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アベンジャー・マギア  作者: 彼岸花
砂漠巨獣

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33/62

砂漠巨獣7

 怒り狂ったバハムートは、一気に加速してきた。減速していた間に開いた距離は瞬く間に詰められ、そして残りの距離も同じ速さで減っていく。

 感覚的に、あと十秒ほどで追い付かれる。今まで作戦会議が出来るぐらいの猶予はあったのに、その猶予を一気に溶かす速さにまでバハムートは達していた。

 これまで出していた速さは、手加減していたのだろうか? 恐らく、そうではないとスピカは思う。攻撃前からバハムートは(船長曰く、という前置きはあるが)正気を失っていた。野生動物における手加減というのは、相手を見下した結果ではなく、自分が疲れないよう体力消費を考えて行うもの。正気を失ったバハムートが手を抜くとは思えない。

 今までも全力を出していた。だが『目眩まし』が奴の逆鱗に触れ、激しい怒りが込み上がったのだろう。その怒りが限界を超える力となった……という訳だ。

 時間を稼ぐつもりの目眩ましで、却って時間を縮めるとは。正直なところ、これはスピカにとって想定外だった。


「(そりゃ、多少は怒ると思っていたけど、ここまで加速する!?)」


 確かに怒りは、手っ取り早く身体の力を引き出す方法だ。しかし怒りには上限がある。興奮状態にあるバハムートが怒ったところで、対して身体能力は上がるまい。

 だとすると考えられるのは、今までバハムートは正気を失いながらも、これといって怒りは感じていなかったという事。

 空腹に陥っているのだろうか? 確かに砂漠では獲物が豊かとは言い難く、砂漠にいたのは毒持ちのドラゴンと小さな虫ばかり。腹を空かせていてもおかしくはない。だが、バハムートの身体は遠目から見る限り痩せている様子はない。食糧が足りていないとはどうにも思えなかった。

 他に考えられるとすれば――――


「総員! 何かに掴まれ!」


 考え込んでいたスピカの耳に、船長の声が流し込まれる。

 我に返れば、もうバハムートは間近にまで迫っていた。これはヤバいと、船長の指示通り傍にあったロープを掴む。

 次の瞬間、船が浮かび上がるほどの衝撃がスピカ達に襲い掛かった。

 バハムートの頭が船の後方にぶつかったのだ。噛み付きではなく、頭からの体当たり。やはり空腹が興奮状態の原因ではないらしい。

 尤も、そこから更に考えを巡らせる余裕は今のスピカにはない。今にも身体が空を飛びそうで、ロープを掴まなければ船の外に放り出されてしまう。


「う、うわああああっ!?」


 一人の傭兵が、そうなったように。


「アンタレス! くっ……」


「任せろー!」


 カペラにアンタレスと呼ばれた傭兵は宙に浮かんだが、それをウラヌスが跳んで捕まえた。大男一人を片手に持ちつつ、ウラヌスは片手で船の手すりを掴む。

 常人の筋肉では数秒と耐えられないだろうが、ウラヌスからすれば余裕の状況。船の揺れが収まったところで片手の力だけで手すりを乗り越え、甲板に戻ってくる。


「すまない、助かった!」


「うむ! 次は気を付けるんだぞ」


 小さな身体で胸を張るウラヌス。実に誇らしげだ。

 事実彼女の働きがなければ、アンタレスは砂漠の海に一人残され、転落をどうにか生き延びても、乾きの中で命を落としたに違いない。そして飛ばされたのがアンタレス一人でなかったら……

 最悪の展開でなかったからこそ、犠牲者数は未だゼロのまま。だが、恐らく一度きりの幸運だ。

 体当たりを喰らった事で、船の一部が瓦解している。船というのは、その形により浮力や速度を生み出す。部分的にでも壊れたこの船は、航行にこそ支障はなさそうだが、速度や操舵性は大きく低下したに違いない。

 体当たりの衝撃でバハムートは一旦大きく離れた。しかしその距離を詰めるのは、今までより遥かに容易い。二回目の体当たりは間もなく、そして一回目よりも大きな威力の一撃となる筈だ。

 もう一度受けたら、恐らく今度は大勢の乗組員が船から落とされる。三度目には、きっと誰も助からない。


「(これは、本気でそろそろなんとかしないと不味い……!)」


 だが、どうすれば良い?

 思考を巡らせるスピカだったが、近くにいたカペラは次の決断を下す。


「やむを得ん。我々で奴の足止めを試みる」


 腰に備えていた剣を抜き、戦いの意思を見せるという形で。


「……は? いや、いやいや。何言ってんの!? アンタ、王国や帝国でバハムートがなんと呼ばれているか知ってて言ってるの!?」


「災害級危険生物、だろう? 国家が指定した、一体で国家一つを壊滅に追い込む、文字通り災害染みた存在……しかし相手は生物だ。生きているなら、殺せるのが道理というもの」


「羽虫に人間は殺せないのが道理でしょ! バハムートと人間の関係も同じよ!」


「それを言われるとぐうの音も出ないな。足止めと言ったが、気付いてもらえるかも分からん」


 ははは、と笑い声を出すカペラ。だが前言を翻す気配は一向にない。無謀な作戦を止めるつもりは毛頭ない様子だ。

 ハッキリ言って大馬鹿だ。命を無駄に散らしてなんになるのか。そんな死を前提にした捨て身の攻撃をするぐらいなら、ギリギリまで考え続ける方が良いに決まっている。

 ところが馬鹿者はカペラだけではなかった。


「隊長がそうまで言うなら、こっちも乗らない訳にはいかねぇな」


「全く。こうも勇ましいとこちらも当てられてしまうな」


 カペラの部下である傭兵達も、次々と剣を抜き始めたのだ。

 逃げ出す奴が一人ぐらいいても良さそうなものだが、そんな『まとも』な人物の姿は何処にもない。


「ふん……盛り上がるのは良いが、船乗りを差置いて良い格好すんじゃねぇ」


「俺達もやれる事はやってやるさ!」


 おまけに船乗りまで勇ましさが伝染しているではないか。

 誰もが闘志を燃やしている。自分の命を賭けてでも、誰かを守ろうとしていた。このままでは決死の戦いが始まってしまう。

 これだからスピカは人間が嫌なのだ。誰かのために身体を張ったり、命を投げ捨てたり、そんな『無謀』を平気でしてしまう。自分の事を、残される人の事を考えるべきだというのに。

 挙句怖くないと言わんばかりに涼し気な顔。それがスピカにとって無性にムカつく。命を捨てるのに怖くない訳がない。野生の動物のように、もっと素直に怖がれば良いのに――――


「(……怖がる?)」


 強い苛立ちと憤りを覚えていたスピカだったが、ふと、違和感が脳裏を過る。

 人間というのは、どうにも『野性的』な性質を良くないものと思う風潮がある。恐怖など正にその典型で、乗り越える事こそが素晴らしいという文学や劇は事欠かない……が、野生の世界で恐怖心は極めて重要なものだ。何しろ怖いとは、つまり危険だという事。危険から逃げるのは生き残る上で欠かせない。恐怖心を失えば、カペラ率いる傭兵集団のようなどうしようもない『愚か者』が出来上がる。

 しかし、では恐怖心が強ければ強いほど良いかと言えば、それもまた否というものだ。強過ぎる恐怖に飲まれたものは、身体の制御すら儘ならない。例えば動く生き物を襲う獣の前で、その生態を分かっていながら全力疾走で走り出してしまう事もある。猫に追い詰められたネズミが、猫の鼻先に噛み付くという意味では効果的かも知れないが。

 バハムートは本来大人しい性格だと言われている。

 だが、もしも恐怖心に飲まれていたなら? それこそ錯乱するほどの恐怖を感じていて、がむしゃらに逃げて……その時()()()()()()()()()()()()()()に出会ったら、どう考えるだろうか。

 恐怖心に耐えかねて、攻撃的になってもおかしくない。


「(まさかあのバハムート、ビビってるだけ!?)」


 そんな馬鹿な、と頭の中で叫んでしまう。

 バハムートは身体の大きさからして、砂漠の生態系の頂点に君臨していると思われる。そのバハムートを脅かす何かが、砂漠の奥地には潜んでいるのか? 確かに、人間が自然界の全てを知っているとは到底思えない。それに以前出会ったレギオンの大群ならばバハムートも脅かすだろう。しかしだとしても……

 自分の考えに、自分が納得出来ない。しかしこれまでの行動から考えて、それが一番説明が付く。恐怖で錯乱しているからこそ、滅茶苦茶な攻撃性が出ていて、ヒレの傍に喰らわせた砲撃に一層恐怖したのかも知れない。

 それに、もしも本当に怖がっているのだとすれば、上手くいけばバハムートとの戦いを終わらせる事が出来る。


「(どれだけの間興奮してるかは分からないけど、かなり長い間続いているのは間違いない。あの身体は、多分中身はボロボロの筈)」


 恐怖は大きな力を生むが、決して健康的な状態ではない。例えば小動物などは、捕まえた際、痛め付けてもいないのに死んでしまう事がある。諸説ある(そして原因も様々だろう)が、強過ぎる恐怖により死んでしまう時もあるという。人間も恐怖のあまり死んでしまう事が極稀にだが起きる。

 普段と異なる精神状態というのは、それだけ身体に大きな負荷を掛けるのだ。バハムートの身体も、強過ぎる恐怖で内側はボロボロになっていると思われる。ここに一撃喰らわせれば、致命的な損傷になる可能性が高い。

 そしてそれにうってつけのものが、このスピカの持ち物にはあった。


「待って! みんな、破れかぶれになる前に、一つ手伝って!」


 大声でスピカが叫ぶと、カペラ達は一斉にスピカの方を振り向く。

 闘志に満ちた視線を向けられ、スピカは一瞬たじろいだ。だが、足に力を込めて踏ん張り、正面から向き合う。


「……作戦があるのか?」


「ある!」


 カペラからの問いに堂々と答えるスピカ。そして懐から、一本の薬瓶を取り出す。

 皆の視線が瓶に集まったところで、スピカは作戦の『前提』を話し始めた。


「これは、この地域に暮らしている毒蠍セルケトの治療薬。これ一本あれば、十人分ぐらいの治療が出来る」


「……それをどうするつりだ? 薬で何が出来る?」


「アイツの弱り目の心臓に、止めの一撃が刺せる、かも知れない」


 スピカの言葉に、カペラはぴくりと眉を動かす。分からない、と言いたげな彼女に、スピカは話を続けた。

 毒蠍セルケトの毒の効果は、脈拍を低下させ、呼吸も遅くするというもの。

 他にも色々な作用を引き起こすが、致命的なのはこの二つの性質。放置すると心停止と窒息死の危険がある。ではこれを治療するにはどんな薬が効果的か? 勿論、これらの症状を中和するものが好ましい。つまり脈拍を増加させ、呼吸を早くする薬を使えば、とりあえず死なずに済む。スピカが持つ治療薬も、飲めばそのような効果を生じる。

 そんな素晴らしい薬であるが、予防的に飲むというのはすべきでない。

 何故なら薬というのは、本質的に毒であるから。例えば死の危険があるセルケトの毒も、言い換えれば過呼吸や過剰な心拍などの症状に対してであれば薬という事になる。実際そうした病や毒の薬として、セルケトは重宝されている。そしてセルケトの毒に対する薬は、健康な人間に使えば呼吸と心拍の増大を引き起こす。過度の呼吸は却って息苦しさを生み、長時間の脈拍増加は心臓に負担を掛けて最後は止めてしまう。飲めばあの世行きの恐ろしい効能なのだ。

 さて。恐怖した生物というのは、身体に変化が起きる。

 難しい事ではない。人間が体感しているものとほぼ同じものだ。()()()()()()()()()()()()()()。これは運動した後の身体の状態と同じであり、恐怖から素早く逃げる(或いは戦う)ため身体が準備を整えているための反応と考えられている。生きるために必要な活動なのだが……これはセルケトの毒に対する薬が引き起こす作用と同じもの。ここに薬を使えば、症状は更に強まる。

 錯乱状態にあるバハムートは今、限界まで呼吸・心臓が早まっている筈だ。そこに薬を投じれば、限界をほんのちょっと超えてしまうだろう。強過ぎる心拍は心臓を痛め、早過ぎる呼吸は肺を損耗させる。どちらも生きていくのに欠かせない臓器であり、どちらかが駄目になれば、生物は死ぬ。


「最後の駄目押し、という訳だな」


 スピカの作戦を理解したカペラは、不敵に笑った。これならいけると考えたのかも知れない。

 とはいえ、確実にやれる、とは言えない。

 まず生物によって毒の効き方には違いがある。人間が一口食べたら死ぬような草を、バリバリと食べて成虫にまで育つ虫がいるように。バハムートにも、人間にとっての毒が通じるとは限らない。

 それに人間とバハムートは身体の大きさがあまりに違う。子供より大人の方が毒の効きが悪いように、身体が大きい生物の方が毒には強い。スピカが持つ治療薬は人間十人に使える量があるものの、体長四十メトルにもなるバハムートの体重は明らかに人間十人よりも大きい。健康な状態なら、全部を投じても精々体調を崩すだけだろう。

 極度の興奮状態だからこそ、もしかしたらやれるかも知れない……その程度の作戦だ。

 そしてスピカは、この問題点もカペラに伝えた。正確な判断をしてもらうために。

 カペラの答えは、不敵に笑う事。


「元より、足止めすら出来るか分からない相手だ。お前の作戦に乗ろう!」


 彼女は力強い言葉で、スピカの作戦に同意してくれた。

 カペラの部下達から異論は出てこない。カペラの指示に従うという事だ。船長や船乗り達も何も言わず、スピカを真剣な眼差しで見つめるのみ。

 つまりそれは、スピカがこの船に乗る人間全ての命を預かるというのに等しい。


「っ……」


 ごくりと、スピカは息を飲む。

 一回目の『目眩まし』は成功ではあるものの、結果的に事態を悪化させてしまった。

 二回目の作戦は、果たして成功するだろうか? また最悪の状況を招くだけではないか?


「成功、させてやる……!」


 胸に湧いた疑問(不安)には答えず、スピカは願望を言葉に発して、迫り来るバハムートを睨む。

 そう、考えたところで仕方ない。命を預けてきたのはアイツら自身の選択で、こっちがそれに責任を持ってやる必要なんてない。仮に、それが嫌で逃げたとして……じゃあ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 端から迷う理由なんてないのだ。合理的に考えれば、答えは一つしかないのだから。


「やるよ! 兎に角今は……ひたすら逃げて!」


 作戦と呼ぶには、あまりに情けない指示。

 けれどもその言葉を合図にして、カペラと船乗り達は一斉に動き出すのだった。

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