態は酷いものだった。恐怖に取り憑かれ、猛然と逃げる船を攻撃してくるほどに。
人間も長時間恐怖や怒りに囚われると、稀にだが死ぬ事がある。スピカ達を襲ったバハムートも、偶々その時がついさっき訪れただけで、スピカが薬を撃ち込まずとも倒れたかも知れない。
自分の作戦が成功したかどうかなんて、分かりようがないのだ。これで褒められてもくすぐったいたけである。
「あまり謙遜しなくて良い。実際にどうであるかより、我々がどう感じているかが大事だ。少なくとも私は、お前のお陰で誰も死なずに済んだと思っている」
「ふぅん。なら、お礼でも要求しちゃおうかな。私の質問に答えてくれる?」
「答えられる事なら」
迷いなく答えるカペラ。ならこちらも遠慮はするまいと、スピカは質問してみる。
「アンタ達、傭兵じゃないよね。もしかしてなんだけど、王国騎士団だったりする?」
今まで薄々感じ取っていた、疑問について。
カペラの口許が一瞬強張る。ほんの一瞬、けれども確かに見せた反応。
それだけでほぼ答えのようなものであり、見られた以上隠すつもりもないのか。カペラは淡々と答えた。
「……ううむ、バレてしまったか。それも所属する国まで当ててくるとは。後学のためにも何故そう思ったのか、理由を聞かせてほしい」
「女の傭兵が珍しい、ウラヌスが認めるぐらい強い、装備が地味に高級品、帝国の騎士団ならわざわざ身分を隠さない。色々あるけど、一番気になったのは貴方の言い方」
「言い方?」
「ふつー、傭兵は自分の部下を部下なんて呼ばないわよ。アイツらもっと下品だもん」
「あー……」
指摘されたカペラは、空を仰ぎながらなんとも間の抜けた声を漏らす。
傭兵という仕事をする人間は、大抵粗暴で無教養なものだ。昨今は見世物化しているとはいえ、一応は(言い方は悪いが)人殺しをして金を得る仕事である。ハッキリ言ってまともな者が就く仕事ではない。勿論事情は人それぞれなので、そこについてあれこれ言うのも下世話であるが……配慮したところで彼等の言動が変わる訳もなく。
傭兵が部下を呼ぶ時は、大抵子分だの手下だのというものだ。そして人格的にアレな彼等は、自分がそう呼ぶのは良くて、他人に呼ばれるのを酷く嫌う。部下と呼ばれたら顰め面を浮かべるか、或いは怒られるのを嫌がってへこへこするか。爽やかに反応するのだけは、滅多にない。
カペラ(とその部下)は、どうにも言動が『上品』だった。その最大の違和感に加え、女傭兵の存在や強さ、装備の高級志向等を総合的に勘案。王国の騎士団が正体を隠して帝国内に来たのではないか、という考えに至ったのだ。
「(まぁ、それでもほぼカマを掛けただけなんだけどね)」
騎士団というのは、王国でも『最強』の軍事組織だ。一般兵の中から優秀な者を選抜し、その中でも特に戦闘能力に優れる面子で構成されている。個々人の実力が平均的に高いのは勿論、知能や技術にも優れると聞く。
その活躍は最早御伽噺染みたもの。百人の山賊をたった三人で討ち倒した、五百人の暴徒を十人で鎮圧した、二千人の敵国兵士を二十人で返り討ちにした……最後のものは多少の誇張は含まれているだろうが、大凡事実なのだからその強さも窺えるというもの。
勿論人間なので、その実力はあくまでも人間の範疇。割と人外染みているウラヌスのような力を出せる者は、多分いないだろう。だが鍛え上げた技術と卓越した才能を用いれば、恐らくウラヌス相手に戦えるほどの強さを持つ。王国最強の戦力なのは間違いない。
そんな実力者が他国を訪れる。帝国と王国は(何時も二番手に甘んじている帝国が心理的に目の敵にしているものの)比較的良好な関係を築いているが、発覚すれば国際問題となりかねない。これだけで本気の戦争にはならないだろうが……もう二〜三回何かが起きれば、現実味を帯びてくる。
故にまさかと思っていたのだが……そのまさかだったとは。
これでカペラ一人の行動だったなら、休暇中の旅行か何かだと思えた。しかしカペラは大勢の部下、即ち騎士団を引き連れている。これで「騎士団の慰安旅行です」等と言われても信じられない。騎士団は王国最強の戦力であり、それ故に王国の守りの要。それをつまらない理由で動かす筈がないのだから。
「で? 騎士団様はなんで帝国にいた訳? 砂漠の向こうには王国があるから帰りだと思うけど、任務を終わらせたとか?」
その事情を教えてくれるかは、分からないが。
しかし尋ねる分にはタダだと思い、スピカはそれとなく訊いてみる。するとカペラはしばし黙りこくり、考え込む。
「……君の才能を見込み、頼みたい事がある」
やがて話し出した言葉は、スピカの問いとは一見繋がらないもの。
されどあからさまな話の反らし方に、何かの『意味』を感じる。スピカはひとまず「話を聞いてから判断する」と答え、カペラに話の主導権を渡した。
「今回襲ってきたバハムート。君は恐怖で錯乱していると判断したが、奇妙だと思わないか?」
「思わない訳ないでしょ。バハムートは人間が知る限り、この砂漠で一番強い生き物。それが恐怖で錯乱するとか、普通は考えられない」
「そうだな。普通ならばあり得ない出来事だ。そして我々は、このあり得ない出来事に対し、一つ、心当たりがある。それを調べるのが我々の任務であり、帝国及び公国と共同で行ってきた調査だ」
「……心当たり?」
カペラの告げた言葉に、スピカは首を傾げる。確かに王国騎士団であれば、一般に知られていない情報を把握していても不思議はない。だが、それを何故スピカに話そうというのか。
いや、それよりも気になるのは、帝国や公国と共同という言葉だ。つまり帝国は、王国騎士団の入国を許可している。身分を隠しているのは混乱を避けるためだろうが、しかしどうして王国と共に調べているのか。帝国騎士団だって、世界で『二番目』に優秀なのに。しかも三番手である公国まで加わるなんて。
数々の疑問が脳裏を過っていく。しかし巡らせた考えの大半は、呆気なく吹き飛ぶ。
「魔王だ」
御伽噺の存在。カペラがその呼び名を口にしただけで。
「……何、言ってんの」
「便宜上そう呼んでいるだけだ。御伽噺の魔王と同一の存在ではない。だが、その力は御伽噺と同格だと思われる」
「ま、待って。そんな出鱈目な生き物がいるなら、噂話ぐらい聞いても……」
「王国と帝国、そして公国が隠蔽した。国民が不安を抱き、国が荒れるのを避けるために。ずっと前からな」
「……ずっと前って、何時から」
スピカは問う。
何故なら、ふと頭に一つの『可能性』が過ぎったから。理由は分からない。ただの本能と言うべきだろうか。
もしもそれがごく最近現れた存在なら、自分の頭に浮かんだ可能性はただの妄想だと分かる。気に留める必要なんてなく、スピカは冷静な判断を行えるだろう。
だけど。
「公式の記録があるのは九年前。非公式な事例から推察すると、恐らく十年以上前から活動している。聞いた事はあるか? 王国の村メバロンが消滅した噂を。あれも奴の仕業だとされているな」
自分が住んでいた村の名前が話に出てくれば、スピカには無視する事など出来なかった。
「我々の最終目的は、魔王の征伐だ。帝国もその目的に賛同し、協力している。一般人に魔王の存在を隠すため、また余計な不安を与えないため、傭兵という体でいるがな」
「……………」
「君に頼みたいのは、魔王の倒し方についての助言だ。バハムートを倒した時のように、弱点や気付きを教えてほしい」
「……………」
「いきなり魔王だのなんだの言われても、困惑するだろう。砂漠を越えた先の町に、我々の施設がある。そこで魔王について説明しよう。そして可能なら、我々に手を貸してほしい」
どうだろうか? そう尋ねてくるカペラだったが、顔を見れば考えている事は窺い知れた。断られる、と思っているらしい。
いくら騎士団からの誘いとはいえ、魔王だのなんだの言われ、分かりましたと即答する奴は間抜けだろう。付いていくにしても、詳細を色々と聞かねばなるまい。
スピカとしても、即答はしない。だが尋ねたい事は一つだけ。
「ねぇ、その魔王は、なんて種類の動物なの? 新種? 何か特徴はあるの?」
その問いの『理由』が分からなかったのか、カペラは一瞬キョトンとした。されどすぐに質問に答えてくれる。
「ワイバーン。竜種だ。特徴的なのは……三十メトルを超える、圧倒的な巨体だろう」
その答えが聞ければ、もう、スピカに迷いはない。
村の名前、生き物の種類、身体の特徴――――全てが一致するのだから。
「良いよ」
「……良いのか?」
これにはカペラの方が驚いたようで、目をパチクリさせながら確認してくる。アンタが頼んできた事じゃない、と思ってスピカはカペラを見遣る。
するとカペラが顔を顰めた。まるで気持ち悪がるように、後退りまでして。
人の顔を見てなんとも失礼な、とも思ったが、手で自分の顔を触ってみて納得がいった。
笑っていた。自然に、心から楽しむように。
何故自分は笑っているのか? スピカには心当たりがあり、それを説明するのはやぶさかでない。不気味がるカペラに説明ぐらいはしてやろうと、口角が下がらない口で事情を語る。
「そいつを探していたのよ。子供の頃から、ずっと、ずぅーっと」
自分の胸のうちにある、ドス黒い感情を。
家族の仇がいると聞いて我慢出来るほど、スピカは『合理的』な人間ではないのだから――――




