砂漠巨獣1
「あづぃぃー……」
だらだらと汗を流しながら、ウラヌスが珍しく弱音を吐いていた。背筋は曲がり、足取りはとぼとぼ。普段パチリと開いている目も半分閉じ気味で、すっかり参っている様子だ。
ウラヌスの隣に歩くスピカはその様を眺めながら、こう思う。「成程。コイツは暑さに弱いんだな」と。恐らくは筋肉量が多く、身体の発熱量が多いのが原因だ。
勿論、今までの旅では平然と暮らしていた訳だから、それだけが原因ではない。もうひとつの原因はスピカにも分かっている。
それはこの地が他の地域と比べ特別気温が高いという事。
何しろ此処は砂漠に存在する小さな都市なのだから。
「(正直、私でも暑くてしんどいからなぁー)」
空で輝く太陽はギラギラと輝き、地上を焼き尽くさんとしている。地面は乾ききっていて、風が吹けば埃のように簡単に舞い上がるほどだ。空気も乾燥しきっていて、吸い込むだけで喉がひりつく。
ウラヌスほどではないが、スピカにとっても辛い気候だ。適度に休憩しなければ命が危ないだろう。そしてウラヌスは、そろそろ限界のように見える。
幸いにして今は都市の中。あちこちに煉瓦造りの家が立ち並んでいて、休む場所には事欠かない。加えて都市自体が暑さを想定した作りをしている。例えば屋根付きの椅子や、店の前に張り出した屋根、平たい彫像(町の歴史が書かれた碑石のようだが読んでいる人はいない。皆日陰の下にいる)など……どれも涼しむのに役立っていた。
「うーん。ちょっと日陰で休む?」
「ぞうずるぅぅ……」
スピカが提案すれば、ウラヌスは即座に同意した。余程辛かったらしい。
ウラヌスの要望に応え、スピカ達は屋根が突き出した店の下に向かう。直射日光がなければカラッとした気候が暑さを和らげ、かなり過ごしやすくなった。ウラヌスも死にそうな顔が、ちょっとだけマシになる。
「お客さん、辛そうだね。冷たい水、買うかい? 銅貨一枚で一杯だよ」
……そうして涼みに来た客に、高価な水を買わせようというのが店側の魂胆か。中々に商売上手だ。日陰を使わせてもらう以上、断るのもちょっと退ける。
幸い、今のスピカには金がある。それにこの砂漠都市で水は貴重だ。割高でも買える場所から買わねばならない。
「んじゃ、三杯ちょうだい」
「はいよ、三杯ね」
銅貨三枚を渡し、コップ三杯の水を貰う。コップ一杯は片手で掴める大きさだ。
「ほい、ウラヌス。水だよ」
「だずがるぅ……んぐっ、ぷはぁ」
余程喉が乾いていたようで、ウラヌスは一杯を一口で飲んでしまった。スピカはゆっくりちびちびと、自分の分の水を飲む。
そして残るもう一杯は、ひっくり返してウラヌスの身体に浴びせた。贅沢な使い方をされ、ぶるぶると背筋を震わせたウラヌスは、ぱちりと目を開く。
「どう? 少しは冷えた?」
「……うむ。かなりスッキリしたぞ」
水を浴びたウラヌスは、疲れから濁りきっていた声から一変、普段の澄んだ話し方に戻る。
砂漠都市で売られている水は、ひんやりとして冷たい。
その秘訣は保管方法にある。中に水が染み込むような土壺の中に入れているのだ。一見すると質の悪い容器に思えるが、実態は違う。水は蒸発する時に熱を持っていく性質があり、土壺に染み込んだ水は表面から蒸発していく。つまり蒸発させる事で、中の水を積極的に冷やすという訳だ。尤も、キンキンに冷えるものではなく、普通に置いておくよりは冷たいという程度だが。
人間が汗を掻くのも同じ理屈だ。大事なのは纏った水が蒸発する事。汗の代わりに水浸しにしても、体温は下がる。気温で温くなった汗よりも、冷たくなった水の方が一気に体温を奪ってくれるため、水を掛けられたウラヌスに理性が戻ったのだ。
「助かったが、良かったのか? 銅貨一枚なら、普通の町なら何十杯も水が買えるぞ?」
「こんな砂漠じゃ水は貴重なんだから、高くもなるわ。それに……未だ路銀に余裕はあるし」
周りに聞かれるとスリの対象となりかねない。故に小声で、スピカはそう語る。
これは強がりでもなんでもなく、事実だ。今のスピカの懐はかなり温かい。
理由は先日助けたフォーマルハウト……の両親から頂いた謝礼。彼等は命と娘と都市の恩人に報いたいと、どっさり金貨を渡してきたのだ。恐らくもう、比較的物価の安い地域に行けば、二年は遊んで暮らせるだろう額をポンッと。あまりの金額に流石のスピカもビビったが、合理的に考えて(全身ガクガクと震えながら)受け取った。
結果的に砂漠都市では節制を考えず、水を買えている。もしもこの資金がなければウラヌスの水問題で、先には進めなかっただろう。宝石都市から此処までの道は、暑さが砂漠都市ほどではなく……何より二日で終わらせられる程度だったから踏破出来た。この先はそんなに優しいものではない。きっとこの都市の『先』には進めず、冒険は終わりを迎えていたに違いない。
「(それに結果的にだけど、あの依頼で宝石都市に立ち寄ったお陰で、面白いものも手に入ったし)」
自分の腰にある小さな袋の一つに、スピカはちらりと目を向ける。
袋の中には、とある液体が入った瓶がしまわれている。瓶は木箱の中に入っており、厳重に衝撃から守られていた。
そうまでして大切に保管している液体の正体は、揮発油という特殊な油だ。
曰く、鉱山の奥深くで産出する油を加工したもの、らしい。揮発油という名前からも分かる通り、極めて揮発性の高い油である。迂闊に火を付けると爆発するほどの勢いで燃焼するとかなんとか。そして火花一つで引火するぐらい、極めて燃えやすいという。
……特徴を並べてみると、危険な代物でしかない。実際あまりに不安定で危険なため、産業的に有用な使い道は見付かっていないそうだ。
そんな代物を何処で手に入れたかといえば、宝石都市で開かれた『復興市』。復興のための資金調達という名目で開かれた市場では、売れそうな物はなんでも売っていた。揮発油もそこに並んでいた物の一つである。値段が安かった事、臨時収入があった事からスピカは購入していた。
正直、スピカもこの揮発油を武器に使えるかといえば、そんな事もない。簡単に爆発する油なんて、危なっかしくて使えたものではないのだから。とはいえそうした代物が何かの役に立つ、かも知れない。
この先に待っているものが『未知』である以上、色んな攻撃手段を確保しておくべきだろう。
「ところで、なんでこんな暑い町に来たんだ?」
「もっと南に行くためよ。どうやらレギオンの餌になった動物達は、この砂漠を越えた先からやってきたみたいだからね……ここを生身で突破するとか、ほんと野生の生き物は逞しいなぁ」
染み染みと感じながら、スピカは頷くように頭を揺れ動かす。
この砂漠都市でも、スピカは噂話という形で情報を集めた。
曰く、レギオンの住処はこの砂漠地帯周辺との事。とはいえ人間が住んでいる領域とは異なり(レギオンが嫌う地域に人間が居を構えたというのが正確か)、普段両者に接点はない。
またこの砂漠の遥か向こう側には、豊かな草原と森が広がっているという。というよりこの辺りが局所的に砂漠化しているだけだとか。どうやら近くにある山脈が雲を堰き止め、その結果この辺りだけ砂漠化しているらしい。草原は気候的に砂漠よりも住みやすいが……大きな動物が多く、極めて危険なため人の定住は出来ないとか。
そして何年か前から、動物達の大移動が目撃されているらしい。いずれもレギオンの住処を通ったため、都市に大きな被害は出ていない。だがレギオンの活動が活性化しているため不安が広まっているという。
「(十中八九、レギオンが喰ったと思われる動物の住処はこの先の草原ね。キマイラとかが棲んでるなら、そりゃ人間は住めないか)」
納得する反面、奇妙な印象も受ける。噂話で聞いた通りならば、動物達が暮らしている草原は然程遠くない。無論人間的には何日もの旅を必要とするが、噴火や地震などの天災からすれば『お隣』と言える距離だろう。
勿論天災が小規模なら、いくら近くとも誰も知らずに終わる。だがキマイラすら逃げ出す大災害となれば、地震なら都市でも揺れが感じ取れただろうし、火山なら噴煙が見えた筈だ。しかし動物達の大移動以外の、これといった予兆は噂話でも聞かない。
やはり、災害以外の何かが起きているのではないか。
……それを知るためには、この砂漠を渡るしかないだろう。
「ううむ、だがこの暑さでは、長く外を歩けないぞ。夜のうちに移動するのか?」
しかしウラヌスが言うように、砂漠の中を練り歩くのは危険だ。町の中でひーひー言っているウラヌスなんて、一時間もあれば干からびてしまうだろう。スピカも、数時間で生命の危機に瀕するに違いない。
それを防ぐには大量の水が必要だが、水というのは極めて重い。いくらウラヌスでも、砂漠を渡るための水となれば持てるのは精々二日分だろう。
なお、この砂漠を徒歩で横断するには、大体七日ほど必要と言われている。要するに生身の人間がどう足掻こうと越えられる場所ではない。動物にも同じ事が言えるのだが……宝石都市まで大移動してきた動物達は、恐らく一緒に逃げてきた獲物や『仲間』の血肉を喰らいながら生き延びたのだろう。人間には到底採用出来ないやり方だ。勿論、元々暑さや乾燥に強い、という性質も備えた上で。
そう、普通なら砂漠はどうやっても超えられない。しかし人間には様々な道具を作り出すほどの知恵がある。生身ではどうやっても無理なら、道具を作れば良いのだ。
「この先にね、砂漠を渡るための乗り物があるの。それを使うわよ」
「乗り物? どんなものだ?」
「それは見てのお楽しみ。涼んだなら行くわよ。多分、もうすぐその場所に着くから頑張って」
日向に出ると聞いて露骨に眉を顰めるウラヌス ― 思えば彼女がこうも『反抗的』なのは珍しい。余程暑さが堪えているようだ ― を宥めながら、スピカは屋根の下から出る。
渋々といった様子で出てきたウラヌスと共に、目指すは町の南側。都市に入る際、門番から貰っていた地図が確かならそろそろ見えてくる頃である。
そして地図は正しかった。目当ての『それ』は、スピカ達がとある大通りに出てすぐに見付かった。
「ん? ……んんんんん?」
ウラヌスが首を傾げる。
不思議そうにしていた時間はほんの数秒……いや、戦闘時は素早い判断を次々と行う彼女にしては、たっぷり考え込んだと言うべきか。
恐らく考え込んでいたウラヌスは、やがてスピカを置いて駆け出す。その姿は子供が面白いものを見付けた時のようで、スピカは喉奥から笑い声が込み上がってくるのを感じた。
疎らとはいえ、周りには人の姿がある。ここで笑い声を出すのは注目を集めてしまうためあまりしたくない。
「な、なんでこんなところにこんなものがぁ!?」
ところがどっこい、ウラヌスの上げた叫びがあまりにも予想通りなもので。
ついにスピカは我慢が出来ず、げらげらと笑ってしまった。とはいえスピカのウラヌスの気持ちは分からなくもない。
ウラヌスとスピカの前に悠然と現れたのは、本来ならば水上にあるもの。それも小川などではなく、海や湖など広大な場所で使うべき代物。
巨大な帆船。
それが砂漠の大地に作られた『港』に、幾つも停留している光景だった――――




