砂漠巨獣6
「ふむ。笑っているからには、何か妙案が閃いたのか? 冒険家」
スピカの笑みを見たカペラが、そのように尋ねてくる。
対人の心理戦なら、ここはハッタリをかますべきだろう。しかし此度の相手はバハムート。人間相手に嘘を吐いても仕方ない。
「いいや、なーんにも。バハムートの強さを考えたら、通じる策なんてろくにないし。何より……」
「何より?」
「場所が悪過ぎる。砂漠じゃ罠一つ張れないわよ」
そう言いながら、スピカは船から見える景色に目を向ける。
視界に入るのは、見渡す限り砂ばかり。
砂漠なのだから当然である。だが、その当然が厄介だ。これまでスピカが戦ってきた存在……スライムやキマイラ、ヴァンパイアは、その土地の環境を活かして撃退している。レギオンも宝石都市にあった火薬で意識を逸らす事が出来たのが勝因だ。まともに戦っても勝てない相手だからこそ、自分達以外の力に頼るしかない。
だが、この砂漠にあるのは砂ばかり。池も毒草も火薬庫もないのだ。これで策を練ろと言われても、一体何をどうすれば良いのか。
「まぁ、何もないってのは人間目線の物言いで、実際には色々あるにはあるけど……でも探すにしろ考えるにしろ、時間が掛かる」
「成程。なら他の者にも聞こう。誰かあの化け物を倒す秘策は思い付いたか?」
「はいはーい! 私が殴りに行くぞー!」
「やりたい事じゃないっつーの」
元気に手を上げ、空気を読まない発言をするウラヌスを窘める。
しかしカペラとその部下達から、ウラヌスの『秘策』を超える素晴らしい案は出てこない。船長や船乗り達も同じだ。
「ふむ。つまり我々が最初にすべき事は、誰かが作戦を思い付くまでの時間稼ぎという事だ」
「簡単に言ってくれるな。あの化け物をどうやって足止めするつもりだ?」
「そうだな。船長、大砲を使わせてもらえるか? うちの部下に、例え一千メトル離れた相手にも当てられる奴がいる」
「……構わねぇが、直撃させても傷一つ与えられねぇぞ」
「しかし顔に当てれば、目眩ましぐらいにはなるだろう。運が良ければ体勢を崩して転ぶかも知れん」
あまりにも願望混じりの作戦、或いはその場凌ぎと言うべきか。
だがこの場を凌がなければ未来はない。カペラの要望に、船長は肩を竦めながら同意する。カペラは視線を部下の方に向けると、男の一人が前に出た。彼が大砲の名手らしい。
大砲の弾となれば相当に高価な筈。それを目眩ましに使うのは、些か豪華過ぎるかも知れない。だが使わなければ砲弾諸共砂漠のゴミとなるだけ。使えるものを躊躇いなく使う、船長とカペラの決断は正しい。スピカとしても口出しなんて出来ない。
「良し、やるぞ」
「了解」
男はカペラの『指示』を受け、船の後方に設置された大砲へと向かう。大砲の周りには船乗り達がいて、既に砲弾を装填済みのようだ。
砲身を触り、注意深く観察した後、男は大砲の角度を調整。迫りくるバハムート……話し込んでいるうちにかなり距離を詰めてきた。もう二百メトルも離れていない……を前にしても、指一つ震える事もない。
それは大砲の後ろに火を入れて、着火する時でも変わらず。
やがて遠く離れたスピカ達の身体が震えるほどの爆音を鳴らし、大砲が火を噴いた!
今の人類が誇る最強の兵器。直撃すれば人間など跡形も残らないという噂話こそ聞いたことがあるが、実物が使われる瞬間を見たのはスピカも初めて。しかし身体で感じた余波だけで、その噂が本当だとスピカは確信した。
「みゃっ!? な、なんだ? なんだ?」
スピカですら驚いた出来事だ。『野蛮人』であるウラヌスなど驚きのあまりひっくり返っている。
どんな猛獣にも怯まず挑んできたウラヌスの、ちょっと間の抜けた姿。出来ればじっくり見ておきたいところだが、それよりもスピカは観察を優先する。
大砲から放たれた黒い鉄球……砲弾が空を飛ぶ。
放物線を描きながら向かうは、猛進するバハムート。放たれた大砲は弓矢よりも遥かに高速で飛翔しており、バハムートも避ける様子も見せない。吸い込まれるように鉄球はバハムートの頭部に直撃。その衝撃は鉄球を粉々に砕き、灰色の粉塵として撒き散らす。人間が受ければ跡形もなくふっ飛ばされる死の煙だ。
だが、バハムートは止まらない。
「バオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
びりびりと大気を震わせる、バハムートの大咆哮が砂漠に響き渡った。
その鳴き声は遠く離れたスピカ達の身体を痺れさせ、屈強な船乗りや傭兵を何人か腰抜けにしてしまう。更に大砲の粉塵を吹き飛ばし、無傷の身体を露わにする。
最初から分かっていた事だ。バハムートに大砲が通じないなんて本にも書かれており、大体大砲が効かない生物など珍しくもない。かつて遭遇したスライムの放つ攻撃が、大砲と同じぐらいの強さだと言われるぐらいなのだから。
しかし直撃して怯みもしない姿は、流石に少なからずスピカの心を揺さぶる。数多の恐ろしい生き物を見てきたスピカですらそうなのだから、傭兵や船乗り達の動きが止まってしまうのは仕方ない事だろう。
だが、呆気に取られている暇はない。
「っ……次弾装填!」
大砲を操っていた男が大きな声を張り上げる。一発で駄目なら二発、それが駄目なら三発撃ち込む……単純を通り越して愚直だが、しかし最も効果的な『力押し』だ。船乗り達も声で我に返り、言われた通り次の砲弾を大砲に詰めていく。
再び放たれた大砲は、これまたバハムートの頭に直撃した。
だが、やはりバハムートの動きは止まらない。止まる気配すらない。いや、それどころか加速していくようにも見える。
「バオオオオオオオンッ! ォオオオオオオオオオオオンッ!」
怒り狂うような雄叫びを上げ、更に巨大な口も開く。内側に並ぶ小さく、しかし鋭い歯が、人間達の恐怖を煽る。
目眩ましどころか足止めにもなっていない。それどころかその怒りをより激しく燃え上がらせてしまったようだ。これは不味い、と今更思ったところで、怒らせてしまった事実は変わらない。
とはいえ大砲を当てる以外の手がないのも事実。何か他に策はないものかと、スピカはバハムートを観察する。
バハムートは怒り狂いながら直進し続けており、未だ正確に船を追っている。船は風を最も強く受けられるよう時折蛇行していたが、バハムートはその動きを完璧に追尾していた。逃がすつもりは毛頭ないと、異種族である人間にもひしひしと伝わってくる。
だが、観察していてスピカは違和感を覚える。
「(アイツ、本当にこっちが見えてんの?)」
バハムートの頭には、確かに目が二つある。
しかし頭の大きさに対し、あまりにも小さな目だ。それに大きな頭の両側に付いている。
目の機能がどれだけ優れているかは、生き物の種によって違うと言われている。どんな風に見えているかは、生き物自身にしか分からない事だ。だが人間の知能であれば、姿形や行動、そして理屈からある程度予測する事が出来る。
相手の視力を窺い知るための要素は二つ。
一つは目の大きさ。目が大きな生き物は、印象通り視力に優れている事が多い。逆もまた然り。以前帝都周辺の森で出会ったスライムが良い例だろう。目玉が小さな彼等は、視力はあまり良くない。
二つ目に、目の付き方が重要である。人間のように目が顔の前に付いている生物は、生き物の動きや距離感を捉えるのが上手だ。逆に顔の側面に付いている動物は、視野がとても広く、種によってはほぼ真後ろまで見えている。前者は肉食動物でよく見られ、後者は草食動物に多い特徴だ。肉食動物は獲物を捕まえるのに距離感が分からないと不味く、草食動物はより素早く天敵の存在に気付くのが重要という事だ。
バハムートの目は小さく、そして身体の側面に付いている。あれでは身体の正面の獲物は、殆ど見えない筈だ。距離感を掴むのも恐らく苦手である。
それによく見ると追跡の方法も奇妙だ。バハムートは確かに船を完璧に追跡しているが、その動きは一秒近く遅れてから起きている。もしも目で直接見ていたなら、そこまで反応の遅れが出るとは思えない。
恐らく、バハムートは目で世界を見ていない。
ならば何を頼りにしているのか? 気付いてしまえば、答えはそう難しいものではない。今まで見てきた生き物達の知識が答えを教えてくれる。
そして相手の事を知れば、正しい『目潰し』の方法も分かるというものだ。
「ねぇ。一つ考えがあるんたけど、試させてくれない?」
「聞こう。何をしたい」
「大砲をアイツ自身じゃなくて、そのちょっと傍に撃ち込んでほしいの」
スピカが意見を述べると、カペラは最初渋い顔をした。どうやら納得がいかないらしい。
無理もないだろう。普通に考えれば、直撃しない攻撃をしても意味などないのだから。直撃させても効果があるか怪しいとはいえ、無駄玉を使うのは流石に看過出来ないのは当然である。
しかしスピカの予想通りにバハムートが世界を見ているなら、直撃よりも外した方が効果的に時間を稼げる。
真剣な眼差しでスピカが見つめれば、カペラは少し考えた後、指を一本立てた。
「次の一発だけ使わせてやる。それで良いな?」
「十分」
スピカが同意したところで、カペラは大砲を操る部下の男に視線を向ける。
スピカも男の傍へと向かい、戸惑う男に砲撃を撃ち込んでもほしい場所……バハムートのヒレの傍を伝える。直撃させない位置への攻撃指示に、男はやや怪訝な顔を浮かべたが、上司の指示もあって反対はせず。
狙いを調整するため大砲の向きを変えた後、すぐに次の砲撃は行われた。
間近で聞く大砲の音は、スピカの内臓を震わせるほどの衝撃を伴う。その場で蹲りたくなる気持ち悪さだが、堪えてスピカはバハムートの姿を見遣る。
砲弾はスピカが示した通り、バハムートではなく、そのヒレのある方に飛んでいく。船の方向転換はなく、故にバハムートも動かない。狙い通りに砲弾はバハムートのヒレの傍に着弾した
「ブボオォッ!?」
瞬間、バハムートが声を上げた。驚きと困惑に満ちた、ちょっと間の抜けた叫びだ。
そして声を上げた拍子にバハムートは跳び上がる。転んだり立ち止まったりはしなかったが、しかし浮かび上がれば砂は掻けない。着地の衝撃で体勢を崩した事もあって、バハムートは大きく減速する。
最高速度では船よりもバハムートの方が上だったが、それでも逃走劇が行えるぐらいには速度は拮抗していた。バハムートが大幅に減速すれば、船の方がずっと速くなる。一気に距離と時間を稼ぐ。
「良し!」
思惑通りに事が運び、スピカは拳を握り締めながら喜ぶ。
とはいえこうなると考えていたのはスピカだけ。他の傭兵達や船乗りは、喜びながらもポカンと呆けた顔をしていた。ウラヌスだけはこくこくと頷いていたが、どうせ何も分かっちゃいないとスピカは思う。
「詳しい説明を求める」
分かっていない代表として、カペラがそう尋ねてきた。理屈を知るスピカはその問いに少しばかり自慢げに答える。
「予想が当たっただけよ。バハムートが目じゃなくて、音や振動で獲物を探しているって」
「音や振動?」
視力に劣る生物は、世界が何も見えていないのか?
そのような事はない。彼等は彼等なりの方法で世界を見通している。例えばスライムは、視力ではなく音や振動を頼りにして獲物を追っていた。犬や狼、虫は主に臭いで獲物を探す。人間は目に頼る生き物なので、視力のない生物を『下等』と見做しがちだが……数多の生物を見てきたスピカは知っている。五感に優劣はない。
バハムートは正にその典型だ。視力に頼らないからこそ、頭部に砲撃が直撃し、視界を塞ぐ煙幕が展開されようとも怯みもしない。恐らく彼等は砂から伝わる振動を頼りにして、獲物や敵の位置を測定している。船の動きに遅れて反応するのは、その動きの振動が伝わるまで時間差があるからだ。
では、真剣に振動を検知しようとしている最中、真横からズドンッと大きな振動が現れたらどう思うか? 恐らく、相当びっくりする筈だ。
「成程、音が弱点か。大手柄だな」
「いやー、はっはっはっ」
カペラに褒められたスピカは高笑い。ちょっと子供っぽいか? とも思わなくもない二十二歳だが、嬉しいものは仕方ない。
そして、だからこそ言わねばならないとも思う。
作戦は成功したが、一つ、大きな問題が生じた事を。
「……ただまぁ、一つ欠点があるんだけどね」
「欠点?」
「いや、これってぶっちゃけ目眩ましというより、耳許で大声出すようなもんだから……今まで以上にブチ切れる可能性が高い」
スピカはそう言いながら、バハムートを指差す。カペラはバハムートの方を見て、しばし眺めた後、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
真っ白だった体色がほんのり赤らむほどに興奮し、砂煙を巻き上げながら、今まで以上の速さで爆進してくるバハムートを――――




