砂漠巨獣2
流れていく、砂の景色。
スピカは今、一歩として動いていない。だがその目に見える景色はどんどん右から左へと流れていく。それも徒歩では到底出せない速さで。
何故なら彼女は今、帆船の上にいるから。
そして帆船は風を受けて、猛烈な速さで砂漠の大地を滑っていた。人間が走るよりもずっと速く、疲れる事を知らずに。
「いやー、話には聞いていたけど、こりゃ凄いわ。また乗りたくなっちゃうかも」
想像よりも速く動く帆船に、スピカは感嘆する。
この船の正式な名称は、砂上帆船という。
言うまでもなく、普通の船では砂漠の上は進まない。いくら砂がさらさらしていると言っても、水ほど簡単に掻き分けられるものではないのだから。
しかし砂上帆船は砂の上を滑るように進む事が可能だ。秘密は帆船の底に張られた革にある。これはバシリスクと呼ばれる、鱗のない蛇から取られたもの。バシリスクは砂の上を滑って移動するのだが、その秘密は滑らかな皮にあるという。詳細な原理は未だ不明だが、その皮は砂の上でなら浮力を増す作用もあり、砂上を移動するのに役立つ。
バシリスクは体長一メトルにもならない小さな蛇だ。それに動きが素早く、しかもいざとなれば砂に潜ってしまい、簡単には捕まえられない。数は多いものの、それはあくまでも砂漠の生物としてはの話。この皮で帆船の底を敷き詰めるなどどう考えても無理だ。事実五十年前まで、砂漠を進む船は空想の産物でしかなかった。
しかし五十年ぐらい前に養殖法が確立され、バシリスクは砂漠都市での主要な家畜となった。家畜化の本来の目的は肉を得る事。バシリスクの餌は虫であり、虫は農作物(主にスイカ)に付くのでいくらでも得られるという事で帝国主導による研究がされていたのだが……肉を得れば皮が余る。割と処理に困るぐらい。
特別な皮を大量かつ定量的に得られるようになった事で、夢の砂上帆船は実用化したのだ。
と、建造を実現した要素についてはスピカも知っている。夢もなく語れば産業廃棄物の処理。しかし砂漠の上を走るという、浪漫に訴えかける性能なのも事実だ。成果を目の当たりにすれば、いくらかワクワクもしてくるというもの。
ましてや船が大きいとなれば、興奮も一入だ。
「(正直、こんな大型船が出ているのは予想外だったなぁ)」
スピカ達が乗っている船は、全長三十メトルもある帝国最大級の代物。甲板には大砲が複数設置され、数メトル程度の生物なら追い払う能力を持つ。極めて高性能な船でもあり、同型船はこれ含めて二つしかないという。
当然広げている帆も巨大で、仰け反るように見上げなければ先端が目に入らない。正に圧巻の光景だ。それに大型故に砂上を走る際の安定感も大きい。自分の乗る物の『強さ』が感じられて、これもまた好みだ……安定感の一番の利点は、揺れがないので船酔いがない事だが。
「おおおおおお! 凄いぞ! 凄い!」
ちなみに傍にいるウラヌスは、小さな見た目に似合ったはしゃぎぶりをしていた。
「あんまりはしゃぐと船酔いするぞー」
「うむ!」
嗜めるように声を掛けたが、ウラヌスは全く落ち着かない。
まさかコイツ私の持ってる薬、勝手に飲んでないわよね……そんなあり得ない疑問まで抱いてしまったスピカは、腰にある袋の一つに手を突っ込む。掴んだ数粒の薬の存在を確かめて、やっぱりコイツはただ五月蝿いだけだと呆れた。
ちなみにその薬は正確にはとある植物から抽出したもので、この砂漠に生息するサソリ・セルケトの毒の治療薬である。セルケトの毒は極めて強力かつ即効性で、その毒は冒険家の間で武器として人気なほど。人間がこの毒を受ければ、瞬く間に命を落とす。解毒薬なしで出歩くのは自殺行為なのだ。
船上なら安全では? とも思えるが、セルケトは人差し指ほどの大きさもない小さな虫である。胸どころか道端や屋内にも現れるため、この地で生活するなら必須の薬品と言えよう。
無論、必須の薬だから強くない、なんて事はない。セルケトの毒にやられていない人間に使うと、大抵暴れ回った挙句に死ぬ。ただ、ウラヌスならなんか普通に耐えそうな気がした。果たして彼女がそこまで人間離れしているかは、スピカには分からないが。
「ひょーっ!」
それにしても砂漠の上だというのに元気いっぱいだ。町ではあんなに暑さに苦しんでいたというのに。
しかし実のところ、砂漠都市より砂漠の方が涼しかったりする。レギオンなど猛獣が町に近寄らないのは、その暑さの影響も大きいと聞く。また帆船が受けている風により、船上にも爽やかな風が流れていた。風は体温を下げてくれる一要素。そして巨大な帆が作り出す大きな日陰……三つの要因により、ウラヌスは何時もの活力を取り戻したのだろう。
ただし日陰の方は、時間が経って昼間になり、太陽が位置を変えれば消えてしまうが。その時は船室に逃げ込むのも一つの手か。
……とスピカは考えたものの、それは難しいかも知れないと思い直す。何故なら日向にいたくないのは他の人も同じであり、昼時に太陽から逃げ出すのは誰もが一緒の筈。ならば当然昼間は人が押し寄せ、船内は人の湿気で蒸し風呂のようになりかねない。
その可能性は、乗船人数が多ければ多いほど、そして乗員がむさ苦しければむさ苦しいほど上がっていく。
今回この船に乗っている面子は、見事その要件を満たしていた。
「(随分とガタイの良い連中だな……)」
ちらりと、スピカが横目で見たのは、偶々そこにいた乗員の一部。
女と男が話をしている。年頃は二人共三十代だろうか。人間として『陰り』が見えてくる歳であるが、されどこの二人の纏う雰囲気は実に力強い。今が全盛期だと言わんばかりだ。
更に身に纏うのは金属製の鎧。冒険家が好むような革製の軽装ではない、剣も矢も全て弾く分厚い装甲のものだ。それも生命に関わる上半身だけでなく、足や腕も守る重武装ぶりである。
そして奇妙なのは、そんな重武装な者達がこの船には何十人と乗っている事だ。
確かに、この砂漠の先……そこにある都市の更にその先には、一つの大きな国がある。世界最大の国家・王国だ。王国に向かう数十人の旅客がいるのはまだ理解出来るが、通常その内訳は観光客や商人、または移住者、或いはそれらの人達の護衛をする冒険家である。いずれも重武装する面々ではない。武装した数十もの面子に違和感を持つなという方が無理というものだ。
「(装備からして、冒険家じゃなさそう。向かう人が多い事も考えると、多分、傭兵かな?)」
冒険家が何故軽装を好むのか? それは相手にするのが大自然と、そこに棲まう野生動物だから。どちらも無理して戦う必要はなく(というより基本勝てない)、そもそも出会う生物と片っ端から戦っていては長旅だと体力が持たない。基本的には逃げるのが最善であり、それには軽い装備の方が向いている。また整っていない地形を重装備で歩くのは極めて危険だ。重たい鎧姿で底なし沼に足を踏み入れたら、もう目も当てられない。
だが、ではこの世界に重装備が活躍する機会がないかと言えば、それも違う。要するに用途が違うだけなのだ。状況が異なれば、軽装よりも重装備の方が適している。
例えば、人間と人間の戦い。
具体的には戦争である。戦争は野生とは違う戦いを強いられるもの。基本的に敵が来たからといって逃げるなんて許されないし、時には矢が飛んでくる方に向けて前進しなければならない事もあるだろう。また相手の力量が人間百人分なんて事態はなく、人間離れした力を使ってくる状況はまずない。このような環境下では、多少動きが悪くなっても守りを重視した方が良い。
傭兵もまた戦うのは基本人間が相手。故にスピカは重武装の同乗者達を傭兵だと考えた。近く、何処かの国が戦争を起こすのかも知れない。
ただし、やはり違和感は付き纏う。
戦争自体はこの世界のあちこちで起きている。でなければ傭兵なんて職種は大昔に絶滅しているだろう。だから『仕事場』はあるのだが……しかしその規模は合計百人未満の、地味な衝突だ。兵士達はやる気があるものの、どうにも『祭り』を楽しむ心境ぐらいだ。死者もほぼ出ないらしい。
何故こんな戦争になるのかといえば、どの国も野生動物の脅威があまりに大きく、人間同士で争っている余裕などからだ。戦争する理由はどれも「ご先祖の因縁が〜」「あそこは我々の聖地が〜」程度なものばかり。そこに全戦力を投入するほど、指導者達も阿呆ではない。兵士も相手を殺そうとする訳もない。むしろ訓練の名目でやっているとかなんとか。終戦後は二つの国の兵士達が合同で宴会をする事もあるらしい。
こんな戦争で傭兵達の活躍場所があるのか? 殆どない。あるにはあるが、それは兵士達が『観戦』している見世物だ。こちらも怪我人は兎も角、死人はほぼ出ず。なので参加人数は両陣営合わせて十数人程度が一般的である。
数十人の傭兵が一つの船に乗るなんて、どうにも奇妙だ。知らないうちに戦争が加熱して、大勢が参加するようになったのだろうか。見世物として考えれば自然な流れではあるが……
「(ま、私達には関係ない話だけど)」
スピカはそこで考えを打ち切る。戦争など今や一般人には縁遠い話だ。傭兵達が何処にどれだけ向かおうと、どうでも良いだろう。
無論、船の上で一悶着起こそうというのなら、こちらにも『考え』はあるが……そんな無法者は早々いないので、心配するだけ杞憂というものだ。
むしろ無法者はスピカの傍にいる。
「お前達、強そうだな! 名のある戦士か?」
具体的には、スピカが見ている男女二人に話し掛けたウラヌスだ。
顔見知りでもない人間にいきなり話し掛けるなんて阿呆なの? と叫びたくなる衝動を抑えつつ、スピカは一直線にウラヌスの下に向かう。そしてウラヌスの首根っこを掴んで、ずるずると引きずっていく。ウラヌスがちょっと本気で抵抗すれば逆に引っ張れるだろうが、此度のウラヌスは無抵抗。大人しく話し掛けた男女から離れていく。
「どうした? 何があった?」
そしてスピカが立ち止まると、ウラヌスはキョトンとしながら尋ねてきた。
「何が、じゃないでしょうが! 知らない人に無闇に話し掛けないの! 変な子って思われるでしょ!」
「えー? 良いじゃないか思われても」
「私が良くないの!」
何故赤の他人であるコイツに母親みたいな事を言わなきゃならんのだ……等と思いながら、スピカは大きく項垂れる。しかしウラヌスは何処吹く風。まるで堪えていない。
「だがなー。もう景色を見てるのも飽きたぞ。ずーっと同じものしかない。人と話せば、人それぞれの話も聞けて面白いだろう?」
それどころか平然と、そんな意見を返してきた。
スピカは言葉を詰まらせた。いきなり親しげに話し掛けるものだから引き留めたが……しかし用がなければ話し掛けないのでは、人の関係は中々広がらないものだ。積極的に人間関係を築く事は、悪いものではない。
ただ、そういうのは何かあって相手を不快にしても、もう二度と会う事もない状況でなければ不都合が多い。閉鎖環境である船上ではやはり避けるのが無難だろう。何より「お前強そうだな」は第一声として、ない。
「……話し掛けるのは良いけど、もう少し考えなさいって事。いきなりお前強そうだな、なんて言葉は普通使わないの」
「む? そうなのか? だがアイツら本当に強そうだぞ?」
「事実かどうかの話じゃなくて、礼儀とか作法の話つってんの」
何度言っても、ウラヌスはキョトンとするばかり。礼儀や作法というのはつまるところ価値観の話なので、納得出来ないなら分かりようもあるまい。説明や説教は無意味だろう。
それに、ウラヌスはどうしても話したかった訳ではない。代わり映えしない景色に飽きて、暇を潰そうとしていただけだ。ならば新たな暇潰しを与えれば良い。
加えて、スピカとしては聞き捨てならない。砂漠に何もいないと言うのは、自然に対する『見くびり』なのだから。
「それより、砂漠にだって見るもんとか、遊べるものはいっぱいあるよ。例えば釣りとか」
「……流石に釣りは出来ないと思うぞ」
スピカの言葉に、訝しむような眼差しを向けてくるウラヌス。だがスピカはそんなものには怯まない。
背負う荷物の中から携帯用釣り竿(非常食確保用に何時も持ち歩いている)を取り出したスピカは、釣り竿から垂れ下がる糸の先に針を括り付けた。針と言っても返しも何もない、極めて原始的で単純な一品。
魚釣りをするなら、針の返し部分は必須だ。これがないと魚が暴れた際、抜けやすくなる。スピカの手持ちにはそういう針もあるが……今回これを使った理由は、狙う獲物が暴れる魚ではないからだ。
針を付けたところで、スピカは釣り糸を垂らす。やがて釣り針は砂の上に到達。自身の重みで少しだけ砂に沈み、船の動きにより引っ張られる事で一筋の線を砂漠に残し――――
唐突に、釣り竿の重みが増した。
「ほっ」
その瞬間にスピカは釣り竿を上げる。
それから糸を手で引き寄せると、針先に一匹の『芋虫』が突き刺さっていた。
芋虫は白くてぶよぶよした身体と細長い足を持つ、地虫と呼ばれる類のもの。体長はざっと人差し指の長さぐらい。大きな頭には大きな顎があり、噛めば指の肉ぐらい平気で切り裂くだろう。しかし動きは緩慢で、掌の上を歩かせていない限り噛まれる心配はない。
スピカは芋虫を背中側から、二本の指で掴んで押さえ付ける。じたばたと脚を動かす芋虫だったが、身体は大きい癖に力がない。スピカの手を振り解く事は出来ず、スピカはずいっとウラヌスに芋虫を突き出す。
「ほい、これはオルゴイホルホイ。この砂漠じゃ一番よく見付かる生き物ね」
「おお……これは中々の大物だな!」
釣り上げたオルゴイホルコイを見て、ウラヌスは目を輝かせた。
いや、よく見れば涎が出ている。
どうやらウラヌスは、この芋虫を「美味しそうだ」と思ったらしい。野蛮人……と一般的な人間は思うだろうが、此度ばかりはスピカも賛同する。
虫というのは栄養満点な生物だ。特に幼虫は、成虫になるための栄養を身体に溜め込んでいるため一匹でかなり飢えを満たせる。砂漠都市でも美味なバシリスクの養殖が実用化されるまで、作物に付く虫は人間が食べていたらしい。
砂漠の生き物達も、肉食性のものはこのオルゴイホルコイを好んで食べる。ちなみにオルゴイコルコイの味は油漬けの肉といったところ。そのまま食べるのは中々辛いが、焼いて適度に脂肪を落とすと結構美味……という話だ。スピカとしてもこれは食べた事がないので、ちょっと楽しみである。
「船上じゃ焚き火は出来ないし、調理場で虫を焼くのも非常識だからまだ食べないけど……港に着いたら食べよっか」
「……なぁなぁ。私もやっても良いか?」
スピカが説明を終えたところで、ウラヌスはキラキラと瞳を輝かせながらそう尋ねてくる。
どうやら釣りをやってみたいらしい。
スピカは思わず笑みを浮かべた。怪物並の力を持つウラヌスだが、見た目相応の好奇心も持ち合わせているようだ。今までの能天気ぶりを思えば予想は出来ていたが、目の当たりにするのは思えば初めてかも知れない。
子供の好奇心を無下にするのは、大人としてやるべきではないだろう。大人ぶりたい年頃のスピカとしてはそう思う。
「ええ、勿論。砂に針が落ちた時と、芋虫が掛かった時に結構強めの重みが来るから釣り竿を手放さないように……まぁ、アンタの場合は壊さないようにって言う方が良いか」
「うぐ……こ、壊れたら、その分護衛として頑張るぞ」
「別に良いわよ。これ、私がてきとーな枝と蜘蛛の糸で作っただけの物だし。壊れたら新しく作り直すだけだから。そうね、その時作り方も教えてあげる」
適度に脅しつつ、それでいて萎縮しないように。交互に言葉を掛ければ、ウラヌスの目は子供のように輝いた。
早速とばかりにウラヌスは針を砂の上に投げ入れる。ウラヌスはワクワクしたように身体を揺れ動かし、釣れる時を待つ。
オルゴイホルコイ釣りにコツはいらない。先程言ったように、落ちた時と掛かった時の衝撃で釣り竿を離さないように意識するぐらいだ。
そして辛抱強く待つ事。基本的にこの釣りは、直線上にオルゴイホルコイがいない限り釣れない……完全なる運試しなのだから。
「(さぁーて、どれぐらいで飽きるかな?)」
ウラヌスの反応を予想しながら、スピカは砂漠を眺める。
ウラヌスは飽きたといった、大自然の風景。
スピカはその楽しみ方を知っているのだから。




